外からの民主化と自力発展能力2(民度)

進んだ思想や技術を外部から導入してもその受け入れ能力がないとどうなるかの続きです。
http://ameblo.jp/katsumatahisayoshi/page-3.htmlからの引用です。
素人が影響与えた原発中止
文在寅大統領は、大統領選挙の争点でなかった原子力発電所の建設中止問題を、しかるべき機関に諮問することなく、突然に実行命令を出した。文氏の性格は本人の分析によれば、「原理主義」と「独善」だというが、まさにその通りのことが起こった。「大統領になれば何でもできる」という思いが、文氏を突き動かしているのだろう。歴代の韓国大統領と違うところはなさそうだ。・・この部分は勝又氏の意見でしょう。
『朝鮮日報』(7月15日付)は、社説「国家百年の計を一瞬で葬る文在寅政権の無責任さ」と題して、次のように論じた。
「この原発建設中止問題は、かつて日本の民主党政権が、「コンクリートから人間」のスローガンで、関東の八ッ場ダム建設工事を中止したケースとよく似ている。「進歩派」政権という看板に酔って、自らの政権の行なうことは全て許されると錯覚しているのであろう。
問題は、専門家の議論を経ないで話が決定したことだ。原発という極めて専門的な分野を、一人の素人である大学教授が「原発恐怖」を唱えて、文大統領に大きな影響を与えたことだ。この点については、後で取り上げる。朴槿恵・前大統領が、40年来の友人とされる崔順実被告の影響を受けたのでないかと言われている。文大統領も同様に、前記の大学教授に吹き込まれているとの指摘が出ている。
(1)・・・ 新たに建設が進められていた6基の原発のうち、進捗率が低い4基はすでに作業も中断している。今回建設中止が決まった新古里5・6号機は工事進捗率が28.8%だが、最大3カ月間工事を中断し、その間に市民による陪審員団が建設を続けるかどうかを決めることになっている」
・・新古里5・6号機は、最大3カ月間の工事を中断し、市民による陪審員団が建設を続けるかどうかを決めるという。一見、市民の意見を聞くという形をとって、永久的な建設中止に持ち込もうという政治的な意図であろう。これが、「草の根民主主義」とか言われるものだそうだが、果たしてそうだろうか。文氏はポーズを取っているように見える。THAAD(超高高度ミサイル網)設置についても、環境影響評価で公聴会にかけて市民の意見を聞くという。この問題も原発問題と同様に、極めて専門性の高い問題である。それを政府自らが判断を下さず、市民に問題の可否を丸投げする「大衆迎合政治」の最たるものだ。これでは、政治のリーダーシップはどこにあるのか不明になる。「86世代」の学生運動家上がりの政治家が、考えつくような「青臭い」話であろう。
・・これも勝又氏の個人意見か?
(2)「国のエネルギー政策は、国民生活や産業競争力、さらには国の安全保障にまで重大な影響を及ぼす。ところが政府はこの重要政策をあまりにも拙速な形で推し進め、しかもわずか数カ月後には専門家でもない一般市民の判断に任せるとしている。どう考えても異常なやり方だ。・・・・
『韓国経済新聞』(7月14日付)は、「あまりにも違う韓日のエネルギー政策決定過程」と題して、日韓の違いを指摘している。
「日本では、『エネルギー政策基本法』に基づき、2003年以降3年ごとに国家エネルギー政策を見直している。法案決定過程は徹底的に専門家らが主導する。電力関連専門家で構成された『総合エネルギー調査会』が草案を作る。この案に基づき政府と与党が協議し、最終政府案を閣議で決定する。韓国政府が『脱原発』政策を強行し、新古里(シンゴリ)原発5・6号機の建設中断を市民陪審員団の判断に任せることにした点とは全く違う」
以上のように、韓国メディアが嘆くのも当然であろう。市民が、韓国のエネルギー政策の基本を決めるとは飛躍しすぎている。将来の技術的な問題、エネルギーコスト問題、産業の国際競争力問題などを市民の決定に託せる問題だろうか。これでは、大統領も不要となろう。政治家は、国家の将来を専門的に考えるから「職業としての政治」が存在するのだ。・・文大統領は、難問を市民に丸投げしている。これぞまさに「政治によって生きる」という悪しき例の政治家に成り下がっている。大衆迎合政治の典型例である。
・・ 韓国の原発問題も、専門家が十分は検討を経て決めた経緯がある。それにもかかわらず、これを白紙にして市民に聞くというのは、問題の本質を逸脱している。実は、こういう市民に聞くというもっともらしい「口上」の裏には、市民運動家に政治的重要な決定を任せる意図が隠されている。文政権は、韓国の将来を一握りの市民運動家に託す意図であろう。次の社説が、その危険性を指摘している。
・・以上は勝又氏の意見です。
