西山事件とハニトラ1

ハニトラ的取材で世間を騒がした大事件といえば昭和40年台中頃・毎日新聞の西山事件でした。
しかも西山事件(毎日新聞は個人プレーで知らなかったと逃げていたでしょうが・・)と異なり、今回のテレ朝日記者事件は個人プレーではなく、場所設定や費用などテレ朝日側で出していたとすれば(なぜか重要事実不明の記者会見ですが、給与所得の公務員が自腹で1対1の個室?飲食代を日常的に自腹で出していたとは考えにくいところです・この辺の質問を一切しない暗黙合意があったのでしょう)、悪質性が際立ってきます。
ハニトラ取材の悪習是正でいえば、責任を負うべきはこういう取材方式を常態化していたメデイア界自体でしょう。
記者会見の質疑では取材方法に対する国民の疑問に答えるための質問が一切ありませんが、メデイア界全体が触れたくないからでしょう。
メデイア業界が西山事件の教訓を得ていない点で今回のセクハラ疑惑は社会意識の変化に気が付かなかった次官の言語対応の問題とは本質が違い、しかもメデイア界は西山事件を経験しているので初犯ではなく、西山事件の時よりも組織化し常習化していたとすれば責任重大です。
沖縄密約に関する西山記者事件は、女性に対するハニトラ利用による国家の秘密情報取得が違法判断の決め手になった記憶です。
新聞記者は国家公務員ではないので公務員としての義務はない・・普通に取材して秘密情報をたまたま入手しても、取材方法が相当性の範囲であれば取材した方に国家公務員法違反の共犯にはならないのでないかという争点になったからです。
このような記憶を想起してみると、西山事件の教訓を学ばずメデイア界は約50年間の長きにわたって女性官僚には男性記者をむける・・女性官僚には男性記者を向けるなどハニトラ的違法収集をしてきたのか?の疑念が生じます。
世界的に見れば子かっ機密のスパイ行為は犯罪そのものですが、日本では「違法すれすれ行為」で終わっているのは、日本には秘密保護法がなかったからです。
国家公務員法違反だけですと公務員でない民間人には同法の適用が原則としてありえない・いわゆる身分犯ですから、情報を得た方にかなりの違法性がないと共犯にはなりません。
どのような男女関係か?一方的情報収集目的で近づいたのかという機微に触る情報・訴訟認定ができない限り、本当の恋愛関係や偽装結婚に持ち込めば、「夫婦会話でちょっと聞いて何が悪い」漏らした公務員であって聞いた方には違法性がないとなりますので、 スパイ防止法がない・・民間のスパイを処罰できない法制度の欠陥です。
西山事件では西山記者が情報入手後女性官僚との交際を露骨にあっさり切ってしまったので、女性公務員がこの関係を暴露したのではっきりしましたが、そうでない限り日本の法律ではスパイやり放題(外国女性スパイの場合本国に帰ってしまえば(例えばロシア中国のスパイの場合、ロシア等に引き渡し要請しても応じないでしょうから・・)おしまいです。
西山事件は大規模報道されていた・40年以上も前のことなのに私が記憶しているほどの大事件だったにも関わらずその後是正されることがなく、(当時は西山氏個人の行き過ぎとしてメデイアは責任を取らなかったと思われます)今回のテレビ朝日事件はもっと激しく企業組織的にハニトラ取材・嫌がる女性記者に無理に行かせるなど?が常態化していたことが明るみに出たように(情報をはっきりさせないので却って疑念を抱くという私の個人的憶測です・・念のため)見えますが、メデイ界ではその重大性に気がついていないようです。
西山事件に関する本日現在のウイキペデイアの記事です。

