新規感染者増加率4・人口比致死数の重要性

21日に3月8日のヤフーニュースで紹介した辺真一氏が3月12日の記事では韓国の致死率が低いのをプラス評価して、早期発見、早期治療による成果であるかのような意見をhttps://news.yahoo.co.jp/byline/pyonjiniru/20200312-00167401/に書いています。
しかし、3月19日にhttps://www.lireclinic.com/column/の引用で致死率の定義を書きましたが、致死率は人口比率ではなく、検査を受けた感染者数との比率である以上、検査技術の正確度のばらつきの外、治療必要性の低い元気な若者をどんどん検査して治療すれば治癒率が上がります。
大量検査してもしなくとも先進社会では、死亡する場合ほぼ100%医療機関にかかるので事前検査していてしてもいなくとも新型コロナ型ウイルスに罹患していたか否かが統計に出ますので、事前検査の有無によって、コロナ型感染者の死亡は統計から漏れることはありません。
この後に紹介するように今回の感染症発祥の地中国の統計によれば、死亡者の9割以上が重症の基礎疾患を抱えている人のようですから、国によっては死亡者のコロナ検査をしないで、ガン・心疾患・糖尿病による死亡」と死因を発表すればどうにでもなる統計ですが、日本の場合3月8日ころ名古屋の死亡例を見ても誤魔化すような民族ではありません。
「信用は一夜にしてはならず」です。
軽症で治療の不要な人まで闇雲に検査して感染者統計に加えれば感染者中の死亡率が下がり医療水準が高いようにみえます。
日本のように危ない人中心に検査すれば、感染者数自体が少なく出るので致死率が上がるのが当たり前です。
まして検査キット自体の信用度が低い・精度が仮に5割りを切るとすれば、(遅れて感染が広がった国ほど精度が上がるでしょうから時期的あん誤差も出ます)陽性の人が2回目に検査すれば陰性に変わる確率があるので、(一方で陰性の人は安心して検査を繰り返しません)何もしなくとも治癒したことになりかねません。
大量検査の無駄な結果を逆張り的に擁護するかのような(私の誤解?)3月12日付の辺真一氏の論理には賛同できません。
国際比較するには国によって検査力の違いのある感染者数との比率ではなく、人口比の死亡率・結果から見るべきです。
この点については、韓国大邱市の例を引用して19〜20日頃に連載しました。
ところで大邱市一帯の感染循環周期が峠を越す時期がきたせいか?新規感染数が減ってきたとのことで、これは大量検査の成果だという韓国政府あるいはこれに同調する主張が出てきました。
上記のように死者数の人口比が客観指標であるべきですが、致死率が同じでも急激増加したかどうかは社会に与えるインパクトが違うので平準化成功しているかどうかが最重要指標です。
韓国は22日紹介したグラフの制御パターンに当たるとでもいうのでしょうか?
検査結果によるかどうかの神学論争によるのではなく、各国収束までの波型比較で見るべきでしょう。
大邱市周辺の最近の感染状況はどうなっているのでしょうか?
グラフ化された発表を見かけないので時系列変化を見るには不便ですし、しかも大邱市周辺という地域データは厚労省データでは見られません。
ニュースを見ます。
https://jp.yna.co.kr/view/AJP20200322000800882?section=society-culture/index

2020.03.22 10:47
韓国の新型コロナ感染者 98人増え8897人=死者104人に
社会・文化 2020.03.22 10:47
【ソウル聯合ニュース】肺炎を引き起こす新型コロナウイルスを巡り、韓国の中央防疫対策本部は22日、この日午前0時現在の韓国での感染者数は前日午前0時の時点から98人増え、計8897人になったと発表した。死者は前日から2人増え計104人
1日当たりの新たな感染者発生数は再び2桁増となった。19日の新規感染者数は152人、20日は87人、21日は147人だった。
地域別の累計感染者は大邱市が6387人で最も多く、慶尚北道が1254人だった。ソウルは324人となっている

