弁護士会強制加入と地域独占打破

弁護士会が受け入れ拒否した場合、実慾で修習生を受入れないことが何らかの法令違反になるかどうか・・・実際にそこまで行くと収拾のつかない亀裂になってしまいますので、疑問を持っても法的決着をつける動きにならない・円満解決の道を探る動きになるのでしょう。
法曹三者の場合、信頼関係がないと実務運用に支障が出るので沖縄知事のようなことは出来ません。
(本当はトランプであれ、韓国であれ積み重ねて来た合意を目先の利益のために一方的に破棄するとそのときには不利な契約破棄は有利でしょうが長期的にはその後遺症に苦しむことになるのが普通です・・翁長知事は日本国全全体と沖縄との関係にしこりが残る・・長期的信頼関係重視のニッポン民族気質から考えれない行動ですので敢えて外国勢力のためにそれを狙っているかの疑いを抱く人が増える原因です)
政府としては750人に増やすとき以来(250人増やすのに3年ほどの時間を掛けています)全て手順を踏んで日弁連と真摯に協議し同意を得てやって来た・・執行部の同意だけではなく、弁護士会臨時総会決議を待って進めて来た経緯があります。
責任は当時これを受入れた日弁連執行部にある・・そのとき弁護士大増員の旗ふりをして来た中坊元会長が厳しい批判対象になっています・・。
大増員の間違いが明らかになって来たとは言え、日弁連の意向を尊重して協議を経て来た重みを守るべき・・方向性修正するには2015年5月に1500人と決めた場合と同じような有識者会議の議を経る・・会議進行を早める努力をする必要があるとしても・・と言うのが政府の基本姿勢でしょう。
当面の解決は別としても昨日紹介したように5年も前から法学部希望者段階から縮小している現実・・法律家全体の地盤低下が進んでいる現状を見れば、結果的に1500人規模のままでは国家体制が持たない・・さらなる削減方向へ進めるしかないと思われます。
この意味では、千葉県会長の投げかけたインパクトは(そのまま直ぐに実現が出来ないとしても)政治的に時宜を得たものとなる可能性があります。
(内部的には執行部経験者を中心に対外意見表明ルール・慣行違反と言う批判の声が大きく内部で意見が割れていますが・それと対外インパクトの大きさは別でしょう。)
日弁連も過去の経緯を踏まえると、更なる削減方向へ修正するしかないにしても段階を踏むべしと言う原則論になり、・・千葉県の要求の方向性で努力すると回答すれば千葉県も矛を収められます。
その場合、今年9月発表の合格者数が実際にどの程度減ったかが重要ですが、前年とほぼ変わらず→ほぼ同数の配属が来た段階で千葉県の主柱によれば、日弁連全体で1000人以上の受入れ拒否すべきだと言う主張になりそうですが、その主張に日弁連が乗れないときにどうするかです。
千葉だけでも拒否シテこれに合わせて(合格者がほぼ変わらないのに千葉県への配属だけへらす?)他所に回すとした場合、千葉の「我がまま?」で済むのか?他所の県からも同様の主張が出たらどうするかと言う問題もあるので、日弁連対千葉県だけの協議での落としどころが微妙です。
この話し合いがつかず、千葉県に従来通り多くの修習生を配置して来たときに、千葉県弁護士会がその内1定数だけ拒否する・・(あいうえお順に何名までなど機械的?)しかないのでしょうか?
ここまで行くと拒否された修習生は行くところがなくなり混乱する・・政府としては、何らかの法的措置を検討することになり兼ねません。
強制加入と自治の関係に戻りますと、千葉県弁護士会で言えば、私たち同期入会員でちょうど百人を突破したところでした。
法務省の統計によれば弁護士法施行時の1950年にはその約半分でしたから、権力に対抗するための弁護士活動をするには、地域で団結していないと弁護士の権力に対抗する弁護活動が制約・・守れなかったでしょう。
ところが、今ではどんなに小さな県でも会員が百人前後に達していますし、千葉県でさえも今や800人近い大人数を擁しています。
東京では1つの事務所で数百人を擁する事務所まである時代ですから、都道府県で1つの単位会(東京だけ現在3単位会ですが)しか認めない合理性がありません。
権力と戦うためにはある程度の応援・団結が必要なことは確かですが、交通通信の発達した現在都府県単位でなければならない必然性はありません。
ちょっとした事件で全国的な大弁護団が結成されることが珍しくない時代・・単位会で個別事件の応援団を結成する応援する必要がない時代です。
そもそも団結の必要性ならば、一定人数以上の会員があればどこにでも設立出来るようにすべきですし、交通・通信の発達している現在では地域で縛る必要もないでしょう。
同一地域内・隣接都府県で数百人規模の単位界が入り乱れていたならば、思想や意見が合わないときには単位会を変えても事務所を移転する必要がありません・・現に東京3会はそうなっています。
顧客・消費者にとっても同一地域内に思想行動様式の違う単位会がいくつもあれば、サービスの違いを比べれば良いので却って独占の弊害を防げます。
品質競争は懲戒で脅すよりは、利用者・国民の選択に任せるのが妥当です。
こう言う時代になると戦後弁護士数が少ないときに無理矢理に一致団結の必要から始まった地域独占制度や弱者保護のためのクォーター制のような優遇策が今でも必要かの疑問となります。
一定地域内事務所設置義務の根拠は、日常的移動範囲を超えた地域に複数事務所を持つと名義貸し・非弁活動の恩賞になる弊害がありましたが、今は弁護士数が多いのでそう言う弊害もほぼなくなって来ました。
核弁護士会で非弁チェック体制整備が進んでいる結果、戦後直ぐとは格段に違っています。
規制も社会の変化に合わせて行くべきです。
強制加入制度を直ぐにやめられないとしても道府県に単位会が1つと言う地域独占をやめるだけでも、多くの問題が解決するように思われます。
地域にいくつも単位会があって、例えば隣接都道府県のどこにでも加入出来る・・スキな会を選べれば、政治活動が許されるかどうかの議論の必要性が殆どなくなります。
弁護士会の政治活動が問題になっているのは、会員の政治信条反する行動が許されるかの問題ですから、11日紹介した高裁判決の結果、日弁連が何をしても良いかのような解釈をして、それぞれの単位会がどのような意見発表し運動しようとも、その主義主張に共鳴した人の集まり・自由に脱退出来るならば勝手です。
人口百万以下の小規模県では従来どおり1県に1つしか出来ないとしても隣接県に登録出来るようなれば大分緩和されます。
(隣接だけではなく関東や近畿で言えば地域内のどこに本拠のある単位会に入ってもいいなど・・)
顧客も通勤等の関係で自宅近くよりは隣接都府県の勤務先近くの弁護士に頼むことが多いのが実態です。
千葉県の住民の約半分以上は通勤の都合で都内の弁護士を依頼しているとおもわれます。
強制加入・施設に入った客が外に出て食べるには不便・・逃げられない・公的施設内等にある飲食施設が最初は独占の利益を受けますが、その内総じてサービスが低下し閑古鳥が鳴いていることが多いのと同じで・県単位で縛ることはないでしょう。
世の中で共産主義や社会党支持者が数%〜5%前後しかないのに、弁護士会構成員だけ百%の支持者であると言うのは会の政治意思の表現としては無理があります。
野党好きの人が多い傾向があるとしても6対4とか7対3ならばまだしも全員の名で野党系主張の政策に支持表明をしているのでは、却って内部実態に合っていないことが推測されます。
無理をしていると囚われの客・会員が逃げようともがき出すと、弁護士自治が内部から崩壊します。
ところで、日弁連や単位会が近年政治色を何故露骨に強化し始めたのでしょうか?
私が若手で公害対策委員だったときの経験では、はっきり共産党員を名乗る委員長であっても「そこまで書くのは弁護士会としては無理・個人的に運動するならば別だが・・」と言うような抑制する意見が普通でした。
ところが今では「弁護士会がそこまで言って良いの?」と言うような政治的露骨な意見表明が普通になって来ました。
憶測ですが背後で応援していたときには、自分から政治色を出す必要がなかったので鷹揚に構えていられたのですが、支持政党が衰退している・・国民が支持していないときに応援団が前面に出ることが多いのですが、却って政治色が目立ってきます。
応援団は応援に留まるべきで、選手に代わってグラウンドに出てプレーすべきではありません。
日教組その他政治色の強い労組から順に組織率が下がる一方になって久しい状態で、生き残っているのは強制加入の弁護士会だけ?なので余計ワル目立ちます。

弁護士会の自治と強制加入制2

入り口・・・戦後弁護士自治を考えるときには、自治などうるさく言わない企業でも採用は自前でやっています・・弁護士になる資格試験も自前で行うべきであったでしょうが、これを怠り強制加入制度だけ?に関心があったように見えます。
採用試験を自前でやるには体制不備・能力がなかったからと思われますが、必要性の意識・心意気さえあれば大学等とタイアップすれば何とかなる点は政府と同じです。
裁判官・検事と同じ試験と言う格上げに魅力を感じたからでしょうか?
資格試験・司法試験→司法修習終了試験・・法曹資格付与までを政府が行う制度ですが、大卒が応募しても企業が雇用する義務がないように弁護士会加入を拒否出来る権利があれば問題がありません。
千葉県弁護士会では登録申請があると常議員会の議決を経て日弁連に進達する仕組みですが、常議員会が有資格者であっても会員数が多くなり過ぎるからと言う理由で拒否出来ないようです。
企業の新人採用のようになんら根拠なく今年は何人までと言う制限が出来れば常議員会で議論の余地がありますが・・何らの裁量権もなく資格の事実確認だけ・資格があれば拒否出来ないならば、何のための審議議事項になっているのか?実際事務局の事前チェックでクリアーしていると言う説明だけで、それ以上踏み込んだ議論は殆どありません。
資格の有無は重要事項だから慎重審議するために形式上常議員会審議事項にしたと言うことでしょうか?
4〜5年前に千葉県では登録するに推薦人が必要と言う会内ルールに反して推薦人不足だったか、なしの申請に対して受理するかどうか事務局で迷った事案がありました。
法律上の要件がある限り拒否出来ない・・応じなければ最後は裁判まで出来る仕組みが出来ています・・最後は裁判所が決めるのですから、自治と言っても実は尻抜けです。
一般のそば屋八百屋・・どこの企業でも、大学でも研究会でも旅行仲間でもどう言う基準で仲間に入れるか・・採用や仲間に加えるかどうかの基準造りはその組織の自由ですが、弁護士会だけは仲間に入って来るのを拒めない一般組織よりも自由がないのに自治があると自慢しているのですから奇妙です。
懲戒権があると言っても弁護士会に限らずどこの企業でも組織である限り、内部規律のための懲戒制度があります。
民間企業内の懲戒との違いは不満があれば裁判して無効確認や損害賠償を求められ点が一見違うようですが、弁護士会の懲戒制度も最終決定権がなく不満があれば最後は高裁に訴えることが出来るので、地裁から始まるか高裁から始まるか程度の違いでしかありません。
政府から直截懲戒されないと言う点が画期的?かも知れませんが、普通の民間企業でも政府がある企業の部長や課長を降格させろと直截命令する権利がない点は変わりません。
民間団体か行政部内の下位組織扱いかの違いです。
弁護士は、戦前まで民間との区別がはっきりしなかったかも知れませんが、今の時代で考えれば民間団体に違いないのですから行政が直截指揮命令出来ないのは当たり前です。
弁護士会が入会を自由に拒否出来ない根拠法を見ておきましょう。
弁護士法
(昭和二十四年六月十日法律第二百五号)
(登録又は登録換えの請求の進達の拒絶)
第十二条  弁護士会は、弁護士会の秩序若しくは信用を害するおそれがある者又は次に掲げる場合に該当し弁護士の職務を行わせることがその適正を欠くおそれがある者について、資格審査会の議決に基づき、登録又は登録換えの請求の進達を拒絶することができる。
一  心身に故障があるとき。
二  第七条第三号に当たる者が、除名、業務禁止、登録の抹消又は免職の処分を受けた日から三年を経過して請求したとき。
2  登録又は登録換えの請求前一年以内に当該弁護士会の地域内において常時勤務を要する公務員であつた者で、その地域内において弁護士の職務を行わせることが特にその適正を欠くおそれがあるものについてもまた前項と同様とする。
3  弁護士会は、前二項の規定により請求の進達を拒絶する場合には、登録又は登録換えを請求した者に、速やかに、その旨及びその理由を書面により通知しなければならない。
4  弁護士会が登録又は登録換えの請求の進達を求められた後三箇月を経てもなお日本弁護士連合会にその進達をしないときは、その登録又は登録換えの請求をした者は、その登録又は登録換えの請求の進達を拒絶されたものとみなし、審査請求をすることができる。
上記のとおり登録拒絶された者は審査請求出来る上に最後は高裁に訴え提起出来る仕組み=上記法定理由がない限り高裁で負ける仕組みですから、企業のように「今年はいらない」と断れません。
資格試験が一杯ありますが、大卒、運転免許、医師、鑑定士などなど・・・資格者全員を企業が雇用する義務はありませんが、強制加入制度になった以上は、有資格者の登録拒否は認められない・・全員加入を認めるべきと言う制度設計になってしまったように思われます。
強制加入制にこだわった結果、却って変な制度を引き込んでしまったのではないでしょうか?
給与を払うわけじゃない・会員にするだけだから良いでしょうと言うことですが、政府がスキなように弁護士を増やして行くとどうなるでしょうか?
政府が合格者数を決めてしまえる・一方的に粗製濫造・合格者を増加されても弁護士会はこれを防ぐスベがありません。
需要無視で無茶苦茶合格者を増やして試験レベルを下げれば、たちまちレベルが下がる上に過当競争になるので、イキオイ不祥事が増え・・弁護士に対する社会の信用が損なわれます。
そこまで行かなくとも、食えない噂が広まれば職業としての人気が下がる・・優秀な人材が応募しなくリスクがあります。
層なると弁護士が反権力の姿勢を維持出来るのでしょうか?
不祥事が起きれば懲戒処分すれば良いと言っても、不祥事が増え過ぎると全体の信用が落ちますし、(犯罪がいくら増えてもドシドシ処罰すれば良いと言うのでは、国民が不安なのと同じです)もっと言えば、違法行為すれすれを規制すれば足りる時代からよりよいサービス競争になって来ると懲戒制度だけでは、国民の期待する品質・・信頼を弁護士会は維持出来ません。
昨日紹介したように、弁護士自治のために弁護士の品質保持のための懲戒制度が必須と頑張ってそのためには全員加入していないと、懲戒の実が上がらないと言うことから、強制加入制度を要求したようですが、国民の信頼・需要は時代によって変わる・・悪いことさえしなければ良いのではなく、今では品質が重要です。
飲食業で言えば食うや食わずのときには、食中毒にさえならなければ良い・保健所の衛生検査・規制で良いのでしょうが、豊かになると食中毒を出さないのは最低レベルの基準であって、よりおいしいか・見た目や店内雰囲気やサービス満足度など多様な基準がより重要になりますが、この差は保健所規制・・強制に馴染みません。
飢えに苦しみ品質よりも量が重要なときに共産主義・規制主義が合理的だったかも知れませんが、よりおいしいものが欲しくなると自由主義社会の方が可能性があります。

弁護士会・強制加入の必要性があるか?1

公式弁護士会に対抗する集団結成のコスト負担が新集団結成の妨害・抑制にはなるでしょうが、不満者が増えればいつかは反対組織が生まれて来るでしょう。
そうなると自分たちの集団も公式の単位会として認めろ=「会費の二重払いは御免」と言う運動に発展して行きます。
結果的に「一定数以上の会員が集まれば別の単位会を作る自由を認めろ」となり、将来的には強制加入制度が空洞化して行くリスクを孕んでいます。
一旦この動きが始まってしまうと外部勢力を巻き込む結果、会内だけでは収拾がつかなくなりますから、主流派がそこまで追い込まない自制心が必須です。
ここで弁護士自治の制度的担保とされている強制加入制度について、思いつき的ですが検討してみたいと思います。
弁護士は人権擁護が主目的ですが、多くは社会の少数派・ひいては社会多数から指弾されている人・権力から迫害される人をそれでも弁護するのが本質的立ち位置です。
その極端な場合・犯罪者とされている場合でもその人の立場になって耳を傾けてみる・・被告人は気がつかついていないが弁護士の立場で調査してみると色な証拠が出て来て無罪のこともあるし、有罪には違いないが、相手にかなりの落ち度がある場合の外社会制度に問題がある場合など、いろんな隠れた事情があります。
社会から圧迫されている人の極端な場合である刑事被告人まで行かなくとも、その前段階で村八分のような人権侵害を受けている人もいます。
こう言う人の立場になって弁護するのは、その弁護士まで一緒に非難される危険があってとても勇気がいるものです。
「勇気があるからこそ弁護士になっているのでしょう」と言えば簡単ですが、やはり人間の強さには限界があるので支えあい励ましあう仲間が必要です。
難病その他困った人たちの支えあう会が有効なのと根が同じです。 
弁護士数が増えて行くに連れて同業者内意見交換的グループが発生してその内地域別・・全国組織に発展して行ったと推測することが一般的に可能です。
ただ、一般的歴史を見ると前近代・・ギルド制度の延長で、権力支配貫徹のために許可を受けた者しか業界参入を認めない・・許認可・強制加入制度は弁護士会に留まらず、全ての業界を通じて元々政府による統制支配の道具でした。
弁護士会も例外ではなく、多分司法省の監督権があって監督便宜のために強制加入になっていたのです。
職権処分も出来る睨みを利かしながら各種業界内で自主的処分をさせて(異議申立権を与えて監督官庁の最終処分にする)間接統治するのが近世以降統治の普通形態でした。
例えば今でもヤクザと警察のなれ合いがトキに問題になりますが、暴力団組織を完全に粉砕して全員一匹オオカミ状態になると情報収集が極めて困難になります。
「・・そこまでやると黙ってない・・兎も角これだけの事件をやった以上は、シラを切っていると組織壊滅までやりますよ・・」と言う脅しが利かなくなる・・これが良いか悪いかの議論は別とてこうして取締側も何とか格好がついている場面があります。
組織の方は「あいつははぐれ者で大分前から組織を抜けているので・・」と逃げを打っても・・それなりの人脈がある筈だからかそこを組織の力で探し出してくれと言う「脅し」が入ります。
これが捜査能力の低い天領中心に幕末各地で顔役・・侠客が成長して博徒など違法集団の二足のわらじがはびこった背景です。
想像は別として、権力統制・・各種業界に張り巡らされた強制加入制度を戦後民主化のためにGHQがドンドン破壊して行く中で、弁護士会(だけ?)に何故強制加入制度が残ったのか?逆張りの関心になって来ます。
