不満社会?3(年金記録消失〜統計不正?)

人名は一つの漢字で幾通りもの読み方があるのが普通ですから、ミスがなくとも入力するアルバイト?によってはいろんな読み方に転記されていったのは想像にかたくありません。
二重チェック体制にしても、何が誤転記かの判断は人によって違うので無理があります。
こういう誤転記を防ぐにはどうすればいいか?普通に考えても妙案はないでしょう。
目の前に保険加入者がいたり携帯電話番号を書いていれば聞けますが、当時は携帯も普及していない時代ですし、そもそも各人の電話番号を役所が記録していません。
まして送付された山積みの何千万に及ぶ年金加入者名簿・それも漢字の氏名をカタカナ入力変換作業を終日打ち込む作業に従事するアルバイト?にとっては、ありふれた漢字でさえ変換ミス皆無にはできませんし、もともと誤転記なしの作業など無理・・不可能だったのです。
交通事故を皆無にできないし、医療ミス皆無もない・要は不幸にして一定率で発生するミスが起きた場合のリスク最小化と保障問題でしょう。
リスク最小化対策としては一定期間紙資料を保存しておいて、年金記録に疑問を持つ人の照会に対応できるようにしておけばよかったと思います。
「疑問を持たない人は損をしっぱなし」というのはひどいということでしょうが、これはある程度仕方ない仕組みの応用です。
法律の世界では、時効という制度があるのはこういう時のためです。
自分の権利は自分で守るしかないのが原理であって、気がつかなくとも不法行為で言えば被害に気がつかなくとも20年で時効ですし、多くは10年とか3年とかの期間限定仕組みになっています。
例えば遺言があっても、遺留分減殺の権利がありますが、遺言で遺留分権を侵害されたことを知ってから1年、遺言があったのを知らなくとも10年で権利行使できなくなります。

民法
第千四十二条 減殺の請求権は、遺留分権利者が、相続の開始及び減殺すべき贈与又は遺贈があったことを知った時から一年間行使しないときは、時効によって消滅する。相続開始の時から十年を経過したときも、同様とする。

年金は超長期の掛け金で、もともとすぐに気がつかない制度(支給を受けるときに初めて気になるもの)ですから、5年や10年で記録廃棄されて復元不能では困りますが、コンピューター転記直後にコンピューター化した後の過去の年金加入履歴を全員に送って(コンピューター化したのちのプリントアウトコストはコピーする人件費その他に比べれば大したコストではないでしょう)、本人に転職歴など間違いないかの確認チャンスを与えておけば、かなりの人が自分の職歴の空白期間があれば気がついたはずです。
戦災等で焼失した戸籍の再記載作業や本籍展示の転記作業での、親や本人の氏名や生年月日の誤記載を昨日紹介しましたが、最近でも平成7年頃こら戸籍のコンピューター化が進んでいて、4〜5年前までには多くの自治体で完了しているようです。
このコンピューター化作業においても一定率の誤記が生じているはずですが、自分の戸籍など見るのは一生に何回もないので気づくのが遅れます。
生年月日や婚姻届出日に誤記があっても騒ぐほどのこともない(思い違いだったかな?程度で)ことが多いし文字が違っていても戸籍訂正の裁判までしないで終わるひとが多いのでしょう。
年金保険の事務作業のコンピューター記録への移記作業でミスをなくせないからといって永遠に手作業しているわけにいかないのですから、何100人という大量の作業員を集めて行う入力作業ではワクチン接種のリスク同様にミスが起きたら政府が手厚く保障する体制で臨むしかなかった・補償問題であって、責任追及の問題ではありません。
ソ連崩壊以降、野党による政権追及テーマは政権の不正というよりは、作業技術問題であったことが多い(今回も支払基金にマニュアル作りを委託していたらプログラムミスがおきたように)政府・政治家の責任追及ばかりにフォーカスしてきた印象です。
らい病関係の政府追及?補償請求も似たような攻め方です。
政治問題にするならば、年金コンピューター化事件や、今回で言えば支払基金にプログラム設定作業を外注するしかない実態(外注でなくすには公務員を増やすしかない・・後記引用論説はそういう主張のようですが、公務員の身分があれば、ミスがないと言えないでしょう)を前提にどうやって正確率をアップするかの課題解決・提案力で競争すべきでしょう。
今年の国会追求のテーになっていた統計不正?追及も、国民の多くは「不正」というよりは事務作業レベル問題であって、政治家の責任ではないという見方がほとんどのようです。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00006/?P=3

官僚叩きでは解決せず…統計不正の「悪の根源」論考
2019年1月29日
15年前に比べ、3分の1に減った統計担当公務員
野党は「アベノミクスほにゃらら」などと政権主導による恣意的な“捏造”と批判しているけど、さすがにそれはないと思う。全数調査をサンプル調査にしたからといって、期待する結果が出るとは限らない。それに、サンプル調査でも、適切な集計手法を施せば統計的には信頼がおける数字を得ることは可能だ。
ちろん、集計手法を間違えたり公表すべき事案を隠したりするなど、今回露呈した「初歩的な統計知識の欠如」や「モラルの欠如」は気が遠くなるほど深刻だが、よくよく考えてみると、もっと根深い問題が潜んでいるのではないか。
【事実関係】
・1996年以降、調査事業所数が公表より1割程度少なかった
・2004年1月以降、東京都の規模500人以上の事業所を抽出調査にしたが、年報には「全数調査」と記載
・2004年~2017年まで抽出調査するも、集計上必要な復元処理が行われなかった
・2011年に変更承認を受けた調査計画に記載された内容どおりに調査が行われなかった
・2015年調査の事務取扱要領から、東京都の規模500人以上の事業所を抽出調査とする旨が不記載
・2018年9月にサンプルの入れ替え方法の変更に伴う数値の上振れの指摘を受けた際、統計委員会に、「復元を行う」としたことを説明しなかった

ということで「根っこは公務員削減にある」という結論のようですが・・。

不満社会?2(厚労省問題)

「日本シネ」で象徴されるような不満代弁型でなく前向き提案で与党と競争する政党に変わっていかないと野党の存在価値が低くなる一方です。
厚労省の統計や保険料率の計算モデル作成ミスでもメデイアは、「また厚労書の不祥事」とか不正と騒ぎますが、要は数字の算出作業のミス率をどの程度に抑えるかの技術チェックの問題であって野党が政権を批判するようなテーマではありません。
年金問題追及で名のなした民主党の代議士が、民主党政権で担当大臣になって何をできたか?を見ればわかります。
全国会で政治問題として追及していた統計不正?問題は、民主党政権時代以前から今年まで続いていたのに民主党政権の時に気がつかなかったから今年まで続いていたのです。
沖縄基地問題で県民意思重視といって「少なくとも県外へ!と主張し政権を追及していたのに、民主党政権になるとあくまで反対する社民党党首の福島氏を罷免して、辺野古移設の閣議決定をしたのは民主党政権でした。
民主主義と地域エゴ重視とは次元が違います。
この問題は美濃部都知事時代に杉並ゴミ戦争として誰もが知るところとなった解決済みのテーマです。
福島瑞穂氏に関する本日現在の記事です。

普天間基地移設問題では一貫して沖縄県外、日本国外への移設を主張。2010年5月28日に辺野古地区への移設で日米が合意したためこれに反発し、閣議了解の書類に署名しないと宣言する。鳩山の説得にも応じなかったため、同日中に罷免された[4]。日本国憲法下での閣僚罷免は5例目で、政党の党首職にある閣僚の罷免は初めてであった。

要は日本全体で見てどうすべきかの視点がなく一部利害者の不満を煽っていただけだった矛盾が杉並ゴミ戦争同様に鳩山政権で露呈したのです。
今年に通常国会で問題になった統計この後で紹介する地方選挙前に問題視された保険料計算プログラムミスなど・・厚労省で連続発生する問題は、「厚労省が巨大官庁化しすぎてガバナンスが効かない」というメデイアの解説が多いですが、ガバナンス・・政治問題ではなくコンピューター技術を含めた「事務レベル」という産業技術レベル引き上げの問題です。
厚労省の規模が半分〜4分の一になっても、統計やコンピュータ処理の失敗をなくすために大臣あるいは高級官僚が自分でプログラムを作り直して二重チェックするようなことはできない点は同じです。
医療による被害が判明した時の判断基準は、当時の医療技術水準で考えるのと同じことを当時の事務技術に応用すべきであって、年金システム問題で言えば、その10〜20年前のコンピューター化に伴う事務ミスを政治問題にしたのは政治家の本業怠慢です。
今年の通常国会で統計問題を政治問題化していた野党とメデイアの連携戦術が国民の支持を受けずに落ち着くと今度は以下の通りの大規模報道が始まって(多分統一地方選挙向けの報道?)直近の日経新聞社説にも取り上げられていましたが、二番煎じなので国民が反応しなかった印象です。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO43360730U9A400C1MM8000/

介護保険料200億円の徴収ミス 厚労省が正式発表
2019/4/4 22:37
厚生労働省は4日、40歳以上の会社員らが納める介護保険料を徴収する外郭団体でミスがあり、2019年度に徴収すべき金額に対し200億円不足する恐れがあると発表した。企業が運営する健康保険組合などに保険料を算出してもらうために示した数値が誤っていた。厚労省は健保組合などに追加拠出を求めており、保険料の引き上げを迫られる可能性もある。

保険料引き上げの必要と言って、国民不満を煽ろうとして「国民に負担させるべきない」かのような主張でした。
しかし、政府の外注した機関の作成したプログラムミスによって、実際の負担額を200億ぐらい少なく納付する仕組みになっていたのであれば、保険組合が不足納付分を補填義務があるのは当然で国民負担が増えることではありません。
政府ミスによるから未払い分を払わなくて良いのではなく、未払い分の支払い義務があるが、遅れた責任はないというだけのことです。
ただし、社説の内容を読んだ記憶では200億の未払いの補填を求めても、入金までの遅延損害をどうするか?その負担問題を書いているようです。
週刊誌的問題提起の仕方です。
国のせきんに決まっている以上は遅延損害金を請求しなければいいのは子供でも分かりそうな法理です。
入金遅れの国の損害はどうする?という問題提起にはなるでしょうが、社説で書くような問題ではないでしょう。
ここで、10年ほど前に自民党下野の原因となった年金消失と騒がれた問題に関連する私の受任した何件かの事例を紹介しておきます。
弁護士になって4〜5年後くらいで戸籍の訂正事件を何件か担当しましたが、本籍移転の結果新戸籍作成時の転記ミスによって自分の名前が違う名前になっているのを何十年かのちにわかった事件や戦災で戸籍簿が焼失した際の復元作業(のミスというよりは)生き残った親族が甥や姪の名前をあるいは叔父の名をうろ覚えで届けるので違った漢字になったりした例でした。
東京大規模空襲直後の戸籍復元作業ですから、(役所自体丸焼けのバラック小屋で?)漢字が違っても先ずは人名登録優先(後で本人や親が出てきたらその後直せばいい応急作業ですから)復元ミスとは言わないでしょう。
本人が徴兵名簿や学校の学籍簿を持ち出して元はこういう漢字だったと証明した例もあります。
特にその頃の戸籍は全て手書きでしたので、崩し字あるいは戸籍役場担当者の癖で、ヘンや作りの略記崩し方が違うので本籍移転の場合、移送された新戸籍係りの人が自分なりに読んで書き直すので、いろいろな変換?が行われてしまうことが多かったようです。
まして単調な数字の場合、誤記がふえます。
約10年前に問題になった年金記録消失問題は、手書きの保険記録を全面的にコンピューター化する過程でそのずっと前に起きたものでしたが、当時の公式記録は氏名に振り仮名のない記録が普通で(漢字の場合読めなくともその漢字を写しさえすれば用が足りるので、戸籍などでは振り仮名不要です・現在の保険証にも振り仮名がありません)したが、コンピューターに転記するとなれば、振り仮名のつけ方次第でその後はどんどんコピペされていきます。

不満社会1(リベラル?1)

あれほど激しく倒閣運動していたのに選挙が近づくと選挙はイヤだというのでは、駄々っ子みたいです。
これでは世論多数の勝ち馬に乗りたい・・民主主義を心底信じて運動参加していた末端活動家まで行かない、付和雷同型・勝ち馬に乗りたい不満分子?の多くが「これまで世論多数派と信じて参加してきた自分の街頭運動参加は何だったのか?」と疑問に思うのが普通の脳構造ではないでしょうか。
それにもかかわず、次のテーマ・「解散はけしからん」とすぐ方向変更できる人は、元々民主主義などどうでも良い人達・なんとなく日頃上手くいってない憂さ晴らしをしたい人たちが流行語に飛びついただけなのでしょうか?
「民主主義を守れ」などの主張は国民受けするための方便として、この指とまれ!とダシに使って来たイメージをうけます。
リベラルと言われると学校で習った意味・ありがたい政党のようですが、自分でリベラルな政党と主張しているだけですから、国民がどう受け止めているかによってリベラルの意味が変わっています。
「千葉で一番美味しい〇〇店」を名乗るお店が本当に1番美味しいかは別です。
お買い得と銘打っていても本当にお買い得かは別・・多分逆です。
アメリカではリベラリストとは、無責任政党・バラマキ要求のイメージになっているようです。
https://kotobank.jp/word/%E3%83%AA%E3%83%99%E3%83%A9%E3%83%AB-149355

デジタル大辞泉の解説
リベラル(liberal)
[形動]
1 政治的に穏健な革新をめざす立場をとるさま。本来は個人の自由を重んじる思想全般の意だが、主に1980年代の米国レーガン政権以降は、保守主義の立場から、逆に個人の財産権などを軽視して福祉を過度に重視する考えとして、革新派を批判的にいう場合が多い。自由主義的。「リベラルな思想」

https://www.sankei.com/west/news/171013/wst1710130044-n1.html

2017.10.13 16:30
日本だけ特殊、「リベラル」の意味-本来の語義から外れ「憲法9条信奉」「空想的平和主義」か
リベラルという言葉が盛んに使われるようになったのは、衆院解散が目前に迫った先月下旬、民進の前原誠司代表が「安倍晋三政権に勝つため、野党勢力を結集させる」と、小池百合子東京都知事が代表を務める希望の党への合流を模索して以降のことだ。
小池氏は、憲法観の一致や集団的自衛権の限定的な行使を認める安全保障関連法への賛成を「踏み絵」として提示。受け入れを拒否した左派が「リベラル派」と呼ばれるようになり、枝野幸男氏(53)=埼玉5区=による「リベラル新党」立民の設立につながった。立民は主張が近い共産や社民と連携を深め、全国の249選挙区で候補者を一本化。これら3党がリベラル勢力と呼ばれている。
東西冷戦下、「長い平和」享受した日本ならではの事情
『広辞苑』によると、「リベラル」とは、「個人の自由、個性を重んずるさま。自由主義的」、『大辞泉』は「政治的に穏健な革新をめざす立場をとるさま」とする。実際に使われている意味と語義が異なる背景には、「リベラル」が特殊な意味で語られることが多かった日本ならではの事情があるという。
安定した東西冷戦の下で、日本には「憲法9条を守っていれば平和が維持できる」「集団的自衛権を行使すれば徴兵制になる」という「空想的平和主義」が広がり、その主唱者をリベラルと呼ぶことが多かったという。

社会にうまく適応できずムシャクシャしている人・・何か口実があれば不満のはけ口にしたい・記者会見で注目を浴びられれば有頂天でしょうし、社会的地位のありそうな人が批判対象になれば、根拠の有無にかかわらず胸がすくような気がする・・極端にいえば暴れまくって「現状破壊したい」という潜在欲求いっぱいの人も一定数いるのでしょう。
比率的に言えば、政治や経済が如何にうまくいっても下位20%くらいの人はいつも世の中に対して何か鬱屈したものを持っていることになるのでしょうが、それをそのまま鬱憤ばらしをする人は稀です。
生き易いように、「成功者と自分とは違う」と達観して比較対象にしないなど(成功者から見ればどうってことのないささやかな喜びを大切にする)それぞれの「分」際に合わせて生きる知恵次第でしょう。
「自分」の分は「分」際を弁える生きていく知恵を意味するものでしょう。
他人と比較すればいつも誰でも(一流高校へ進学してもそこではまた競争が待っている)落ち込んでしまうしかないのですが、その気持ちを奮い立たせるには、乳幼児期の体験・能力差に関係なくたっぷりな愛情を注いでくれる母親の影響があるように思われますが、これは私の信仰にすぎないかもしれません。
日本では江戸時代から子供に惜しみない愛情を注ぐ浮世絵などが発達しているし、その前から色な絵草紙も子供向け物がたりがいっぱいあります。
古代の鳥獣戯画もその一種でしょう。
愛情たっぷりに育つ子供の比率の高さが社会の安定を支えているように思われます。
競争社会に投げ込まれた高校生などがムシャクシャする不満のはけ口として、車で走りまわるうちに危ないことを楽しむようになって危険行為として取り締まりを受けるようになって、いわゆる暴走族に成長し?集団化できないで孤立した青少年は校舎の腰板などを蹴飛ばしたり、シンナーに溺れるなどの発散型が3〜40年ほど前に表面化しました。
荒れる学校が普通に語られる時代でした。
それは経済の低迷とは関係のない現象・・高度成長期の急速な都市化・・集団就職等で都市に出てきた世代が文化適応に苦しみ・核家族化の進展等による子育て環境の急変に適応できない時代に最もよわい子供の養育にしわ寄せがいった結果だったのでしょうか?
この反省から地方出身者の都市生活応援や核家族化して手探りで子育てしてきた親世代を周辺で援助する体制が整備されましたが、その代わり共働きが普通になり母子関係も激変中です。
とも働きが普通の時代→母子接触時間短縮が子供の精神安定感にどういう影響が出るかについて今後の展開を待たねば今のところ不明ですが、今では「不満があっても乱暴なことまでしない」人が増えて新たな暴走族結成急減したことは確かです。
その影響かどうか不明ですが、暴走族上がり→暴力団周辺への流れ・・ヤクザ組織供給源減少になりました。
ヤクザの存在感低下に限らず、不満層を支持母体とする政党の支持率低下も同じ原因かもしれません。

エリートの決める政治と国民の決める政治 

いわゆる安保法は、自衛権を現実化するための法律か?
他国侵略目的の法案かは、安保関連法の歯止めの書き方の具体的条項次第であって、文字で書き切れない分は、(どんな法律でも全要件を書き切れないので具体化は政省令や通達〜ガイドライン、判例等で具体化していく仕組みです)法律成立後の日米交渉によってどこまで日本が協力するかによって決まっていくべきことです。
反対論者が反対するには、法案段階の「第何条の制限幅が広すぎて何処かの国を?を日本が侵略するための法律になる」だから「こういう表現にすべき」という具体的提案が必要です。
「わが党がこの条項に対する提案が否決されたことについて国民批判を求めたい」というのがまともな議論であるべきですが、内容紹介なしの「憲法違反」という抽象論ばかりで本気で納得している国民が何%いるか?です。
内容に触れないで「多くの憲法学者が反対している」とか憲法違反等(共謀罪法の時も近代法理違反という抽象論)の反対論を聞いていると、ともかく日本の自衛能力を少しでも弱めたい(共謀罪法は国内治安・・防衛能力の問題です)どこかの国の希望によって反対しているのかな?と想定してしまう人が多くなるのではないでしょうか?
「学者何名が反対している・弁護士何名が反対している」→「エリートの判断に任せろ!」式抽象的反対論は具体的内容を知った上で判断したい・・民度の高い我が国向きではありません。
いわゆる革新系は東大卒や弁護士や医師などエリートをかき集める傾向が強いことを、だいぶ前に紹介したことがあります。
例えば共産党のトップ志位氏は東大卒で、民主党政権獲得時のトップ鳩山氏も東大卒大学教授(または助教授)の経歴です。
旧社会党で有名な土井元党首は神戸大学だったかの教授でしたし、今の福島瑞穂氏も東大卒の弁護士・学習院女子学院だったかの教授経験者です。
立憲民主党首の枝野氏は東北大卒の弁護士です。
対する与党自民党の安倍総理は、成蹊大卒として学歴ですので、肩書き重視の野党からはバカ扱いされているようですが、その前は麻生氏で祖父の7光で入れたイメージの学習院大卒ですし、小泉氏は慶応卒で、福田康夫氏は早稲田卒でいずれも親の7光組の可能性があるなど、学歴重視でないことが明らかです。
党首に限らず一般的な候補者で見ても、いわゆるエリート系肩書の人が目立つのが革新系野党です。
革新系?(私の感想では超保守系集団ですが)庶民の味方を標榜しながら、自己の体質はエリート主義です。
自分はエリートだから良いが、貧乏人が可哀想でないか!という議論を好むようです。
庶民には難しいことがわかるはずがないのでトップ・エリート指導層の決めたことを中間組織に図式化・画一的理解を浸透させ彼らを前衛と名付け末端運動組織としてイデオロギーを拡散していく運動方式をいまでも踏襲しているイメージです。
彼らの運動方式は「トップの方針を図式化して教えてやるからそれを実行しろ!」という性質が濃厚で、いわゆる民主団体というイメージ主張とは真逆です。
芦部憲法論の図式理解で書きましたが、弁護士層は図式理解に得意な集団(かな?私は図式理解に不向きな不器用タイプですのでいわば少数派のよう)ですので、運動体として役立つグループでしょうが、公害でも高速道路反対等で説得に来た弁護士に物分かりの悪い疑問をぶつけると今までマトモに答えてくれた弁護士がいませんでした。
この数年の共謀罪反対や、集団自衛権反対論で言えば、具体的疑問をぶっつけると、図式的理解を前提にしていて「えっ図式を知らないのか」式のバカか?というような反応が普通です。
反対運動では国民大多数の反対を無視した法律であるという意味づけの報道やアジビラ等が目立ちました。
国民大多数の怒りをぶっつけるとか国民の平和願望無視とかいうものの、平和をどうやって守るかの意見がないのと同様に何をもって「大多数の声」を無視しているというのか不明のままでした。
総がかり運動とか1000人委員会とか威勢の良いスローガンばかり並ぶ反対運動でしたが、内容は今日どこそこで反対集会を開き何人集まった・・「平和をおもう熱い想いに感動した」とか、自分は昨日も東京まで行って集会に参加しているとか、いかに自分が運動熱心かの自慢的ネット投稿が目立ちました。
一見客観性のありそうな意見としては、メデイアの世論調査発表しかないのです。
内閣支持率激減の報道だったのに、その直後に行われた総選挙で与党が大勝したのは、事前の世論調査が国民意識とあっていなかったこと・どういう調査をしていたのか?メデイアの行う世論調査の正確性への疑問が高まったことになります。
解散・選挙機運が盛りあがると「世論が・・」国民の意思無視と先頭に立って主張していたように見えた朝日新聞が以下の主張を始めました。
https://webronza.asahi.com/politics/articles/2014113000005.html

解散・総選挙は、集団的自衛権論議には迷惑千万だ
各党の公約・主張に強いピンぼけ感

強行採決批判などで知られている朝日が国民の民意を聞く千載一隅のチャンスと大喜びするのではなく、上記の通り一転して解散総選挙批判に矛先が向きました。
その後も朝日に限らずいろんなメデイアで「総選挙は国費の無駄遣い」を匂わすような記事・・「選挙にはこれだけのお金がかかる」などのキャンペインがされていた記憶です。
国民多数の反対無視の国会議決と宣伝していた以上、自社の世論調査が色のついた世論調査ではないならば、国民の信を直接聞くことになる総選挙をなぜ喜ばないのか不思議です。
総選挙反対キャンペインは、「憲法学者やエリートの意見があれば国民は従うべき」とか「メデイアの決めた方向が国民意思である」かのような思い上がりが、国民批判を受けて全否定されるのが怖かったのでしょうか?
朝日新聞ほどはっきり言わないまでも、多くの反対運動団体も判で押したように解散総選挙批判に転じたのは同じ気持ちだったのでしょう。
「国民の信を問え」という運動から、解散反対への変化を見ると、民主主義勢力?がこれまで「国民に信を問わないのはけしからん」とか強行採決で「民主主義は死んだ」などと批判してきたのは、なんだったのか疑問に思う人が多かったでしょう。
合理的に理解すれば「自分らの主張は国民に支持されていない」と自覚したうえの街頭デモ活動だったことになるし、・・内閣支持率低下報道して政権批判一色だったメデイアが、政権が国民の審判を仰ごうとして解散方向に動くと今度は「解散に大義がない」批判するのは、自己矛盾でしょう。

自衛→集団自衛権2

相手が要求しないからと、日頃最低の付き合いにしておいて、・・友人近隣関係も同じですが・・日本が本当に困ってから手のひら返しで手土産持参してお願いしても相手がしらけます・日頃の付き合いが重要です。
米国の協力を得るために日本の負担がどの程度になるのかの具体論を見て国民が判断すべきことです。
どうせ半独立しかないならば、米ソどちらの支配がソフトかの選択が講和条約賛否論の基礎思考でした。
ソ連支配では「満州で非戦闘員が生き地獄的なひどい目にあったし、東独でレールまではがして持って行ったソ連と、今でこそ米兵の婦女暴行などが(中国系工作?により)ネットで拡散されていますが、非道行為を被占領側が主張すれば占領軍政側で「そんなことは恥ずかしい」ことだという気持ちがある国・・これが朝鮮戦争時の米兵向けの慰安婦制度発達の歴史ですが・・と政府率先して残虐行為を奨励する国とは基本が大違いです。
戦後70年以上経過した今でも、ソ連は日本降伏後に捕虜でさえない日本兵をシベリヤへ連行した人道の罪を謝りさえしないまま平和条約を求めるふざけた国です。
ロシアがソ連とは別の国だというならば、樺太、千島列島全部を日本に返すべきでしょう。
勝った勢いもあって少しの行き過ぎがあっても「米兵とソ連兵どちらの支配がより過酷であったかを比べれば明白でしょう」というのが一般的意見でした。
後進国による支配は(もともと自国民を虐げているの国の場合、国民は不満のはけ口を求めているので政府もガス抜きのために被征服民を最大限非道に扱わせることによって積極的にガス抜きに使おうとするのが普通で、多めに見るしかない現実がありますので往々にして過酷になりがちです。
家庭内でいじめられている子が外で自分より弱さそうな子を見つけると不満のはけ口としていじめっ子になることが多いのと同じです。
家庭内イジメも母親の地位が低すぎると特定の子供をないがしろにする傾向が起きるなど、連鎖が知られています。
そのまた親をたどると子供の頃に家庭内暴力の対象として育った人が多い・負の連鎖も知られています。
その判断は憲法学者や小説家その他エリートが決める人気投票の問題ではありません。
日本が古代からのボトムアップ社会なのにボトムアップの経験のない西欧のエリート支配の思想(西欧の民主主義は国民が個別テーマを決める権利がなく、指導者を選ぶ権利です)を文化人?が持ち込んで、「エリートのいう通りにすれば良い」民衆は自分で考える必要がないと言わんかのような運動をして同じビラの中で「民主主義を守れ」というスローガンですから自己矛盾です。
世論調査というのは、4月4日紹介したように、設問次第・実施主体の方向性次第になることを表しています。
もともと片面講和反対(ソ連支配の方が良い主張)以来の思想系譜を引きずる団体の意向に沿う方向の設問による調査結果を反対派の団体が最大限我田引水的に利用して国会周辺デモ等を各種団体が企画実行してきました。
例えば映画労連の以下の声明です。
http://www.ei-en.net/appeal/141016_10.16ketsugi.pdf

2014年7月1日、戦争をする国づくりにむけて暴走を続けてきた安倍内閣は、集団的自衛権行使容認を閣議決定した。立憲主義を否定し、民主主義の根本原則を踏みにじる歴史的暴挙である。 一方的な解釈の変更によって、戦争放棄を謳い平和主義を基本原則に掲げる憲法を破壊する決定を、国民に信を問うこともなく閣議のみで強行したのである。私たちはこのような蛮行を許すわけにいかない。直ちに撤回を求めるものである。 法前文と第9条が規定している恒久平和主義、平和的生存権の保障は、憲法の基本原理であり、時々の政府や国会の判断で解釈を変更することは到底許されるものではない。これ以上政治の暴走、憲法と民主主義の破壊を容認することは出来ない。
私たち映演労連は直ちに集団的自衛権行使容認閣議決定の撤回、関連法案の阻止・廃案を求め、日米ガイドライン再改定に強く反対することをここに決議する。
2014年10月16日

集団自衛権反対運動声明の一例を引用しましたが、多くの反対論は「国民に信を問うこともなく」(国民多数の声を無視して!との街頭運動につながっていましたが、安法法制(集団自衛権等)反対運動とこれをうけた直後の総選挙への動きが加速し始めると解散反対へ主張が変わっていきました。
まず集団自衛権等の安保関連法制に関するウイキペデイアの説明です。

平和安全法制は、「我が国及び国際社会の平和及び安全の確保に資するための自衛隊法等の一部を改正する法律(平成27年9月30日法律第76号)」(通称 平和安全法制整備法)と「国際平和共同対処事態に際して我が国が実施する諸外国の軍隊等に対する協力支援活動等に関する法律(平成27年9月30日法律第77号)」(通称 国際平和支援法)の総称である[1][2][3][4]。平和安全法制関連2法とも[1]。
マスメディア等からは安全保障関連法案・安保法案・安保法制・安全保障関連法・安保法[5][6][7]と呼ばれるほか、この法律に批判的な立場(立憲民主党、日本共産党、社会民主党等)が主に使用する戦争法という呼び方も存在する[8](後述)。

これまで紹介してきたように集団自衛権を認める一連法を「戦争法」であるという宣伝が行われました。
昨日書いたように自衛するには近隣国間で最強国でない限り不可能・・孤立していたのでは自衛できないので・同盟国が必要→同盟国があれば自衛戦争に立ち上がれる=集団自衛権関連法は「自衛戦争可能にする」という意味で使うならば正鵠を射ています。
ところがメデイアは、日本が自衛の枠を超えてあたかも明日にも侵略戦争が始まるかのような宣伝が行われたのは虚偽・虚偽でないまでも今流行りのフェイクニュースだったというべきでしょう。

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