マスメデイアの政治支配(暴言の構造)1

現在の国会議論は、国会・・選良が議論を尽くしてより良い物に仕上げる気持ちがなく、お互いの一方通行的な主張をマスコミが報道してあるいは生中継してこれを国民が判定するような仕組みにかわっています。
与党が法案を修正するかどうかは、野党との意見擦り合わせの結果納得したからではなく、マスコミ報道による国民の反応を見て決めるようになっています。
しかも国民反応がどうであるかすらも、マスコミ報道によっています。
マスコミの気に入らないに政策実行者のあら探しをシテは、国民が憤っているとする巧妙な報道が繰り返されて来ました。
政治家個人がマスコミの集中砲火を浴びると、次の選挙が危ないのでこれを最も嫌います・・結果的にマスコミが政治の主導権を握っていたのです
反対法案を強行採決・可決すると議論する時間が少なかったと言う型通りの批判がありますが・・実際には、お互いの言い分を数十分程度主張する時間があれば充分みたいになっています。
余った時間でスキャンダル探しや発言のあら探し・昭和50年代には、政治家がマスコミの意向に合わない発言をすると、みせしめ的に「失言」と称して吊るし上げては辞任要求することがはやりました。
実際に多くの骨のある政治家が失職しました・・この結果をみると政治家は自己の政治主張をうっかり言えない・・マスコミの誘導している方向から逸れることが出来ない時代が続いていました。
暴言に関する以下の論文からの部分引用です。
http://www.law.osaka-u.ac.jp/c-forum/box2/dp2010-21fukuda.pdf
2010年12月30日 福田 州平
・・本節では,1980年代以後の日本の政治家の中国に関する暴言をいくつか取り上げて考察する。
1980年代の日本の政治家の中国に対する暴言は,歴史教科書問題に端を発するものだった。
1986年,「日本を守る国民会議」の作成しようとした高校日本史教科書の記述内容が韓国や中国から批判を浴び,文部省は同会議の教科書に四度にわたる修正要求を出す事態となった。
こうした問題が起こった直後に,中国に対する暴言を述べたのが,第3次中曽根内閣の文部大臣,藤尾正行である。藤尾は就任間もない7月25日「東京裁判が客観性を持っているのかどうか。勝ったやつが負けたやつを裁判する権利があるのか,ということがある。世界史が戦争の歴史だとすれば,至るところで裁判をやらなきゃいけないことになる」
「……われわれがやったとされる南京事件と,広島,長崎の原爆と,一体どっちが規模が大きくて,どっちが意図的で,かつより確かな事実としてあるのか。現実の問題として,戦時国際法で審判されるべきはどちらなんだろうか。」
[藤尾1986a]と述べた。この内容は『文藝春秋』の発売前に明らかになり,政府与党内でも問題視されたが,藤尾は発言を撤回することはなかった。・・結局『文藝春秋』発売前に,中曽根が藤尾を罷免する事態に至った。」
1988年4月22日,竹下登内閣の国土庁長官の職にあった奥野誠亮は,記者意見の場で靖国神社参拝問題にかんして,「戦後43年たったのだから,もう占領軍の霊に振り回されることはやめたい」「鄧小平氏が靖国参拝批判発言をしているが,鄧発言をすべて素直に受け止めなければならないのかなあ,と思う。日本は自由な国であり,相手に対し非礼にならない限り,国民としての考えは述べてもいいと思う」[朝日新聞1988年4月25日夕刊]と衆議院土地問題特別委員会で述べた。結局5月13日に発言の責任をとる形で,国土庁長官の職を辞した。
1990年代羽田孜内閣の法務大臣である永野茂門は,1994年5月3日までに・・・さらには南京大虐殺について「私はでっち上げだと思う」とし,その理由として「直後に私は南京に行っている」
・・「不適切であり,これを撤回したい」と陳謝したものの,南京事件の犠牲者について「数が分からないので本当に大虐殺といえるかどうか疑念に思っている」と疑問を呈した」
1994年8月12日,村山富市内閣の環境庁長官の桜井新は,閣議後の記者会見で,「……日本も侵略戦争をしようと思って戦ったのではなかったと思っている。…..全体のことについてはある程度わびる必要があるけれどもしかし,日本だけが悪いという考え方で取り組むべきではないと思う」14日,桜井は首相官邸を訪れて発言を謝罪し,村山首相に辞表を提出した[朝日新聞1994年8月15日夕刊]。
1995年8月8日,村山は内閣改造を行い,自民党の島村宜伸が文部大臣に就任た。就任直後の9日の記者会見で,島村は,「……相も変わらず昔を蒸し返して,それをいちいち謝罪していくというやり方は,果たしていかがなものかとは思いますね。去年,マレーシアでもシンガポールでも中国でも言われましたよ。いつまで過去をわびるかと。大事なことは先行きのお互いの姿勢じゃないかと。結果は謝罪外交と言われることがなかった。よかったと思ってますよ。」
11日に「就任時の説明は誤解を生じたので撤回する」との談話を発表した
1996年は,従軍慰安婦に関する暴言があいついだ。」
慰安婦関連は以下省略
以上のとおり、日本政治家発言に対する中国の対応が小うるさくなって来て、次第に窮屈になって行く状況が見られる一方で、日本政治家の方でも何でも中韓の言うとおりしなければならないのか不満が蓄積され始めていることが分ります。
ところで何故中韓がうるさくなって行ったかですが、これは日本マスコミが一定方向へ誘導して行ったからではないかの関心で書いています。
と言うのは中韓が黙っていたのに、日本マスコミが騒ぐので中韓政府としては黙っていられないが他国のことなので遠慮ガチ発言をしていたところ、ドンドン日本マスコミが煽るので中韓政府としては内政上放置出来なくなり、次第にエスカレートして行くしかなくなって行く流れが見られます。
慰安婦騒動も韓国マスコミは、当初半信半疑で相手にしていなかったのが、日本で報道が激しくなったので韓国でも報道で取り上げられるようになった経緯が知られています。
慰安婦虚偽報道で大損害を受けたのは、最初おっかなびっくりだったのに、つい「行ける!」と乗ってしまった結果、引くに引けなくなってしまった韓国ではないか?と書いたことがあるように記憶しています。
韓国の慰安婦騒動も中国の南京事件も自国のことですから「でっち上げ」とよく分っていたのに、噓でも儲かると乗っかってしまった・・道徳心のなさが引くに引けなくなってしまったのです。
この損害が・慰安婦像と南京記念館が撤去されるまで文字どおり数百年単位で残って行くことが明らかです。
日本人がアメリカなどへ旅行して設置されている慰安婦像を見るたびに嫌韓感情を抱くのは明らかです。
中韓はこれがある限り、日本人の嫌中韓感情がいや増すことを期待していることになります。
ロシアの政権が北方領土などいらないと思っても、今更返すわけに行かない・・この結果日本と平和条約を結べないで困っているのと同じ構図です。
今後数百年間、日本に嫌われ続ける方が得だと思っているのでしょうか・・?
仮に日本が今後中小国化して行くとしても、敵を作って特な国はありません。
戦後アメリカのようの突出した強国であればあるほど世界中に支配を及ぼしたい・・友好国が欲しいのが普通です。
まして今後中韓の方が停滞する方向性が確かになりつつあります。
日本はこの先数百年、ことあるごとにこれらを取り上げては、(領事館前の慰安婦像だけではありません・・)◯◯協力を頼まれても簡単に応じられない材料に使って行けることになります。

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