不満社会9(韓国1)

不満・ストレス社会化のテーマから余談に逸れましたが、製造業の自動化→非正規化の急進展、事務作業のIT化の進行によるホワイトカラーの早期切り捨てなどが日本より急速に進んでいるのが韓国です。
何ごともこれが良いとなれば、後先見ずに?ラデイカルに変えていく韓国社会ではこの変化に適応できない人のストレス蓄積が半端ではない・・いつでも発火点にありそうな雰囲気が伝わってきます。
いつも私が批判しているところですが、韓国では学歴エリート・秀才が国政を牛耳り過ぎている・・日本の政治家のように国民の草の根の声を聞く歴史経験がなく欧米の聞きかじり・観念論で政治をするからではないでしょうか。
4月6日日経新聞朝刊10pではサムスン電子の60%減益発表関連の記事・・・減益に関しては単なる一過性のものか将来的にダメになっていくかを論じるメデイアが多いのですが、日経もその一環で「機能偏重・コスト高・カリスマ不在」の副題・将来性も暗いと言いたいようです。
この中で、「韓国経済低迷で安定志向が高まり10年に7、8年だった平均勤続年数は18年に11、8年まで伸びた」と紹介されています。
最近リストラ年齢が切り上がってきた結果平均年齢が上がって来た=人件費の切り上がり・日本より大幅に安い人件費が競争力の源泉だったのに今ではトヨタよりも高くなっている・高コストになっている点が不安という解説です。
上記日経新聞記事によれば「30歳で肩たたき」という従来一般的だった評判・噂?は過去のものになっているようです。
肩たたきで退職してもその後の悲惨な状況(あんちょこな個人商店開業が多いようですが、多くはすぐに倒産する悲惨さが日本に伝わってくるほどですから)を学習しているので肩叩きに応じないで必死にしがみつく人が増えてきたようです。
30歳が34〜5歳に切り上がっても、その不安に耐えている人たちの不安ストレスは並大抵ではありません。
以下は2年ほど前の日経ネット記事です。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO15321100U7A410C1X17000/

韓国サムスン電子、勤続年数が6年連続増加 2017/4/17 6:30
「サムスン電子の平均勤続年数が伸びている。2016年は10.8年と6年連続で伸長。00年以降で最も短かった05年の6.0年に比べて1.8倍になった。
厳しい環境に耐えて長く働く社員が増える裏には、韓国で広がる経済格差と若者の安定志向がある。
最近は入社4~5年での退職が珍しくなかったサムスンにも変化がみられる。同社が公表した事業報告書によると、15年に平均勤続年数は10年を超え、16年も約半年伸びて10.8年になった。

この何年も肩叩きに耐えて(退職を1年でも2年でも先送りして)やめない社員が増えたのは、低迷する経済にあるようです。
https://japanese.joins.com/article/562/243562.html

韓経:韓国自営業者の「悲鳴」…今年は100万カ所廃業
2018年07月30日10時06分
[ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版]
国家経済の毛細血管であり庶民経済の根幹である自営業が奈落に落ちている。無給家族従事者118万人を含めた関連従事者688万人で韓国の全就業者の25%を占める自営業がつまずき、所得主導成長を掲げた文在寅(ムン・ジェイン)政権になり雇用と所得分配はむしろ悪化の一途だ。
国税庁の国税統計と小商工人連合会などによると、今年廃業する自営業者は過去初めて100万人を超えると予想される。年間開業数比の廃業数で示す自営業廃業率は2016年の77.8%から昨年は87.9%に高まった。今年は90%に迫るだろうというのが業界の推定だ。自営業者10人が店を開く間に9人近くが店を閉めるという話だ。

