国民総意1と神威

大震災の猛威を見て、当時国民投票こそしていないものの、原子力発電は「やめてしまうしかないほど危険なものである・科学技術で100%安全確保できない」という国民認識が一般化していました。
いわゆる「総意」ですが、本当に重要なことは形式的な多数決ではなく総意によるのが正義というべきでしょうか?
弁護士会内や公共団体の各種委員会で議長または委員長がいろんな意見交換後議論の流れ・空気を読んで「ではこのような答申・議決でよろしいでしょうか?」などと取りまとめるのが99%以上といっても過言ではありません。
千葉県弁護士会の総会ではこの10数年以上前から政治的立場による意見対立が激しくなってきた結果か?議長により「この方向でいいですか?」的な取りまとめ方が通用しなくなって、対立の激しい総会決議等では毎回(賛成反対棄権何票等きっちり数えて)厳密な決を取っています。
日本国憲法制定は「国民総意」によるというのですが、どうやって「総意」を確認するのかしたのかが法的に問題になります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/八月革命説#大日本帝国憲法の改正と憲法改正限界説

「朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。
御名御璽
昭和二十一年十一月三日(以下略)」

私は、上記8月革命説を提起した宮沢憲法で勉強した世代ですが、その頃読んだ記憶ではルソーの意見を引用しながら、それでもないというような私の能力では理解困難な議論を書いていた記憶ですが、理解できなかったという記憶だけ残っています。
ちなみにルソーの「総意」とはウイキペデイアによれば以下の通りらしいです。

ルソー社会契約論において意思の総和だけでない正しい理念と言う意味(一般意思)で用いた(これをヴォロンテ・ジェネラールともいう)

上記を読み直しても多数決の程度ではない・国民投票で決めるべきでもない・意味不明ですが、私流の直感的理解では、民族意思を超能力的直感で実現する行為でしょうか?
日本国憲法制定時の国会の議論では、時間的条件として制定時の国民意思ではなく、民族の過去現在未来を通じた民族意思と言うようです。

https://www.kantei.go.jp/jp/singi/koumu_keigen/dai1/sannkou4.pdf

【内閣法制局長官 真田秀夫君(昭和 54 年4月 19 日 衆・内閣委員会)】 天皇の地位は主権の存する国民の総意に基づくと書いてございます場合のその総意 というのは、一億何千万の国民の一人一人の、具体的な国民一人一人の意思というよう な意味ではなくて、いわゆる総意、いわゆる総体としての国民の意思ということでござ いますので、特定の人がその中に入っているとか入ってないとかいうようなことを実は 問題にしておる条文ではないというふうに考えられます。…先ほど申しましたように、 ここに言う総意というのは、いわゆる総体的な意思、一般的な国民の意思という意味で ございますので、証明しろとおっしゃっても、それはなかなか困難であろうと思います。 …いまの憲法ができますときに、これは帝国憲法の改正の形をとりましたけれども、当 時の帝国議会で衆知を集めていろいろ御検討になって、そして国民の総意はここにある のだというふうに制憲議会において御判断になった、それがこの条文の規定にあらわれ ておると、こういうふうに言わざるを得ないのだろうと思います。

総意」とは過去現在未来の民族意思と言うのですから、投票によって数字で(単純多数か、特別多数か、全国民一致か、成人だけに限定するかなどの議論以前の概念です。

自由民権運動の系譜2(メデイア)