弁護士会の論理によれば、自治が貫徹されれば、政府統制の害がなくなるから強制加入を制を残しても非民主的にならない・・という存続要請論理は戦前の強制加入制度存続のための論理です。
政府による統制のためにあった強制加入制度を「自治に必要だから」と存続運動して成功し、今も強制加入制度こそ自治の本丸・死守すべき制度と言うのですが、元々政府による統制のためにあった制度の存続によって、残っている制度だと知っておく必要があるでしょう。
戦後弁護士自治が始まったばかりの弱いときに、任意加入になると組織に人が集まらない・・自治が維持出来ないと言う弱みがあったのかも知れません。
http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/jfba_info/statistics/data/white_paper/2015/1-1-1_danjo_nenrei_suii_2015.pdfのデータによると1950年で全国5827人です。
私の登録した1974年では、9830人ですから、1950年から約二倍に増えています。
私が1974年に千葉県弁護士会に入会したときに私たち新規会員をプラスして漸く100人を超えた記念すべき年でしたが、その前・・約1年半実務修習していた栃木県弁護士会では、会員数が全県下で40人前後の印象(お客様・・お世話になっていただけでしたので詳しい数字までは知りません)でした。
50年比で約二倍になっていると言うことは、50年ころには、栃木県・・多くの地方県では20人前後〜終戦直後ではもっと少なかったでしょうから、自由参加では組織体にならない・・全県一区の単位会強制が必要であったことが想像出来ます。
以下はhttp://kounomaki.blog84.fc2.com/blog-entry-988.htmlの引用です。
GHQの・・「リーガルセクションは、当初、強制加入を「好ましくない」とし、さらに日弁連会員が、弁護士会と個人弁護士であるという二重構造の必要性も疑問視したとされています。これに対し、水野東太郎や柴田武は、次のような論法で説得したといいます。
 ① 強制加入を認めないと、少なくとも刑罰に至らない程度の非行の責任や弁護士一般の信用を害する行為の責任追及を断念するか、他の機関に委ねなければならない。このことは、せっかく確立した弁護士会の自由独立を捨てるか、弁護士一般の信用の危殆を傍観するしかないことになる。
 ② 弁護士会が官庁の指揮監督を離れ、独立自由を獲得するために強制加入があり、これによって団体自治が確立され、真の法的自治ができる。
 ③ 日弁連への二重加入は、弁護士に対する懲戒手続きを各地の弁護士会が追行しない場合、日弁連が直接懲戒する必要が生じるためである。(第二東京弁護士会「弁護士自治の研究」) 
上記は書いた人の要約ですから正しいかどうか分りませんが、主張の中核が弁護士一般の信用を害する者に対して懲戒処分・統制が利かない→品質保持出来ないと弁護士に対する信用が崩れ、ひいては自治が維持出来ないと言う点にあるようです。
弁護士会の自治の必要性を自明の前提として根拠を書いていませんが、自治を維持するには(選挙等による確認によらないとしても)国民の弁護士全体に対する信頼・支持が必要と言う趣旨でしょう。
この論理から言うと入って来た後の弁護士の品質チェックには自治・自主的懲戒処分権があるだけで、加入を認める入口での資格チェック権がないと一貫しません。
権力に楯突く弁護士などは少ない方が良い・・試験を余程の秀才でないと合格出来ない・・厳しくして弁護士を出来るだけ少なくする政策の場合、弁護士会側からすれば入り口の品質保証は問題になっていなかったように思われます。
強制加入制存続要望の本音は、任意加入だと人数が少な過ぎて「発言力のある団体」にならない心配が中心だったからではないでしょうか?
反権力になり易い弁護士は少ない法が良い・・立派な資格だから厳重なテストが必須として合格者を絞って来ましたが、その結果却って弁護士に対する信用が上がります。
そこで、これを逆張り的発想で政府が弁護士の品質劣化を招くために資格試験を易しくして大量供給すればどうなるかの実験をしたのが平成の大量供給政策でした。

政党と弁護士会・学者の違い4

弁護士会の政治行動の場合、日弁連が国に1つしかない・・消費者が選べません。
学問の自由の場合、(学会内部で能力のない人が牛耳れても)権力が介入出来ない代わりに企業内研究所との競争や国際競争があります。
内部で多数派の横暴があっても弁護士自治を理由に外部がチェック出来ない・・しかも市場競争もない・・これにあぐらをかいているとどうなるでしょうか?
ここ10〜20年に及ぶ弁護士大増加政策がテーマになっていますが、市場競争をもたらしつつある点はプラス評価すべきかもしません。
どんな業界でも苦境が来ると先ずは価格競争やサービス低下に走るのが一般的ですが、価格競争を脱して新機軸を出せた企業だけが新たな時代に生き残れるのです。
弁護士会も大量増員後多くの弁護士は目先の価格競争(本来国選や法律扶助→法テラス案件では事務所維持費が出ない・・収支マイナスなので「公益義務」として受任義務が弁護士倫理として掲げられている状態でしたが、この15年前後ではこれを争って受任する傾向・・これが主たる収入源とする若手〜中堅が激増して来ました。
元々事務所家賃その他経費ににならない程度の報酬しか出ないので受任義務を課していたのですから、これを主たる収入源にしているのでは若手の貧困化は推して知るべきでしょう。
この勢いでその他一般民事でも受任単価低下競争や同じ単価で従来基準の何倍もの手間ひま掛けるサービス競争などが進む一方になって来ました。
良質サービスが低廉化するのは、消費者にとっては良いことですが・・中国の出血輸出同様で、原価割れ競争は長く続きません。
この結果弁護士界の疲弊が進む一方で、(この種統計が出ていますので、周知のとおりです)司法試験受験魅力激減→優秀な受験生の敬遠・能力低下の悪循環・・商品で言えば品質低下が始まりました。
いわゆる「産みの苦しみ」に堪え兼ねて?大増員政策に対する大反発が起きていますが、これを転機に新業態工夫の大転換に動く契機に出来るかどうかは弁護士業界の能力次第と言えるかも知れません。
ただし、弁護士業務の場合にはマンツーマンでしかも懇切丁寧な説明が従来以上に求められているので、高齢者〜身障者など弱者向けサービス・・従来の何倍も説明などの時間が必要になる・・一般産業のような効率化努力の逆方向に進んでいます。
社会の進化と逆方向かと言うと今後AI化が進めば進むほど社会で余る労働力が癒し系?マンツーマンサービス濃厚化に進む筈ですから、間違った方向とはエ言えません。
健常者向け弁護士業務自体も事件そのものが例えば離婚原因も暴力のような単純系から、長い間の確執がテーマにするようになって来ると長時間事情を聞かないとどちらが悪いから分らない事件が普通になって来ました。
医師の3分診療批判が良く言われますが、大規模病院ではバックシステムの効率化がありますが弁護士業務の場合、元々事務系の業務に占める比率が低い結果、システム化よりは、(携帯電話やパソコン普及で電話番、タイピストや、郵便宛名書きや書類お届け要員もファックス利用で大幅に減りました)バックシステム不要化が逆に進んでいる状態です。
人数さえ増えれば、新規業態を発明発見出来るよう分野ではありません。
少数派無視の政治運動に戻しますと、どこかで書いたと思いますが、自治を楯に外部に口出しさせない制度に頼っていると逆説的ですが、自治を破壊する遠因になります・・大増員政策採用は唯我独尊に対する社会からの逆襲の一環だったかも知れません。
この大増員による弁護士業界の地盤低下政策は失敗だったように思われます。
弁護士会内部でも、大増員政策に最も激しく抵抗していたグループは、もともと反政府運動が生温いと言う(過激な?)勢力が中心になっていたことからも政府による大増員の本質が透けていました。
ところが、大増員による弁護士会追いつめ政策によって、弁護士し業界の仕事の質がその割に下がらず・・消費者側の信頼指数が下がらなかった上に・・大増員反対運動は思想的に見て弁護士会内の左右を問わない共通意識になって来てしまいました。
政府が弁護士業界を増員で追い込み過ぎたので多くの若手弁護士が左翼系牙城の消費者系などに吸収されて行ったことや貧困化が進んだ結果、左右勢力が内部争いをしていられなくなって、却って増員反対では左右一致団結になったように見えます。
今や従来単位界や日弁連執行部を握っていた主流派=言うまでもなく反政府運動中心母体ですが、対外交渉をして来た結果、(その分いろんな妥協をして来た)主流派と妥協を許さない過激(原理)系の争いが表面化して来て保守系が表面に出る幕がなくなっています。
世間から見れば殆ど政党と言えないほど惆落した旧社会党同様の主張に凝り固まっている最左翼に見える日弁連主流派が、弁護士会内では穏健・中道グループになってしまったことになります。
日教組や旧社会党のように純化が進めば進むほど社会意識から遊離して行きます。
ところで、弁護士全体が疲弊→弁護士になる夢がなくなると応募者レベルが下がります・・日本産業界の国際競争上問題が出て来る・・世界で互角に戦える人材養成には数十年以上かかりますが、結果が出てから人材優遇を始めても数十年以上の空白が生じてしまいます。
今は国際競争は武力や技術力だけではなく、海外進出計画段階から現地法務事情の研究アドバイスから必要で・・中間的には知財の争いその他法的争いが主戦場になり、将来的に国際司法解決による場面が増えて来ると国際裁判所等へ人材供給層を厚くしないと日本の国益を守れない時代がやって来ます。
こうした数十年先の弊害を考えたのか?(日弁連の努力もあるでしょうが・・)1昨年から政府は産業界の危機感を背景に弁護士会敵視政策を程々に修正せざるを得なくなったようです。
1昨年から合格者ワクを2000人を1500まで下げ、昨年だったか司法修習生に対する給費制復活も認めましたが、その程度の修正で様子を見ているのでは、収まらない状態になってきました。
以上の結果を見ると政府・・外部からの大増員圧力・・弁護士会の地盤沈下を力づくで押し進める政策は失敗だったことになります。
政治活動の是非は国民世論の動向による内部改革努力を待つ・・高裁判決のように自治能力に委ねて口出ししないようにするしかない・・弁護士会の自発的民主化しないことになって来ます。
北朝鮮も穴時で圧力をかければ余計依怙地になるだけと言うことが一杯あります。
政府が口出しし圧力をかけなくとも、少数意見が無視される不満が鬱積して来ると、普通の組織の場合不満な人の脱退する(フィットネスクラブでもサービスが悪い飛とどんドン入会者が減りやめて行く人が増えます)のですが、弁護士会の場合強制加入なので脱退すると弁護士資格を失ってしまいいます・政治的意見の違い程度で折角の取得した弁護士を辞めるしかないのでは、不満があっても脱退出来ません。
そこで意見の合う者同士でさしあたり派閥みたいな集団結成が行なわれることになるのでしょう。
今のところそう言う動きがまだ起きていない・・あまり知られていないと言うことは、少数意見の不満が大したことがないとも言えます。
私的な派閥を結成すると派閥維持経費が別にかかるので、派閥加入者は既存弁護士会費との二重負担になります・・。

政党と弁護士会・学者の違い3

革命の成果によって憲法が制定されることが多い歴史を見ても分るように憲法内容をどうするかこそは、多くの政治運動の中でも優れて政治的要素が高い・・最も尖鋭な政治そのもの・中核行為です。
憲法・・国家の基本がどうあるべきかの尖鋭な(多くは血塗られた革命の結果生まれています)政治運動ですが・・、これを憲法遵守義務から導き出して弁護士会の目的の範囲内・高裁判例を引いて、弁護士の思想信条を侵害する政治運動ではないと言う主張は「現行憲法が改正されるまでは現憲法を守るべき」と言う遵守論と議論をすり替えているように思われます。
非常識なすり替えをそのまま言い張る体質を見ると、北朝鮮や中国が何かあると自己の非を棚に上げて「全て日本が悪い」と言い張るのと似て、専制支配の思想体質の延長で見れば理解可能です。
権力を持つ者が「馬を鹿」と言い張っても廻りが「違います」と言えない社会・権力さえ握れば「黒を白」と言い張れる歴史経験が強固で、その思想影響下にある場合、民主国家においても外部の影響力を遮断出来る組織内では、こう言う無茶な主張を言い切って持続可能です。
すなわち、日弁連や単位弁護士会は政府から独立性があって、外部世論による修正余地がない・・独立性担保がある点で「唯我独尊」的になり易い制度的欠陥を持っています。
内部的には専制支配でないものの、外部批判を一切受け付けない・・国民支持を直截必要としていない・・専制君主以上の権限があります。
絶対君主でが王権神授説を必要としたように、権力と言うものは何らかの正統性担保が必要です。
共産党一党独裁とりわけ、スタ−リン独裁の正統性のために、下部組織から順次の意見持ち上げ組織であるから一党独裁は民主的制度であると言う言い訳が一般化していました。
・・私の司法試験受験時に選択した政治学では、当時その道のオーソリテイーの基本書で勉強しましたが、「独裁は民主主義の一方式である」と政治学原論で習った記憶です。
そのころには「北朝鮮は地上の楽園」とマスコミで賞讃されていたことを考えると昭和30年代半ばの頃に政治学の権威者になった人ですから当時の学会では共産主義礼賛のまっただ中だったからでしょうか?
「地上の楽園」検索で出た本日現在のウイキペデイアの記事です。
帰還事業・・1959年12月14日に最初の帰国船が新潟県の新潟港から出航し[2]、数度の中断を含みながら1984年まで続いた。
「在日朝鮮人の間では、朝鮮戦争による荒廃からの復興が進まず、また政情不安を理由に、韓国への帰国を不安視する一方で、社会主義体制のもとで千里馬運動により急速な復興を実現したとされていた北朝鮮への憧れもあった。当時、北朝鮮と韓国の体制間競争は北朝鮮が優位に立っており[注 1]、朝鮮総連は北朝鮮を「地上の楽園」「衣食住の心配がない」と宣伝し、それに呼応した日本の進歩的文化人・革新政党・革新団体が繰り返し北朝鮮の経済発展の様子を伝え、在日朝鮮人に帰国の決意を促した[6]。特に北朝鮮を訪問して礼賛した寺尾五郎の『38度線の北』は、帰国希望者に大きな影響を与えたといわれる」
「吉永小百合主演の映画『キューポラのある街』で知り合いの帰国を喜ぶ場面があるように、一般の日本人も帰国事業に概ね好意的だった。このため、日本のマスコミは左右を問わず帰国事業を人道的な事業と捉え、新聞各紙はこぞって帰国事業を歓迎し賛同する記事を書き連ねた。1959年12月24日付産経新聞の「暖かい宿舎や出迎え/第二次帰国船雪の清津入港/細かい心づかいの受け入れ」、1960年1月9日付読売新聞の「北朝鮮へ帰った日本人妻たち「夢のような正月」ほんとうに来てよかった」、さらに1960年2月26日付朝日新聞に、次のような記事が掲載されている。
“ 帰還希望者が増えたのはなんといっても『完全就職、生活保障』と伝えられた北朝鮮の魅力らしい。各地の在日朝鮮人の多くは帰還実施まで、将来に希望の少ない日本の生活に愛想を尽かしながらも、二度と戻れぬ日本を去って“未知の故国”へ渡るフンギリをつけかねていたらしい。ところが、第一船で帰った人たちに対する歓迎振りや、完備した受け入れ態勢、目覚しい復興振り、などが報道され、さらに『明るい毎日の生活』を伝える帰還者たちの手紙が届いたため、帰還へ踏み切ったようだ」
話題がそれましたが、昭和3〜40年代には委員会方式が民主的運営方式として賞讃された時代で、ソ連崩壊後の今でもこれが続いている印象です。
弁護士会の会内民主主義も、全て下部委員会からの持ち上がりで機関決定を経ていることは確かです。
ソ連が崩壊した現在これが・・委員会審議による持ち上がりでさえあれば民主主義組織と言えるのかの検証が必要でしょう。
April 9, 2015「,弁護士大増員の影響」(弁護士会費負担の脅威)1November 1, 2015「弁護士会委員会の運動体化1」October 19, 2015「サイレントマジョリティ10(会内合意のあり方3)」等々で書いて来ましたがその再論または続編でもあります。
下部組織・委員会から意見が持ち上がる形式のソ連型民主主義制度は、実際には内部が硬直してスタ−リン独裁・逆らいそうな気配があれば直ぐに粛清されたりシベリア送りになっていたように、物事は形式ではなく実質です。
中国の現在政治も共産党内部は形式的には民主的に持ち上がるようになっていても、実際には権力掌握者の動向をしっかり見定めてその御先棒担ぎをするような意見しか出せない・執行部に楯突くような意見を言えない・・全員一致しかない集会です。
異論を言うどころか反対姿勢を匂わせようものなら、早速汚職容疑や反党分子として引っ張られてしまうでしょう。
一旦支配者が決まるとこの体制が崩壊するまで専制支配者の鼻息をうかがうしかない・・まさに古代から続いて来た専制支配体制を委員会組織に置き換えたに過ぎません。
委員会形式は専制支配の言い換え組織・・ソ連崩壊後・いまでは委員会組織・・機関決定さえあれば民主的決定と言えないことは世界の常識でしょう。
私が好き勝手にいろんなことを個人的に自由に書いていることから分るように、弁護士会内部がそう言う状態でないのは確かですが、それと組織内で公式な意見交換が自由闊達に行なわれているかは別問題です。
政治論について本当に充分な議論が会内で出来ているかは別問題である上に、活発な議論が行なわれていてもその結果をどうするかは別問題です。
会内で活発な議論が出来たとしてもソモソモ政治的意見で集まった団体ではない上に強制加入の本質からすると・議論の結果に納得出来ない少数意見を、どうするかは別問題です。
例えばある同好会がテニスや旅行目的で集めた資金を多数で決めれば特定政治家への寄付に使って良いかということです。
会内民主主義システムとしては弁護士会の場合直截選挙もありますし、ソ連や共産党組織とそっくり同じではありませんが・・ここでは委員会組織さえ経由すれば民主的手続を尽くしたと言うまやかし・・形骸化について書いています。
さらに内部民主化さえあれば、独り善がりで良いのか、外部チェック・・選挙による支持率上下による外部評価を受け付けなくても良いかも大問題です。
レストランでも衣料品でも皆同じですが、従業員株主全員の民主的同意さえあれば、消費者の好まない商品を提供した場合・・誰も買わないので結果が出ます企業内全員一致で新商品を開発して売り出しても、社会に受入れられなければ失敗であることは同じです。

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