非武装平和論3

周辺状況にお構いなしに非武装が理想とする勢力とアメリカの横暴を巧みに利用してこの間にしこしこと国力増進に励もうとしていた勢力・安保条約受入論による非武装あるいは軽武装論も結果は同じでした。
同じ非武装・軽武装論者でも本来の目的が違っていた(同床異夢)ことが、外部情勢変化ではっきりして来たようです。
政治と言うのは、いつもいろんな目的の勢力が当面目指していることが一致している限度で徒党を組み、ある時期が来たらその先の目的が違うことで分裂や新規グループ結束が生まれるものです。
現在は、周辺の脅威が現実化して来たのにアメリカが充分に守ってくれそうもない・・アメリカは、「日本がある程度自力で撃退しない限りアメリカは背後で応援出来ない・・日本もアメリカ軍にある程度協力しないとアメリカだけが一方的に守ってやれない」と言う姿勢を明らかにしています。
それでも、なお非武装論にこだわる人・グループは、私のようにイザとなれば警官が来てくれるから、非武装で良いと言う意見ではなく・・元々日本の安全を守る必要がないと言う立場・アメリカ軍が役に立とうと立つまいが関係のない非武装論だったようにみえませんか?
この立場では、主権国家に必須の自衛権を認めない・・非武装=占領政治・主権喪失を肯定しながら、反米行動・安保反対をしていた意味・・日本が非武装のままでアメリカ軍がいなくなるのを理想にしていたことになって、一貫します。
今なお非武装論を主張する人は・・「憲法9条を守る会」の主張を見ても、どうやって日本を周辺国の脅威から守るのかについての意見表明が一切ありません。
(私が知らないだけかも知れませんが?)
要点としては、憲法に書いてある・・憲法違反と言う主張しか伝わって来ず、非武装維持がどうして侵略阻止・平和に繋がるかの論理を聞いたことがありません。
弁護士など法律家の集団が「9条の会」と言うものを結成していて集会参加等の案内が頻りに来ますが、これまで憲法9条を守ればどうやって侵略を阻止出来るかの意見が全く見えません。
世界に誇るべき平和憲法だと言って、ノーベル賞受賞運動をしているようですが、アメリカの傘の下でぬくぬくとやって来られたに過ぎない点を理解したくないようです。
国民が知りたいのは条文の解釈ではなく、どうやって民族の尊厳を守るかです。
その議論の結果、現在の条文では国民を守れないならば、その改変問題が生じるのであって、(条文の字句をどう変えるとどう言う効果があるかは専門家の出番ですが・・)憲法論以前に国の姿をどうするべきかの議論が先にあるべきです。
従って、どう対応すべきかに関しては、弁護士だからとか、憲法学者だからと言って、一般国民より優越している訳では有りません。
どうすべきかの価値判断は、世論が決めるべきことです。
弁護士や法律家の・・「憲法違反の行動をやめろ」と言う集団行動や各種宣言・護憲活動は、憲法違反だからとの理由で健全な議論を抑圧する・自由な言論活動阻止運動と考えられます。
無防備平和論は、ユダヤの好きな民族国家自体の否定論者・戦前のコミンテルンの同調者に繋がるように思えます。
中国が欲しいと言えば、好きなだけ領土をあげれば良い・・攻めて来れば守る必要はないという意見は、日本と中韓の関係をどうすべきだと言う意見になるのでしょうか?
もしかして、・・日本をチベット族やウイグルのように中国の支配下に置いて弾圧されるままにおくべきだと言う意見とすれば、中韓にだけ国家の存在を認めて日本民族だけが主権放棄すべきだと言うことになり兼ねません。
ユダヤ系やコミンテルンの理想とする「国家などなくすべき」と言う意見とは違い、日本侵略の意図を明らかにしている隣国が存在する状態での非武装論は、何故か中韓の軍事強化は歓迎するかのような意見ですから、日本の民族国家だけ消滅すれば良いと言う一方的な矛盾した意見にはならないでしょうか?
元々コミンテルンの主張は、ソ連による世界支配を目指すために各国内に思想浸透を目指す・内部同調者を増やすものであって、戦争の原因になる国家をなくして平和な世界にしようとする思想ではありませんでした。

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