https://japanese.joins.com/article/485/238485.html

韓国に自営業者が多い理由(1) 2018年02月09日15時29分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
韓国は自営業者が特に多い。2017年現在、韓国全体就業者2656万人のうち25%の675万人が自営業者や無給家族従事者である非賃金労働者だ。賃金労働者は全体就業者の75%だ。
無給家族従事者は18時間以上にわたり家族が経営する事業体で報酬を受けずに仕事をする人を指し、約110万人となっている。無給家族従事者は広義の自営業者と見ることができるため、自営業者の数は600万人を超えるとみてもよいだろう。
ギリシャ、トルコ、メキシコ、イタリア、ポルトガル、ポーランドなどが韓国とあわせて自営業者の比重が先進国平均の2倍ないしそれ以上の水準を示している。
・・・・自営業者はさまざまな理由と形態で存在するため、国別の自営業者比率の違いを一律に説明することはなかなか難しい。
にもかかわらず、既存の研究は▼産業化の程度が不十分▼労働市場が柔軟ではない▼個人所得税や社会保障分担金が多い▼失業給与水準が低い▼租税回避の可能性が高い--などの場合、自営業者の比率が高いと報告している。
・・・所得税を納める人の比率が少なく、所得税率と社会保険料率が高くない韓国に上記のような一般論の適用は難しそうだ。
・・・・韓国に最も適用可能な要因は、租税回避の可能性が高いということだ。あわせて低い失業給与水準も関連のあるほころびだらけの社会セーフティネットに伴う生計型自営業の起業だ。

私の関心は上記意見の関心とは違い、日本の中小零細企業との本質的違いに関心があります。
日本の場合、家内制手工業から工場生産へ以降していく順次経過の歴史があり、いわゆる大田区等下町に残る手工業的町工場に世界のバイヤーが群がるイメージ・・・すなわち日本の将来の芽が凝縮するプラスイメージです。
韓国の場合家内制手工業の経験がなく、いきなり財閥系への先進国技術導入で高度成長を図ったので、効率が良かったものの大手工場に納品すべき下請け町工場は存在しない・日本からの部品輸入に頼ってきました。
いわゆる圧縮経済の問題点です。

野党離合集散3

ついでに国民民主幹事長の平野氏の主義主張を本日現在のウイキペデイアからの引用で見ておきます。

平野 博文(ひらの ひろふみ、1949年3月19日 – )は、日本の政治家。国民民主党所属の衆議院議員(7期)、国民民主党幹事長(第2代)、大阪府連代表。
内閣官房長官(第77代)、文部科学大臣(第16代)、衆議院安全保障委員長・国土交通委員長、民主党国会対策委員長(第17代)、民進党副代表、民進党国会対策委員長(第4代)、国民民主党総務会長(初代)、雄志会会長(初代)等を歴任した。

普天間基地移設問題において、沖縄県民の負担軽減のため、普天間飛行場に離着陸するヘリコプターの機数削減やヘリ部隊の沖縄県外への移転を挙げたほか、「極端な話」と前置きした上で、普天間飛行場周辺の住民移転(事実上の強制移住)も挙げた。2010年1月24日投開票の名護市長選挙で、辺野古への移設に反対する稲嶺進の当選を受け、「民意を斟酌しなければならない理由はない」と発言した。平野のこの発言に対し、民社国連立政権の一員であった社会民主党の照屋寛徳国会対策委員長は「けしからんどころか、ぶん殴りたい。政治家としての感覚を疑う」と平野を激しく非難した。しかし、平野は1月26日の記者会見でも「理解は求めなくてはいけないが、合意が取れないと物事を進められないものなのか。日本の安全保障にかかわってくる問題だ」と述べ、沖縄県民の同意の必要性はないとの認識を示した