社会保障費は社会全体の経済力の範囲でしか出せない→保育所であれ、生活保護であれ、芸術やスポーツ振興〜科学振興であれ国全体で必要なものがいっぱいある・比喩的に言えば、数万種類の必要分野にそれぞれどの比率で資金や人材を分配すべきかのトータル判断をするのが政治というものです。
教育費予算に絞っても大学や高校小中学校の耐震補強工事費と学費補助の優先順位、保育所設置基準を緩めてより多くの保育所設置に舵を切るか等々何事も総合判断です。
こう言う政治判断に司法が介入するのは、司法権の乱用です。
設置基準を緩めたから事故が起きたのは国家の責任だと言うのは、政治判断に司法が優越するかのような結果になります。
よくある事例では、ガードレールがなくて車が転落したり、道路陥没で車が落ちて損害を被ったなどの国家賠償事件ですが、全部の崖や道路にガードレールを一斉に設置するのは無理があるので、通行量の少ないところはあと回しにするなど予算の許す範囲で順次工事していくのが普通です。
道路陥没などの通報があればすぐ現地急行して通報後通行禁止柵などを設ければ良いですが、滅多にない陥没事故のために大勢が常時待機できないので、駆けつけるまで一定時間がかかります。
この所要時間は予算次第・要員を増やし、出動待機場所の増減次第・予算配分によります。
人員不足のためにその作業が翌朝になったために陥没に気づかなかったオートバイの転落被害が起きた場合、道路管理者に責任があると言えるでしょうか?
予算に応じた配置人員で可能なことをしたが、間に合わず柵で囲う前に事故が起きたなら、それは予算配分問題..政治が決めるべき・・その分野の予算が少なすぎるかどうかは地域住民・・市町村議会が決めるべきことであり、司法がこれを「道路の瑕疵」として賠償を命じるのは行きすぎでしょう。
瑕疵には違いないですが、瑕疵を補修すべき予算配分の優先順位を決める権限は立法府にあるのです。
都内では電車ホームの転落防止柵設置が進んでいますが、これも予算次第で一気に設置できず順次工事中ですが、最後になってまだ設置していない駅で事故があった場合の責任も同じです。
国家や公共団体の予算優先順位を決めるのは、民意=議会・・政治分野です。
このトータル利害調整を「有司専制」で行うのでなく、民意に基づく合理的分配をするのが政治力であり調整力です。
〇〇反対・それを廃止することによってこれまであったサービスをなくすのか?
既存サービス受益者をどうするかという問題に対しては何も考える必要がない・再軍備反対→中ソが侵略してきたらどうするかについては答えない。
〇〇設置要求運動・その施設ができたらその後の運営費や維持費など、どうするという問いには答えない・・。
あらゆる主張を通せばその必要コストに応じて他の施策の比率を減らすしかないのですが、その点に関する意見はないし議論に応じない、自分の主張を実現したいだけという無責任主張が一般的に行われています。
はじめから他の主張団体との利害調整に応じる気持ちがない・・他のことはどうでもいいから自分の主張だけを通したいという主張になります。
自分の主張が通ればその分他の予算が減るという関係を敢えて無視している人・集団は、自己実現と利害相反する他の集団との利害調整拒否する政治団体と言い換えることができるでしょう。
素人の場合、自分は素人だから、要望を出すだけで、あとは政党が全体のバランスを考えて正式公約にするかどうかを決めればいいのじゃないかと言えますが、政党自体が全体予算バランス無視で
「この分だけ予算措置を求める・その結果他のどの部分の予算が削れるか知ったことでない」
と言うようになると国家運営を任せろと言う政党とは言えなくなります。
言い換えれば、今は少数政党で弱いから弱者の意見を尊重しろと主張していますが、唯我独尊ですから権力を握った場合、他の要望は受け入れないし利害調整する気もない、独裁政党になると宣言しているようなものです。
民主党政権は八ッ場ダム工事をやめるとした場合、その穴埋めをどうするかの意見がなくて結局続行に決まりましたが、結果からみるとやめる場合の総合判断による意見ではなかったことを露呈しました。
子供が南米に2週間の家族旅行したいと言っても家計や休暇期間・健康等の都合の事情等で親が国内旅行にしようと言っても聞き入れず、駄々をこねていたようなものです。
流石に民主党政権時代に原子力発電をやめるしかないとしても約30年(あるいは30年までにだったか?)かけて徐々に減らしていく・その間に風力や太陽光発電等を育てていくという基本方針が策定されましたが、社会運営に責任ある政党としては、「ある工事をやめるまたは何かを新設する」というからにその影響を総合的に判断して決めて行く必要があったことを示しています。
原発に戻しますと、民主党政権のやめる方向の決断はいかに工夫努力しても危険性を無くせないという国民意識を前提にしていたものです。
努力工夫次第で、100%安全になるという自信があれば、30年までに?やめる決断自体があり得ないことでした。
ということは太陽光等で補充できるようになるまでの間はリスクゼロではないが、恐る恐る・できるだけリスク軽減しながら運転して行きましょうという国民合意であり、今の各野党自身そのような意図であったことになります。
山奥に行った帰り道で崖崩れがあり、絶壁の上の道路幅が半分に削れてしまいその約1キロの区間を走破するのは危険極まりないものの、そのまま山に止まれば餓死するしかないときに「100%安全ではないが慎重に通り抜けましょう」というのと同じです。
夜中に数百メートル危険そうな路地があるときに、危険を冒しても変えるしかないこともありますし、企業経営でも一定のリスク承知で新興国進出して成功することがあります。