感染者数の下落が進んでいるどころか「全然減ってないじゃない!」というのが普通の感想でしょう。
20日ころで比較すると感染数ではソウルが昨日紹介した東京の3倍近くになっていて、大邱市と慶尚北道の合計に至っては名古屋/愛知県の約何十倍?・・これが早期解決に成功したという結果なのか意味不明です。
死亡者も日本の22日、35人に対し、104ですから約3倍・・人口比ではだいぶ前からの比率6倍のママです。
日本は、東京の急増でトータル感染者数が急激に増加していますが、それでもトータルでの比較をして見ると日々発生数でもまだ韓国の方が、圧倒的に多い印象です。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020032700928&g=soc

2020年03月27日22時10分

東京都は27日、新型コロナウイルスの感染者が新たに40人確認されたと発表した。これまで最多だった26日の47人は下回ったものの、新規感染者数は3日連続で40人台の高水準が続いている。

20から25日頃まで日本全体の新感染者数が50人前後平均だったのに、東京でいきなり毎日40人台の連続発症となれば急激すぎで国民には大ショックです。

新規感染者増加率2→平準化の重要性

日本はある地域で新規(クラスター)発生し場合、それ一つに抑えクラスターの連続発生を防ぐのに邁進・・その都度何とか鎮静化成功してきましたが、この沈静化に一度失敗すると一挙にその地域が医療崩壊化に直面します。
この状態に陥ったのが、現在のイタリアを代表とする西欧先進諸国でありニューヨーク〜カリフォルニア等の現状でしょうか?
医療崩壊に直面すると軽症者〜中等度は自宅待機になるなどで十分な医療を受けられない(適切な医療を受けられないので軽症者の重症化率アップ?)平均治癒期間が延びる外隔離不能・外出を控える程度では家族や周辺感染者増加要因になり、収拾不能に陥ります。
以上によれば地域別経過データが重要で、全国総数の増減を見ていてもあまり意味がないことがわかります。
川の水量も電車や船の混み具合もそれぞれの川や電車の時間別平均的流通が一番良いのであって、全国平均や年平均では意味がありません。
半年分一挙に流れると洪水被害になり、船に乗客が殺到し定員の10倍も乗れば沈没の危険が高まるし、超満員の通勤時間帯と昼間のガラガラ電車バスを平準化した方が良い・・繁閑差が激しい業界ではコストアップ要因になります。
大雑把な印象で言えば、100〜200人の死亡でも、一つの市で1ヶ月で100〜200人(その背後に20倍以上の重症者がいる?)も死亡するのと全国合計の100人とは意味が違い対策も違います。
一地域での発生の場合、地域の医療キャパ超過・・医療崩壊リスクが高いでしょうが、これが全国で1年間の数字・・名古屋規模の大都市で年間死者20〜30人前後、月間数人(その背後にある重症患者一定数)であれば、通常業務範囲で間に合う数字です。
1年間に均した場合と1〜2ヶ月間に集中した場合では受け入れ能力に大きな違いが出ます。
また地域集中と全国平均では意味が違います。
韓国の大邱周辺集中の大量発生を韓国全土平均する考え方があることを3月19日に紹介しましたが、一部地域での集中豪雨被害を全国平均にならせば、あるいは年平均雨量にすればどうってことがないというようなすり替え意見に見えます。
22日紹介したグラフも地域別に見たものですし、これに似たグラフをbbcのネット記事で見た記憶ですので見直してみたらグラフの形がほぼ同様です。
100年も前のスペイン風邪の経験を元にしたグラフとすれば今回の事態に参考になるかどうかでしょう。
しかし患者数の急増を防ぐのが合理的という考え方自体、今も共有されていると思われます。
https://www.bbc.com/japanese/51866803の一部引用です。
各国で閉鎖や延期、休校が相次ぐ 新型ウイルス対策・・・中の記事です。
2020年03月13日

epidemic curve

同じ国内でも地域ごとの対応差によって爆発的な感染拡大(オーバーシュート)が生じるので、地域ごとに細く長くすれば多くの人が医療を受けられるので結果的に重症者の増加、死亡者を防げるという教訓・・ウイルスの型は違っても100年前の教訓は今も同じです。

