憲法違反の疑いと国会の権能1

法案に憲法違反の疑いがあれば、その意見を言い、議論するのは良いことですが、違憲か否かを決めるのは国会の権能ではありません。
権限のないことに付いては、懸念を示し意見交換する程度であって、それ以上に深入りしてこれに時間を取って、法案の内容審議に入らないのは国会の権限外の分野に踏み込むものであって、程度が過ぎれば憲法違反行為であるばかりか本来の職責怠慢になります。
ある法案が違憲かどうかは、法律が出来てから司法権が最終的に決めることであって、憲法論の意見が違うからその先の議論に応じないと言うのでは、違憲の主張さえすればどんな法案も永久に議決出来なくなるので、国会議決権や立法権を否定することになります。
違憲論がある限り(・・国会の権能ではないので合憲か否かの決議で区切りを付けて次の議題に入ることが出来ません)法案審議しないと言う主張・行動は、一人でも違憲だと主張している限り永久に審議拒否出来る・・国会の立法機能否定論と同じですから、憲法違反にこだわる方が、憲法違反の主張・行動になります。
憲法違反の疑いと言う空中戦に終始して、法案内容の議論をマトモにしないで採決に応じないのでは、憲法の決めている国会の立法機能・職責を怠る憲法違反の論法です。
実は憲法論ばかりにこだわっているのは、個々の代議士の国民に対する説明義務としても職務違反しています。
国会は憲法違反かどうかを決める権限がない=国会の権限内の行為をする代議士にもこれを議論する職責がないのですから、選挙民に対して憲法違反だと言うことばかり説明・主張していて、自己の本来の職務である法案内容の趣旨説明・・国民生活のどこに関係があるかの説明を怠るのは代議士としての職務怠慢行為です。
弁護士が事件の法的説明を怠り依頼者に対して、裁判官や相手方弁護士のわる口ばかり言っているようなものです。
国会討論を逐一聞いていないので、マスコミ報道のイメージしか分りませんが、野党が国会ではそんなことを言ってないし、していないのかも知れませんが、・・場外であれば何を言ってもやっても良いと言うのではなく、国会議員の職責の範囲内・職責を尽くすように場外運動すべきです。
弁護士が法廷では紳士的にやっているが、場外で法的説明を地道にしないで(あの裁判官は偏っているとか)当事者の感情的行動を煽っているのと似たような関係になります。
成熟した社会の議論としては、先ず集団自衛権が必要な国際状況か否か、相互条約にするとどう言う損得があるかなどの議論が先にあって、次にどう言う内容の集団自衛権制度(・・規定の仕方によって、いろんなバラエティがあり得ます)ならば、どうなるかの具体論でしょう。
集団自衛権に関する国際状況に関しては昨年夏の閣議決定直後に韓国は、韓国の同意がない限り認められないと言う不思議な内政干渉的正式表明していますし、対中国案件ですから、当然中国は反対していますが、その他の利害のあるアジア諸国は歓迎一色です。
集団自衛権必要性に関しては相手のあることであって、国内だけで解決出来る問題ではないので、国際情勢の客観的把握次第であるとすれば、上記のとおり、すで勝負がついています。
中韓のご機嫌を損ねるとアジアで孤立すると言う従来型の左翼・文化人主張を誰も信じなくなっているので今やそんな主張が出来なくなって困っているのではないでしょうか?
そうなると国内的・国民にどう言う影響があるかの点が重要になりますが、この点の質疑・議論がほとんど聞こえてきません。
具体論として聞こえて来るのは、友好国の応援のために武力行使権が認められると、自衛官の生命に危険が高まるとの主張がありますが・・・。
周辺国との緊張が高まれば、生命の危険が高まるのは当たり前・・イザというときのために自衛官がいるのです。
そもそも危険になったからと言って尖閣諸島海域への出動をいやがるような自衛官では意味がありません。
新聞だったか週刊朝日だったかに元自衛官か現職か知りませんが「危険が高まるのはいや」と言う意見らしいものを載せているのを見たような記憶ですが、非常識さに驚く人の方が多いのではないでしょうか?
日本を守るために同盟国へ応援に行く場合も自衛の一環ですから、理屈は同じです。
たとえば、海賊対策等でよその国の船を助けるために発砲出来るようになると海賊も反撃するでしょうから、発砲しないでみているだけの派兵に比べれば危険が増すのを覚悟するしかないでしょう。
警官が自分の命を守るために発砲するのは良いが、市民を守るために発砲するのは危険だからいやと言っているようなもので、こんな意見が国際的に通用する議論でしょうか?

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