メデイアの中立報道3

韓国側で日韓関係修復したいと思って何か言うと、片言隻句を捉えた報道されるリスクが高まったので、韓国側ではみんな黙ってしまっている状態がないかの心配です。
韓国民や韓国政治家が言いたいことが言えない状態になると、嫌韓感情に浸っている人にとって感情論としてはなんとなく相手を言い負かしたような錯覚にとらわれて、気持ちがいい人が多いでしょうが、却って日本が相手の本音を読み間違います。
ヤクザ者が啖呵を切り、あるいは感情的な人が興奮して怒鳴り罵っている時には、興奮している相手が落ち着くまで相手の罵りに反応せずに言わせて置くのが普通ですが、だからと言って、第三者から見て罵っている人の方が正しいと思う人の方が少ないでしょう。
だからこそ言論の自由が民主国家の基礎になっているのです。
同じことは社長と社員の関係、国際関係でも友人関係でも言えます。
だから日本では地位あがれば上がるほど、謙虚に下の者の意見に耳を傾けるようになるのです。
相手が言いたいことを十分言えない関係になると、企業運営や顧客対応・商品開発を間違えますので民主主義とか表現の自由とかイデオロギーの問題ではなく、企業側では顧客ニーズ把握に必死です。
最近は言いたいことをいうのは自己実現の権利だという主張が憲法学会では主流のようですが、この点については何回か反対?疑問意見を書いてきました。
表現の自由は、自己実現が主たる権利でより良い社会になる効能が背景に退くと「弱いものの発言を封じればいい」という方向に結びつきやすいでしょう。
「基本的人権を守るべし」という綺麗事だけであれば、法の処罰さえなければいくらいじめてもいいという方向になりガチですが、弱いものの 言論だって役に立つ・・自分の役にも立つと思えば弱いものの気持ちを大切にするようになりやすいものです。
日本の報道機関は一方の感情におもねたり率先して煽るのではなく、嫌韓感情が強いとしても韓国人が本音でどう思っているのか、冷静・客観的報道に徹するべきでしょう。
日本人がいい気になって耳障りの良い一方的報道だけに接していると、もしかして中立の外野(その他諸国)から見ると不合理な嫌韓感情だけ盛り上がっているように思われてしまう危険があります。
意見全部をきっちり報道し、(今はネット時代ですので文字数の制約がないので、メデイアが勝手に一部取り出し報道する必要性がない)枕詞が気に入らないかどうかは、国民が判断すればいいことです。
現在テーマになっているスワップで言えば、慰安婦騒動最中に到来したスワップ協定期限満了時にもともと日本が頼むからスワップ協定してやったので韓国が頼む必要がないと言い張ったニュースが流れたので、日本側が世論硬化してしまった記憶です。
これも本当にそう言ったのか、朝鮮族特有の枕詞だけで判断するのではなく、全体の文脈でどうだったかも検証する必要があるでしょう。
その頃、韓国からお願いしますといってこない限り日本からどうしますか?と聞く必要がないと麻生大臣が公言する状態となり、以来4〜5年スワップ協定が自動終了したままになっています。
困り切った・苦しい人に「大勢の前でお願いします」と言わせる前に、気を配るのが日本の道徳ではなかったでしょうか?
日本はいつもそのようにして韓国に恥をかかせないように陰徳を積んできたつもりだったのにそれを悪用して逆に攻撃してきたので、今回ばかりは許せないということだったすればそれも一つの判断でしょう。
以下によれば「常々」と言うだけでいつの発言か書いていませんが、今から4〜5年経過したような記憶です。
https://shinjukuacc.com/20161207-01/

麻生副総理は今年8月27日の「日韓財相対話」以前に記者団に対し、日韓スワップについて、
「あれは韓国が必要とするもの。(だから)韓国が要請して来ないと(日本としては応じる必要がない)。」
などと常々公言されていました。また、財務省ウェブサイトで公表されている今年8月27日の「日韓財相対話」の議事録上も、日韓スワップ再開の「提案」は韓国側から行われていることが確認できます。

上記の通り見え透いた嘘を韓国(北朝鮮も場合もすべて「〇〇が悪い」という紋切調の記者会見が普通ですが(民族特性でしょうか?)は公式発言で簡単に言う傾向があるのですが、まず、そのように枕詞を言わないと発言者の地位がもたないジレンマで千年単位で政治をしてきた社会であったからでしょう。
スワップの必要性に関してはプラザ合意以降(チャンスさえあれば円相場を上げようとする欧米の意向もあって)「有事の円」として何十年も通用している日本が、外貨流出に怯える韓国にスワップをお願いするような立場ではあり得ないのは、韓国民どころか世界中が公認するところでしょう。
こういう見え透いた主張→嘘を平気で言う国だと言う認識が日本中で行き渡りました。
歴史を紐解けば、江戸時代の朝鮮通信使の時代にもそのようなやりとりが頻繁にあって間に挟まった対馬藩が、やむなく双方に都合の良いような文書に書き替えてしまった国書偽造事件が起きています。
どちらが先に国書を出すかのせめぎ合いを対馬藩が、こう着状態打破のためにどちらにも都合の良いように改ざんした事件です。
対馬藩宗家のお家騒動に絡んで事件化した記憶です。
明治維新でも似たようなことがおきて、結果的日本が怒ってしまい征韓論に発展したものです。
慰安婦騒動最初の頃にも韓国や中国政治家の交渉では、
「国内向けにこう言わないと困るので言いますが、本当はこういうことですのでご協力お願いします。」
という話が中心だったのに、後になると表向きの話だけ持ち出すのは嘘つきだ、今度こそ許せないという論がネットでいっぱい出ていました。
これに対して韓国側では(日本は中韓の成長に追い上げられて)大人の風格をうしなった・「余裕がなくなったという声が聞こえてきました。
日本からすれば表向き勇ましいこと言っては、裏で揉み手で謝ってくる交渉態度に何十年も我慢してきたが、海外で慰安婦運動・日本批判をするようになると、我慢できる限界を超えたから怒っているという立場でしたから、韓国の反応は開き直りのように見えて「ふざけるな!と余計険悪になったのですが・・。
5月9日ころに紹介した小塩氏の主張・・韓国の対日依存度が低下した以上、「仕方ない」という冷静そうな解説もこのような議論形式の亜流でしょうか。

メデイアの中立報道責任2(朝日慰安婦騒動の検証報告書)

慰安婦騒動について朝日新聞がフィクションにすぎない吉田調書記載事実の裏付けを何故かしないまま、これを事実であるかのように大規模報道をはじめた(朝日なら手堅く事実の裏を取っただろうとの信用を利用した)ことにより、他紙も追随報道競争に入ったことから日本でフィーバーしてしまい、韓国でも大問題になってきた経過と記憶しています。
その点ズバリの根拠を今探せませんが、検証委員会報告書を見ると朝日の報道を起点に韓国が追いかける状況が出ています。
朝日新聞に対する独立検証委員会報告の一部です。
朝日報道後これにショックを受け?世界的に慰安婦=性奴隷理解を前提にした国際世論が形成され常識化していった経緯が報告書の10p前後に書かれていますので、その一部と韓国の部分のみ一部引用します。
http://www.seisaku-center.net/sites/default/files/uploaded/dokuritsukensyouiinkai20150219-C20150227.pdf

米国紙の分析の結果、朝日と第三者委員会が認めていない以下の重要な事実が判明した。①「92年1月強制連行プロパガンダ」は、間違いなく米国紙に多大な影響を与えた。なぜなら、主要3紙が慰安婦に関するまとまった記事を書くのはすべて、その直後からだからだ。言い換えると、米国主要3紙は朝日が「92年1月強制連行プロパガンダ」を行う以前は、慰安婦問題をほぼ無視し、取り上げていなかった。

・・以下国際影響部分省略

主要韓国紙分析で明らかになった朝日の責任

また、韓国紙の分析の結果、やはり以下の事実が判明した。
①「92年1月強制連行プロパガンダ」は、韓国にも影響を及ぼした。韓国では慰安婦問題は日本から提起された、と捉えられていた。
韓国紙が慰安婦問題を集中的に取り上げるのは、92年1月からだ。
1月11日付朝日の「軍関与」資料発見記事と、それに触発された韓国紙が同年1月14日に「12歳の小学生まで慰安婦にした」という誤報をしたことが契機になった。
②92年1月当時、韓国紙は「強制連行」の根拠として吉田清治証言、金学順証言などを挙げていた。
③韓国において慰安婦問題の根拠とされた事柄は、未だに生きている。2012年8月30日付朝鮮日報社説は、朝日が報じた軍関与資料や吉田証言を、強制連行の根拠として挙げている。
④朝日が大々的に報じ、2014年まで取り消さなかった吉田清治氏の数々の「証言」は、韓国人に慰安婦について一定のイメージを植え付け、慰安婦強制連行を裏付ける重要根拠となった。⑤韓国の国定歴史教科書が慰安婦を「挺身隊の名で連行された・・・

(反日に偏った報道?で味噌をつけたメデイアに代わって)最近流行っているのは日本に籍を置くNGOが人権擁護のため?日本企業の海外工場批判等のキャンペインを張る→その国では無視できなくなる構図ですが、いわば慰安婦報道や、中間批判発言を「失言」などとして厳しく批判してきたのと根が同じ・・心情的別働隊みたいなものでしょうか?
ところで、(まだ3週間前後しかたっていないと思いますが)どういう意図か不明ですが?日経新聞で、元ジャイアンツのオーナーだったか?いわゆるナベツネ氏発言「選手の分際で・・」という趣旨の発言の流れが紹介されていました。
当時何気無く読んだので、何月何日の記事か正確な流れを思い出せませんので以下は当時受けた印象を書いています・・。
どこかの記者が球団再編問題が大騒ぎになっていた時期に、そうした業界再編のテーマは重大な影響を受けるが当事者でない選手にとっては蚊帳の外の関係でした。
各種企業の工場や支店の売却問題では、所属従業員には重大な関心のあることですから、節目節目で社内説明会などするでしょうが、交渉当事者でないのが普通です。
いわゆる終身雇用の正規従業員ですらないのですが、国民観衆から見ればなんとなく球団主役のような印象を与える点で外形と実質的地位の乖離の激しい分野です。
昔で言えば、映画会社とスター俳優の関係・現在のテレビ局と常連コメンテーターのような関係ですから、テレビ局同士の合併や買収交渉の当事者でないのと同じでしょう。
多分球団再編に批判的立場の報道機関があって、選手会会長に(野球界で絶大な発言権を誇っていたオーナー・ナベツネに)直接面会希望されますか?というような質問を向けたところ、選手会長が「お会いいただければありがたい」という程度の応答をしたらしいのですが、これを引き継いだ別の記者がナベツネに対し記者会見のような公式の場ではなく何かの時(ぶら下がり取材?)に「選手会会長が、面会要求しているが応じますか!」という趣旨の質問をしたので、(むつとして)「何さまと思ってる!という意味で、不快感を示したのが顛末のようです。
企業で言えば労働組合委員長がM&A問題に関して社長に直接会談要求するような関係ですから、イレギュラーな要求となります。
実務上、労組が交渉当事者になる労働条件交渉であっても、いきなりトップ会談を要求するのはよほどのことがない限り異例のことですから、一瞬「手順が違いすぎるだろう」という反応自体おかしなことではなかったのでしょう。
その記事によると選手は実際交渉当事者ではないものの、内部関係ルートでそれぞれ情報を説明していたようです。
その発言に続いて言いすぎたと気がついて?ナベツネが、選手にも立派な人もるもいるから・・と即時修正したらしいのですが、報道ではそうした部分は出なかったということらしいです。
この騒動で確定寸前であった球団再編成のテーマが横に飛んでしまい、ウヤムヤになって現在に至っているようです。
当時球団再編成した方が良かったかどうかは別として、メデイアが持って行きたい方向へ編集報道するのが当時も常態化していたことがこの例でもわかります。
今になって経緯・真相を書いても、一旦しぼんでしまった球団再編の機運は元に戻らない・・今の基準で言えば一種のフェイク報道だったでしょうか?
慰安婦騒動は時流?を読んだ各メデイアが、競って日本政府の責任になるような情報を探し、根拠のない情報でも新事実発見のようなセンセーショナルな、報道競争にうつつを抜かし、他方で否定的証拠には見向きもしない報道傾向があのような狂想曲状態になってしまったようです。
メデイアは韓国贔屓報道が批判されると、今度は掌返しで、嫌韓方向ならいいだろうと、また偏った報道に精出しているように危惧されます。
戦前好戦的主張してきたメデイア界が戦後GHQのお先棒担ぎに転じ、その延長で日本批判(の地位低下を目指し)ばかりの角度での報道に徹して慰安婦騒動のタネをまいてきたように思えます。
親中韓報道を批判されると今度は嫌韓?というトレンドで一方的報道をしているように見えるのは、トレンドの読み違いの反省に過ぎず、「報道の中立客観性の重要性に思いをいたすべき」という真の反省を欠いている・・反省する方向が間違っているように思われます。
報道傾向が一方に偏っていないかの私の意見は、埋もれている事実があるかないかすら報道がないので分からない=危惧にすぎませんが、なんとなく嫌韓感情を刺激する方向の一方的報道が多すぎる印象の危うさを書いています。