精神障害判断(エピソード重視リスク)1

精神病以外の病気の場合、診断や手術ミスかの認定には医師単独で完結しない多くの関与者作成の手術直前の時系列に従った客観データ・体温や脈拍、血圧・血液検査の結果数値や画像の外検体自体が残っていることが多いのですが、精神病の認定や隔離入院判断の場合客観補強データとしては利害関係者のエピソード供述しかなく、診断にあたって、本当に過去にそう言うエピソードがあったかの関心で医師が補強証拠を検討しているように見えません。
一般医療の現場で考えれば、「昨日何時ころからどこそこが痛み始めて今朝我慢できなくなってきました」という説明が嘘かどうかで検証している暇がないし痛くてきている本人の説明を疑う必要もないのでどこそこが「痛い」という説明を信じてその説明に応じた診察(触診や検査)を始めるしかないのが現実ですからそれで良いのでしょう。
精神障害による強制入院のうち措置入院の場合、文字通り強制収容(人権侵害の最たるもの)ですのでいわゆる自傷他害の要件該当性判断が必須で、多くは具体的近隣相手の暴力行為があって警察通報に始まる事件が中心ですので、エピソード自体の客観性が事実上保障されていますし、障害があることにより自傷他害の恐れの認定に際し指定医2名の判断が必要なので判断自体の客観性もある程度担保されています。
問題は入院の大多数を占める同意や保護入院です。
まず措置入院制度を紹介しておきます。
これだけ始まりが厳重な制度設計でも一旦強制入院させたら永久入院で良いのではなく、実務上数ヶ月経過での再審査が必要になっています。

精神保健及び精神障害者福祉に関する法律(昭和二十五年法律第百二十三号)
第五章 医療及び保護
第一節 任意入院
第二十条 精神科病院の管理者は、精神障害者を入院させる場合においては、本人の同意に基づいて入院が行われるように努めなければならない。
第二十九条 都道府県知事は、第二十七条の規定による診察の結果、その診察を受けた者が精神障害者であり、かつ、医療及び保護のために入院させなければその精神障害のために自身を傷つけ又は他人に害を及ぼすおそれがあると認めたときは、その者を国等の設置した精神科病院又は指定病院に入院させることができる。
2 前項の場合において都道府県知事がその者を入院させるには、その指定する二人以上の指定医の診察を経て、その者が精神障害者であり、かつ、医療及び保護のために入院させなければその精神障害のために自身を傷つけ又は他人に害を及ぼすおそれがあると認めることについて、各指定医の診察の結果が一致した場合でなければならない。
3 都道府県知事は、第一項の規定による措置を採る場合においては、当該精神障害者に対し、当該入院措置を採る旨、第三十八条の四の規定による退院等の請求に関することその他厚生労働省令で定める事項を書面で知らせなければならない。
4 国等の設置した精神科病院及び指定病院の管理者は、病床(病院の一部について第十九条の八の指定を受けている指定病院にあつてはその指定に係る病床)に既に第一項又は次条第一項の規定により入院をさせた者がいるため余裕がない場合のほかは、第一項の精神障害者を入院させなければならない。
第二十九条の二 都道府県知事は、前条第一項の要件に該当すると認められる精神障害者又はその疑いのある者について、急速を要し、第二十七条、第二十八条及び前条の規定による手続を採ることができない場合において、その指定する指定医をして診察をさせた結果、その者が精神障害者であり、かつ、直ちに入院させなければその精神障害のために自身を傷つけ又は他人を害するおそれが著しいと認めたときは、その者を前条第一項に規定する精神科病院又は指定病院に入院させることができる。
2 都道府県知事は、前項の措置をとつたときは、すみやかに、その者につき、前条第一項の規定による入院措置をとるかどうかを決定しなければならない。
3 第一項の規定による入院の期間は、七十二時間を超えることができない
第二十九条の四 都道府県知事は、第二十九条第一項の規定により入院した者(以下「措置入院者」という。)が、入院を継続しなくてもその精神障害のために自身を傷つけ又は他人に害を及ぼすおそれがないと認められるに至つたときは、直ちに、その者を退院させなければならない。この場合においては、都道府県知事は、あらかじめ、その者を入院させている精神科病院又は指定病院の管理者の意見を聞くものとする。