「もし今後原発や石炭への依存度を下げた場合、現状では何によってそれを賄うかというロードマップさえない。いきなり脱原発を宣言はしたものの、これは政治的な発想によって実現できる問題ではない。今政府では原発に強く反対する市民団体の活動家だった人物が何人も要職を占めている。つまり一方的な偏見を持った人物が国の政策を決めているということだ。脱原発あるいはエネルギー政策全体の方向性を見直すという重要な決定を下すのであれば、それによって大きな負担を強いられる国民全体の同意を得ることがまずは必要ではないか」(『朝鮮日報』6月20日付社説「脱原発は任期5年大統領が勝手に決められる問題ではない」)
(4)「『大統領選挙で文在寅(ムン・ジェイン)候補陣営に加わって脱原発公約を作った』と主張するキム・イクチュン東国大学医学部教授(微生物学)は先週、高校生の前で『脱核講義』(反核講義)をした。この講義内容は、荒唐無稽(むけい)としか言いようがないものだ」
微生物学が専門の教授が、原発反対を説いて回っているという。問題はその内容だ。後のパラグラフで明らかにされているように、全くのデタラメで事実と大きく異なっている。しかも、この教授が文大統領の原発廃止顧問役になっているのだ。かつて、日本の民主党政権時代、鳩山由紀夫首相の外交ブレーンの一人が偏った反米安保思想の持ち主であった。この人物の影響で、鳩山氏は沖縄基地問題の判断を大きく誤った経緯がある。文大統領も原発問題では同じ轍を踏みそうだ。
(5)「同教授は、『(2011年の福島原発事故で)日本の領土の70%が汚染された。日本では白内障・狭心症・脳出血・肺がんなどが事故前に比べて200%~300%と増加した』と言った。また、『11年以降の4年間で、日本では通常よりも死亡者数が60万人増えた。放射能のせいだということを立証したい』『今後300年間はすべての日本産食品や北太平洋産水産物を食べてはならない。今夜遺言書を作り、今後10世代にわたり(食べてはならないと)伝えなければならない』とも言った。キム・イクチュン教授は09年から全国各地を回り、1200回もこうした反核講義をし、原子力安全委員会委員になり、文在寅(ムン・ジェイン)大統領が見た昨年公開の原発災害映画『パンドラ』総括諮問を務めたという」
この種の話を大真面目に聞いている韓国国民の知的レベルも問われるのだ。・・・・韓国の市民活動家といえば、「慰安婦問題」で見られるように、偏見の塊である。15年の「日韓慰安婦合意」の白紙化を狙っている集団であるが、エネルギー問題でも同様な過激な主張を展開しているに違いない。
ここは勝又氏の意見ですが、現在のこのコラムのテーマである韓国民の民度レベルをよく表していると思うので長々と引用しました。
(6)「福島原発事故については、『原子放射線の影響に関する国連科学委員会』(UNSCEAR)が2年以上調査し、14年に提出した報告書がある。311ページにわたるこの報告書は、『福島原発事故で放射線にさらされた発電所職員や一般住民のうち、放射能で死亡または重大な病気にかかった事例は発見されなかった』と結論付けた。この調査には18カ国・約80人の専門家が参加し、国際原子力機関(IAEA)や世界保健機関(WHO)などが支援した。同報告書は、『(福島原発事故の)最も重要な健康への影響は精神的恐怖・ストレス・うつ病などだ)』としている。国のエネルギー政策が専門家でない人物の何の根拠もない主張に振り回されていると考えると、背筋が凍る思いだ」
この部分の内容は勝又氏の意見のように見えますが、形式は(6)「・・」となっているので新聞記事の引用でしょうか?

外からの民主化と自力発展能力1(民度)

昨日紹介したとおり、何百年も水車作りに挑戦しても実用品を作れない結果を見ると本当のことを言えない社会体制ばかりが原因ではなさそうです。
ものづくりができない・・民度レベルが数千年遅れている可能性もあります。
日本では種子島の鉄砲であれ、いろんな新製品が入ると既存技術の応用ですぐに作ってしまうレベルでしたし、思想や文化も入ってくると、そのものも受容するだけではなく日本式により良いものに仕上げていく社会でした。
朝鮮通信使がこっそりと水車その他日本の優れたものを絵にして持ち帰っても複雑な部品・曲げもの作りの技術を含めて受容レベルに達していないから、いわゆるパチモノ→パチモンづくりが限度であって本物を作れない民度レベルだったことがここに現れています。
日韓併合後日本の技術指導が始まってようやくまともなものを作れるようになったように見えます。
朝鮮から日本への定期的通信来訪は、日本古代の遣隋使・遣唐使の中世版ですが、日本の場合空海が仏像や曼荼羅・土木技術その他を持ち帰れば、すぐに仏像や仏画ため池など実現できたのが我が国です。
朝鮮族では、文字情報で持ち帰ってもそれを実現する総合的な技術が育っていなかったので何回日本に来ても意味がなかったということでしょう。
古代から朝鮮半島は漢の時代から直接支配地であって、漢王朝〜後継王朝の盛衰に伴って波が広がったり引いたり(支配力が落ちると地元に委ねたり)の繰り返しでしたが、元がモンゴルに引き上げた結果中原に生じた権力空白(明王朝が1368年に成立しましたが当初数十年は内部統一にエネルギーが取られます)に乗じて独立したのが李氏朝鮮ですが、1368年に成立していた明王朝に対しては、朝貢して属国の体裁を取りながらも一応独立した王朝になった歴史です。
漢民族直接支配の時代には、帝国の最東端であって文化伝播が遅いもののその時々の中国の文化支配が細々と及んでいた時には、20世紀に入って上記日韓併合によって直接技術指導を受けられるようになったのと同様でその時々の社会進歩にある程度ついて行けていたのでしょう。
李氏朝鮮成立後は朝貢すればいいだけで事実上没交渉(再び直接支配されないように最も警戒すべき相手国です)で直接支配を受けなくなると独自発展能力次第の社会に陥ります。
日本の場合これを利用して平安時代に独自の文化が花開き、鎌倉から〜室町安土桃山江戸時代へと順次の発展が続くのですが、朝鮮の場合そのまま停滞してしまったように見えます。
第4代世宗の時代になって周辺との格差に気づいたものの、宗主国明に行くのは介入を受けるリスクがあることから圧倒的な国力差のない比較的安全な日本から文化(特にひらがなに象徴される独自文化)や技術導入しようとしたように見えます。
第四代と言えば、日本の江戸時代で言えば綱吉が5代ですから(政変や病気等で1代の長さに差があるのですが概ね)ほぼ政権基盤が固まりその政権の独自性がようやく出てくるときです。
アメリカで言えば、大統領就任後100日は批判しないというのも、今では戦乱を統一するのではなく、整った官僚機構を引き継ぐので100日で足りるという考えなのでしょう。
日本ではこの時期に上方に頼っていた文化基盤が江戸に移り元禄文化になるのですが、李氏朝鮮では四代目になっても独自文化を育てられなかったので、焦って?日本への通信使派遣になったものでしょう。
李氏朝鮮に関するウイキペデイアの記事です。
「1392年に高麗の武将李成桂太祖(女真族ともいわれる[1])が恭譲王を廃して、自ら高麗王に即位したことで成立した。李成桂は翌1393年に中国の明から権知朝鮮国事(朝鮮王代理、実質的な朝鮮王の意味)に封ぜられた。朝鮮という国号は李成桂が明の皇帝朱元璋から下賜されたものであり、明から正式に朝鮮国王として冊封を受けたのは太宗の治世の1401年であった。中国の王朝が明から清に変わった17世紀以降も、引き続き李氏朝鮮は中国王朝の冊封体制下にあった。」
昨日紹介した通信使の記事では、1443年(正長元年・世宗25年)であり目的は「通信使の目的には日本の国情視察もあり、1428年(応永35年・世宗10年)の正使だった朴端生は、科学技術に関心の高かった世宗から日本の技術の調査を命じられていた」というのです。
国家樹立後約50年経過しても独自に発展する能力がないので、情報収集の必要性に気付いたものの、持ち帰った情報を活かす基盤がなかったので水車や荷車ひとつまとも作れなかったのです。
世界には独自に文化発展させる能力のある民族とない民族があって、朝鮮や中国人は自力で何もできない民族らしいのです。
明治維新当時の日本から見れば、古代社会がそのままあるような朝鮮の情景を写真等で今見るとに多くの人がその停滞ぶりに驚くでしょう。
米ソ冷戦時で言えば、ソ連や中国ではその間約40年間何の発展もなくて、自由主義諸国とは巨大な格差が生じてしまったことを想起して下さい。
中国が鄧小平によって解放されてみると戦争前の情景のまま(・・車が出始めたばかりの戦前に日本で走っていたようなゴツイ板張りのトラックがそのまま走っているなど)広がっているのに多くの日本人が驚きました・・中ソの偉大な発展を褒めそやしていた左翼文化人の虚偽性が白日の下に晒されたことになります。
中国は西域からの文物流入が止まると発展性がなくなったと何回も書いてきましたが、最近でもこういうことが起きていたのです。
もちろん道義も停滞どころか退化している状態で、日本ではまず泥棒から始まり生活態度が汚すぎるなど・・世界中で虚偽表示その他違法行為やり放題の印象をバラまいたので、・・南シナ海での不法占拠もその1態様です・・これが世界中で中国人の信用をなくしている原因です。
朝鮮通信使に戻りますと周辺国ではどんどん社会が進んで行くのが分かり、焦って日本へ通信使を派遣して日本で発展しているひらがなの実情や社会生活に必要な技術動向を探ることにしたものの、持ち帰った情報だけでは何をどうして良いか分からなかったのです。
自分が何もできない劣等意識を何とかするしかない・・結果的に根拠なく相手をバカにする知恵が付いたように見えます。
原発事故があるともう日本はダメだとむちゃくちゃな言説がそのまま流布する社会・・これを受け入れるレベルの社会です。
文大統領の原発中止に対する朝鮮日報の記事が・全くの虚偽主張に国民が簡単に踊ってしまう現状批判している状況を勝又氏のブログに引用されています。
朝鮮日報自身が、レベルの低い話だと認めて批判しているだけまだマシですが??
ともかく根拠のない扇動に簡単に乗ってしまう民度であることは間違いないでしょう。
こういう国で民主主義ってまだ無理じゃないの!というのが、最近の日本人が抱いているのが大方の感想ではないでしょうか?… さらに読む

自民族言語表現の重要性4(ハングル2)

通信使の日本蔑視態度に戻ります。
通信使がはじまった元はと言えば倭寇取り締まり期待と進んだ日本文化・技術導入期待にあったことによります。
ひらがなという民族固有文字普及による文化底上げ・進歩を自国に取り入れる目的(この結果ハングル文字準備機運が盛り上がりました)で始まったものですし、江戸時代の再開は、日本の再攻撃が怖いので「よしみ」を通じておくとも日本再朝鮮攻撃準備を探る目的でした。
本音を知られたくない・・「ペコペコしにきた」と思われたくないから余計尊大にしているしかなかったのでしょうが、日本から見ると尊大なばかりでバカな連中だくらいで見世物的に思われてきたようです。
日本での絵画表現は異国からカッコウの見世物が来たという扱いです。
朝鮮聘礼使淀城着来図の一部『鶏を盗んで町人と喧嘩する朝鮮通信使』

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/a8/Chosenjintsushinshi.png
 

 

この辺は今になると否定的研究をする人は少ないし、朝鮮に関しては本当のことが書けない・・(否定的意見を書くと反ヘイトスピーチ攻撃に引っかかる?自制)があって表面には出てきませんが、日本の実用的文物(水車等の動力利用や荷車その他)が日韓併合のころまで全く導入されていなかった結果から見て明らかでしょう。
韓国では独自の歴史教育がされていて反論が許されない状態で結果的に世界的に通用しない荒唐無稽な歴史教育が行われていると言われますが、そのやり方を日本国内教育に強制させようとする動きが急です。
上記図の解説も韓国寄り学者?によると肉食を知らない日本人が驚いたに過ぎない・・日本の方が遅れていたと言うすり替え解説になっていますが、絵の題名を見れば紛れもなく庭先に放し飼いしている鶏(犯罪の少ない日本社会の基礎レベル)を白昼公然と盗む公式使節のレベルの低さに驚く民衆の驚き・文化レベル差を表現したものというべきでしょう。
https://matome.naver.jp/odai/2136687169645192101による記事引用です。
学術論文ではなく、出典不明ですが一応の情報です。
「朝鮮半島の水車の歴史
1429 世宗11年12月3日 日本の水車が凄いと報告
1430 世宗12年9月27日 水車を造ろうとする
1431 世宗13年5月17日 「中国も日本も水車の利を得ているが我が朝鮮にはそれがない」
1431 世宗13年11月18日 日本と中国の水車の研究の記述が散見
1431 世宗13年12月25日 水車導入を試みる
1451 文宗元年11月18日 20年かけて水車の導入失敗
1488 成宗19年6月24日 水車導入の試み(成否不明)
1502 燕山君8年3月4日 水車導入の試み(成否不明)
1546 明宗元年2月1日 水車導入の試み。琉球(沖縄)と中国から福建式水車輸入
以後百年間水車の記述無し。
一方お隣り日本では、鉄砲伝来後3年目にはすでに量産体制。
1583 一方お隣り日本では、口径80㍉のファルコン砲を量産開始(大友宗麟)
1650 孝宗元年5月15日 水車導入の試み 30年記述無し。
一方お隣りの日本では、鉄砲量産10万丁
1679 肅宗5年3月3日 水車を造らせたと記述。そして70年記述無し
1740 英祖16年4月5日 水車など無くなりました『孝宗大王嘗頒遼瀋水車之制於外方, 今無見存者』
1740 英祖16年11月20日 水車を造らせたと記述(18世紀時点でわざわざ記録に残す程?)
1764 1763-64年の朝鮮通信使「日東壮遊歌」(淀城の水汲み水車の感想)
「その仕組みの巧妙さ見習って作りたいくらいだ」と記述
1781 一方お隣り日本では、水車があまりにも増えすぎて治水工事のジャマなので、水車税を導入(田沼意次)
1795 正祖19年2月18日 水車之制について盛んに出てくる。つまりまだ試作中
1811 純祖11年3月30日 ここの記述で水車なんか必要なのか?と書かれており全く普及していない」
ところで、朝鮮通信使は、室町時代足利義満の時から始まっていて、秀吉の頃にもきています。
この後で紹介するハングル整備に精出した李氏朝鮮第4代世宗は技術面でも上記のとおり関心が高かったようです。
ウイキペデイアでは通信使について以下の通り紹介されています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E9%80%9A%E4%BF%A1%E4%BD%BF
「朝鮮通信使のそもそもの趣旨は、室町幕府の将軍からの使者と国書に対する高麗王朝の返礼であった。1375年(永和元年)に足利義満によって派遣された日本国王使に対して信(よしみ)を通わす使者として派遣されたのが始まりである。」
室町時代の朝鮮通信使は、倭寇への禁圧対策を日本に要請することが当初の目的だった。
通信使の目的には日本の国情視察も含まれており、この時代のもっとも著名な記録は、1443年(正長元年・世宗25年)の使節で書状官をつとめた申叔舟が編纂した『海東諸国紀』である。この書は朝鮮の日本や琉球に対する外交の基礎情報となった
「文化面では、室町時代には平仮名、片仮名といった固有文字の存在に、江戸時代には京都、大坂、江戸といった都市の絢爛豪華さに驚いた。通信使の目的には日本の国情視察もあり、1428年(応永35年・世宗10年)の正使だった朴端生は、科学技術に関心の高かった世宗から日本の技術の調査を命じられていた。1471年(文明3年・成宗2年)に刊行された申叔舟の『海東諸国紀』によると、調査項目として倭寇の根拠地の特定、倭寇と守護大名、有力国人、土豪との関係、都市の状況、通貨政策など国力の観察、水車などの技術、仏典の扱いなど仏教の状況、交通事情をはじめ15項目があったという。『海東諸国紀』には日本の地図も収められており、江戸時代には日本でも同書の写本が流通した[38]。
以上のとおり通信使の記録による立派な本ができているのに、朝鮮社会でこれを活かせなかったのは何故でしょうか?

上記紹介したとおり、何百年も水車作りに挑戦しても実用品を作れない結果を見ると民度レベルが数千年遅れている可能性もあります。
本当のことを報告できない社会体制・・本当のことをいうと失脚のリスクが高いので気心の知れた仲間内でしか話せない窒息社会は・・英邁な君主・世宗の次の時代あたりから出来上がっていたのでしょう。
今の韓国政治家が表向き大言壮語しながら、裏で国内事情を説明して「何とかしてくれ」と頼む常套手段が昔から行われていたのです。
韓国は通貨危機再来を恐れて、日本に必死になってスワップ協定を頼みながら、国内では「日本が困っているから助けてやった」と説明していたらしいですから、日本は朴政権による慰安婦攻撃以来、表面で日本攻撃しながら裏でこっそり頼んでくるずるいやりかたに応じない姿勢に変わりました。
麻生副総理・財務大臣は再三「韓国が協定して欲しいならば検討する」という態度を明らかにした結果、韓国政府が日本を助けるためにスワップ協定をしてやったと国民に威張っていた手前、今更公式に日本に「お願い」できずに困っている状態です。
世界最大純債権国日本が何の必要があって韓国に相保証を求める必要があるのか・・世界中の人が聞けば呆れるような論理で自己満足して来たのが韓国政府であr民族レベルです。
慰安婦 や徴用工の問題も日韓条約で解決したのに、国民に説明・分配せずに日本から得た資金を政府の懐に入れてしまったことが基本的原因です。
このように韓国・朝鮮人は歴史が始まって以来、実際と天地逆転の政治行動をすることに日本人からすれば明々白々なことでも嘘を言い張ってシラを切り通す・「恥を知らない」民族です。
今年5月就任した文大統領は、日韓慰安婦合意を無効化するとは言えないまでも、「国民感情が・・」と「政府合意と国民は別」という二枚舌を使おうとしているのはその1変形です。
外来文化を受け入れて消化できるほどの独自文化がない民族では、外来文化そのものを丸ごと受け入れて自国文化のように思い込むしかない・・自国独自文化をモテない悲哀というべきでしょう。
韓国では孔子に始まって色々な中国や日本起源のものを何でも自国起源だと言い募る不思議さの基礎がここにあります。
日本が幕末から明治にかけて欧米の近代用語をすべて自国の漢字熟語に変換して置いたので、中国や韓国は(他民族言語を自民族語に変換した歴史経験がないので中韓民族には無理)そのまま利用出来たのでその流用で間に合う・自分で努力・創作する必要がなかったので英語圏に入らなくともなんとか現在社会がなり立っている状態です。
ただし韓国に限っては日本語のヒラカナに相当するハングルしかないので抽象的概念を利用した思考訓練には不向きといわれていますが、ハングルはひらがなのような完全な表音文字に過ぎないといえるか気になります。
韓国人の多くがひらがな思考で生きているって言われますが、ノー(脳)タリンは別として普通の知能の人がひらがなのようなもので表現した幼児が理解する程度の熟語レベルで物事を考える社会・・単純思考で現在の高度社会が成り立つのか?そんなことが可能かな?と言う疑問でしょう。
ハングルとはなにか?ですが、私は現在流通しているハングル自体を知りません。
李氏朝鮮第4代王の世宗の推進した「訓民正音」は(漢字の素養がないものに発音を教える記号)」「民を訓(おし)える正しい音」と言う意味らしいですから、これを元にして表音記号に過ぎないという説が普通に流布されているのかもしれません。
しかし、これは独自文字を持つことに反対する昨日紹介した諮問機関の反対を押し切るための政治的方便だったとも言えます。
そうとすれば、表面の公式意見としてはまさに発音記号でしかないのですが、他方で同音でいくつもの意味を持つので間違いやすいとも言われている実態とも合います。
上記政治的解決のための公式意見は政府を縛るかも知れませんが、言語は生きものですから、実態に合わせて解釈すべきで、額面通りに受けとると間違いのもとです。
漢字とひらかなの中間的なものであった上に、表音文字にしては、ハングルの文字数が多すぎるのはこのような背景がある結果でしょうか?
ちなみにパソコン用の文字数で言えば以下のようです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AB#.E3.83.8F.E3.83.B3.E3.82.B0.E3.83.AB.E3.81.AB.E9.96.A2.E3.81.99.E3.82.8B.E8.AA.A4.E8.A7.A3
「字母を組み合わせて作られる文字の理論上の組み合わせは11,172文字だが、実際に使用されるのはその半分以下である(1987年に韓国の国家標準となったコンピュータ用の文字セット(KS完成型、KS C 5601-1987)には日常の99%が表記できる範囲として2,350字しか含まれなかった)。」
上記を見るとひらがなの50音やアルファベットの数に比べ多すぎる・・そんなに多くの音の種類が世の中にあるのか不思議ですが、音をあらわすに過ぎないと言いながら実際にはある程度の意味も含んでいる(ひらがな文に漢字が少し入っているイメージ?)のではないでしょうか?
世宗の言った「訓民正音」論は反対派をおもんばかった政治的発言に過ぎないと見るべきでしょう。… さらに読む

自民族言語表現の重要性3(ハングル1)

李氏朝鮮第4代の世宗がハングル文字を整理し普及させようとした事跡をこの後で紹介しますが、そのトキ自前の言語文字を持つのは、漢文化の及ばない化外の地・非文化圏だと言う学者層による反論があったくらいです。
いわば、「自国文字を持たない方が文化度が進んでいる証(あかし」と言うのが朝鮮人知識層の基礎意識だったらしいです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%ABによれば以下の通りです。
「李氏朝鮮第4代王の世宗は、朝鮮固有の文字の創製を積極的に推し進めた。しかし、その事業は当初から事大主義的な保守派の反発を受けた。世宗が設立した諮問機関の集賢殿副提学だった崔萬理は1444年に上疏文で、「昔から中国の諸地は風土が異なっても方言に基づいて文字を作った例はない。ただモンゴル・西夏・女真・日本・チベットのみが文字を持つが、これらはみな夷狄(野蛮人・未開人)のなすことであり、言うに足るものではない」「漢字(中国文字)こそ文字であり、民族固有の文字など有り得ない」と反対した。」
確かに中央文化から離れれば離れるほど、方言など独自性が強くなり固有文化色が強まる傾向があるのは事実ですが、そこには中央の文化をそのまま真似するのがの正しいとする確固とした思想があります。
日本でも、地方の駅ビル内店舗では首都圏と同じチエーン店が出店しているので興ざめすることがありますが、地元にとっては首都圏と同じ店があるのが自慢でしょう。
韓国では真似ばかりでは恥ずかしいという少しのテライもない・いわば開き直り文化が昔から定着していたというべきでしょう。
朝鮮通信使が江戸時代だけでも12回も日本に来ていて、日本の社会の実情を見て自国より進んだ社会生活のあり方を見ても全くこれを報告しないで逆に明や清朝の文化をそのまま受け入れている自分たちに比べて日本が如何に文化の遅れた国か!という報告や吹聴ばかりしていたと言われています。
以下のように室町時代の使節には、立派な報告書があるようですが、侮蔑意識が先にたって社会全般で学ぶ気持ちがなかったから宗主国清朝等にないものは(顔色を伺うのに汲々としていた結果)取り入れられない・・活かせなかったのでしょう。
この辺は明治維新当時、政権交代の連絡今後の徳川政権同様の国交を求める「国書」に「天皇」その他の文言があることを理由に受け取れないとスッタ揉んだの末に江華島沖事件に発展してようやく決着したのも、宗主国清朝に必死に義理立てしていた結果によるものでした。
冊封を受けている朝鮮としては、宗主国以外は全て「王」であるべきあって皇帝を意味する天皇という肩書きそのまま受け取れば宗主国清朝からどのような問責を受けるかも知れないという必死の立場があったからです。
この主張は戦後復活していて、今なお、天皇をあえて「日王」侮蔑的表現に固執しているのは、この歴史に由来します。
ましてその中にこれまで多数回の朝貢を受けてきたが・・今回幕府に変わって天皇の政府に変わったので今後も・・という案内が入っていたのですから、宗主国の目を盗んで2重外交をして来た疑いを受ける…・・一種の謀反の嫌疑ということで、李氏朝鮮としては必死だったのです。
日本としては琉球の朝貢と朝鮮の朝貢を同一視していた歴史があるし、実質的立場から見ても、秀吉による朝鮮征伐の後で(北方民族の圧力もあって)本国を守るために明軍が引き上げてしまった結果、後ろだてのいなくなった日本軍の再来襲を恐れていた朝鮮では、おりから北方から女真族・後の清朝が勢力を広げて来て、日本と挟み撃ちにあうのを極度に恐れていたこともあって、徳川時代に復活した通信使は主に日本の報復的再来襲を防ぐための敵情視察と懐柔にあったので外形上はご機嫌うかがい・内容実質は朝貢に似ていたことがあります。
日本からは1度も行かない仕組も朝貢の形式です。
冊封された王か天皇かの問題では、聖徳太子以来、「日出るところの天子」と自称して来た独立国としての長い歴史があり、これも日本は譲れません。
こんな訳でこじれにこじれて日本では征韓論が吹き出した原因です。
こじれにこじれていた結果、起きたのが江華島事件です。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E8%8F%AF%E5%B3%B6%E4%BA%8B%E4%BB%B6
江華島事件 年月日:1875年9月20日から同22日 場所:江華島(朝鮮西部、黄海)
結果:永宗城砲台等の破壊の後、雲揚号の戦域離脱による戦闘終了。
日朝修好条規の締結。
戦力  日本                    李氏朝鮮
砲艦1隻                      陸上砲台
海兵隊
(士官・海兵・水夫あわせて約22名が上陸)      (約500名)
損害  戦死 1
戦傷 1                      戦死 35
捕虜 16
大小砲36門鹵獲
明治8年はまだ日本軍の近代化が始まったばかりのころでそれほど火砲系(大砲威力)の差がなかったと思われる上に、すぐに上陸作戦に移行→肉薄戦になると火力の近代化はほとんど意味をなさず兵士の気力と数の差が重要になるはずです。
ところが、水夫を含めてたったの22名の日本兵の上陸攻撃に対して500人の圧倒的兵力と自国民応援のある有利な状況下で迎え撃ちながら、自分からあっさりと負けてしまう朝鮮兵の弱さが不思議です。
しかも戦利品を確保するために4〜5名程度の水夫・兵などが翌日再上陸して大砲などを持ち帰ったというのですから、朝鮮兵が何をしていたのか?不思議な民族です。
上記数字を見ても分かるように22名が上陸して16名の捕虜を連れて船に戻っています。
時系列記録は 以下のとおりです。
午前07時43分 端艇二艘で乗り出し、同島に上陸しようとした時、第一砲台から発砲がある。上陸後八分間の激戦の後、東西北3方向から放火しながら急攻したため、城内守備兵は逃げ去り、同砲台を占拠する。
午前08時20分 喇叭にて退軍を命じ、総員東門の前に集合させ、人員を点検する。井上艦長も兵士の慰労のため上陸する。(日本側/負傷2名但し後に1名死亡)(朝鮮側/死者35名、捕虜16名、その他日本側にて、敵の負傷者及び婦人等の身柄を保護し、安全な場所へ誘導して解放する)
午前09時07分 城内に遺棄した大砲等の武器を戦利品として捕獲し、城内を焼き払う。
午後09時59分 戦利品の雲揚への積込みが完了する。
午後10時30分 島に上陸していた全兵士が雲揚に帰る。
【9月23日】 ─ 戦域の離脱 ─
午前11時00分 昨日積み残しの大砲を積み込み、同所を発艦する。
日支事変・中国大陸での陸戦でも日本の何十倍もの兵力の国府軍が開戦すると潰走するばかりで、日本軍は局地戦では最後まで負けてはいませんでした。
攻城戦を制するには城門・城壁を突破するには籠城軍の何倍もの兵力がないとむりと言われていますが・・。
秀吉軍が朝鮮半島ほぼ全土をあっという間に攻略できたことや、戦後北朝鮮軍が38度線を絵超えると抵抗らしい抵抗もなく短期間で半島ほぼ全域を占領できたことなどを見ると、中国や朝鮮では元々戦わずして逃げる民族です。
以下の絵が実際の砦と同じとは限りませんが、一応城塞になっているのに、誰も城門を守らずに逃げてしまったから船を漕ぐ?水夫を含めたたったの22名で攻略できたと思われます。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f5/Soldiers_from_the_Un%27y%C5%8D_attacking_the_Yeongjong_castle_on_a_Korean_island_%28woodblock_print%2C_1876%29.jpgさらに読む

自民族言語表現の重要性2

日本人は自分や家族だけではなく、民族のために古代から働くのですが、中国などは違います。
この辺の事情については、最近では、民族意識より宗族意識優先の中国との比較でMay 24, 2017「民族文化の有無3(宗族血縁組織)」でも書きました。
漢詩・詞文が入ってくれば、日本語にあった和歌や連歌〜俳諧が発達する社会です。
中世禅宗も栄西・道元のような代表選手が少し行けばすぐに禅の精髄を取り入れて日本精神にしてしまうし、(中国では見る影もなく衰退しています・最近立派になっているのは日本人が故地を・・尊ぶ気持ちが強くて寄付・修復するからです)アメリカ発のジャズも実力者による日本公演回数が増えてくるなど日本が重要拠点になりつつあるようです。
イギリスで盛んであった競馬でさえも、デイープインパトの出現によって市場規模が格段に大きくなっています。
多種多様な分野で日本は古代から異民族文化(鑑真和上に限らず多くの渡来人や帰化人)をそのまま日本文化に溶けこませた上で日本独自文化に創り上げてきた特徴があります。
これが可能であったのは、日本に外来文化を受け入れるに足る固有の優れた文化がすでにあったからです。
往年の世界的スターが落ちぶれても、日本ではずっと地方公演を続けられる素地があるのと似ています。
鑑真和上に限らず令名の高い人材が生命を賭してまで日本に向かったのは、それだけ命がけでやって来る価値のある社会であったからです。
漢字の導入であれ、律令制であれ、仏教哲理であれ仏教美術であれ、丸ごと輸入して満足するのではなく、日本民族価値観に合うように変容して柔軟に取り入れる能力・・種子島の鉄砲であれ、幕末の西欧文化であれ、明治維新以降であれ、いろんな文物が入って来るとこれをヒントとして受け入れればすぐに自家製でやる能力を持っていたことがわかります。
幕末洋画の手法が入っても、わが国では遠近法その他の技法は取り入れますが日本伝統の日本画を捨てません。
7月16日に千葉市美術館で開催中の椿貞雄展を見てきましたが、彼と師の岸田劉生は晩年日本画の描く対象をなんとか洋画に取り入れられないかと模索?を試みているうちに師の劉生が先に亡くなり(劉生は日本画の岩絵具などの利用を試みていた?)、椿貞夫氏は最後まで油絵の具での日本的表現努力をしてきたが、うまくいかないまま終わった印象を受けました。
私の好みで言えば、椿氏が、墨絵等で(日本画の材料で)書いた子供らの絵や寝転んでいる・日常の絵がとても良かったです。
岸田劉生〜椿貞雄氏の苦労を見たので初めて知ったことですが、油絵は教会芸術から始まった結果かもしれませんが、額縁に入ったかしこまったポーズしか馴染まないのに対して日本画では日常描写では日本画の手法が優れている印象を受けました。
花鳥風月に始まり昔から動物や庶民の日常(動作)を描いてきた歴史があるからでしょうが、子供らが輪になって遊ぶ姿(子供の歌声が聞こえてくるような感じがしました)やスイカなどにかぶりついたり大人が昼寝する姿や寒山拾得図など日本画手法の良さが堪能できました。
このように明治以降の西洋の芸術を取り入れに際しても、洋画家でさえもいかにして日本の風土・文化意識に溶けこませるかに苦心してきたことが分かります。
李氏朝鮮では、宗主国の政治体制や儒学そのまま丸ごとの直輸入・・丸暗記能力でそれをしない日本を劣等生扱いしていたのは、自民族固有文化のない弱さの裏返しであることに気がつかないレベルの表明です。
民族意識の骨格である宗教でさえキリスト教国が進んでいるとなれば簡単に変えていく社会とは、民族独自の文化がない社会と同義でしょう。
「馬鹿の一つ覚えのよう丸暗記しか知らない・・」社会では、ヒントだけあれば時間をかけて独自文化に取りれて融合して行く能力のある社会の存在を理解できなかったと思われます。
日清〜日露戦争で日本が勝つと日本と一緒になりたがり、日本が敗戦すると今度は欧米価値観至上主義でアメリカ文化が良いとなると、これに合わせてスグに大量のキリスト教徒が生まれる社会・・乱暴(社会実態無視で)にアメリカ式に法制度を変えていく社会です。
民族文化の基本である文字でさえ、戦後すぐに漢字を廃止しハングル文字だけにしてしまいましたが、10年ほど前には国家の基本枠組みである?戸籍制度も廃止しました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E6%BC%A2%E5%AD%97によると以下の通りです。
「1948年施行の「ハングル専用に関する法律」(略称: ハングル専用法)により、漢字廃止に法的根拠が付与される。「大韓民国の公文書はハングルで書く。ただし、当面の間、漢字をかっこに入れて使用することができる」が法律の全文だ・・・・
李承晩の時代には、小学校段階から漢字教育が行われたが、朴正煕は漢字廃止に傾斜を強め、1970年には漢字廃止宣言を発表、普通教育での漢字教育を全廃した。しかし言論界を中心に全廃への反対が強く、1972年には漢字廃止宣言を撤回し、漢文教育用基礎漢字(約1800字)[5]を定め、中学校及び高等学校の「漢文」の教育の一環として漢字教育を復活させた。が、あくまで選択科目であり、受験にもほとんど関係がなく、実社会でもほとんど使用されない漢字は、学生らの学習動機を呼び起こさなかった。また小学校での漢字教育は禁止され、児童に個人的に漢字を教えた小学校教員は、国策に協力しない者として懲戒免職などの重い処分を受けた。
1980年代半ばから、韓国の新聞・雑誌も、次第に漢字の使用頻度を落とし始めた。漢字教育をほとんど受けていないハングル世代が多数を占め、漢字を使用した出版物が売れなくなったためである。」
戸籍廃止だけではなく刑事制度も日本のように国情に応じた微温的改革ではなくアメリカ流にどんどん保釈する仕組みになっていることを2011-4-6「住民登録制度6(公示から管理へ)」で紹介したことがあります。
自国独自文化がないのでそれに対しするこだわりもないし、その時々の強い国の文化を丸ごと取り入れれば効率が良いという安易な発想・・一般に事大主義」と言われる文化背景はここにあります。
シンガポールなど多くの国では、近代文化を自国語に消化できないままで英語やフランス語を理解できるエリートしか理解できないまま独立を迎えました。
植民地時代の元エリート層がそのまま支配層になっている関係で、今でも英語を操れない限り言語能力がないと思い込んでいるから、日本人の殆どが英語を話せないのを知って、複雑思考のできない日本人か?と誤解する人がいる・と10年ほど前にどこかで読んだことがります。
「そう言う国がなぜ先進国になっているか分からない」と言う疑問だったとすれば、もう一息で元々の文化の有無に気がつく寸前まで来た・一歩進んだ意見になるかも知れませんが・・・・。
このように自民族固有の文化を知らないママ生きてきた民族にとっては、外来先端国の文化理解度が民族文化度を測る基準です。
この辺では漢文化を丸ごと暗記している自分の方が日本民族よりも偉いと5〜6百年間・・日露戦争の頃まで誤解してきた朝鮮人はもっと悲劇的です。
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