戦争と平和2(非武装平和論5と民族自決2)

世界中どこの民族でも、折角蓄えた富みを狙って近隣部族が侵略して来るときに、戦う能力があるのに戦うよりは平和がスキだから、異民族支配下に入りたいと自ら武装解除してしまった民族は歴史上皆無と言って良いでしょう。
(意見にはいろいろありますが、この点に関して反対論が皆無と思います)
戦力差・圧倒的に火力差が大きいにも関わらず、植民地独立戦争があちこちで起こり、(現在でもウイグル族やチベット族あるいは、ロシア周辺諸民族の抵抗運動・中東でのアラブ諸民族の抵抗など)それぞれ勇敢に戦って来たのは皆、民族自立を求めるためには平和を犠牲にすることも厭わない精神・・屈辱の平和よりも守るべき価値があるからでです。
ベトナム戦争その他の歴史を見ても分るように、戦争の惨禍を経ても、民族自尊を勝ち取る方が価値があると言うことではないでしょうか?
世界中で異民族支配に抵抗して多くの人が命がけで主権回復のために戦っているのに対して、非武装平和論は折角古代から連綿と続いて来た独立国家・日本民族を、敢えて戦わずして無抵抗のママ中韓の隷属下に置こうとしているとすれば、世界中どこにも存在しない不思議な意見です。
インデイアンや日本のように果敢に戦った上で、彼我の戦力差が大き過ぎて已むなく降伏することがありますが、今の中韓と日本ではむしろ日米同盟によってこちらの方が強いくらいですから(だから引き離すために反米基地闘争をしているのでしょうが・・)、何故自ら武装解除(非武装プラス日米同盟破棄)したいのか理解不能です。
今の非武装・無条件平和論では、周辺国である中韓が反日教育徹底の結果、両国内で日本に対する報復感情が渦巻いて(その結果日本侵略を公言して)いる状態で、日本だけ非武装・非同盟を選択すれば、相手に日本侵略の誘惑を引き起こす危険があります。
この環境で非武装・非同盟を実現すれば、「無抵抗・異民族隷属化を選べ」と言う結果を期待しているように見えますが、私のうがち過ぎでしょうか?
この世の中に自ら進んで他民族支配下に入りたい民族があれば、古代から戦争は起こっていませんし、平和の有り難さも問題になりません。
平和はむやみに侵略されない程度の武力を持って一定の緊張関係によってこそ、民族の尊厳を維持出来て戦争回避出来る状態にある・・これを「平和」と言うのが過去から現在に至る国際常識・教訓です。
平和は、背後に戦争を厭わない覚悟があってこそ維持出来るものです。
相手がどんな無理難題を言って来ても、民族の尊厳を踏みにじられても、ただ迎合するだけの状態を平和とはいいいません。
近所付き合いや友人・男女関係・交渉関係でも同じで、一定の緊張関係が基礎にあってこそ円満に長続きします。
相手がいくら図々しくてもニコニコして受入れるばかりでは、相手が厚かましくなるばかりで却ってうまく行きません。
まして、中韓では長期にわたる反日教育によって、日本への報復感情が凄まじくなっていることは明らかですから、どんな無理難題でも受入れる姿勢で、中韓の支配下に入ったら大変な目に遭うことは目に見えています。
非武装論者と人脈的に共通している左翼文化人は、中韓の無茶な主張に少しでも反論すると「日本はアジアの孤児になる」とか、西洋ではどうだと言う議論がスキですが、主権維持のため戦う必要がないと・・主権国家に国土防衛軍不要と言う意見は国際的にどこの国で採用しているかを明らかにしたことがありません。
非武装でしかもどこからも応援を求めるべきではないと言う集団自衛権否定論を実行すれば、侵略したい国のやりたい放題ですから、結果的に民族の独立・・主権は維持出来ません。
独立国が自国防衛する権利がない・・防衛しない方が良いと言う意見は世界中どこにもありません。
・・日本の非武装論者だけの独自意見です。
非武装でもその代わりどこかに守ってもらうならばまだいいですが、・・どこの国とも相互防衛条約・集団自衛権協定)を結ぶことにも反対する非武装論者は、どうやって国・民族を守るかの視点がありません。
(自衛しなくとも110番すればすぐに警官が駆けつけるシステムがあってこそ、近代国家では武器を携帯せず家におかなくていいのです・・犯罪の少ない環境・・危険な国家が近くにないことが前提です)

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