以上見てきたように国民民主党の幹部は、自民党とほとんど同じ主張をしてきたことがわかります。
そこで与党との違いを出すために革新系の主張を表面化して何かと反対してきただけだったとも言えます。
國民と立憲・・左右それぞれ言いたいことを言える政党になると、与党との違いをどうやって出すかの問題にならざるを得ません。
主張が同じならば、国民民主党が左右から食われっぱなしになる運命で、党全体が消滅して行くしかないでしょう。
多くの議員をこういう立場に追い込んだ小池氏が、そのまま都知事を「のうのう」と続けている(のかな?)ことが、政治的に許されるかの(素人っぽい)疑問です。
小池氏は希望の党の代表を退き責任をとったことになり、都知事はその前から・党など組織の応援でなく自分一人の力・都民の支持で勝ち取ったものだから都民の支持がある限り都知事をやめる必要がないとなるのでしょう。
結局は次の都知事選までの間に「都知事選は国政にでるための踏み台に利用したのか?」という不信感・・落とした信用を回復できるかどうか、都政の実績次第になりそうです。
都民の信用が回復できなくて政治生命が終わっても、後になれば内部路線対立で二進も三進もいかない状態であった民進党を、左右と中間派に3分割した触媒の功績として残るでしょうか?
最近自民党幹事長の二階氏が来年に迫った都知事選で小池氏を応援するとの発言ニュースが流れましたが・・・。
希望の党惨敗以降も都民の小池氏に対する支持が底割れせずに持ちこたえている・次期も出馬すれば当選すると読んだからでしょうか?
自民党はもともと党公認でなくとも、当選した方を自民党に取り込むのが原則的方法で、これによって新陳代謝を進める装置になっていましたが・・。
(今回の福岡や島根県の分裂選挙でも、無所属立候補で勝った方が自民党入りしています。)
この場合、負けた方を公認決定し熾烈な選挙戦をしてきた地元県連主流派とのしこりが残るのが普通で小池氏の場合も似ていますが、都知事選勝利後地元都連との確執にとどまらず野党結成をしてしまった点が大違いです。
新党結成とは、昔でいえば反乱軍の将として旗幟鮮明にした意味合いですし、しかも従来の野党系の新党結成とは違い、保守新党の結成なので自民党支持層を侵食したい意欲満々でしたので、選挙協力すると自民党内支持基盤を荒らされる・・いわゆる骨肉の争いリスクがあり複雑です。
長年安倍総理と総裁の座を争ってきた反主流の雄、石破氏にとっても反安倍勢力の台頭は嬉しいような・・お株を奪われてし舞う心配など複雑な心境でしょう。
幹事長その他要職を歴任して安倍総理から優遇されてきたのに次期総理の椅子を獲得するために自ら無役を選んできたのですから、自分より人気のありそうな小池氏が総理の座を狙うなら彼女を担いで・功労者として党内で優遇されれば良いとは思っていないでしょう。
あるいは、もはや次の総理の芽がない以上は、意地でも楯突くことが生き甲斐だという不満の権化になってしまったのでしょうか?
https://www.sankei.com/politics/news/190318/plt1903180001-n1.html

政界徒然草】二階氏「小池都知事の再選支持」発言は本気か
2019.3.18 07:00

https://toyokeizai.net/articles/-/269677

二階氏の「小池知事支援宣言」にざわめく自民党
幹事長の独断専行を安倍官邸が静観する訳
2019/03/08 5:50
剛腕で鳴らす自民党の二階俊博幹事長が小池百合子東京都知事の再選を支援する意向を表明したことが、自民党内にざわめきを広げている。小池知事と激しく対立する同党都連は、突然の幹事長発言に怒り心頭で、党本部と都連の抗争にもつながりかねない状況だ。
ただ、旧民主党出身の細野豪志元環境相を二階派に入会させるなど、ここにきての二階氏の独断専行には、参院選後の党・内閣人事や政局運営をめぐる主導権争いも絡んでいるとみる向きも多い。様子見を決め込む安倍晋三首相も内心では困惑と苛立ちを隠せない。

総理が困惑し苛立ちを隠せないかな?
プロの政治はいつも日々難局との戦いであり、難局のたびに「困惑」などしているようではトップ政治家が勤まりません。
難局をどう打開するかに知恵を絞り、次と次、さらにその次の局面に向けて布石を打つのがプロであり、仮に苛立ちを示したとすればそれもパフォーマンスのひとつと見るべきです。
総理が難局にオロオロしているかのように解説するのは(素人レベルの推測?)間違いではないでしょうか?
そもそも小池氏を都知事候補として支持(推薦?公認?)するのは安倍氏にとってチャンスか難局かすらわかりません。
安倍総理にとっては任期満了で引退か任期延長が成り立つかも今の所不明ですし、小池氏を(次期総理の含みを持たせて?)取り込む選択もない 訳でもない・この伏線のためにか都知事選の当初から希望の党のフィーバー中にも自民党内で盛り上がる小池批判の正面に立たず官邸は静観の構えだったように記憶しています・・政治の世界は「禍福糾える縄」以上に複雑で、素人による推測の限度を超えているでしょう。

野党離合集散2

立憲が純化路線で行く限り、当面は国民民主内の左系と共産党を食い破って行くためには、選挙協力などない方がいいでしょうし、合流して変な主張をされるよりは、国民や共産党に選挙で競り勝って自前の議員を増やした方が党運営がスムースでしょう。
ただし、国民や共産の票を食い破っている間は勢いがいいでしょうが、純化路線はわかりよい代わりに非武装平和論支持者以外に支持が広がれない限界がありそうです。
ドイツ緑の党とかアメリカの茶会のように、特殊政党・・ニッチ政党で生きていく覚悟をするしかないのでしょうか?
国民政党化するためにウイングを広げると内部意見がまとまらず苦労した民主〜民進党の二の舞のリスクがあります。
インテリが幹部になる政党・・議論先行でなく、現実政党にならない限り左右どころか多数意見を合わせ持つ国民政党の維持は困難です。
19年4月7日の選挙・・千葉市の例では以下の通りです。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO43486270Y9A400C1L71000/

7日に投開票された千葉市議選(選挙区6、定数50)では、自民党が現有議席18を維持し、引き続き市議会最大勢力を保った。公明党は改選前の8議席を確保。それぞれ6議席と2議席だった国民民主党と立憲民主党は共に5人が当選し、市民ネットも改選前の2議席を死守した。現有7議席の維持を目指した共産党は美浜区で議席を失い、6議席にとどまった。
立憲が3議席増えたうち、国民と共産が各1議席を失ったようです。

国民民主は左から立憲に票を掘り崩され、党内保守系は自民党に切り崩される苦しい展開です。
立憲に食われない保守系議員はどうなるでしょうか?
民進党に党名改称以降も党勢が泥船化する一方・・党内左右対立でまとも統一した政策提言ができない・・結果的に党が一致できるのは政策論争に関係のない、揚げ足取り的政府批判しかできないのをどうするかに苦しんでいました。
観念論・形式正義を主張する左系を切り捨てて現実的政策提言できる政党への脱皮・結果的に保守2党論が生き残る道という方向性が17年総選挙前から出ていました。
その旗印として名乗りを上げたのが小池氏でした。
民主党内にあった保守系議員にとっては、単なる分党では自民党の焼き直し的で吸収されてしまう恐怖があり、自民党に並び立つ程度の規模・画期的イメージにしないと生き残れない危機感がありました。
泥船からの乗り換え船をどうするか?水面下の調整が進んだ?のが、自民党員でありながら党公認候補を敵に回して突如都知事選に出馬して大勝を収めた小池氏の国政への野望と結びつくことでもしかして「政権を競う政党」として発足可能な夢を追えそうな報道が過熱していました。
分党=ジリ貧の予定から突如今にも政権に手の届きそうな政党への変身可能性が取りざたされる日々が始まって、夢を抱いて小池氏の結党した「希望の党」に乗り換えた途端に肝心の小池氏人気が失速してしまったので小池氏にすがりついたら自民への対抗勢力となれる予定が雲散霧消し却って新党の存続が脅かされる結果になりました。
源平合戦で言えば、「この指とまれ!」と反平家機運を持つ武士をおびき出したところで、令旨を出した以仁王や源氏の棟梁が戦う前に敵方に降参したような状態で旗上げに呼応した各地武士が恥をかいたというか立場を失った現状です。
保守2党論に乗り替え損なった国民民主の保守系議員は、旗印を失って自民党議員に票を食われて行くしかないでしょうからジリ貧の展望です。
希望の党への合流窓口になっていた細野豪志氏が素早く自民党幹事長の派閥に入ったような報道されているのは、この象徴的変わり身の早さというべきでしょうか?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E9%87%8E%E8%B1%AA%E5%BF%97

細野 豪志(ほその ごうし、1971年8月21日 – )は、日本の政治家。衆議院議員(7期)
民主党幹事長(第13代)、自誓会会長、民進党代表代行、希望の党憲法調査会長などを歴任した。
9月27日、小池百合子東京都知事を代表とする新党「希望の党」設立会見に、結党メンバーとなる国会議員14人の一人として参加した[32][33][34][35][36]。また、「上(小池)からの命令」として民進党から希望の党への公認申請者や、旧民主党政権で三権の長(首相や衆参院議長)を務めた者の「排除」を主導した
志帥会入会後
2019年1月、無所属のまま自民党の派閥である二階派に客員会員として入会。将来的な自民党入党の意向も表明した[42]。
外交・安全保障
総合安全保障の観点から、エネルギー、海洋、宇宙などグローバルコモンズに注目し、2007年には海洋基本法、2008年には宇宙基本法の提出者となっている[55][56]。また、憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使に賛成しており、前原誠司が主宰する防衛研究会に参加した[57
外国人参政権問題
永住外国人への地方選挙権付与については「どちらかといえば反対」として慎重な姿勢を示している[68]。その後、「民主党はこの問題について再検討すべき時期が来ている」と反対の姿勢を明確にしている[69]。
靖国神社
「時々靖国神社に慰霊に行く」と発言しており、A級戦犯については分祀した上で無宗教の国立追悼施設を新たに建立するのではなく靖国神社を慰霊施設として残すべきと主張している

彼の主義主張は上記の通りもともとほとんど自民党と同じです。

野党離合集散1

いわゆる55年体制下の社共両党はソ連や中国をバックにする政党として事実上?(というか国民多くの暗黙の認識)存在してきたので、ソ連崩壊後非武装平和論の公然たる主張は無理が出てきました。
国民支持を受けなくなった結果対応として、社会党のままでの党綱領改変は無理があったので社会党から解党的に大量脱退して(今回の民進党から希望の党への大量遺跡の前身)現実主義路線転換のために新党結集に動いたものです。
同時に選挙制度改正・・小選挙区化により1選挙区一人しか当選できないとなれば一人しか党公認で立候補出来ない⇨現役優先になる結果、新人出現の阻害要因になり優秀な新人が野党に流れる期待・・中選挙区の場合人材が政権党にばかり集まる⇨自民党長期政権可能な下地の破壊⇨政権交代可能にする構造改革政策でした。
野党が自民党公認漏れの新人の受け入れ皿となるには・保守系も受け入れ可能な政党への脱皮を図る必要がありました。
野党=非武装論一本では現実的政策論者を受け入れられないので小選挙区にした効果がない・・この変身過程の離合集散の結果、自民党出身者・・保守系もかなり取り込んだので現実政党らしくなったので国民も安心した結果、初めて自民党が下野して登場した細川政権は、もともと保守的地盤を持ち熊本県知事の経験のある細川氏が総理になったものですし、それを担いだ実力者が元自民党幹事長の小沢氏でした。
自社さきがけ等の連立を経て自社連立となり、自公連立に変わりついにリーマンショック後民主党政権に至ったものでした。
既存政党からの分離組みの初期時代を経て10〜15年を経ているので独自政権のように見える民主党政権でも、初代総理になったのは元自民党員であった鳩山氏であり、自民党創設当時頃吉田総理と争っていた鳩山元総理の孫?です。
現在の国民民主の共同代表は玉木氏は何と自民党の大平正芳元総理の娘婿でその地盤を継承しているイメージです。
玉木雄一郎氏に関する本日現在のウイキペデイアの記事からです

妻・恵理は首相・自民党総裁だった大平正芳の親戚であり、この縁で大平の孫娘である渡辺満子(元・日本テレビプロデューサー、元日本テレビ取締役専務執行役員・渡辺弘の妻)が玉木の公設秘書を務めている。また、地盤である現在の香川2区はかつての大平の地盤(中選挙区時代の香川2区)の一部を引き継いだ地区でもある[46]。

自民党でさえ一人しか公認できない小選挙区制になったので、野党の方も選挙協力で候補を一本化しないと小選挙区では完敗になりますので、共産党を除く野党が民主党に大同団結してついに政権獲得にまで進みましたが、政権担当して見ると選挙に勝つための政党結成だった結果、内部意見統一もできないし、実務能力がなく信用を落として終わりました。
その後政権取りのためだけの無理な大同団結の反省から、この数年で民主党が民進党になりさらに国民と立憲と無所属に3分裂した結果、それぞれの主張がスッキリしました。
ここに至る過程を振り返ると民主党は左右混合の現実政党を目指した結果、両翼の支持が混在しているので寄合所帯の矛盾を孕んで二進も三進もいかなくなって来たのが、民主党〜民進党への党名変更後の段階・・最大の弱みでした。
この民進党になった段階では保守と革新に純化・・分党するしかない状態に追い込まれていたのです。
健全野党の成長を待望していた国民が多かった(私の主観?)ので、希望の党はこの期待と野党の矛盾関係に手を突っ込み保守系を引き抜いて一挙に自民党に対抗できる現実的大政党を作ろうと目論んだものでした。
健全野党の出現を期待している国民は心情的に喝采していたと思います。
16年頃に民主党から民進党へ党名変更しても、支持率が低迷する一方で行き場を失って右往左往していた民進党議員は票を求めてすぐにも雪崩を打って希望の党へ大挙入党する勢いでした。
自民党からの野合批判(国民の期待は現実政党誕生であり、原理論者の合流を期待してはいない・核心をついたものです)に小池氏が反応して、もともと保守系大同団結を目指した結党であった以上は、非武装平和系「排除」は譲れない基本として排除発言に追い込まれました。
排除発言されて行き場を失って追い込まれたグループの受け皿として立憲民主党が結成されました。
立憲は結果的に・・反安保等旧社会党的主張へ回帰する純化集団中心の受け皿となり、スッキリした分、当面は旧民主党内でモヤモヤしていた反安保勢力の取り込みで一定のところまでは党勢拡大できるでしょう。
小選挙区制対応のための大合同・実質選挙協力体制でしたから、1選挙区で民主党から一人しか公認候補を立てられないので、ある選挙区では保守思想の候補者が公認されると、その選挙区に住む左翼系の人でも仕方なしに保守系思想の民主党候補に投票したり、逆に非武装系の候補者しかいない選挙区では、民主党内の保守系の人も左翼系の民主党に投票するしかないなど選挙区ごとで歪みが生じていました。
選挙協力・統一候補擁立とはそういうものです。
排除論理による左右分裂・純化路線とは・・各派が別の政党になり選挙協力がなくなったことになります。
立憲と国民民主そして無所属の3派に別れた各選挙区にそれぞれの派閥が独自候補を立てるようなもので、党員にすれば自分の支持派閥にそのまま投票できて気持ちがいいでしょう。
自分の選挙区では民主党内の保守系しかないので仕方なしに民主党の保守系に入れていたか共産党に投票していた場合、立憲が非武装論者を全選挙区で擁立してくれれば、喜んでその候補者に投票できるでしょうから、左翼系では当面共産党と民主党内の保守系議員の票を食う関係になりそうです。
とはいえ、非武装平和論(米国支配よりソ連支配の方が良いという主張を根底にした思想)はソ連崩壊後限界が来たので社会党が事実上解体せざるを得なかった現実があったのですから、(ソ連に変えて中国の支配下に入る方が良いという主張?)立憲民主党が今更歴史の歯車を元に戻すのは無理ではないでしょうか?
立憲民主の目標はニッチな非武装論者の取り込み専念段階では成功するでしょうが、一定率まで伸びれば壁にぶつかるしかなさそうです。
4月7日の統一地方選の結果を見ると立憲の市議が増えた分の主な供給源として、国民と共産党が落ちている傾向が見えます。
民進党の分裂劇は、左右混在の元民主〜民進党の左右純化への流れを表しているとすれば、立憲民主の党勢拡大は、元民主党支持者内の食い合い以上に伸びられない分を共産党支持者を食っているようです。
立憲民主結党以来共産党が、野党統一候補擁立・選挙協力に必死になっているように見えるのは、放置すると立憲民主に共産党支持層が侵蝕されていく危機感から,選挙協力という名の縄張りの取り決めを必要とする背景があるからでしょうか?

IT化と生き甲斐3(伊勢物語)

ただし昨日書いたことは、観念的区分けができる前提の喩え話であって、生きることに直接関与する人は今も少ないでしょうが、間接関与の程度が限りなく複雑で遠くなって行くので、実は一方の分類では消費に入ることでも、生きるための営みとも言えることが多いと思われます。
大きく分ければレストランの調理は(農作物育てる過程とそれを自宅に持ちかえって食べる過程に分ければ)生産活動と言うより消費活動の一環ですが、レストランが飲食物を提供するのは自分が食べるためではなく、人のためになっています。
このように何が消費で何が生産的かの分類(分類の目的によって違うべきでしょう)が難しいですが、お金になる行為はそれなりに他人のためになっていることの証と言えるでしょう。
お金になるということは、それだけの価値を生み出しているから払うのですから、この分を国内総生産にカウントするのが現在の仕組みです。
300〜400〜500円と多くの人手を介して順次仕入れたものを最後に600円で売れば、商品の移動の都度100円の増値行為があった・それを消費するので各100円の増値税・・我が国では消費税を支払う仕組み・・最終消費者が600円に対する消費税を払いますが、500円で仕入れた商人が仕入れ時に500円に対する消費税を支払い済みですので自己負担は100円に対する負担だけになります。
このように家庭内の無償行為を全部外部行為に切り替えれば有償行為になる・・人のためになっていることが可視化されますが、人間の生きがいとしては同じです。
女性は直接的な生産活動に関与する時間と家庭内無償行為に分断されていた分、一見生産関与率が低いとされてきただけでその気になれば 殆どが有償行為 に分類されます。
女性が家庭内の無償行為の大部分をこなしていることから考えると、IT~AI化時代が進行して、生産直結行為が減る一方で外見的には大多数の人の行為が消費活動しかないような時代がきても、女性の方が自己実現力が高い・・適応力が強そうです。
家庭内の炊事洗濯掃除など目に見えるものは男性も分担可能ですが、感情を共有し愛情を注ぐ行為になると男性は(例外はありますが大方の場合)遠く及ばないように見えます。
愛情を注ぐのって、生産行為か消費行為か分かりませんが、風俗系でお金を取る場合だけが生産行為ではなくお母さんの愛情の価値(無税ですが・・)は千金に値するでしょう。
母親でなくとも保育園での保育士が幼児に対して愛情を注ぐ必要性も同じです。
病院での看護師さんも同じで、手際よく処置する器用さだけではなく患者の痛みに対する共感力も重要です。
「春宵一刻値千金」とも言いますが、「春宵を愛でる気持ち」があるか否かで春宵の価値が違ってきます。
今後愛情・感性の価値が(相場?)上がりそうですが、逆に終身独身者が増えて行くと、無償の愛を感じるチャンスが減りますが、このギャップをどうするかでしょう。
ロボット〜AI化がいくら進んでも本物に代え難いものとして最後まで残るのは愛情でしょうから、今後女性の得意とする分野の価値が上がる一方です。
男性は子供に対する母親の愛情のおこぼれをもらって家庭内に居場所をようやく確保している印象になって行きます。
愛情の需要が増えているのに供給が少ない現状〜将来不安があるからペット代用ロボットへの期待が高まっているのではないでしょうか。
生きるための仕事をしなくとも食える人が増える・・何もしなくとも行きていける社会になった場合の生きがい喪失に戻ります。
この点に関して古くから人口に膾炙しているところでは、伊勢物語のこのくだりでしょうか?
https://blog.goo.ne.jp/87108/e/d2d2676421899b4c5ad9f53d72d42004

伊勢物語(九)「身をえうなきものに思ひなして」

彼は皇族から臣籍にくだった2代目だったかな?、立身の限界を感じて東に下ったという筋書きです。
在原業平に関するウイキペデイアの記事です。

父は平城天皇の第一皇子・阿保親王、母は桓武天皇の皇女・伊都内親王で、業平は父方をたどれば平城天皇の孫・桓武天皇の曾孫であり、母方をたどれば桓武天皇の孫にあたる。血筋からすれば非常に高貴な身分だが、薬子の変により皇統が嵯峨天皇の子孫へ移っていたこともあり、天長3年(826年)に父・阿保親王の上表によって臣籍降下し、兄・行平らと共に在原朝臣姓を名乗る。

現在では財閥の御曹司は使いきれない巨額資産を受け継ぐので、生活費を稼ぐ喜びがない・創業者の真似をしても多くの場合かなわないし、後継者役割限定では何をして良いのかわからない・うっかり余計なことも言えない一生飼い殺しされる状態です。
そこで生きがいを見つけるには別世界・・F1レーサーとか、テニス・スポーツ界に出るとか、芸術に没頭するかヤケになるしかない大変な人生です。
ホンダ創業者の息子やソニー盛田氏の息子など多くは気の毒な結果になっているのが知られていますが、失敗で有名にならない人でも多くは苦労な人生を送っている筈です。
幕府大老の家柄から飛び出した酒井抱一は、別世界での大成功者というべきでしょうが、こんな恵まれた才能のある人は万に一つもないことです。
社会の急激な変化にうまく適応して成功を謳歌しているグループと置き去りされたグループとの二極分化は弁護士会にも及んできました。
創業に成功したものの絶えざる競争に晒されて息つく暇もない経営者や、リストラや定年後の喪失感に苦しむホワイトカラーにとって、三十年ほど前には自分の子供らの進路としておすすめ職業のように見えたことでしょう。
ところが、弁護士業界が夢のように恵まれた時期があったのは、資格審査の厳格性による厳しい参入障壁があった歴史的偶然性によっていたに過ぎませんでした。
参入障壁が大幅に緩和されると社会全般に生じている格差が弁護士業界に遅れて押し寄せてきたようです。
皇族の係累に属し恵まれた立場の在原業平でさえ政争の渦に巻き込まれるなど安定したものでなかったように競争・淘汰のない安定業種は昔からありません。

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