韓国政治家の表向き主張と本音の違い2(メデイアの中立報道責任1)

貴賓の訪問を求める意識の続き・・対トランプ関係の日韓比較です。https://www.asahi.com/articles/ASM4M3CF0M4MUTFK007.html

岡村夏樹 2019年4月19日11時33分
トランプ夫妻、5月に来日 異例の3カ月連続の首脳会談
政府は19日午前の閣議で、トランプ米大統領とメラニア夫人を5月25~28日に国賓として迎えることを決めた。5月1日に即位する皇太子さまが新天皇として初めて会見する国賓となる。トランプ氏は安倍晋三首相と会談し、北朝鮮問題などについて意見を交わす予定だ。
一方、首相は今月26、27日の日程で米国を訪問し、トランプ氏と会談する。トランプ氏は6月28、29日にも大阪での主要20カ国・地域(G20)首脳会議のため来日予定で、異例の3カ月連続の首脳会談となる。

トランプ氏は翌6月にまた大阪に来る予定ですから、そのうち1回くらい韓国へ行くしかないか?という外交儀礼のようです。
さすがにそこまで断れないだろうという安全パイで、韓国はたった2分しかなかたっと報道されているトランプ氏との首脳会談で要請したのでしょう。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190412-00000018-yonh-kr

4/12(金) 4:57配信
文大統領 トランプ氏に訪韓要請

その成果かどうか不明ですが、トランプ氏も外交儀礼上あまりコケにできないので以下の通り日本へ来たついでによりましょうとなったようです。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190516/k10011917701000.html

2019年5月16日 9時06分
ホワイトハウスは15日、声明で、トランプ大統領が来月下旬に開かれるG20大阪サミットに参加するため日本を訪問するのに合わせ、韓国にも訪問すると発表しました。

江戸時代で言えば将軍家が大名の屋敷を訪問するとなれば、御成門(東大の赤門は、加賀前田家が将軍家を迎えた時の御成門です)を造営するなど、一世一代の栄誉でした。
天皇制度は敗戦によって神格を否定したとはいえ、世界に冠たる日本の伝統文化に根ざした日本の文化価値を象徴する至宝中の至宝です。
日本文化が憧れを持って受け入れられるレベルに応じて天皇訪問あるいは拝謁できる価値が上下する関係でしょう。
このように日本の天皇陛下が訪問するということは、国内であればその地域、外国であればその国にとって、名誉なことあるいは国際的地位向上に大きな誉れになる大イベントです。
天皇陛下の政治効用が大きいからといって、軽々に天皇陛下がナーバスな政治問題の取引に天皇陛下を利用すべきかは日本国民が慎重判断すべきことで、外国からの要求、仮に要請であってもそれに反応して決めるべきことでないでしょう。
韓国国会議長の発言が仮に全体として、あるいは本音で日韓友好のためにしたものであったとしても、日本人は天皇陛下を利用するなど恐れ多いこととして、おくびにも出せないほど神経を使うものです。
この辺の機微を弁えない・日本統治下にいたはずなのに・わずか40年の経験では韓国人には理解できない?意見となるのでしょう。
日本における天皇の地位は微妙な理解のもとに成り立っている・・・微妙な間合いを図りながら運営してきたからこそ、時代の変化に揉まれながらも天皇制度が古代から連綿と続いてきたのです。
「機微を弁えないから・・話にならない」と否定するならば・天皇利用などの議論にのれないという正面の議論をすべきであって、片言隻句を捉えて嫌韓感情を煽るのは良くないでしょう。
天安門事件後国際孤立した中国からの天皇陛下訪中(必死の)要請に、日本政府が、戦争で迷惑をかけたことを踏まえて?応じた例もあります。
天皇訪中により名誉回復できて、国際社会復帰の糸口を見いだしたのが中国でした。
とはいえ、どういう場合であっても天皇陛下がお出ましになるのはあくまで親善を固める目的であって相手国の対日要求を取り下げてもらうような政治取引に天皇陛下を利用するようなことは、日本国憲法の精神のみならず国民感情に適合しないことは明らかです。
韓国国会議長の発言前後の文脈・本音発言が翻訳されてきませんが、日本メデイア界が、最近韓国で「またこういう暴言が出た」という(嫌韓感情を煽る)刺激的方向での報道に特化してきたように見えます。
昭和50年代に日本政治家が本音を語ると日本メデイアが「また妄言・失言と騒ぎ立てるので、それに対し中韓が日本で反中韓発言・あるいは靖国参拝や教科書の記述が国内問題になっているのに、被害国の中韓メデイアや政府が問題視しないのはおかしい!と国内問題に波及して追っかけて中韓のメデイアが取り上げ、政府間のトゲになってきた経過が知られています。
慰安婦騒動も靖国参拝の政治問題化まず日本国内で火をつけて、中韓メデイアや政府がやむなく追いかけたものです。
例えば、靖国神社に関するウイキペデイア中の中国関係の記事です。

中華人民共和国政府は、1979年4月にA級戦犯合祀が公になった時から1985年7月までの6年4月間、3人の首相が計21回参拝したことに対しては何の反応も示さなかったが、1985年8月の中曽根首相の参拝以後は、「A級戦犯が合祀されている靖国神社に首相が参拝すること」は、中国に対する日本の侵略戦争を正当化することであり、絶対に容認しないという見解を表明し続けている。

中国は合祀後6年模型化してから苦し紛れに戦犯合祀を批判名目にしていますが、上記引用の通り合祀したのは6年前のことです。
慰安婦騒動も、日本のメデイアが始めたものですが。当時の事実を知っている韓国人の多くが相手にしなかった・最初韓国ではそんな夢物語など相手にしていなかったと言われます。
外国・特に中韓の国民感情を刺激するテーマで日本政府批判のキャンペインを日本国内で張る→自国民の被害がひどいと加害国で問題になっているのに自国政府が無関心で良いのか!の被害国とされている国の報道が過熱する・その国の政府が反応せざるを得なくなる関係悪化を煽る・悪習が批判されたことによって、逆方向で嫌韓感情に便乗して復活して来たようです。
反省の方向が違っていないか?
反省すべきは角度をつける報道をしたことの反省であって、客観事実を中立報道する精神を大事にすることでしょう。

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