ガイドラインでは概ね3ヶ月に一回この判断のための診察をするようになっているようです。
医療観察法の事件で医師と面談した時に聞いたのかいつ聞いたか不明ですが、自傷他害の恐れは興奮状態のものなので、興奮を鎮める薬投与(が発達しているの)ですぐ興奮は治るので3ヶ月もたってまだ恐れがあるというのは一般的に無理があるが服薬をやめるとすぐ再発する可能性がある・・問題は退院後も服薬指導に応じるかどうかが重要とのことでした。
医療観察法による強制入院の場合、退院後の強制通院制度もあるので素人的には完全体制のような印象でしたが、同意という名の任意や準任意入院の場合、服薬を嫌がる人の場合、どうして良いかの制度問題があるというイメージでした。
違法収容されていると主張して治療に不満がある場合、退院できれば服薬指導に応じないのが普通ですので、これが悩みの種でもあるようです。
無罪主張で判決が有罪認定になった場合、犯罪を冒した反省の情がないことを理由に刑が重くなるのと似た関係です。
実数で言えば、本当の人権侵害事件は万に一つあるかないかで本当に精神障害があるのに病状を自覚しない患者の方が多いのでしょうが、(自覚していても入院生活に不満な場合も多いでしょう・狭い空間に拘束されて気持ちの良い人はいません)だからと言って、患者とはそういうものだと決めつけるのも危険です。
20条で同意入院原則が書かれていますが、実際に自分から進んで入院したい人が少ない前提で医療保護入院という制度が用意されています。
従来保護義務者同意でしたが最近家族一人の同意でも良くなり、これも身寄りのない者などの例外も揃っています。

平成31年元旦(行事の重要性!)

明けましておめでとうございます。
皆々様 輝かしい新年を迎えのことと存じます。
今年もまた元気で1年を送りたいと思っております。
なんやかやと言っても長年の習慣か?元旦になるとなんとなくおめでたく感じる不思議な日です。
ここで何故元旦がおめでたいかの疑問を考えてみました。
元旦といえば、どこの国でも家庭でもそれなりの行事があります。
何故行事があるのか?行事の効能について、気がついたことを書いていきます。
時間とは何か?と言えばよくわからない言葉ですが、時間に区切りをつけるために行事というものがあるのでしょう。
時間には区切りが何故必要か?
時間は連綿と流れて行くものですが、時間に区切りをつけないと、一定期限のある時間軸での達成目標(今では約束日時の設定)や過去一定期間経過の成果を振り返るなどの、短長期スパーンでの考察が難しくなるでしょう。
山登りなどで途中景色の良い小高い場所に来ると、今まで苦労して登ってきた道を振りかえって「あゝこれだけ登ってききたのだ」という達成感を味わいながら、この先の「胸突き八丁をさらに頑張るぞ!」という元気付ける場になります。
カレンダーの元祖は、月の満ち欠けの周期であったのではないか?という妄想を15年前の大晦日に12/31/03「大晦日2(日本書紀・・かがなべて・・・・)」のコラムで書いたことがあります。
金色夜叉で有名な貫一の名セリフ「今月今夜のこの月を、僕の涙で曇らせて見せる」
約束事をするようになっても「次の満月の夜・今度の三日月の夜」とかで間に合う時代が続いたように思えます。
ただし、このように目に見える形を基準にする程度だと最長1ヶ月しか期間がないので、(縄文時代にすでにどんぐりなどの植林が始まっていたことが分かってきましたが、栽培が発達してくると)もっと長い時間軸を考える必要が出てきます。
「3回目の満月の夜、4回目の三日月の夜」」とかのちょっと長い期間が必要になるので、数を数える必要性や能力が身について行ったのでしょう。
古代には、今の半年が1年だったように読んだ記憶がありますが、(臥薪嘗胆の故事を読めば、いくら誇大表現の好きな漢人とは言え、長すぎるのでこれを半分に翻訳すればまあまあです。)
越王勾践は最初に呉王闔閭を下した武将(諸侯)ですからその時すでに壮年のはずですが、負けた闔閭の子供の夫差が復讐のために臥薪してついに父の仇勾践を会稽山で破る→負けた方になった勾践は嘗胆すること20年にして会稽の恥を雪ぐのですが、ちょっと長すぎないかの疑問です。
その100年ほど前ですが 、晋の文公が覇者になる前の故事・重耳と言われていた時に、やはり19年間もの放浪の末に国に帰って晋公になるのですが、若い頃に読んだ記憶では(若者からみれば19年間も!・・・ものすごい長さですから、長過ぎるな!と思ったものですが・・。
ウイキペデイアの引用です