1972年、日本社会党の横路孝弘と楢崎弥之助は西山が提供した外務省極秘電文のコピーを手に国会で追及した。この事実は大きな反響を呼び、世論は日本政府を強く批判した。政府は外務省極秘電文コピーが本物であることを認めた上で密約を否定し、一方で情報源がどこかを内密に突き止めた[4]。首相佐藤榮作は西山と女性事務官の不倫関係を掴むと、「ガーンと一発やってやるか」(3月29日)と一転して強気に出た。西山と女性事務官は外務省の機密文書を漏らしたとして、4月4日に国家公務員法(守秘義務)違反の疑いで逮捕、起訴された。
毎日新聞はこの時点で両者の関係を把握していたが、表沙汰になることはないと判断し、引き続き政府批判を展開、当初は他紙も、西山を逮捕した日本政府を言論弾圧として非難し、西山を擁護していたが、佐藤は「そういうこと(言論の自由)でくるならオレは戦うよ」
参議院予算委員会で「国家の秘密はあるのであり、機密保護法制定はぜひ必要だ。この事件の関連でいうのではないが、かねての持論である」と主張した。『週刊新潮』によって不倫関係がスクープされ、時の東京地検特捜部検事佐藤道夫が書いた起訴状に2人の男女関係を暴露する「ひそかに情を通じ、これを利用して」という言葉が記載されて、状況が一変したといわれる。
『週刊新潮』が「“機密漏洩事件…美しい日本の美しくない日本人”」という新聞批判の大キャンペーンを張った他、女性誌、テレビのワイドショーなどが、西山と女性事務官が双方とも既婚者でありながら、西山は酒を飲ませて強引に肉体関係を結び、それを武器に情報を得ていたとして連日批判を展開し、世論は一転して西山と女性事務官を非難する論調一色になった。裁判においても、審理は男女関係の問題、機密資料の入手方法の問題に終始した。
西山が女性事務官に対して「君や外務省には絶対に迷惑をかけない」と言いながらそれを反故にしたことや、女性事務官に取材としての利用価値がなくなると態度を急変させ関係を消滅させたことを女性事務官が証言したことで[6]、西山の人間性が問題視された。
一審の東京地裁判決で西山は無罪となり、女性事務官は懲役6ヶ月執行猶予1年の刑を受けた。
最高裁判決
「当初から秘密文書を入手するための手段として利用する意図で女性の公務員と肉体関係を持ち、同女が右関係のため被告人の依頼を拒み難い心理状態に陥つたことに乗じて秘密文書を持ち出させたなど取材対象者の人格を著しく蹂躪した本件取材行為は、正当な取材活動の範囲を逸脱するものである」「報道機関といえども、取材に関し他人の権利・自由を不当に侵害することのできる特権を有するものでない」と判示し、秘密の正当性及び西山の取材活動について違法性と報道の自由が無制限ではないことを認めた[10]。なお、一審判決後、西山は毎日新聞を退社し、郷里で家業を継いだ。

西山記者が男性だから世間批判を受けましたが、記者が女性だと逆に被害者になるのかの疑問が起きてきます。
ハニトラに引っかかりやすいのは人情の基本ですから、(だからこそ国際的にスパイ行為の基本になっています)その被害に引っかかる官僚批判も必要かもしれませんが、ハニトラ攻勢を意図的に仕掛けるメデイア界の責任こそが政治テーマであるべきです。
今回の財務省次官のセクハラ発言問題は、その記者が「財務次官のセクハラ言動を嫌だ」と上司に訴えているのに上司に無視されて?あえてテレビ朝日が派遣したのは、これまでその女性記者が1対1の酒席に侍っての情報獲得に効果があったからでしょうか?
成績が悪ければ女性記者が「次官のセクハラ発言が嫌だ」と言わなくとも、役立たずとして別の人材に差し替えるのでないでしょうか。
近寄った方が女性であるというだけで、経緯周辺事情を明らかにしない被害発表(記者会見にお仲間しか入れない?ツッコミ質問を事実上制限)では、西山事件の逆バージョン・・男女入れ変わっただけではないのか?の疑念を膨らませる人が増えます。

国際孤立化とメデイアの責任1(社会意識変化と内閣の責任)

4月15〜16日の米英仏によるシリア空爆問題以来、ロシア対トルコの歴史等横にそれましたが日露戦争以降の日本に戻ります。
当時に日本に対する欧米のイメージはアジアの小国が粗暴な大国ロシアに抵抗する判官
びいき世論が西欧世界で出来上がっていました。
ポーツマス条約に関するウイキペデイアの記事中の注で米大統領の熱烈な日本支持を示す部分を引用しておきましょう。
(ポーツマス条約関連と7博士意見書は3月末頃と4月1日頃シリーズで書きましたので全体については上記をお読みください)


^ セオドア・ルーズベルトは「(日本への)同情が欠如している」として駐韓米公使の選任を変更したこともあるほどで、日本海海戦の際も一日中そのニュースだけを追い、ルーズベルト自身「私は興奮して自分の身はまったく日本人と化して、公務を処理することもできず終日海戦の話ばかりしていた」と、その日のことを振り返っている[5]。

第二次世界大戦時のフランクリンルーズベルト大統領時代には「被害者中国vs加害者日本」という構図に入れ替わってしまったことになります。
日本のネットではフランクリンルーズベルトの個人的資質ばかり問題にしていますが、アメリカ人が一方に熱狂的支持とその反作用としての熱狂的反感を持ちやすい単純民度を背景にしていると見るべきでしょう。
卑近な例では大統領候補の演説に総立ちで熱烈歓声をあげる単純な感情吐露の光景ですし、日常的にはスーパースターをいつも求める気質です。
日本人のようにほどほどに楽しみじっくりと鑑賞する気質ではありません。
こういう単純な民族を如何にして味方に引き入れて敵視されないかはすごく重要なことですが、日本は幕末開国の最初からアメリカの好意に頼っていたので、維新以降もこの関係が続いていたので戦前はこの関係が自然にあるものと過信していたので失敗したのです。
学校では戦時中の(鬼畜米英教育の影響か?)黒船来航やペリーの粗野な態度その他マイナスイメージばかり教えられますが、実は列強の中でアメリカが一番好意的だったから幕府も維新政府もこれに頼ったのです。
何の見返りもなく幕末に小笠原諸島を(戦後もすぐに奄美列島をかえし、沖縄も返しました・・・物事には相応の政治効果期待を否定できませんが、露骨な領土欲を示さなかった)無償で日本に引きわたした事一つとっても、その他列強の対応と違っていたので日本はアメリカに頼ったし・咸臨丸の航海その他遣欧使節などまずはアメリカ経由で予備知識を仕入れてからという流れでした・・(アメリカに行ってみると条約改定交渉には全権委任状が必要と教えられて慌てて日本に取りに戻ったたことがその一つです)アメリカの好意的後ろ盾がその後の運命・・植民地支配を受けなくて済んだ原因です。
戦後教育では、不平等条約ばかり問題にしていますが、当時としては独立国日本の独立を前提に日米和親条約をその後の条約モデルにしてもらえたので、(アメリカの威力背景で)ロシアその他どう猛な国の厳しい要求を拒めたし、どこの国とも戦争にならずにすみました。
以下に紹介しますが、21ケ条の要求もアメリカの動向を重要視していましたが、それまでの親日的態度に甘えて次第に日本離れしていくアメリカの真意を読み違えたのです。
戦後はこの失敗に気がついたので日本叩きが進んだプラザ合意頃には、日本車をハンマーで叩き壊すテレビ画像が流れるような危機状況下で日本国民が感情的に反発することなく、これを背景に中曽根総理がロンヤス関係構築を図ったのは先の戦争による貴重な教訓を活かしたことになります。
戦前も官僚や為政者は、国際世論の変化を意識して米欧の国民世論を刺激しないように徐々に修正対応していたことは、対支21ヶ条要求による袁世凱政府との取り決めがベルサイユ条約で国際的承認を受けていたにもかかわらず、国際世論の変化に合わせてせっかく取得した山東省権益を放棄したり、並行して海軍軍縮交渉に応じたり、満州事変以降の現場の暴走に対して戦線不拡大方針を決めるなど現実対応に務めていたことがわかります。
これまで見てきた日露講和条約に対する7博士意見書のような実態無視・国際世論無視の過激一方のメデイア世論や美濃部の天皇機関説事件の推移が象徴するように、(これまで紹介した通り学問は学問の場で決めつことだとか、政府答弁はその都度真っ当な意見でした)何かある都度メデイアの煽りに合わせた内閣総辞職の繰り返しになり、結果的にメデイアが煽りさえすれば内閣総辞職になった結果、その後メデイアの煽りが政治方向を決めていくようになったのです。
なんらの見識もない・・表層の短絡的理解聞き齧り的意見しかない各部門での2〜3流人材の寄せ集めであるメデイア界が、上っ面の一方的な方向を煽っては政局を決めてきた・・戦後メデイア界はこの味を占めた経験を忘れられないように見えます。
最近では財務省次官のセクハラ疑惑を大騒ぎして担当大臣辞職を求めるかのようなイメージ報道が盛んです。
今朝の日経新聞春秋欄では、総理がこの際(ウミを出し切るというが)この1週間だけで、文科省大臣が公用車を利用して白昼ヨガに通っていたという報道や防衛省の下請け企業が水増し請求していた事案が発覚しているなどを引き合いにして「切開手術」を必要とするなどと主張し、如何にも政局(内閣総辞職)になることを期待するかのようなイメージ主張が出ています。
しかし、森かけ問題発覚当時の文科省次官の風俗店の常連であった事実や、テレビ朝日による女性記者を利用したハニトラ疑惑スレスレの情報収集が行われてきた事実も明らかになってきました。
テレビ朝日が担当女性記者によるセクハラ発言被害の訴えを無視してさらに夜間酒席での単独会食に送り込んでいた事実を見れば、もともとハニトラ的会話を期待していたテレビ朝日の情報収集方法が日常的であったことが明らかです。
ところが他メデイアが一切これを問題にしない・ネット報道中心になっている事実を見れば、メデイア界揃って同様の取材方法を常態化していたと推測されます。
メデイアは次々と旧来基準の事例が出ていることを引き合いにしていかにも内閣の首でも取ったような勢いですが、旧来の社会意識があったところでいきなり「これで良いのか?式のキャンペイン」を張った場合、過去基準事例を探せばゴロゴロ出るのは当たり前です。
まだいっぱいあるからこそ、社会意識の変革がテーマになるのですから、事例がゴロゴロ出たからと言ってなぜ内閣の責任に結びつけるのか?
こうした実情を見ると現行内閣の政治スタンスの責任というよりは、社会意識の変化・・公私ケジメやセクハラ・パワハラの水準が変わってきたのに官僚機構(特に中高年齢者)が追いついていないということでしょう。
社会意識変革の必要性をあげる・警鐘を鳴らすのはメデイアの役割として正しいでしょうが、政府が旧基準で正しいと開き直るならば、政府批判もありでしょうが、政府が「うみを出し切る」といって次々と事例が出たら、なぜ政府が責任を取る必要があるのか論理不明です。
それはそれとして中高齢者も社会意識変化に合わせる必要性を論じる意味がありますが、これまで厳格だったのに現内閣が故意に基準を緩めた結果というならば内閣の政治責任ですが、過去長年の幅広く行われていた慣習(いちいちトップが明言しないと末端が動かないのでは組織は成り立たない・・忖度も同様です)が社会意識に合わなくなったということであれば、それと現内閣総辞職の必要性とは関係のないことです。
社会意識変革の必要性をあげる・警鐘を鳴らすのはメデイアの役割として正しいでしょうし、政府が旧基準で正しいと開き直るならば、政府批判もありでしょうが、政府が「うみを出し切る」といって次々と事例が出たら、なぜ政府が責任を取る必要があるのか論理不明です。

世界の警察官不在と世界秩序維持4(やったもの勝ち)

ここで、オバマ大統領の「世界の警察官をやめる」演説内容を見ておきましょう。

「世界の警察官」を返上 オバマ政権、曲がり角に

世界の警察官」を返上 オバマ政権、曲がり角に
2013年10月1日津山恵子(ニューヨーク在住ジャーナリスト
9月10日午後9時、オバマ大統領はテレビ演説でこう語り始めた。
「化学兵器による死から子どもたちを守り、私たち自身の子どもたちの安全を長期間確かにできるのなら、行動すべきだと信じる」と大統領は、化学兵器の禁止に関する国際ルールは維持すべきだと強調。しかし、武力行使に対しては、驚くような考えを明かした。
「米国は、世界の警察官ではない」
「私は、武力行使の必要性に対して抵抗した。なぜなら、イラクとアフガニスタンの2つの戦争の末、ほかの国の内戦を解決することはできないからだ」
こうした国民の厭戦気分に配慮したオバマ大統領だが、返上したものの対価も大きい。「警察国家」であることを否定することは、イコール、米国の世界における存在感の変化でもある。

ここで初めて演説内容を見ましたが、変な理屈です。
警察は、犯罪がなくならないとか紛争が解決しないからといって不要になるものではありません。
なんとなく日本の非武装平和論同様の観念的な理屈に自己陶酔しているようで、これが現職大統領の発言か?と驚きます。
オバマの言い分によれば、アメリカで銃撃事件がなくならないから警察・・刑事処罰不要と言うのでしょうか?
確かに警察官がいても麻薬取引や金融不祥事や汚職や銃撃事件はなくなりませんが・・。
「逆は真ならず」とも言います。
犯罪率の増減は、刑事政策や、経済政策の成否や道徳意識定着、家族愛その他諸々の総合施策の結果ですが、その解決の1手段として司法や警察制度があるにすぎません。
日本のように誰の目がなくとも法令を守る..拾ったお金などを警察に届けるなど道徳の行き渡った国もあれば、警官が多くても守らない・・生ぬるい法的手続きでは対応できないので現場射殺を認めるしかないフィリッピンなど世界はいろいろです。
警察や刑務所さえあれば、強盗や詐欺、交通事故その他犯罪がゼロになると思う人はいません。
アメリカは世界の平和維持の責任を一手に担いきれない・・単に負担が大きいので警察官の役割を果たせなくなった・負担に耐えられなくなったといえば済むことです。
報道のニュアンス・事実報道ではなくメデイアの希望する趣旨に編集した大手メデイアの一致した報道傾向・・1種のフェイクニュースだったのか?・・だけ何気なく見て来た私は、そういう演説だったのかと勝手に理解していましたが、「効果がないからやめる」といったのが事実とすれば驚くべきことです。
メデイアは何故その発言のママ報道しないのでしょうか?
経済政策も教育も医療や保険制度も、企業の新規事業挑戦も子育ても何でも「良かれ」と思ってやったことがそのまま良い結果が出ることの方が稀で、先行投資が失敗するなど逆に思いがけない悪い面が出ることが日常いくらもあります。
そこを何とか苦労しながら少しでも良くなるようにメゲずに努力して行くのが人生であり政治です。
うまくいかないから「やめた!」とは何と無責任な言い方でしょう。
もはや自国だけでは担いきれないから正義を維持するには有志連合が必要・・資金や人員拠出分担を求めると言えば良いことでしょう。
この意味では防衛費に関する応分の負担を求めるトランプ政治の方が現実的で合理的ですし、秩序のない平和はあり得ないので、日本国憲法が「世界平和を希求する」ということは世界秩序維持を求めることと同義ですから、日本の平和運動家も憲法を尊重するならば平和維持のために応分の(危険を含めた)負担を拒否すべきではありません。
最近海外平和維持のためにイラク派遣した場所の危険性を盛んに報道して野党はその批判に躍起ですが、その地域の平和維持の必要性を認める以上、日本だけ丸腰で「何の危険もないところへ行くべし」前提自体背理です。
なんの危険もないならば、普通の水道工事屋とか道路工事・民間に委ねれば足りるはずです。
国内であっても警官派遣要請は危険だから要請されるのであって、危険のない所しか行かないのでは警官派遣は不要です。
平和国家論と非武装論は同一ではないという前提の違い論がここにも出てきますが、非武装平和主義に対する「自宅の戸締りがいらないか」の質問には答えないのが普通ですが、仮に非武装主義者の家に強盗が来ても、あるいは暴力事件が起きても警察を呼ばないかという質問と同じです。
国際平和部隊派遣の場合には、いわば強盗集団が白昼公然闊歩しているような地域の治安維持のために派遣する(電話してから警官が来るのではなく一定期間常駐要請)のですから、これに対して日本が「危険地域に派遣しない」と言って拒否しながら「国際平和を唱える」ような矛盾した主張が国際的に通用するかの疑問です。
オバマが世界の警察官をやらないと言い出したら待っていたかのように、中国が南シナ海で実力埋め立て開始するし、ロシアもトルコも皆メッキが剥がれて地金が出て来ました。
世界中で無法者が公然と蔓延るようになったというか、予備テストできたことになります。
ロシアは資源価格下落で「お金がないから我慢しましょう」という代わりに「欧米の不当な制裁に対抗するためだから我慢しましょう」というレトリックです。
いずれも民族感情を煽って政権維持を図っている事になりますが、こんなことでは国内不満のボルテージが上がるばかりですから、ガス抜きのためにプーチンがパフォーマンス的に対外武力行使に走っているイメージです。
威嚇をやればやるほど国際孤立が進むし軍事費がかさむばかりで却って墓穴を掘るので、より一層過激パフォーマンスに出るしかなくなる可能性が高まってきました。
日本と軍事的争いもないのに、この半年くらいかな?いきなり北方領土周辺での軍事訓練が頻繁になってきました。
世界中に向かって露骨な軍事アッピールするしか、国内不満を抑えるための打つ手が無くなったのでしょうか。
(その間に原油相場が持ち直せば良いという淡い期待でしたが・この数ヶ月原油相場が上がってきたので内心ほっとしているでしょう。)
日本の場合、自民幹事長二階氏の使節団200人がロシア訪問すると昨日の日経新聞に出ていましたが、最近のロシアの軍事訓練に対する日本人の冷めた視線が背景にあるので成果は乏しいものと思われますが、ロシアとしては「軍事威嚇をしたから驚いて使節団がきた・・この成果があった」と国内宣伝に利用することになるのでしょう。
やればやるほど世界的に孤立化が進む・・場合によっては経済制裁を受けるようになって、さらに困窮度が高まっている点は今の北朝鮮大型版です。
そこで、アメリカ・オバマがシリアから手を引くと言い出した隙を突いて(これならばアメリカは文句言えないだろうと言うこと?で)15年夏ころからシリア介入を始めたのですが、その後の国連の停戦合意を破るどころか、今年2月には4月16日紹介したように米軍現地基地に対してまでロシア民兵名目で攻撃を仕掛けるなどロシアの傍若無人ぶりが目に余ってきました。
これら一連の行為に対する米国の回答が、今回のシリア空爆だったことになるのでしょう。
化学兵器使用を命令した関係者や使用による軍事効果・支配地を放置する・利用効果そのままではやり得ですから、今後の抑止力にはなりません。
化学兵器製造工場の空爆だけでは(シリアは事前に物資を退避させていたと言われます)米国の関与限界も見えて来ました。
ヤクザの抵抗が怖くて?事前通告してから、銃や覚せい剤など隠匿していないかの組事務所ガサ入れするようなやり方です。
今度の北朝鮮との首脳会談もこのような表向きの効果を狙った見せかけ合意になるのでしょうか?
外面を取り繕う行動ばかりが増えると、米国の地位がいよいよ低下していきます。
対日核兵器使用の場合で言えば、相手に対して米国が「今後やるなよ!というだけで終わるのならば、やったもの勝ちです。

世界の警察官不在と世界秩序維持3(朝鮮民族)

日清戦争の直接の契機は事大主義者によって、超保守主義者が国内開化派に負けそうになると何かと清朝の承諾を引き合いにすることから決着をつけるために引き起こされた戦争でした。
今でも自国国防のためのサード配備にまで中国にケチをつけられて青息吐息の状態・・韓国政府は中国のご機嫌取りに必死ですが、伝統的従属意識が背景にあるからでしょう。
June 20, 2013「日本対中朝対立の始まり2と根深さ」前後で清朝の朝鮮に対する属国支配強化を紹介しましたが、一般に知られているように明治維新直後日本が新政府成立と開国に舵を切った国書を発した時に、中国の属国である以上は「王」の称号であるべきと言い張って受領拒否するなど一悶着起こしたことが知られていますが、朝鮮は受け入れたくない時には「清朝の属国だから」と言う言い訳をしていました。
戦後の朝鮮戦争は南北朝鮮が本来の当事者ですが、事実上中ソと米国の戦争・・両者が多大な犠牲を払う仕組みにすり替えてしまい、この延長で6カ国協議という枠組みが今も残っています。
今回の核問題も、交渉主役は米国と北が実質当事者であって韓国はただ囃し立てているだけの存在です。
こういう二枚舌的交渉に手を焼いていた日本は事態打開のために朝鮮の独立・中国を隠れ蓑にしないようにスッキリさせることが日清戦争の大きな目的でした。
下関条約については江華島条約などに関連して以前紹介した記憶ですが、もう一度紹介しておきます。
ウイキペデイアによる下関条約に関する記事からです。

清国は朝鮮国が完全無欠なる独立自主の国であることを確認し、独立自主を損害するような朝鮮国から清国に対する貢・献上・典礼等は永遠に廃止する。(第一条)
清国は遼東半島、台湾、澎湖諸島など付属諸島嶼の主権ならびに該地方にある城塁、兵器製造所及び官有物を永遠に日本に割与する。(第二条、第三条)
以下省略

上記の通り、第1条に朝鮮の独立を書いていることから見ても朝鮮を清朝支配から切り離すことがこの戦争の最重要テーマであったことがわかります。
日本が関係する朝鮮半島の歴史を見ると(古代白村江の戦いでも秀吉の朝鮮征伐でも日清戦争1940年台の朝鮮戦争でもいつも大国同士で戦わせて自分は戦いの傍観者的立場で批判だけするずるい傾向があります。
この戦争目的の結果日清戦争後講和条約の最重要項目として、条約第一条に朝鮮独立が宣言されたのですが、朝鮮がその恩義に報いるどころか、「宗主国清朝の同意がいる」と言えなくなると今度はロシアの支配下に入ろうとするようになったことが、次の日露戦争に繋がったものです。
朝鮮人自身の多くは民主化に期待したい→開化派=親日派が多かったようですが、政府権力者の方は自己保身のために
は、国の独立維持のために開化による民度の強化よりは、自分の地位を保護してくれるより強い国の従属下に入る方を常に選んできた・いわゆる事大党が力を持つ歴史です。
パク大統領就任後がいきなり親中国に舵をきり米国をないがしろにし始めたのはこの文脈で理解できる・・「今後は中国の方が強くなる」という先読みの原理によります。
将来はどうであれ、まだ中国は米国に正面からことを構える力がありませんので、米国の逆襲により日韓の不可逆的合意を強制されサード配備を受け入れるしかなくなって、国民の支持を失って任期途中での弾劾罷免になってしまいました。
今回トランプ政権になってからの核危機騒動でも、韓国の態度は「米国が怒っているから仕方なしに従っているだけ」のような振る舞いです。
現在の文大統領に至っては、対北用の防衛設備工事を中国に反対されると一時凍結するなど、いつも当事者意識が低いのが特徴で、本音では北朝鮮に併呑されても良いような傾向が垣間見えるのは、独立より従属を好むDNAの発露でしょうか。
ところで、エジプトやタイ軍事政権やミャンマーその他諸国の反民主化の動き、あるいはフィリピン大統領の刑事手続き不要の現場射殺命令等々は、それぞれの国情に応じた必要な政治形態のように見えますが、これに対する西欧の(自国社会を基準にした)人権批判は「余計なお世話」のような気がしています。
しかし、トルコの場合、着々と近代化合理化が進んでいて社会が独裁を必要としていたように見えない(ただし欧米系メデイア報道による知識だけなのでトルコ社会がEU加盟に向けて無理な近代化に対する疲れを起こしていた反動が表面化したか・・近代化疲れを起こしていたかは不明です)のにエルドアン個人の権力欲がいきなり独裁下方向へ引っ張っている点が異色です。
東南アジアでの軍事政権等を国情・歴史を無視して人権を重んじる欧米が批判する(経済・軍事支援など抑制する)とその後ろだてとして中国が付け入って代わって支援する・・勢力浸透を図っているのが現在の世界情勢になっています。
ロシアもこの機会を利用して中東に頭を突っ込んでいるのですが、ロシアの場合、中国のような資金のばらまきもなく裸の腕力・脅しだけですから、ピョートル大帝やソ連スターリンの恐怖政治時代のやり方のまま・・これでは稚拙すぎて目先威張れる程度で長期的には無理な感じです。
外交といえば軍事力で脅迫するくらいしか能力がない・・対日交渉をするには先ず北方領土周辺で軍事演習を始めるという程度のやり方ですから、ヤクザみたい・・数世紀前のやり方では、却って日本の機嫌を損ねることが分からないのです。
ところで、ロシア中国の対外実力行使が始まった時期を見ておきますと、オバマがした「アメリカは世界の警察官ではない」と言う発言が13年9月10日で、ロシアのクリミヤ併合は14年2月、シリア介入開始は15年9月末でした。
南シナ海での中国による大々的な埋め立て工事に対してフィリッピンが問題提起したのは、14年はじめでした。
ウイキペデイアの記事からです。

2014年5月15日、フィリピン外務省が、中国がジョンソン南礁(赤瓜礁)を埋め立てているということを示す時系列の写真を公開し[5]、2014年に入ってから大量の土砂を投入しているということが判明[6][7]。同礁は2012年3月の時点では目立つものはなかったが、2013年2月の時点では建造物が確認でき、2014年3月の時点では、すっかり埋め立てられていた[5]。フィリピン外務省は、この中国の行為をフィリピンの領域内で行われているということから国際法に違反していると批判

国際司法裁判所判決で中国は完敗しましたが、そんなの「紙くず」だと言い放ち、完全無視してさらに埋め立て続行していた上で、今では巨大な要塞化して来ました。
警察制度があっても陰でのコソ泥や汚職を100%防ぐとことはできませんが、警察官役が曲がりなりにもあれば、白昼公然と犯罪行為がなくなりますが、いなくなればこれが可能になるということで、意味が全く違います・・強いものはやり放題になります。
犯罪とは何かですが、要は正義の基準がない、あるのはむき出しの力が「強いか弱いか」だけということでしょう
19世紀型砲艦外交・・腕力次第で何でもできるという価値観(国内政治も正義の基準は強いか弱いかの基準・・専制支配の仕組みです)を持つ国・・街ではヤクザ=無法者が息を吹き返したということでしょう。
中国による公海での軍事基地造成は、水滸伝で有名な梁山泊みたいな山賊・海賊の根城が首都の広場に出現した・まさに米国の「鼎の軽重を問う挑戦でしたが、米国はこれにほとんど何もできませんでした。
工事現場近くを軍艦を航行させてみたくらいでは、皇居前広場でヤクザが暴れているのを横目にパトカーが素通りしたようなものです。

世界の警察官不在と世界秩序維持2(ロシアとトルコ1)

トルコ政府の隣国シリアの混迷に対するスタンスは反政府軍支持・現政権打倒が基本ですし、ロシアはソ連時代からの遺産・・シリアに食い込んだ既得権維持方針ですから、基本構造として相容れません。
トルコ政府のシリア現政権否定路線が転換されるまで、ロシアの対トルコ嫌がらせが続くと見るしかないでしょう。
歴史的に16世紀以降ロシアの南下政策の正面に位置するオスマントルコとは戦い抜いてきた仇敵同士であり(トルコはクリミヤ戦争以来英仏等西欧列強の支援でロシア南下を食い止めてきた歴史です。
ちょっと世界史のおさらいをしておきましょう。
http://www.y-history.net/appendix/wh1001-153.html
世界史の窓からの引用です。

ロシア=トルコ戦争(17~18世紀)
露土戦争とも表記。高校教科書では1877~78年の戦争に限定してロシアトルコ戦争と言っているが、ロシアとトルコ(オスマン帝国)間の戦争は17世紀末から20世紀まで、数度にわたって行われており、それらを総称してロシア=トルコ戦争と言う場合もある。また、ロシアのエカチェリーナ2世の時にも2次にわたってロシア=トルコ戦争が行われている。
ピョートル1世は、1696年、黒海につながるアゾフを占領した。
・・エカチェリーナ2世のときに再び南下政策が活発化し、オスマン帝国への侵攻が再開された。
第1次ロシア=トルコ戦争 1768~1774年 ロシア軍、クリミア半島、バルカンに陸軍を進め、黒海では海軍がオスマン海軍を破る。キュチュク=カイナルジャ条約でダーダネルス=ボスフォラス海峡(両海峡)の商船の航行権などを獲得・・・
第2次ロシア=トルコ戦争 1787~1792年 ・・・オスマン帝国がロシアのクリミア半島領有を認めた。このクリミア半島併合は、ポーランド分割とともにエカチェリーナ2世の領土拡張の成功となった。
19世紀前半のロシアとオスマン帝国
ナポレオンのエジプト遠征をきっかけにオスマン帝国領内のアラブ人が民族的自覚を高め、エジプトとアラビア半島で分離運動が表面化した。また民族主義の高揚はバルカン半島でもわき上がり、ギリシア人やセルビア人の自立を求める運動が活発になり始めた。これらはオスマン帝国にとって新しい質の脅威となり始めた。
このウィーン体制期のオスマン帝国の衰退に乗じて、西欧諸国が争って進出するようになり、東方問題と言われる国際問題化していく。 → オスマン帝国領の縮小
1828~29年にはロシア単独でオスマン帝国と戦い(これも露土戦争という)、ロシア軍は南下を続け、オスマン帝国の第2の都アドリアノープル(エディルネ)を占領した。29年に両国で締結されたアドリアノープル条約ではロシアは占領地の大部分を返還したが、黒海岸のドナウ川河口三角州と両海峡の航行権を獲得した。
エジプト=トルコ戦争が起こった。エジプト軍はシリアを占領、イギリス・フランスがそれを容認するようオスマン帝国に迫ると、オスマン帝国のマフムト2世は一転してロシアと結び、1833年、ウンキャル=スケレッシ条約を締結し、ロシア軍艦の両海峡の航行を認めさせ、他国の軍艦の航行は禁止させた。
エジプトの強大化とそのロシアの提携を警戒したイギリスは、ロンドン会議を召集して巧みな外交を展開し、翌年のロンドン4ヵ国条約でムハンマド=アリーのシリア進出を断念させ、5国海峡協定でロシア・トルコ間のウンキャル=スケレッシ条約も破棄させて、海峡航行を全面禁止とした。
・1853~56年 クリミア戦争 ニコライ1世はイェルサレムの聖地管理権を主張してオスマン帝国と開戦し、まずルーマニアに侵攻した。フランス、イギリスなどがオスマン帝国を支援したため、ロシアは大敗を喫し、しばらく黒海方面での南下政策を棚上げした。
・1877~78年 狭い意味のロシア=トルコ戦争(露土戦争) 上からの改革を行って国力を回復したアレクサンドル2世のロシアが、オスマン帝国に対して圧倒的な勝利を占めた。しかし、ヨーロッパ各国の介入を招き、ベルリン会議で後退を余儀なくされた。一般にロシア=トルコ戦争(露土戦争)と言ったときにはこの狭義の場合が多い。

上記の通り、第一次世界大戦でドイツと組んだために大打撃を受けてオスマントルコが崩壊して、現在のトルコ共和国になりましたが、ロシアが数百年に亘る宿敵であることは変わらずこの国難に対応するには欧米に頼るしないのが19世紀以来の国是でした。
第二次世界大戦後欧米で対ソ防衛網として結成されたNATOに参加して国防の基礎にして来ました。
多くのトルコ人をドイツ等先進国へ就労→移民させている他、熱烈なEU加盟希望・このためにも政治と宗教の分離を進めてきたり民主化を進めてきたことでも知られています。
国際政治的には、欧米のシリア政府の人権侵害批判に呼応してロシアと親しいシリア政権(トルコにとってもロシアとシリアに挟撃されるのは地勢上不利で落ち着かない)打倒の反政府軍支持をして来た経緯があります。
ところが、エルドアン氏の独裁傾向強化(クーデター騒ぎに始まり憲法改正に至る一連の)動きが西欧から批判を浴びたことに対する反発から、西欧離れに舵を切ったことによりロシアに付け入る隙を与えたことになります。
上記の通り歴史を見ると、ここ数年のエルドアン氏の方向転換は、長期にわたって民族一丸として西欧の仲間となるために約100年近く続けて来た方向性とは大きくかけ離れていてエルドアン個人権力欲維持のために、長期的国益・ロシアによる威嚇〜圧迫を防ぐ手立てを放棄・売り渡してロシア詣でを繰り返しているように見えます。
日清戦争時に李氏朝鮮王朝が日本が進める開化・民主化を嫌い自己権力保持のために清朝の属国化を進んで強化しましたが、頼りの身長が日清戦争で敗退すると今度は、ロシアにすり寄ったことが、日露戦争の端緒となりました。
日露戦争時に開化派が支援を期待する日本が勝ってしまったので、民主化するよりはロシアの属國化の方が良いとしてロシア勝利を期待していたことがポーツマス講和条約のコラムで紹介した記事で以下のように出ています。
4月1のコラムでポーツマス条約に関するウイキペデイアの以下の記事を引用しましたがもう一度引用しておきます。

「1905年9月5日(露暦8月23日)、ポーツマス海軍工廠内で日露講和条約の調印がなされた。ロシア軍部には強い不満が残り、ロシアの勝利を期待していた大韓帝国の皇帝高宗は絶望した」

明治維新までの 朝鮮と清朝の関係は朝貢と王位継承の承認という形式関係に過ぎませんでしたが、日本の開化要求をはねつける名目として宗主国の同意が必要といって、何かと日本から共同歩調要請を拒否していましたし、これを利用した清朝が直接支配を強めて・・・進駐した袁世凱が高宗の父で実力者の大院君を中国連行する事件さえも起きました。
このように朝鮮政府は難局を打開するのに安易に外国勢力を引き込む傾向があることが、却って国の独立を失ってきたように見えます。
オスマントルコの末期を見るとスルタンが宿敵ロシアといきなり結託するなど仁義に反する「向背常なき」政治に堕したことが帝国崩壊を早めたこともわかります。
日本では似たような政治が横行したのが南北朝期の足利直義の行動でしたし、現在では自民党を割って以来の小沢一郎氏の行動でしょうか?

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC