不満社会?3(年金記録消失〜統計不正?)

人名は一つの漢字で幾通りもの読み方があるのが普通ですから、ミスがなくとも入力するアルバイト?によってはいろんな読み方に転記されていったのは想像にかたくありません。
二重チェック体制にしても、何が誤転記かの判断は人によって違うので無理があります。
こういう誤転記を防ぐにはどうすればいいか?普通に考えても妙案はないでしょう。
目の前に保険加入者がいたり携帯電話番号を書いていれば聞けますが、当時は携帯も普及していない時代ですし、そもそも各人の電話番号を役所が記録していません。
まして送付された山積みの何千万に及ぶ年金加入者名簿・それも漢字の氏名をカタカナ入力変換作業を終日打ち込む作業に従事するアルバイト?にとっては、ありふれた漢字でさえ変換ミス皆無にはできませんし、もともと誤転記なしの作業など無理・・不可能だったのです。
交通事故を皆無にできないし、医療ミス皆無もない・要は不幸にして一定率で発生するミスが起きた場合のリスク最小化と保障問題でしょう。
リスク最小化対策としては一定期間紙資料を保存しておいて、年金記録に疑問を持つ人の照会に対応できるようにしておけばよかったと思います。
「疑問を持たない人は損をしっぱなし」というのはひどいということでしょうが、これはある程度仕方ない仕組みの応用です。
法律の世界では、時効という制度があるのはこういう時のためです。
自分の権利は自分で守るしかないのが原理であって、気がつかなくとも不法行為で言えば被害に気がつかなくとも20年で時効ですし、多くは10年とか3年とかの期間限定仕組みになっています。
例えば遺言があっても、遺留分減殺の権利がありますが、遺言で遺留分権を侵害されたことを知ってから1年、遺言があったのを知らなくとも10年で権利行使できなくなります。

民法
第千四十二条 減殺の請求権は、遺留分権利者が、相続の開始及び減殺すべき贈与又は遺贈があったことを知った時から一年間行使しないときは、時効によって消滅する。相続開始の時から十年を経過したときも、同様とする。

年金は超長期の掛け金で、もともとすぐに気がつかない制度(支給を受けるときに初めて気になるもの)ですから、5年や10年で記録廃棄されて復元不能では困りますが、コンピューター転記直後にコンピューター化した後の過去の年金加入履歴を全員に送って(コンピューター化したのちのプリントアウトコストはコピーする人件費その他に比べれば大したコストではないでしょう)、本人に転職歴など間違いないかの確認チャンスを与えておけば、かなりの人が自分の職歴の空白期間があれば気がついたはずです。
戦災等で焼失した戸籍の再記載作業や本籍展示の転記作業での、親や本人の氏名や生年月日の誤記載を昨日紹介しましたが、最近でも平成7年頃こら戸籍のコンピューター化が進んでいて、4〜5年前までには多くの自治体で完了しているようです。
このコンピューター化作業においても一定率の誤記が生じているはずですが、自分の戸籍など見るのは一生に何回もないので気づくのが遅れます。
生年月日や婚姻届出日に誤記があっても騒ぐほどのこともない(思い違いだったかな?程度で)ことが多いし文字が違っていても戸籍訂正の裁判までしないで終わるひとが多いのでしょう。
年金保険の事務作業のコンピューター記録への移記作業でミスをなくせないからといって永遠に手作業しているわけにいかないのですから、何100人という大量の作業員を集めて行う入力作業ではワクチン接種のリスク同様にミスが起きたら政府が手厚く保障する体制で臨むしかなかった・補償問題であって、責任追及の問題ではありません。
ソ連崩壊以降、野党による政権追及テーマは政権の不正というよりは、作業技術問題であったことが多い(今回も支払基金にマニュアル作りを委託していたらプログラムミスがおきたように)政府・政治家の責任追及ばかりにフォーカスしてきた印象です。
らい病関係の政府追及?補償請求も似たような攻め方です。
政治問題にするならば、年金コンピューター化事件や、今回で言えば支払基金にプログラム設定作業を外注するしかない実態(外注でなくすには公務員を増やすしかない・・後記引用論説はそういう主張のようですが、公務員の身分があれば、ミスがないと言えないでしょう)を前提にどうやって正確率をアップするかの課題解決・提案力で競争すべきでしょう。
今年の国会追求のテーになっていた統計不正?追及も、国民の多くは「不正」というよりは事務作業レベル問題であって、政治家の責任ではないという見方がほとんどのようです。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00006/?P=3

官僚叩きでは解決せず…統計不正の「悪の根源」論考
2019年1月29日
15年前に比べ、3分の1に減った統計担当公務員
野党は「アベノミクスほにゃらら」などと政権主導による恣意的な“捏造”と批判しているけど、さすがにそれはないと思う。全数調査をサンプル調査にしたからといって、期待する結果が出るとは限らない。それに、サンプル調査でも、適切な集計手法を施せば統計的には信頼がおける数字を得ることは可能だ。
ちろん、集計手法を間違えたり公表すべき事案を隠したりするなど、今回露呈した「初歩的な統計知識の欠如」や「モラルの欠如」は気が遠くなるほど深刻だが、よくよく考えてみると、もっと根深い問題が潜んでいるのではないか。
【事実関係】
・1996年以降、調査事業所数が公表より1割程度少なかった
・2004年1月以降、東京都の規模500人以上の事業所を抽出調査にしたが、年報には「全数調査」と記載
・2004年~2017年まで抽出調査するも、集計上必要な復元処理が行われなかった
・2011年に変更承認を受けた調査計画に記載された内容どおりに調査が行われなかった
・2015年調査の事務取扱要領から、東京都の規模500人以上の事業所を抽出調査とする旨が不記載
・2018年9月にサンプルの入れ替え方法の変更に伴う数値の上振れの指摘を受けた際、統計委員会に、「復元を行う」としたことを説明しなかった

ということで「根っこは公務員削減にある」という結論のようですが・・。

統計「不正?』騒ぎと性悪説の法家思想1

従業員500人以上の大企業調査手法の変更は今の内閣が始めたのではなく、04年から東京都調査分からはじまりその後大阪などに広がっているというのですから、現場工夫で合理化していった・・規則あるいは法改正かの必要性に気付かなかった可能性さえあります。
(私が知らないだけか不明ですが)全数調査や訪問方法などの末端ルールが法の定めになっているとは想定しにくいのですが、政令か省令か、あるいは細則?要綱?ガイドラインなのか主務官庁である総務省の通達に反していたのかさえメデイアははっきりさせていませんでしたが、2月14日日経新聞朝刊5p焦点②には、調査方法変更には総務省の承認を求める義務違反でないかの書き方が出てきました。
以下素人意見ですが、元々統計や世論調査はサンプル調査が原則と思われますが、全数調査ルールがいつ決まった手法かの報道がないのですが、例えば地方県で五百人以上の企業が2〜3社しかない場合に1社だけのサンプルで2〜3社平均を出すのでは統計的意味がないので全数調査にした意図がわかります。
例えば銀行とスターバックスの2社の場合、銀行員給与を調べて、スターバックス店員給与を同率で推計計算するのは無理があるでしょう。
ちなみに現時点の500人以上企業数の県別統計をネット検索するとデータが古いですが、以下の統計が出てきます。
http://www.gender.go.jp/kaigi/senmon/kihon/kihon_eikyou/pdf/02_2_chosakai_todoufuken.pdf

図表13都道府県別従業者規模別企業数図表
(備考)総務省・経済産業省「平成24年経済センサス-活動調査(企業等に関する集計産業横断的集計)」より作成。

表が大きいので引用を省略しますが、東京神奈川大阪愛知福岡等を除くと千葉でも10社しかなく青森は1社しかなくその他は概ね2〜3社しかありません。
ところが経済成長によって世界企業(東京等の大都市集中)が数え切れないほどになっている現在全数調査は物理的に無理になってきたし、対象先が千社以上もあれば業種ごと(同業種の賃金傾向はほぼ横並びです)のサンプルを作れるので偏る不都合はありません。
報道によれば東京都だけで現在約1500企業もあるというのですから、全数や全戸戸別訪問(大手の場合訪問してお願いして(お茶を飲んで)帰るだけでその場で聞き取れる(一定期間経過後もらいに行くのかな?)ものではないし、本社担当者と面談しても、何(雰囲気?)が分かるか不明でその割に手間がかかり過ぎて非効率なのは誰の目にも明らかです。
ここで言いたいのは政争の是非ではなく、昔から日本社会は理念で一刀両断でビシッと末端まで貫徹していく怖い社会はなく、現場の必要に応じて緩やかななし崩し修正していく社会であったということです。
革新系の主張は秦始皇帝に始まる専制支配体制強化に役立った法家の主張のように理論だけで貫徹・解決しようとする傾向があり、(有名学者の動員大好きです)理論どおりでないのはどこかに邪(ヨコシマ)な癒着?「不正」があるはずというスタンスによる政権追求パターンですが、不正を前提にした観念的主張が日本の社会実態にあっていないので国民支持が広がらないのです。
メデイアは頻りに「統計不正は国家根幹の政策を誤らせるから大罪だ」という大上段議論を展開していますが、東京、大阪等のコスト削減策が統計を歪めたのか?の実態議論があまり見えません。
出回っている議論を見た印象では、サンプル調査した以上実数ではないから・・例えば3分の1しか調査しないならば、実数値に直すには3倍する必要があるのにそれを怠っていたから、(大手企業の賃金が高いのに「その人数がすくなく出ていた)平均賃金が実際より下がっていたので統計数値を歪めたということらしいですが、それは東京都が3割のサンプル調査に切り替えるのと同時にその計算方法をセットでしなかったミス(法理論ではミスも違法の一部ですが「不正」とは言いません。
あたかも政治が絡んだ不正であるかのような内閣追及騒ぎですが、どこの政府でも賃金が下がっていると発表したくないのが普通ですから、敢えて時の政権が賃金統計を低く出す奸計をめぐらしたと思う人は皆無に近いのではないでしょうか?
先秦時代の法家の思想・・元々性善説に対する性悪説から始まっているのが法家思想ですから(日本は財布を拾ったらほぼ90%以上の人が届ける性善説の社会とすれば、届けない10%の人ももちろんいます。
懐に入れてしまう少数派の人にとっては「庶民が自由な判断でやって正しいことなどあるはずがない」・「決裁なしにやること自体が不正」という思い込みがあるのは仕方がないのでしょうか?
高学歴の研究者意見に従うべきで現場工夫を敵視する傾向が見えます。
野党や文化人やマスメデイアは「良いことをしても役割外のことをすれば処罰する法家的思想」・・形式論・・その根底に性悪説に基礎を置いている印象です。
彼らは権力批判道具として民主主義や自由を主張しますが、内面では他人の自由を認める懐の深さがない人の集まりではないでしょうか。
中ソ等の専制的独裁制を尊崇する所以です。
米国の場合民主主義というものの、文化の底が浅いというか、エリートや強力なリーダー重視社会で基本的に庶民の知恵を尊重する歴史がありません。
権力構造は国民間の猜疑心・「性悪説」を前提にしていますし、国民も規制に違反さえしなければどんなに家賃を引きげようと金融でいくら儲けようと勝手」(暴利は許されない意識もない)という論理で突き進むようです。
この結果一握りが巨額収入を得て多くの人が路頭に迷おうとそんなことは法に触れない限り気にしない社会になっているようです。
アメリカは民主主義国家を標榜していますが、「人民による人民のための・・・」というリンカーン演説は政治的レトリックに過ぎないとみるべきでしょう。
その結果、ノーベル経済学賞をもらった?金融理論そのまま、シリコンバレー等で高額所得者が高額で住居を購入するとその取引事例を基礎にした高額値上げが従来の居住者に通告され、払いきれない古くからの居住者が路上生活者に転落していく流れが起きているように見えます。
日本のように「そうは言ってもね・・」という修正要素(日本の各種改正が遅々として進まない・民族社会に応じた進歩にはこれが一番必要)が働かない社会です。
私が常々批判している「秀才が国を滅ぼす論」の一場面です。

不正受給防止(超高齢者)

 

戸籍制度の存在意義・超高齢者の戸籍登録残存問題に戻しますと、超高齢者が戸籍に残っていても何の不都合もないのに、マスコミが正確な報道をせずにムードばかり煽って無駄に騒いでいるのは、一種のスケープゴート造りの疑いがあります。
昨年秋頃にいきなり(April 11, 2011「戸籍制度存在意義2」まで書いて来た通り)意味もなくマスコミが騒ぎ始めたのは、年金制度の議論が行き詰まっているのでその八つ当たりというか問題隠しっぽい報道姿勢・・政治的意図によるものとでも言うべきでしょうか?
マスコミはいつも、時の政府の意向で動きたがる傾向があります。
年金や各種手当の不正受給をなくすにはどうすべきかは、戸籍登録の正確性をはかっても費用対効果で全く意味がないので、別に議論して行くべきことです。
各種不正受給をなくすには、住民登録制度の完備・正確性を期すことと年金・社会保険番号制度等の個人識別番号を充実していき、本人に直接支給する仕組みを充実すれば良い筈ですから、(大勢の人手を使って超高齢者の戸籍抹消に精出すよりは)この機会に戸籍・本籍を個人特定のよりどころにする戸籍制度自体が、不要になっているのではないかの議論こそすべきです。
昨年秋に発覚した不正受給事例は生活に困窮した遺族がお祖母さんの死亡後も死亡を隠して年金を受給し続けた事例ですが、よほど生活に困らないとこんなことが出来ませんので、これは本来ならば、きちんと死亡届を出して遺族が生活保護を受けるべき事案です。
生活保護を受給するのとお祖母さんの僅かな年金を頼りに細々と生きているのとでは、公的支出総額自体は変わらない可能性がありますので、実質的経済効果はそれほど変わりません。
県営・公営住宅の家賃未納問題も同じで、ときどき滞納者一掃作戦実施とマスコミが報道するのですが、県営住宅などの家賃が払えなくなっている人は生活困窮者が殆どですから、結果は市職員が生活保護受給申請を勧告・手助けすることが殆どであって、役所のセクショナリズムの結果に過ぎなかったことが露呈するのと同じです。
よほど生活に困っていない限り、自宅で死亡した人をそのままにして生活出来るものではありませんから、それほど困っている人であれば生活保護申請したら受けられた筈ですし、もしも受けられないとすれば生活保護受給制度の仕組みに問題があることになります。
個人が悪用する場合は上記の通りも極限的困窮者中心ですし、数もそんなにあり得ませんから、国家経済に関係するような実質的にそれほどの経済問題が起きませんから、そもそもマスコミで騒ぐほどの実害がないでしょう。
今後は少子化の結果子供のいない人など身寄りのない高齢者が増えてくることと、身寄りがない人の老人ホーム利用者が増えて来ることから、老人ホームなどで身寄りのない老人の死亡を隠して如何にもまだ在院しているかのようにした組織的巨額不正請求が発生する余地がありますので、これの防止策の方が政治的には重要です。
老人ホームで遺体を何体も何年も放置しておけないと思いますが、組織的にやる場合は冷凍技術を駆使するなどして特別な部屋を一つ用意すれば何十体も保管可能です。
狭い自宅でそのまま遺体と一緒に暮らすよりは、倉庫みたいなもので、特段の不気味さもなく事務的に処理して行ける筈です。
一人当たり何十万円も毎月保険請求請求出来るぼろ儲けを考えれば、一部屋に何十体も保存すれば、大変な額の不正請求になります。
最初は年金支給基準日に数日足りないような時に、(年金支給は日割り計算ではなく基準日を越えれば一ヶ月分が支給される仕組みです)数日遅れの死亡届にして行くなどの少しずつのズレから始まるのでしょうが、これが徐々に幅が大きくなって行くのではないかと言うことです。
病院での死亡の場合は医師の診断書があってごまかせませんが、100歳くらいになってくると特定の病気がないので病院に行かず、ただ老衰的死亡が中心ですから、(ガンになっていた場合でも治療の方法がないとして施設に戻る場合が殆どです)死亡後に医師に来てもらって死亡診断書を貰うのが普通です。
医師を数日遅れで呼ぶことから死亡日時のズレが始まり、次第にズレが広がって行くパターンが想定されますが、例えば一ヶ月もズレてくると一ヶ月前の死亡者を昨日死にましたと医師に見せる訳に行かないので、昨日死んだ人を、一ヶ月前に死んだ人の氏名で医師に説明して診断書を貰うような替え玉作戦になって行く可能性があります。
そこは従業員の集金使い込みの隠蔽工作と同様で、先月使い込んだ分をそのままにしないで翌月集金分を先月の人から1ヶ月遅れで集金したことにして会社に報告するのと同じ方法です。
この場合、一ヶ月間の死亡者数だけ、特別室に遺体が溜まって行く勘定ですが、徐々にごまかす日数が多くなるに連れて遺体の数も溜まって行きますが、収拾策として遺体投棄が起きると、バレル切っ掛けになります。
そこは使い込みが次第に膨らんで行くと集金報告が一ヶ月遅れから、2ヶ月遅れになって行き、収拾がつかなくなって発覚するのと同じパターンです。
何らかの手を打たないと死亡報告を少しずつずらして行く手法が多くなるかもしれません。
年金や介護費用の不正受給だけではなく、4月15日に書いたように身寄りのない老人の場合、その人の財産も生前から事実上老人ホームで預かって管理している傾向があります。
身の回りのことを出来ない被介護者も同じで介護人に銀行へ行って預金を下ろして来てもらうことが増えて来て、最初はその都度律儀に報告していても本人に見せてもよく分らなくなってくるとその報告もしないのが普通になってしまいます。
結果的にいつの間にか介護者が自由に出し入れ出来るようになってしまいますが後で親族が預金を見る前提ですと困るので簡単には手をつけませんが、後でチェックする身内がいないとなれば自由自在になり易いのは火を見るよりも明らかです。

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