IT化と生甲斐2

失業率の変化は短期の景気変動や政策の巧拙による面があるとしても、長期的トレンド・産業構造高度化についていけない人が不景気時に真っ先に失業者になっていくとすれば、金銭給付で終始せずに不適合解消のための職業訓練が必要となります。
現在では多様な職種で機械化が進む・・・日常的に目にする道路関連工事では重機利用が一般的です。
水道工事あるいはケーブル敷設関連ではパソコン画面を見ながらの作業が増えています。
各種機械やパソコン等の操作能力がない人夫は重機などの周辺での破片類のかき集め程度の下働きしか無くなるので不景気になると真っ先に整理されます。
大学校という映画を見た例を書いたことがありますが、ボイラー関連の管理技術を学ぶ場面が出てきましたが、その当時でも大規模ビル地下の(スチーム暖房用の)ボイラー室はレトロ的で新築ビルではなくなりつつあったものです。
数十年前までは職業訓練校といっても重機操作などすでに普及している資格取得訓練・・溶接工や玉掛け資格あるいは自動車修理工資格など人並みの仕事をできるようにする・底上げ訓練による再就職支援が普通に行われていました。
そのような訓練してもその種の有資格者が街に溢れているので、現場では誰でも持っている程度の資格中心ですから、採用面接の最低資格をクリアーできる(車の運転免許がある)程度でした。
「人並みの資格くらい持ってくださいよ!」と訓練しても、その種の有資格者が街に溢れているので、採用面接の最低資格をクリアーできる(車の運転免許がある)程度でした。
この辺の意見はホームレス対策でアメリカでやっているボランテイアによる英語すら話せない人に対する英語教育やサービス業に就くための最低マナーなどの教育に関して、2019-2-28「ホームレス排出の基礎2」に少し書いたことがあります。
英語をたどたどしく話せれば就職できるか?と言うとそういうものではないでしょう。
働いていたところで肩叩きの対象になる率を減らせる程度の効果しかありません。
ある交通事故による休業損害の例ですが、一級建築士でさえも失業期間中CAD利用設計作業の職業訓練を受けていました。
ただし彼はCADを使えないのではなく、私が見よう見まねでパソコンをいじっているのと同様に一級建築士になってからCADが出てきたので、新技術を自己流で使いこなしていたのをこの機会にしっかり勉強しようとしたらしいのです。
このように専門職でも絶えざる発展を続ける新技術を習得する必要・先を行くためでなく、人並みの能力維持・振り落とされないために迫られてきたのが、過去数十年の実態です。
職安制度・個々の努力または、個人に対する再教育で時代遅れにならないように追いかければいいという発想では今後うまくいかないように思われます。
これまでの技術革新による省力化投資は、コスト低下→サービス等末端価格低下によってその分需要が増える(生活水準向上)結果、生産拡大して労働需要が増えたのでみんな幸福でした。
IT化の場合、便利になり需要が増える分労働者の需要が増える関係にならないように見える点が本質的相違ではないでしょうか?
IT化時代には新技術によりコストが下がる→消費拡大以上に生産効率が上がるので、生産やサービス供給に関与できる数は激減して行く・・多くの人が消費する役割しかない点が大きな問題です。
自動運転化の進行によって将来的にはタクシーやトラック運転手不要時代が来る?無人コンビニが増える・・キャッシュレス化などでレジ担当者の大幅削減など各分野で末端労働が激減して行きそうです。
IT化進行は、現場労働者を再教育しても労働需要が増えないとすれば、底上げ的職業教育訓練では解決できません。
重機その他各種オペレータ・車運転技術取得〜パソコンの習熟は、生産に関与するものでしたが、最近では消費能力が上がる程度・・極端な例がゲームやパチンコ、ドライブを楽しめる程度でスマホを操れても仕事に役立つ場面がほとんどありません。
重機操作でさえ、重機を作る方から見ればユーザーであって消費の1場面です。
職安の訓練は出来上がった機械の操作習熟が基本ですから、賢い消費者になる程度(ゲームを楽しむのとの違いは?)の訓練でしかありません。
重機やロボット製造現場のオートメ化、ロボット化が進むと、関与する労働者の数は減る一方です。
そこで働くわずかな人もオートメ化された機械やロボット操作要員でしかない・・製造された機械やロボットの消費プロセスの1員です。
IT〜AI革命で本来の製造に関与できる人材はソフト作成能力者だけになると、端末操作能力アップ程度の再教育では(コンビニやスーパーのキャッシュレス化に伴いワンフロアーに1名程度必要な操作説明要員になる程度の再教育をしても)レジ要員は激減を防げないし、説明要員は末端労働から抜け出せません。
スマホ等の利用技術に習熟すれば、手軽に音楽等を楽しむ操作に戸惑うようなことがなくなる・・提供サービスの顧客・賢い消費者になれても端末機製造に必要な雇用対象になる労働者数が限られています。
IT化による雇用減の問題は、病気あるいは景気変動による失業した例外的弱者を対象にするのではなく、仕事がなくなっても消費だけできる社会・・大多数にとって仕事に関与できなくとも幸福感を持てる生き方に転換していくことが可能かの研究が必要です。
自己実現とは何かです。
大雑把に言えば、労働従事時間と生きるための食事や睡眠をとる時間がほぼ全てだった時代から生産効率化によって徐々に食事を楽しみ(寒さを防ぐだけの衣類から)色柄等を楽しむゆとり〜文化を楽しむまで広がってきたのが人類進歩?の過程・・生きるために取られる時間短縮の過程と言えます。
生命誕生以来、生きるための活動に従事できることが、安心感をもたらしていたように思われます。
直接間接を問わず生きるための活動に従事できることが生命保持の本能に合致していたのに、生きるための労働従事時間短縮が極度に進み99%消費だけの時間になるとすればどうなるでしょうか?
・・しかも1%の労働を平均的に分担するのではなく、5〜6%の人が独占してしまうとすれば、何万年以上の生活習慣が断ち切られるので、不安に襲われるようになるのでしょう。
働く必要がないので働く能力が衰えることを心配する必要がないと言えばそうですが、心がついていけません。
今では仕事しないで生きていく贅沢な悩みは庶民にとって新しいテーマですが、古くは王侯貴族の子弟・・今の財閥の御曹司などはどうやって生きて良いか、身の振り方に迷ってきた歴史です。

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