説明責任2(弁護士と医師の違い?)

間に入る人は、聞いて来た以外の事実は知らないので、弁護士の立場で気になる要点を質問してもそれを聞いていない人が普通で質問しても時間の無駄になります。
中には「要点を書いてください聞いて来ますから・・」という人もいますが、ある質問に対する答えがABC3通りあり得る場合、Aならばさらにabcdの4通りの質問がありうるし、その中のaの場合にはさらに①②③④のどれかについて突っ込んだ事実確認が必要な場合があります。
第一の設問でAか Bかすら記憶がないとか曖昧な答えの場合、「アイウエオのどれがありましたか」などの質問が必要なこともあります。
当事者から弁護士が聞きたいのは事実であって意見ではないのですが、事実と意見の区別がつかない人がほとんどです。
「こう言うことがあった」と言う場合、その結論自体その人の経験した生の事実を自分の知っている単語に言い換え要約した意見でしかなく事実そのものを語れる人は滅多にいません。
事実は自ら語るより聞かれる順に逐一語っていくものかもしれません。
訴訟の証人尋問では「質問されないことを話さないでください」と言う説明を裁判長が最初にするようになっているのはこの意味でしょう。
言いたいことをなぜ言わせないのか?と不満に思う人がいるでしょうが、言いたいことは証人尋問でなく「主張」として弁護士が整理して書いて出していますので、証人尋問では主張を聞く場でなく、主張した事実があったかの裏付けになるべき事実を聞く場です。
証人尋問の場で当事者の解釈した意見を聞くのではなく、そう思い込むに至った根拠として、裁判所はどういう事実があってそう思い込むに至ったかを聞きたいのです。
聞いてみたらABDの事実をABCの事実と誤解していた場合があります。
何故DをCと思ったかをさらに聞くと、イロの事実があればDと思うのが当たり前ではないですか!という人が結構います。
イとロの事実からCにはなるが、Dにはならない場合もあるし、証人の思う通りのこともありますが、それは意見主張であって自分の考えが正しいとは限らないので意見の押しつけは危険です。
パワハラ相談も同様でパワハラ被害という説明だけでは一応言いたいことがわかるだけであって、それが事実を表す単語ではありません。
弁護士にとって知りたいのは、どういう前後事情があって何を言われたりされたのか、どの程度の繰り返しがあったかなど具体的事実次第です。
その内容程度によっては、パワハラとは言えないことがありますし、立証できるかになるともっと周辺事情・誰と誰がいる前でこう言われたとかその人が証言してくれそうか?録音があるか?などが必要です。
診断書にパワハラで不眠症になったと書いてあっても医師は事実確認する方法がないので、その人の説明を記録しただけですので、その頃パワハラ被害を受けているという理由で診察を受けていた事実・・その頃第三者にパワハラ被害を訴えていた事実は証明できますが、事実の有無に関してはパワハラ被害者の主張のコピーにすぎません。
その場に居合わせた友人でさえも細部については記憶していない・前後何があったか知らないがいきなり大きな怒鳴り声がしたので振り向いて見たという程度の場合、上司が怒鳴ることがあった事実の証明が部分的に出来ることがありますが、(事実の再現はこういう部分証言のつなぎ合わせで成り立っていることが多い)このように目撃者とか同席者の場合でも知っていることは部分的なことが多いものです。
交渉ごとを客観化するためにわざわざ複数同席で出向いた場合でも、それぞれに事情聴取すると、片方は相方(同僚)が何を言い交渉相手が何を言ったか、細部の記憶がないか結論として違った印象を語ることが結構あります。
会話は複雑なもので、一直線に一貫した主張ばかりでなく、相手をおだてて見たり自己を卑下したり「硬軟両用」のモザイク的単語の組み合わせで成り立っているので、トータルで再現しないと真意が掴み難いものです。
極端な例で言えば、一人は相手が交渉をまとめる気がなく言いがかりをいってるから交渉を打ち切った方が良いと受け取り、他方はこの不満をうまく受けとめて改善すれば却って喜んでもらえるチャンスと受け取るような違いです。
単語の確認の場合、1方が、「自分がこう言ったら相手がこう言ったのをお前も聞いていただろう!と何回言っても、同席者が申し訳ないけど思い出せないということがあるものです。
人によって関心の持ちようが違うので、面談相手の説明の力点がどこにあるかの理解・記憶の要点が違うことが原因でしょう。
同じ経験をしていても記憶に残らない部分と残る部分が違います。
この端的な例が、高校時代の友人から、自分の言ったりやった古い記憶を持ち出されても、自分のことなのにまるで覚えがないことが多いことでわかります。
自分にとっては自然に出た言葉や行動であれば記憶対象でないが、驚いて見たり聞いたりした相手には新鮮だったりするから記憶に残るのでしょう。
一方でこちらの記憶に残っていること・一緒に〇〇の映画を観に行ったことなどについて相手の方が一緒に行ったことすら全く記憶していないことがあります。
アイウエオどれもなかったとなると、そもそもこういうことがあったという事実認識自体に誤解や記憶違いがないかの問題に発展することがあります。
持参した写真をいつ撮影したか、横から見たらどういう形の家かが問題になる場合もあり事案により色々です。
弁護士が聞きたい・必要なことを全部聞いてくる能力があると自信を持つ人がたまにいること自体不思議ですが、そういう人が間に入って本人を連れて来るのをいやがる?相談が来ると厄介です。
医療行為の場合、数日前からの容体変化について患者本人は痛みの始まり等の印象的説明は出来るものの・・いつ頃から声に元気がなくなったとか粗相が増えたなどの外形事実や体温脈拍変化等の説明は奥さんの方が詳しく説明できることが多い(というか自己認識とハタ目の認識のズレ)し、要介護になると介護者の説明や介護記録が必要な場合が多くなる点で患者本人説明に頼る要素の比重が弁護士受任と大幅に違うのがわかります。
また交通事故等の救急搬送や入院患者の容体急変など緊急事態など本人から聞く余地のない事例が多いことも大きな違いです。
寸秒を争って処置する必要がある時には、まずその手配を周りに指示し自分もその準備にかかりたいときに、事前説明の余地がない場合が多いのもわかります。
弁護士の場合いかに急ぐ事件でも、例えば急ぐので仮処分申請してくれと言われても事件内容の説明がないと申請理由・ストーリーも不明ですしストーリーに合わせた証拠集めの指示すらできません。

格差社会の構造(米中と日本社会の違い)2

中国歴代皇帝は遠方の巨大な国が誼を通じて来たという(信じていなかったでしょうが・・・騙されたふりをして?)相応のお土産を与える仕組みが千年単位で続いていたようです。
ですから日本の遣隋使や遣唐使などもほんのちょっと手土産を持って行けばその何倍もお土産をもらえるという結果になっていたのです。
朝貢といい、朝貢に来る諸国を属国のようにいう人がいますが、平和関係にるという程度の関係だったようです。
今でも外交関係を結ぶと大使が原則として相手国の元首との謁見をするのが原則ですが、その儀式を朝貢と言っていたように思われます。
日本は遣隋使や遣唐使を送っても朝鮮族のように冊封される関係になっていません。
テーマがそれましたが、中国では何千年ものあいだ、政府高官は自己の地位維持に汲々として相手から自国がバカにされるか、どうかなど気にしない国益より私益優先の生き方の社会です。
この種のことを世界中でしていただけでなく、昨日紹介したように事もあろうにアメリカ国内で、中国贔屓の議長との誼を本国にひけらかす目的で現地総領事が行ったようですが、いくら親中派の議員でもこんな露骨な文章をもらってそのまま議案提出するわけにはいかない・・度肝を抜いたでしょう。
これがトランプ氏の目に触れたのか?不明ですが、世界中で行なっていることが逆鱗に触れたのが今回の対中口撃騒動の影の主役のようです。
要するに宮廷内の権謀術数に慣れているものの、世間がどう思うか・・多様な目を読む経験がない中国人材の弱点が表面化したものです。
自由主義には独占の弊害が生じるとしても、だからと言って、独裁が良いのではなく独占禁止法という例外制度であるいは貧困の発生については労働者の団結権や争議権などの諸権利を認めたり、各種保険・福祉制度の充実などで対応する方がしなやかです。
さしあたり中国政府・官僚の宣伝競争の行き過ぎが原因で世界孤立化が進む状態になり、中国始まって以来生き抜く大事な知恵と思っていた行動ルールが世界に通じない過ちに気付いて内部は大騒ぎの状態でしょう。
同時に行われた中国政府報道官個人名による「今回のウイルスは米国軍人が撒き散らした」という意見表明も「こんなことを言えば米国が怒るのでないか?」などの配慮に気が回らない・・同じように。上層部の覚えを気にした点取り競争の結果だったのでしょうか。
上記の通り国際世論を読む能力はないとしても、中国の方が被支配者になった経験豊富な分だけ、米国よりもある程度国際政治適応能力が高い可能性があるかもしれません。
戦後は竹のカーテンで欧米との自由競争条件対等化=発展のチャンスを自ら閉ざしていたし、今はまだ共産主義政治→独裁による桎梏がブレーキになっていますが、共産主義政権が倒れ民主化され米中競争条件が同じになれば、こういう意味では、日本保守系ネットでは中国共産党政権の破綻期待が強いですが、共産党政権が倒れて民主化すると中国の国力発揮の制約がなくなり、さらに上がることになります。
中国が民主化されて人の道・道義を守ってくれるならば、(日本はもともとトップを目指す国はないので)どこが世界のリーダーになっても良いことであれば別に矛盾しませんが・・保守系ネット世論はそこまで割り切っていないように見えます。
ただし国際政治は専制政治に向かないので、(弱者の無言の意向を読み取る能力が中国にない点では米国とどっこいどっこいですので)複雑な国際情勢の読みではトランプ氏同様に日本の政治家を頼る必要が高いでしょう。
日本のネット論者の立ち位置を見ていると日本民族のためにという視点よりは、ともかく韓国、中国憎しという熱意中心のように見えます。
ネット言論人もいろいろですが、時には「アメリカが味方になるから日本の勝ち」「文政権はアメリカに見放されているからザマー見ろ」みたいな意見が散見され、正義の基準など問題にしないような意見もあります。
真の愛国者は正義が自国にあるかどうか及び、現実の国際政治の動向に即しているかが重要です。
正義が日本にあるのに不当な国際力学で正義が通らない場合憤るのは自由ですが、日本に正義がないのに米国の支持が日本にあるから・というゴリ押しをするようでは、長期的にみて日本を危険に追い込みます。
韓国も無茶を言う国のままでは隣国として困ったものですが、もともとそういう民族性だったのか、戦後米国が日本の背後で足を引っ張る存在を必要としてそそのかされてたので、虎の威を借る狐として正義に反する主張を繰り返す習性が身についただけかもしれません。
今になって韓国が米国に梯子を外されると、正義に反する主張をしてきた分に比例して苦難が待っているでしょう。
正義に反したごり押しをしていれば、自分の社会に大きな無理を抱えたままになる・・権力に媚びて無理が通る社会になってしまうと、自国社会の道義を歪めてしまうので結果的に発展が阻害されるので、本当の意味の競争相手・日本にとって脅威にならない点は同じです。
日本も自国主張が正義(時期にあっているかを含め)に合致するかどうかが重要で、米国が味方してくれるからという基準で強気に出るのは危険です。

格差社会の構造(米中と日本社会の違い)1

エリートのピンポイント輸入に頼る米国と中国の違いは、異民族支配に柔軟対応するために自前の士大夫階層(一種の官僚機構構成層・中堅人材)がかなり大量存在する=層の厚さが違う感じです。
日本がGHQ支配に柔軟対応できたのと同じです。
日本が中国のように異民族支配を受けた経験がないのにをうまく受けれられたのは、京の朝廷・公卿集団が、次々と勃興して来る武家集団をうまく手なづけてきた長年の経験プラス徳川体制下における外様大名の多様な生き残り経験を活かしたものでしょう。
中央の宮廷官僚だけでなく各地方ごとに、その種人材が多様に存在してい社会であったことが重要です。
中国や朝鮮民族の場合、占領軍・専制支配体制下の生き残り策なので政治工作対象が一点に絞られる単線構造に対して、日本武士団の覇者・幕府は連合政府形態なので同輩が多い点が特徴です。
大和朝廷も諸豪族連立で成立している関係で古来から合議で決めて行くのが慣例でしたが、武家政権になると戦闘場面の延長で指揮官の号令一下のイメージですが、実態はそうでもありません。
戦闘現場での大きな戦略決定・軍議でさえも日々軍議を開いて翌朝(払暁)からの手順を決めて行く仕組みですし、まして内政になると鎌倉幕府は執権政治・・合議で決めて行くのが基本でした。
その合議は、(中流御家人以下の民意吸収能力のある)有力御家人の意向など忖度して決めていかないと政権が浮き上がるリスクがあり結果的に民意吸収能力が問われる仕組みでした。
徳川政権下でも有力諸侯の意見を無視できないというよりは、有力諸侯とは発言力のある諸侯という意味ですし、発言力があるという意味は、中小大名の意向を汲み取り代弁するのに長けた大名という意味であり、時流に関係なく正論であれば良い社会ではありません。
水戸家が尊皇攘夷論では先行していたのに、肝心の維新本番ではほとんど役割を果たせなかったのは、民心や時流の動きとか無関係な主張をしていた・現在の野党的批判論でしかなかったことによります。
水戸家から一橋慶喜を出していて水戸勤王党にとっては期待の星でしたが、彼は名門の一橋家を継いだことで政治力がなくとも知的能力が高かったかもしれませんが、地位による発言力があったという意味でしかなく、中小大名でありながら実力で発言力を持っていた大名に比べて政治力がイマイチだった印象です。
学問と違い政治の世界では、時期尚早の意見を否決されて、自分は1年前から主張していたと自慢しても意味がないのであって、必要時に主張する能力が政治には求められます。
真夏にセーターを着たいと言って馬鹿にされた人が冬になって自分が半年前に言ったことが正しかったというと笑われるのと同じです。
幕末に松平春嶽その他の小大名の活躍、あるいは山内容堂の大政奉還論は、こういう能力があったからです。
大大名は軽率に旗幟鮮明にできないので、こういう中小大名のアドバルーンを利用して形勢を読み時流に乗る体制で、これは鎌倉幕府崩壊時の足利尊氏の動きとも似ています。
明治憲法下の内閣制でも総理は首班と言われたように、同輩のトップでしかないのが特徴です。
占領軍支配に対するにしても、日本は複雑対応人材が多様に存在していたので難局をうまく切り抜けられたのです。
中国は1極支配の単純支配に対応する能力はありますが、国際社会は複雑です。
今回のコロナ禍でも、結果的に個人情報を徹底的監視体制を応用してうまく対応できたというのが自慢のようですが、それを自分で世界に自慢して触れ回ることではありません。
今朝(24日)の日経新聞朝刊6pのフィナンシャルタイムズ提携の署名入りオピニオン紙面には、「自滅した中国コロナ外交の大見出しで、米国ウイスコンシン州議会議長に対して中国政府から「中国の新型コロナ感染拡大に対する取り組みを賞賛する決議案を議会に提出してほしい」という趣旨の電子メールが届き、メールには決議文の案文が添付されていて、その内容は中国共産党がイカに素晴らしく対応したかといった論点や主張が列記されており決議にかけるには怪しすぎたので議長はイタズラだと思って、その議長は、外国政府が、州議会に直接法案の可決を求めるなど聞いたことがない」とこの記事の筆者に語ったということです。
ところがそのメールが中国総領事館からの公式電文だったと分かったという驚きの記事です。
こんな運動をして相手がどう思うか全く念頭にない・・・自分が中央政府にどれだけゴマスリできるかしか眼中にない社会です。
岡田英弘氏の論文を読んだころの印象しか記憶がないので誤解も混じっていますが、魏志倭人伝があてにならない理由として、中国のごますり競争が背後にあって、当時実力者司馬氏と曹操の子孫の政争中で、一方が西域諸国のとりまとめに成功した報告があったので、他方は対抗上東方海上の大国(邪馬台国のことです)が朝貢に来ることになったと誇大報告する必要があり、このためにあちらに千里さらに曲って何千里とものすごい誇張した路程が必要になったという解説です。
同氏は魏志倭人伝の説明通りに地図を書いていくと日本はフィリッピンあたりになるオーストラリア大陸くらいの巨大な遠方の国になってしまうようなイメージをうけて読んだ記憶です。
このように朝貢の歴史といっても権力競争している方が、大げさなお土産を持って来たと披瀝しなければならないので一種の出来レースだったようで、周辺国はちょっとした土産を持っていけばそれを招待した政争当事者が何倍にもして、皇帝の前にお披露目する仕組みだったようです。

行為能力制度と資格の発達1

人としての資格・権利能力は、体の大きさや、性別、体格や頭脳、運動能力による差をつけられませんが、弁護士は国家の決めた試験に合格し訓練を経て弁護士会に登録して弁護士になります。
東大生も東大入試に合格して入学手続きして学籍登録して初めて東大生です。
このように全て、職業につく資格は能力差によって違いが生じますが、これは権利能力の差ではなく、人間としての同じ土台の上での行為能力の差になります。
民法では基本法ですので細かくは決めていませんが、権利の主体であっても赤ちゃんは自分でその権利を享受するための能力がありません。
このように考えていくと一定年齢まで自分で権利を守れない定型的場合を想定してその保護者が必要として行為能力制度設定をしたものと思われます。
ひとつには年齢による画一保護・未成年制度であり、もう一つは年齢を問わない無能力者制度(是非弁別能力欠如)です。
無能力制度は精神病にかこつけた人権侵害がありうるので、専門医の診断が要件になっています。
専門医も聖域化してくると悲惨な事件が起きます。
精神病院の人権侵害事件では、宇都宮病院事件が著名で詳細はウイキペデイアにでています。

1983年4月、食事の内容に不満を漏らした入院患者が看護職員に金属パイプで約20分にわたって乱打され、約4時間後に死亡した。また同年12月にも、見舞いに来た知人に病院の現状を訴えた別の患者が、職員らに殴られ翌日に急死した[2]。
1983年(昭和58年)、宇都宮病院に不法収容されていたA氏が、東京大学医学部附属病院精神科病棟を訪れ、宇都宮病院の内情を暴露し、告発する意志があることを伝えると、東大病院精神病棟内に「宇都宮病院問題担当班」を設置し、弁護士や日本社会党と協力し、朝日新聞社宇都宮支部とも情報交換を行う[23]。A氏の証言がきっかけとなり、入院患者2人について、殺人事件が立証されることになる
精神科病院ゆえの閉鎖病棟や閉鎖性により、上記の実態や患者死亡事件は公にならなかったが、事件の翌年1984年3月14日に、朝日新聞朝刊によって報道され、日本の世論の大きな注目を集め、国会でも精神障害者の人権保障の面から、日本国政府の対応が糾された[3]。地方公共団体の行政(都道府県)による病院監査も不十分であったため、実態の把握ができなかったこと、精神科病院の管理者を筆頭に、病院職員には倫理的な思考能力が欠落していたこと、日本社会の精神科医療に対する理解が、著しく不足していたことも背景としてある[34]。さらに、宇都宮病院には「必要悪」としての社会的存在意義が生じていた。宇都宮病院では、対応困難と見なされた患者を積極的に受け入れ、収容施設の様相を呈していた[37]。
家族間の人間関係の悪化により、措置入院させられてしまう場合もある。前述したA氏は、兄B氏によって措置入院させられてしまった[38]。A氏は、宇都宮病院を告発して民事訴訟を起こしており、1998年10月時点で第1審裁判が続いていた[39]が、2013年11月に死去した[40]。A氏は晩年まで宇都宮病院の廃院を訴えて活動していた。

このあと精神病棟の閉鎖性が改善され、千葉県弁護士会では先進的医療を進めていた病院の見学会を司法修習生対象に長年継続してきました。
今はその延長で、研修先病院を医療観察法制定後千葉県で受け皿主力になっている病院に変え(選択制ですが)研修を継続しています。
この20年前頃から意思能力に問題があるために資産等を守り人間として尊厳ある待遇を受ける必要がある人の大多数が、認知症患者に変わり家族の受け止め方も大きく変わりました。
意思能力に問題がある場合でも、ある程度の能力があるが健全な判断能力に欠ける場合に対する保護は準禁治産宣告でしたが、私が弁護士になった頃には準禁治産者として浪費者のほか瘖唖者などが定型として例示されていましたが、(耳が聞こえなくとも十分な判断力のある方がいます)昭和50年代頃から心身障害の名称を例示せず実質判断で決めるようになっています。

運動の成果

旧民法第11条の改正
1979(昭和54)年までは、ろう者は「準禁治産者(心神耗弱・浪費癖のため、家庭裁判所から禁治産者に準ずる旨の宣告を受けた者。法律の定める重要な財産上の行為についてのみ保佐人の同意を要した。)」と見なされ、住宅ローンの利用や家業を継ぐことも出来ませんでした。連盟の粘り強い運動の結果、1979(昭和54)年に改正されました。

現行民法は以下の通りです。

第十一条 精神上の障害により事理を弁識する能力が著しく不十分である者については、家庭裁判所は、本人、配偶者、四親等内の親族、後見人、後見監督人、補助人、補助監督人又は検察官の請求により、保佐開始の審判をすることができる。ただし、第七条に規定する原因がある者については、この限りでない。

行為能力制度と法の下の平等の関係について
法の下の平等という意味は、結果平等を保障するのではなく同じ能力なら、家柄身分性別等によって差をつけるのが不平等として許さないというだけです。

憲法
第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

自然人と法人1(私権の享有は出生に始まる)

民法は「私権の享有は、出生に始まる。」とナポレオン法典の思想そのまま導入・大きく出て、当時最先端の平等観をどーんと提示しました。
家柄や身分や性別、人種に関係なく、生まれた瞬間に100%の私権を享有すると宣言したものです。
人には外国人と日本人の区別があるだけです。
それだけではなく、それまで、徳川家、住友家などというものの、その当主の人格を離れて独自の権利主体でなかったのですが、各種集団にも一定の手続きを踏めばそうした主体になれる思想・・法の作った人=法人の二種類あることを同時に宣言しています。

民法
(明治二十九年法律第八十九号
民法第一編第二編第三編別冊ノ通定ム
此法律施行ノ期日ハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム
明治二十三年法律第二十八号民法財産編財産取得編債権担保編証拠編ハ此法律発布ノ日ヨリ廃止ス
(別冊)
第二章 人
第一節 権利能力
第三条 私権の享有は、出生に始まる。
2 外国人は、法令又は条約の規定により禁止される場合を除き、私権を享有する。
第三章 法人
(法人の成立等)
第三十三条 法人は、この法律その他の法律の規定によらなければ、成立しない。
2 学術、技芸、慈善、祭祀し、宗教その他の公益を目的とする法人、営利事業を営むことを目的とする法人その他の法人の設立、組織、運営及び管理については、この法律その他の法律の定めるところによる。
(法人の能力)
第三十四条 法人は、法令の規定に従い、定款その他の基本約款で定められた目的の範囲内において、権利を有し、義務を負う。
(登記)
第三十六条 法人及び外国法人は、この法律その他の法令の定めるところにより、登記をするものとする。

人は生まれた時から権利の主体であり、法人は法律の規定により成立した時から権利の主体になるという並列的な関係です。
ただし人は生まれつき、人としての規格に合致するかに関係なく仮に5本の指がなくとも歯が欠けていても目が見えなくとも人は人です。
ある人が集まりさえすればいいのか?と集まり、今から法人になると宣言しても法の定める一定の規格に合致しないと法「人」とは認めない仕組みです。
薬品は、国家が製造過程から介入し、薬品と認めた時から薬品であり、それまでは薬品でない(毒かも知れない?)というのに似ています。
普通自動車は、国が一定の規格に合致していると認めて認証(登録)した時に公式に道路を走れる車になるし、飛行機も同じです。
家の場合、建築基準法で定める以下の規模であれば許可なしに作れますが、それ以上になると建築基準法で定める細かな規制があってその基準に合致しない建築は違法ですし、場合にはよっては除却命令の対象になります。
人の場合、生まれてくる子が大きかろうと小さかろうと将来100メーター何秒で走ろうとどういう子供を産むかの事前申請や許可が入りません。
生まれた後の予定・この子はどういう仕事をしますと世間に表明してから生む必要も義務もないし子供も生まれてから親の約束に縛られる義務もありません。
人の規格に合わないからと建物のように違法建築物として除却されることもありません。
ここまでくると、戦後我が国で大流行したサルトルの実存哲学を思い出します。
人はあらかじめ設計図などなく(神は死んだ前提)、世界内存在として投げ出された存在・実存が本質に先行する思想に意外と合致します。
私の青春期にボーボワールと一緒に来日して慶応で講演して大ニュースになった記憶です。
本質もわからず、ただ青春の熱気だけでこれに反応していた若者でした。
https://www.mita-hyoron.keio.ac.jp/foreign-visitors/201601-1.htmlに出ていました。

朝吹 亮二(あさぶき りょうじ)慶應義塾大学法学部教授

ちょうど半世紀前、1966年の9月、慶應義塾およびサルトルの日本語版全集を出版していた人文書院の招待でサルトルとボーヴォワールが訪日し、三田山上で特別講演会が開かれた。

民法3条の条文は、明治29年国会通過の法案ですし、私権享有の考えはボワソナード民法時代からありそうな市民法の思想ですから、サルトルの実存主義などまだないとき・・いわゆるデカンショ・デカンショで半年暮らす(デカルト・カント・ショウペンハウエル)デカンショ節全盛の時代だったはずです。
ナチスの頃全盛期だったハイデガーもまだ若手学者か学生程度の時代かな?
こういう時期に「私権の享有は出生に始まる」→「人は設計図なしにただ投げ出された存在」(ニーチェの「神」は死んだ」を前提にしたサルトルの論理などという思想があるわけがないとも言えますが、そうはいっても存在論が20世紀にはいって大きなテーマであったことは間違いないところでしょう。
学者は先人の思想を受け継ぎ発展させるものですから、サルトルが大きな影響を受けていないとは言えません。
当時はまだDNAなど知らぬ時代ですので、文字通り設計図なく生まれて投企された実存・・サルトルの言うように自ら主体的にアンガージュマンしていく存在と言う実存主義哲学の時代でも解釈応用できそうな条文です。

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