文公(ぶんこう、紀元前696年 – 紀元前628年、在位紀元前636年 – 紀元前628年)は、中国春秋時代の晋の君主。姓は姫、諱は重耳(ちょうじ)、諡は文。晋の公子であったが、国内の内紛をさけて19年間諸国を放浪したのち、帰国して君主となって天下の覇権を握り、斉の桓公と並んで斉桓晋文と称され、春秋五覇の代表格とされる。

時間観念の発達→季節の移ろいに戻します。
果実等の収穫を基準にする時代には実りの秋がくれば、1サイクルが終わったからこれを次の期間単位にする・・月の次に必要な長期単位としたとすればうなづけます。
漢字の稔(みのる)という字は、「ねん」とも「とし」とも訓読みし、作物の稔る期間を表すとも言います。
稔る期間を年(とし)といったのかもしれません。
秋から次の春までは実りがありませんが、この期間を裏年と理解していたのでしょう。
半導体の0と1の繰り替えしがセットになっているような理解です。
今でも庭先の柿などは1年おきに良くなる(翌年は身があまりつかない)ので、今年は「裏年なので・・・」という言い方が残っています。
秋から春までの1年は、裏の年ということになります。
表年と裏年が何故あるかというと、柿やミカンの実がなるには相応の栄養蓄積が必要なので、表年にいっぱい実がなって、前年からの蓄積を吸収してしまうからと言われています。
人間だって毎年赤ちゃんを産むのは母体に負担がかかるので、(私の世代では4歳違いの兄弟が普通でした)早くて2年ごとに産むのが普通です。
農地で言えば冬の間に地力を養う期間だったのでしょう。
ついでに1日の方も2003年の大晦日に「カカなべて」で書いたように夜(夜間は体力回復時間)と昼で別に数えていたことが上記引用した「大晦日2(日本書紀・・かがなべて・・・・)古代の歌でわかります。
「かがなべて、夜には九夜、日には十日を」
月の変化の回数を基準にしていると12回前後で似たような気候がくり返されることが知られてきます。
今でも世界中で12進法が結構残っていることからして、人類が最初に知った基幹数字は12だったと思われます。
お月様が12回周期で気候が概ね一巡する変化を知るとその繰り返しに合わせて、(周知のように月を基準にすると、うるう年がないと徐々にズレてくることが古代から知られていますが、数を数えるようになり始めの頃には、その程度の誤差は問題がなかったでしょう?)草木の成長があり、小鳥その他動物の産卵・出産時期も連動していることがわかる・・農作物のタネまき田植え時期〜収穫時期がくることもわかってきます。
農業社会の歴史の長い人類では、世界共通的に暦の重要性が知られて行ったでしょう。
24節季は太陽暦になってから古代中国中原の気候に合わせて生まれたものでしょうが、これでは日本の気候に合わないので二十四節季のほかに、「土用、八十八夜、入梅、半夏生、二百十日などの「雑節」と呼ばれる季節の区分けを取り入れたようです。
この機会に余談ですが24節季と雑節の関係表があってわかり良いので、正月早々ですが、お勉強好きの方のために引用・紹介しておきます。
http://www.i-nekko.jp/meguritokoyomi/nijyushisekki/からの引用です。

http://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/faq/24sekki.htmlによると雑節は以下の通りです。
二十四節気を補う季節の移り変わりの目安として、雑節(ざっせつ)がある。

二十四節気を補う季節の移り変わりの目安として、雑節(ざっせつ)がある。土用、彼岸は入りの日付けを示す。

名称 太陽黄経 説明
土用 (どよう) 27°, 117°, 207°, 297° 太陰太陽暦では立春、立夏、立秋、立冬の前18日間を指した。最近では夏の土用だけを指すことが多い。
節分 (せつぶん) 季節の分かれめのことで、もとは四季にあった。立春の前日。
彼岸 (ひがん) 春分と秋分の前後の3日ずつの計7日のこと。初日を彼岸の入り、当日を中日(ちゅうにち)、終日を明けと呼ぶ。
八十八夜 (はちじゅうはちや) 立春から数えて88日目をいう。霜が降りることが少なくなる頃。
入梅 (にゅうばい) 80° 太陰太陽暦では芒種の後の壬(みずのえ)の日。つゆの雨が降り始める頃。
半夏生 (はんげしょう) 100° 太陰太陽暦では夏至より10日後とされていた。
二百十日 (にひゃくとおか) 立春から数えて、210日目の日。

各種行事は時間の流れにメリハリをつけて、新しいステージが始まる合図号砲みたいな役割・・ためにあるのでしょう。
我が家でも妻のアイデアで四季折々のいろんな行事を楽しんでいますが、様式美にこだわるのも良いものです。
元日はその年の始まりの日であり・旦とは水平線や地平線に日が昇ること・時間の始まりですから、「元旦はその年の時間の起点」生命が新たに芽吹く起点・・「神聖な時間の始まり」です。
元旦は年間行事の起点・・最も重要な行事として、人類共通行事になっているのでしょう。

大いに祝うべし!

憲法論と具体論の重要性(韓独など憲法裁判所の観念)2

昨日紹介した最高裁判決中の寺田治郎裁判官の補足意見は多数意見とは違い争訟性があるが、宗教教義に立ち入れないので、結局原告は錯誤内容を主張できない・許されない?ことを理由に棄却すべき・だが被告が控訴していないので高裁に差し戻しても棄却できないので、結局的に却下という結論を同じくするというもののようです。
(勉強不足の私にとっては、補足意見の処理の方がわかり良いように見えますが、ちょっと技巧的にすぎるということでしょうか?)
日弁連では、ある単位弁護士会で懲戒処分したことに対して対象弁護士が弁明を聞く手続違反があるとして異議申し立てしていたところ、日弁連がこの手続き違背を理由に破棄して単位会に差し戻した事例があります。
ところが、その事件では対象弁護士が単位会の懲戒処分後他の弁護士会に移籍していたために原単位会に差し戻されても原単位会では(対象弁護士はもはやその単位会の会員ではないのですが・懲戒処分後日弁連に継続した後に事件が原単位会に戻った場合には、その手続きの範囲内でその間に他の会に移籍していてもなお原単位弁護士会で処分できるような規定が整備されていなかった・今も同様です)再審査できない状態だったので、日弁連で自判しないと事件が宙に浮いてしまう事例であったのに、日弁連が差し戻してしまったことがあります。
上記最判の運用を見れば、こういう場合差し戻さず「自判」すべきだったことになりそうです。
憲法論といっても、具体的当てはめが重要という意味で正当防衛の議論などで紹介しましたが、争訟性が必要・・具体的事件になって「事件に即して考えるべき」という仕組みを18年1月22日までに私が書いてきましたが、これが結果的に正しいことを証明しているように見えます。
具体性のない段階で決めると原理論で決めるしかない・・観念論では先のことは何もわからないのに、「英断」してしまう・・政治的立場による「乱暴」な意見になりがちです。
憲法判断だけ別に行うシステムの国では、憲法裁判所構成員が裁判官だけではなく、ドイツのように議会の政党比で選出したり一定数しか元裁判官を要件にしていない国が多いので、これを憲法「裁判所」と言ったり言わなかったり(フランスは憲法「評議会」)するのは、この点の違いでしょう。
ウイキペデイアによれば、韓国の場合は以下の通りです。

韓国はドイツ型と考えられる。韓国では1987年改正の現行憲法によって、通常の最上級裁判所である大法院とは別に憲法裁判所が設置された。憲法裁判所の裁判官は、大法官となる資格を有する者(その具体的内容は下記の表を参照)の中から、大統領・国会・大法院が3名ずつを指名する。憲法裁判所の権限は、ドイツ型の制度を敷いている諸国と同様、憲法解釈のほか大統領の弾劾、政党の解散、機関争訟(行政機関相互間、たとえば国と自治体との間で発生した対立の処理)といった重要な職責を与えられている。

朴槿恵大統領の弾劾・罷免をした例を見てもわかるように 、ほとんど時の政治動向・世論そのままで動く政治機関です。

フランスの憲法評議会
他国の憲法裁判所の多くが、その裁判官の資格として、通常の裁判所の裁判官の経験や法曹資格を定めるのに対して、憲法評議会の委員(9名)には、特に任命資格などが定められず、その構成も大統領・国民議会議長・元老院議長からそれぞれ3名ずつ任命すると定めるなど、政治的機関としての色彩が強い・・・。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC