不満社会?2(厚労省問題)

「日本シネ」で象徴されるような不満代弁型でなく前向き提案で与党と競争する政党に変わっていかないと野党の存在価値が低くなる一方です。
厚労省の統計や保険料率の計算モデル作成ミスでもメデイアは、「また厚労書の不祥事」とか不正と騒ぎますが、要は数字の算出作業のミス率をどの程度に抑えるかの技術チェックの問題であって野党が政権を批判するようなテーマではありません。
年金問題追及で名のなした民主党の代議士が、民主党政権で担当大臣になって何をできたか?を見ればわかります。
全国会で政治問題として追及していた統計不正?問題は、民主党政権時代以前から今年まで続いていたのに民主党政権の時に気がつかなかったから今年まで続いていたのです。
沖縄基地問題で県民意思重視といって「少なくとも県外へ!と主張し政権を追及していたのに、民主党政権になるとあくまで反対する社民党党首の福島氏を罷免して、辺野古移設の閣議決定をしたのは民主党政権でした。
民主主義と地域エゴ重視とは次元が違います。
この問題は美濃部都知事時代に杉並ゴミ戦争として誰もが知るところとなった解決済みのテーマです。
福島瑞穂氏に関する本日現在の記事です。

普天間基地移設問題では一貫して沖縄県外、日本国外への移設を主張。2010年5月28日に辺野古地区への移設で日米が合意したためこれに反発し、閣議了解の書類に署名しないと宣言する。鳩山の説得にも応じなかったため、同日中に罷免された[4]。日本国憲法下での閣僚罷免は5例目で、政党の党首職にある閣僚の罷免は初めてであった。

要は日本全体で見てどうすべきかの視点がなく一部利害者の不満を煽っていただけだった矛盾が杉並ゴミ戦争同様に鳩山政権で露呈したのです。
今年に通常国会で問題になった統計この後で紹介する地方選挙前に問題視された保険料計算プログラムミスなど・・厚労省で連続発生する問題は、「厚労省が巨大官庁化しすぎてガバナンスが効かない」というメデイアの解説が多いですが、ガバナンス・・政治問題ではなくコンピューター技術を含めた「事務レベル」という産業技術レベル引き上げの問題です。
厚労省の規模が半分〜4分の一になっても、統計やコンピュータ処理の失敗をなくすために大臣あるいは高級官僚が自分でプログラムを作り直して二重チェックするようなことはできない点は同じです。
医療による被害が判明した時の判断基準は、当時の医療技術水準で考えるのと同じことを当時の事務技術に応用すべきであって、年金システム問題で言えば、その10〜20年前のコンピューター化に伴う事務ミスを政治問題にしたのは政治家の本業怠慢です。
今年の通常国会で統計問題を政治問題化していた野党とメデイアの連携戦術が国民の支持を受けずに落ち着くと今度は以下の通りの大規模報道が始まって(多分統一地方選挙向けの報道?)直近の日経新聞社説にも取り上げられていましたが、二番煎じなので国民が反応しなかった印象です。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO43360730U9A400C1MM8000/

介護保険料200億円の徴収ミス 厚労省が正式発表
2019/4/4 22:37
厚生労働省は4日、40歳以上の会社員らが納める介護保険料を徴収する外郭団体でミスがあり、2019年度に徴収すべき金額に対し200億円不足する恐れがあると発表した。企業が運営する健康保険組合などに保険料を算出してもらうために示した数値が誤っていた。厚労省は健保組合などに追加拠出を求めており、保険料の引き上げを迫られる可能性もある。

保険料引き上げの必要と言って、国民不満を煽ろうとして「国民に負担させるべきない」かのような主張でした。
しかし、政府の外注した機関の作成したプログラムミスによって、実際の負担額を200億ぐらい少なく納付する仕組みになっていたのであれば、保険組合が不足納付分を補填義務があるのは当然で国民負担が増えることではありません。
政府ミスによるから未払い分を払わなくて良いのではなく、未払い分の支払い義務があるが、遅れた責任はないというだけのことです。
ただし、社説の内容を読んだ記憶では200億の未払いの補填を求めても、入金までの遅延損害をどうするか?その負担問題を書いているようです。
週刊誌的問題提起の仕方です。
国のせきんに決まっている以上は遅延損害金を請求しなければいいのは子供でも分かりそうな法理です。
入金遅れの国の損害はどうする?という問題提起にはなるでしょうが、社説で書くような問題ではないでしょう。
ここで、10年ほど前に自民党下野の原因となった年金消失と騒がれた問題に関連する私の受任した何件かの事例を紹介しておきます。
弁護士になって4〜5年後くらいで戸籍の訂正事件を何件か担当しましたが、本籍移転の結果新戸籍作成時の転記ミスによって自分の名前が違う名前になっているのを何十年かのちにわかった事件や戦災で戸籍簿が焼失した際の復元作業(のミスというよりは)生き残った親族が甥や姪の名前をあるいは叔父の名をうろ覚えで届けるので違った漢字になったりした例でした。
東京大規模空襲直後の戸籍復元作業ですから、(役所自体丸焼けのバラック小屋で?)漢字が違っても先ずは人名登録優先(後で本人や親が出てきたらその後直せばいい応急作業ですから)復元ミスとは言わないでしょう。
本人が徴兵名簿や学校の学籍簿を持ち出して元はこういう漢字だったと証明した例もあります。
特にその頃の戸籍は全て手書きでしたので、崩し字あるいは戸籍役場担当者の癖で、ヘンや作りの略記崩し方が違うので本籍移転の場合、移送された新戸籍係りの人が自分なりに読んで書き直すので、いろいろな変換?が行われてしまうことが多かったようです。
まして単調な数字の場合、誤記がふえます。
約10年前に問題になった年金記録消失問題は、手書きの保険記録を全面的にコンピューター化する過程でそのずっと前に起きたものでしたが、当時の公式記録は氏名に振り仮名のない記録が普通で(漢字の場合読めなくともその漢字を写しさえすれば用が足りるので、戸籍などでは振り仮名不要です・現在の保険証にも振り仮名がありません)したが、コンピューターに転記するとなれば、振り仮名のつけ方次第でその後はどんどんコピペされていきます。

自己実現と社会関係6(岡口判事問題1)

素人の思いつきですが、自己実現という表現自体からその本籍は心理学あるいは精神医学療法?的には有用な概念のような印象を受けますが、対外発表は社会に影響することですから、自己実現行為という定義(内心動機)さえ付ければ放置して良いものではありません。
自己実現は表現行為に入るとは言え、対外関係の生じる表現行為では社会との関係を抜きに評価出来ませんし、ことが政治分野になると所属社会との折り合いが必要です。
社会との関係を論じる憲法・法の解釈と心理学とは違った側面からの考察が必要ではないでしょうか?
「自己実現」を称揚する学者や弁護士(私が心理学の精髄を理解した上での主張ではありませんが・・)らが「語感」だけの理解?で表現行為=自己実現と表層理解(飛びつき?)し、表現行為を優越的人権論にすり替えていた疑いがないのでしょうか。
芦部氏が米国留学中(1960年台?)に米国で流行になっていた人間性心理学の理解を日本の憲法解釈論に合成し、「自己実現・自己統治」と言う語呂の良さで(学会で深い議論経ずに?)一世を風靡しただけだった可能性(素人憶測ですが・・)があります。
心理学からの借用議論である自己実現=最高の人権と位置付けられると、どんなことを表現しよう(刑事民事の違法行為でないかぎり)と内容審査は許されない?・・内容如何によらずに「自己実現行為」であれば、批判すらも許されないようなイメージを広げます。
なんとなく精神医学で言われる「赤ちゃんの万能感」を大人になるまで引きずっているグループの好きそうなイメージです。
岡口裁判官の場外コメント発表が「矩を超えているか」否かは事件全体が具体的にわかりませんので、許容範囲か否かの○Xを安易に言えませんが、自己実現=表現の自由があるという一般論で「何を言っても良い」とイメージづけて主張するのは個人内面解析で完結する?心理学系と社会との折り合いを論じるべき法学系の違いを弁えない議論ではないでしょうか?
「表現して良い限度か否かの国会審査自体を許さない」イメージ主張が岡口判事のネットコメント擁護論として流布しているように見えます。
憲法論で批判論を封じ込めようとする・・自己実現行為は憲法で保障されているという論法で入り口でシャットアウトするではなく、(心理的には自己実現でも)自己責任で対外表現された以上、(過失漏洩か意図的発表かはどうかも重要指標でしょう→酒飲み話が録音されたばあいと恋に発表した場合の違いなどありますが)コメント内容の是非を誰もが遠慮なく議論できるようにすべきではないでしょうか?
岡口判事問題については以下のようです。
https://www.bengo4.com/c_23/n_9275/

岡口裁判官に国会の訴追委が出頭要請、今後どうなる? 過去には裁判官9人が「訴追」
国会の裁判官訴追委員会は、2月13日の委員会で、東京高裁の岡口基一裁判官を呼び出して審理することを決めた。岡口氏本人が、3月4日に訴追委から呼び出しを受けたことを明かしている。岡口氏は今後どうなるのだろうか。
岡口氏が自身のブログに掲載した内容によると、訴追委は今回、戒告処分の対象となった犬の所有権をめぐるツイッターへの投稿に加え、女子高生が殺害された事件をめぐる投稿についても調べる意向。
今回、岡口裁判官に対しては、最高裁が全員一致で戒告の結論を出している。最高裁の処分と訴追・弾劾の関係について、訴追委の事務局は「裁判所の処分と、訴追委員会の訴追の動きは、ともに独立しているもので、お互い影響を受けないし、規定もない」としており、弾劾裁判所事務局も同様の見解を示している。

https://www.bengo4.com/c_23/n_9298/

岡口氏の出頭要請「裁判官の表現の自由に重大な脅威」 弁護士有志が賛同者募る
2月25日22時半時点で、呼びかけ人は64人、賛同者は257人呼びかけの中心となっている島田弁護士や、アピールの賛同を求めるホームページによると
・・・裁判官の表現の自由への制約については、必要最小限の制約が許されるにすぎないとの見解を示した上で、訴追前の調査について「(岡口裁判官の)呼出を決定したこと自体、裁判官の表現の自由に重大な脅威を与えるものと危惧せざるをえない」と、問題視している。
島田弁護士は、「今回の問題では表現の自由が軽く見られている」と指摘。訴追請求があっても、出頭要請のないまま不訴追になるケースが多いことを念頭に、「出頭要請せずに不訴追にすべき事案と考える」「呼び出しまでするのは、政治的圧力を裁判官にかけることで、裁判官の独立や三権分立にかかる問題」としてる。

岡口判事支援弁護士らの
「呼び出しまでするのは、政治的圧力を裁判官にかけることで、」
と言う主張は法律家の文書としてはおかしな主張です。
「政治的圧力」とは何か?ですが、国会での野党の質問も選挙も当事者にとっては政治圧力そのものでしょうから、憲法を基準に色分けするならば、憲法の予定する政治圧力と許容しない政治圧力がありそうです。
アウトローの主張ならいざ知らず、弁護士の肩書で政治問題視している以上は憲法が想定している圧力を問題にする余地がありません。
その圧力の及ぼす弊害が「裁判官の独立や三権分立にかかる問題」というからには「憲法が(許容しない)違反」の「政治圧力」だと主張していると理解すべきでしょう。
憲法によって設置されている弾劾裁判手続き上の「呼び出し行為」が憲法違反の政治圧力というとすれば、よほどの事情説明がないと主張自体矛盾していませんか?
論理を一貫させるには、弾劾制度は憲法上の制度であることは争いがないが、その手続きのための呼び出し行為が、憲法違反の政治圧力というためには「呼び出し行為」が憲法違反というのか、手続きがあること自体違反でないが、今回の呼び出しは乱用(すなわち違法)だというのでしょうか?
しかし弾劾裁判をするには呼び出し行為が必須ですから、憲法は「呼びだし行為」を憲法が許容していることが明らかです。
民主国家においては、不利益処分を受ける対象者にはあらかじめ告知し、これに対する弁明チャンスを与える手続きが必須であることは周知の通りであって、この原理に則って弁明のチャンスを与えることが違法評価を受けるのは、よほどの例外事情があってこそ成り立つ主張です。
この具体的事情を主張しないであたかも弾劾の先行手続き開始自体を違憲と言わんかのような主張態度はおかしくないでしょうか?

北朝鮮問題と世界平和(観念論の限界)

いわば中国は北朝鮮の暴発暴言を煽って?小出しの協力を取引材料に使い自国の立場を強めて行くという見え透いた戦略です。
この旨味を知ってか?ロシアが北朝鮮への援助?介入?を始めました。
https://jp.reuters.com/article/north-korea-russia-idJPKBN1CB0YF

2017年10月8日 / 10:10 / 3ヶ月前
焦点:ロシアの危険な「綱渡り」、北朝鮮支援をひそかに加速
モスクワ 4日 ロイター] – ロシアは、金正恩・朝鮮労働党委員長を失脚させようとする米国主導の試みを阻止すべく、ひそかに北朝鮮に対する経済支援を加速させている。金正恩氏が失脚すれば、ロシアの地域的影響力の衰退と、東部国境沿いへの米軍配備を招くことになるからだ。

制裁知り抜けが困るならば、「ロシアの言い分も聞いてくれ」(対ロシア政策でなんらかの見返りを!対露経済制裁緩和)と言わんかのような動き方ですが、中国がうまい事しているのを見て、ここでロシアも一枚噛んでおけば何らかの取引材料になると読んだのでしょうか。
アメリカの対中圧力緩和利用に北朝鮮問題を取引材料にして上手いことをしようとしたようですが、トランプ氏はこれを嫌ってこの夏頃から一転して対中攻撃に転じたようにも見えます。
このまま(オバマ政権のようにだらだら譲歩を繰り返していると)将来米国の影響力が低下し南シナ海に中国がゴリ押しで作ってしまった海空軍基地を不沈空母化してアンチョコに航行妨害できるようになる日が来るのが目に見えています。
日本に理不尽な要求をつきつけてから当初は海賊行為?等(そのうち中国領海という名目での堂々たる航行妨害)での揺さぶりをかけることが想定されます。
そうなってくると今後、台湾沖や南シナ海等公海での航路の安全確保行為が、自衛権行使の範囲かどうかの議論が必要になるでしょう。
これが日本の死活問題・航路安全確保が自衛行為となれば、日本に協力している国(例えば南シナ海でのフィリッピン)の巡視艇などと共同で海賊取り締まり中に日本自衛隊がフィリッピンの巡視艇を応援することも自衛行為となります。
このように自衛の範囲がどうあるべきかは、「集団自衛権が許されるか」の抽象論ではなく、事態の変化・・対象や海域によって日々変わっていくべき具体的議論であるべきです。
ところで、理論上日本向け商品運搬の安全確保が自衛に当たるとしても中国と戦争になる危険を犯してまで、実力行使すべきかはまた別の政治判断が必須です。
具体的実情に合わせてどの程度まで反応すべきかの限界を考えるべき分野で、原理原則論の研究が専門領域であるはずの憲法学者が、具体的事例に当てはめて政治判断する訓練を受けている実務家よりも、有益な意見を言えるとは思えません・・。
人命尊重とか動物愛護、人はどう生きるべきか、平和は大切だという抽象論ではなく、具体的事象でどこまで規制するのが正義かのギリギリの限界を探る時代になると、日々研鑽している実務家に叶いません。
キリスト教の教えでは
「右の頬を打たれたら、左の頬をも差し出しなさい」マタイ福音書5:39
と言われる部分もあるようですが、精神論・心の持ちようとしては意味があり立派なことですが、現実生活・・社会のあり方の議論としては何の役にも立ちません。
キリスト教国でも、殺人や暴力行為や窃盗を取り締まる法律のない国はないでしょうし、これを不要という実務家はいないでしょう。
ところで、何気なくこのような思いつき意見を書いた後で事務所に送られて来ていた安念中央大学教授のキリスト教と平和に関する論考があったので読んでみました。
(中央ロージャーナル17年12月20日号)
私にはキリスト教に対する基礎知識がないので難しい内容でしたが、上記のような意見もあれば、敵は容赦なく皆殺しにすべしという部分(・・いわゆる正戦論の起源?)もあるなど矛盾・混沌(これが初期宗教の発展の活力になった)としたものであったことが紹介されています。
コンスタンチヌスの時にローマ国教になって以来、体制内宗教になった以上「国家組織体制維持のための軍や刑罰が不要」とは言えないので、兵士は敵を傷つけ殺すべき職業であり、この存在を否定するのは自己矛盾になっていた・キリスト教と平和主義の両立は無理があるというのが私の読後感(誤解かな?)です。
例えば貧しい人を救済すべきとしても、その精神論だけでは生活保護基準をどのように設定するかの具体論に役立ちません。
韓国文政権では、実務能力がないので、庶民受けのため?賃金を引き上げれば国民は豊かになるという理念先行で最低賃金引き上げ強制が失業を増加させている矛盾が報道されています。
https://ameblo.jp/katsumatahisayoshi/day-20180118.html

韓国、「最低賃金」大幅引上げが生む失業者増加「文氏どうする」
今年から始まる最低賃金の大幅引き上げに見られる。一挙に16%以上の引き上げで、2020年には時給1000円にする計画だ。この時点で、日本の最賃を上回る。政府の務めは、賃金を引上げてより豊かな生活できる環境整備である。だが、生産性向上が伴わない最賃引上は、政府の狙いとは逆に失業者を増やすリスクが大きい。
この「最賃引上げ」にからむ前倒し失業が、昨年12月に始まった。多くの零細業者はこれまで、最賃が施行されたらやむを得ず従業員を解雇すると苦しい胸の内を明かしてきた。失業者の増加は、これまでの事前予測を的中させた形である。
(2)「雇用指標を見ると、昨年の雇用状況はほぼすべての分野で悪化した。まず、青年失業者(15~29歳)が青年10人に1人に増加した。あきらめて就職活動をしていなかったり、アルバイトをしながらより良い仕事を探したりしているケースも含めた体感青年失業率は22.7%に達した。経済専門家らは『大企業が採用に積極的に乗り出すよう誘導して良質な雇用を新たに生み出す試みもせず、公務員の採用ばかり増やしている現在の雇用政策では、青年失業の構造的な解決は難しい』と話している」(『韓国経済新聞』(1月11日付社説)
・・・アルバイトなどしながら就職活動に備える人々の失業率である。これが、なんと22.7%にも達している。この「失業地獄」を見ると、日本は「就職天国」に見えるはずだ。若者の自民党支持率が、約50%にもなっている。この事実は、文政権にとっても参考になるはずだ。企業活性化が失業率を減らす近道である。

友好国を増やしたいといえば友好国が増えるものでないのと同様に、相手が侵略意図を持っているときに、「私は平和を愛する」と言ってなんの戸締りもしなければ、スキを見せて侵略を誘発するだけのことです。
理念だけではどうにもならない・・・賃金水準アップの理念実現には相応の複雑な手だて・・生産性アップ戦略とセットでないとどうにもならないのが現実社会です。
「理念通りにいかないのは悪徳商人やずるい政治家がはびこっているからである」という、単細胞・短絡的理解が戦前青年将校の決起理由でしたし、短絡的スローガン・「君側の奸を切れ」とかテロに走る単細胞的対応を煽れば、目先のストレス解消になるのでしょう。
右翼と左翼は同根と一般に言われているのは、この程度の短絡反応向きレベルという点で共通だからでしょうか?
昨年のパク政権打倒のロウソクデモも、この種のもので、経済がうまくいかない原因を、(本来関係のない?)パク大統領の友人問題に無理に結びつけて鬱憤ばらしをした印象です。
江戸時代に入って、原理論しか知らない宗教家の意見では間に合わなくなってきた・・宗教界の役割がなくなったことを、仏教から儒教〜実務役人への流れへとして連載したことがあります。
「生類憐れみの令」でいえば、理念は今でも正しいのですが、それを手当てなしに強行すると全般で矛盾が起きて社会が混乱しました。
最近の野良猫対策を例に書きますと、生き物の生命も尊重すべき(目の敵にするのはかわいそう)ですが、際限なく子を産む・野良猫が増えるのも困ります。

ロヒンギャ問題と在日の類似性(済州島事件)3

話題を身障者雇用率に戻しますと、企業も含めて親会社はエリートばかりになる・守衛、用務員その他事務員に至るまで雑用系は関連子会社が受け持つ下請け・派遣形式ですから、現場系はほとんどいません。
本社・親会社部門では一騎当千の選りすぐりエリートばかりで、並の能力でも本社直接雇用社員になれないのに、一定率の身障者を雇えといっても、格差が大きすぎて無理があるでしょう。
緑のおばさんの例を書きましたが、今は末端であれ、細かなミスあると大事故になりかねない時代です。
半年ほど前に岡山付近で新幹線走行中に異音だったか異臭だったかするということで次の駅から技術者が乗り込んで点検して、名古屋で運行ストップした事件がありました。
日常電車に乗っている乗客の立場では、車掌などは出発時の合図を送る程度の末端職種と思いがちですが、上記はまず車掌が走行時の異音、異臭に気づいて調査がはじまったというのですから、私はその報道で(あんな密閉された新幹線でよくわかったな?)「車掌の能力ってすごいんだな!」と驚いたものです。
このように最末端と言っては失礼かも?私の認識不足ですが、どこの現場も末端の能力にかかっています。
日常経験では、コンビニ店員の多機能ぶりには驚く人が多いのではないでしょうか?
下記は専門技術者の意見なので技術のあり方中心ですが、現場力の重要性が如実に語られています。
http://news.livedoor.com/article/detail/14088965/

新幹線で異臭や異音の報告は日常茶飯事 結果を見て叩くマスコミに苦言
2017年12月28日 6時

中央省庁も同様で、ドンドンスリム化して雑用・雑務系は派遣会社に頼っているので、一定率雇用する仕事がないでしょう。
病院が医師やレントゲン技師等の専門職以外はみんな関連会社からの派遣にした事例で考えれば、身障者〜知恵遅れの人を一定率雇いようがないのが分かるでしょう。
裁判所が裁判官書記官以外、みんな外注・派遣にしてしまえば、掃除や植木雑草除去など現業系仕事がすべて外注の場合、「知恵遅れや精神障害者の人を一定率雇え」と義務付けられても仕事がないので遊ばせておくしかなくなります。
企業が親会社の人員をスリム化し、現業部門をすべて子会社化していく流れが定着していくのと同じことが、省庁や自治体でも進んでいて現業部門がなくなりつつあります。
各種業界で顧客サービスの要求水準が高度化する一方で従来基準の普通の人材(中高年は態度が大きいのになれていてこれが嫌われる)でさえ振り落とされていく時代です。
一人でも失言したり、接客不向きな人がいると客を逃してしまうどころか、メデイアの袋叩きにあうので企業は必死です。
皿洗いでも「身障者が洗っているので少しくらい汚くとも我慢してください」とは客に言えません。
食事を運ぶのでも、しょっちゅうこぼして客に迷惑をかけるわけにも行きません。
数ヶ月前にお堀端のホテルで食事注文したら理解したかしないか不明な対応の外国人らしい片言の日本語で注文を取って行き、お水だけ持ってきたものの待てど暮らせど料理がこないので、しびれを切らして責任者らしい日本人に言うと「何を注文されましたか?」と聞くのでやはりわかっていなかったのだとわかったことがあります。
現場は1〜2割のミスがあってもだいたい仕事が出来れば、いいものではありません。
「中央省庁で」と言う批判マスメデイアが不思議ですが、中央省庁で1割や2割のミスがあってもいいと言う意見なのでしょうか?
末端受付やガードマンくらいは、間違いの多い人でも、言葉遣いの乱暴な人でも良いと言えない(100人に一人でも不審者を侵入させては困る)・・今や末端まで神経が行き届いていないと、「蟻の一穴」効果?で大規模組織がガタガタになる時代です。
このように弱者対策の多くは平均能力者の思いやりや負担によるカバーで成り立っているのが原則ですから、いわゆるマイノリテイーが、多数派の負担による恩恵を感謝するどころか逆に多数派が何か悪いことでもしているかのごとく攻撃するのでは、良い結果にはならないでしょう。
在日が辛淑玉氏の過激な言動を応援するのは、結果的に多数派の日本人との先鋭な対立意識を双方に呼び起こすだけで、在日自身にとって何のプラスにもならない・困ったことではないでしょうか?
9月7日現在辛淑玉氏のウイキペデイアの記事からです。

批判
前田日明(元在日韓国人、1984年に帰化)は、「名前を出して悪いんだけど、辛淑玉さんなんか見てると、情けなくなってくる。差別されたとか、日本は加害者だとか言うだけで、それだけ叫び続けて一生を送るのかなと思うと、とてもおれは共感できない。」と批判した[29]。
鄭大均(在日外国人、韓国系日本人)は、金嬉老事件における辛の発言を引き合いに出して「メディアに登場する在日のなかで、姜尚中と辛淑玉ほど違和感を覚える人間はいない。辛淑玉に関して言えばその歯に衣着せぬ語り口はいいのだが、思いつきやデタラメが多すぎるのではないか」「在日コリアンの被害者性という現実的であるかもしれないが非現実的であるかもしれない状況に、自己を憑依してものを語る傾向がある」「辛淑玉の一見奔放な語り口が、驚くほど古風な被害者的立場や対抗主義的立場との見事な整合性を維持している」と批判した[30]。

ともかく相手を非難しあうことでは多数派、少数派双方にとって何の解決にもならない・不毛というかマイナスになる争いでしかないので、仲良くする方法を探るべきでしょう。
このシリーズでは「ヘイト応酬の時期は終わった・終えるべき」という関心で、辛淑玉氏のような「過激表現の役割?は終えた」という関心で紹介しています。
ロヒンギャのように報復を激しくする一方だと、在日はロヒンギャのように居場所をなくす方向になり、最後は辛淑玉氏の主張するようにテロ社会になるしかなくなります。
ロヒンギャは居場所をなくし国際テロ組織に身を投じる人が増えているという記事を9月3日に紹介しましたが、そこまで自分達自身を追い詰めるまでしないで、先住民族と仲よくする道を選ぶのが普通の知恵ではないでしょうか?
無責任に過激化を煽るのは少数民族を自滅させてしまう愚の骨頂です。
過激な主張を煽るだけ煽って、自分だけ(ドイツへ実質亡命?)安全地帯に逃げているのって無責任です。
こういう人の意見に同調して日本社会と揉め事を起こしたがるメデイアの気持ちが知れない・・在日と日本人双方の敵ではないでしょうか?
過激意見を積極的に賞賛するグループは日本人と在日の関係悪化を狙う特別な意図・背景のある人?組織と見るべきでしょうか?
日本人でも過激な主張をするグループが勢いを持つようになったのは、相手が野放図に日本攻撃を始めた以上、ある程度相手に自制を求めるためには自衛のために必要な面があったでしょうが、一定の自衛効果が出れば深追いしないであとは抑制する度量が必要です。
在日批判が行き過ぎて日本社会に禍根を残さない程度で反撃を打ち止めにすべきでしょう。

ロヒンギャ問題と在日の類似性(済州島事件)2

ロヒンギャは、通商拡大時代に通商能力の高いイスラム教徒が利を求めて流入してきた、自分で合理的に選んで流入してきた「移民」の集合体であって、(地続きのベンガル地方経由が多いというだけで?)「〇〇民族・部族」という一体性はないとも言われています。
ロヒンギャで出てくるウイキペデイアの解説です。

ロヒンギャが、民族集団、宗教団体、政治結社のいずれであるのか判明していない現在、本頁ではロヒンギャに民族的意味合いを持つ「族」を付加しない。
ロヒンギャのエスニシティを巡る問題は、今も学界で議論中にある[14]。2016年から17年の衝突以前には100万人がミャンマーに居住していたが、国際連合の推計で60万人以上が隣国バングラデシュに避難している[15][16]。
ミャンマーではロヒンギャの存在そのものを否定し、バングラデシュの不法移民であるとの主張から、「ဘင်္ဂါလီ(ベンガル人)」と意図的に呼ばれている。

在日の場合には、ロヒンギャと違い難民としての入国であるために経済基盤がない上に言語能力や、生活習慣の違いもあり、出発点が無一文ですから、経済格差が大きくなるのは仕方がないことです。
この格差は学歴に反映し、次世代〜3世代に引き継がれる貧困の連鎖となったであろうことは想像にかたくありません。
在日に生活保護世帯が多い、犯罪者が多いというのが仮に事実としても、着の身着のままで逃げてきた渡航の事情からすると、ある程度やむを得ない現象かもしれません。
民族レベル差を主張する人もいますが、同じ日本人でも中国残留孤児が、戦後50年経過で戻ってくると、高齢化したとはいえ一応応援する兄弟や親族がいて、しかも日本はすでに世界第二位の経済大国・・豊かになっていても、帰国残留孤児の多くが日本社会に適応できず多くが生活保護に頼っていると言われているのと同じ問題ではないでしょうか?
済州島難民が逃げてきた当時日本自身敗戦後のことでようやく戦後経済が回り始めた時ですから、難民の就職の世話や職業訓練等をしてやる余裕がなかったでしょうし、ほうっておけば日本語もよくわからないまま着の身着のままできた難民が生活に困ったのは当然です。
そういう意味では、在日問題は交通遺児/身障者その他のマイノリティ問題同様に一定の弱者グループの一つと見るべきでしょう。
国内に困っているグループがいる場合、(民族の違いを超えて)国力的に余裕の出た日本民族が応援すべき時期に来ているのかも知れません。
障害者その他弱者救済策は本来能力に応じた待遇の原理に反する優遇策・・結果平等論ですから、見方によっては特権的地位と言えなくもありません。
弱者相手に人道的弱者救済政策を「在日特権」と批判するのは「心ない」面がありますが、他方で在日が日本の救済政策を感謝するよりは、「植民地支配に対する賠償だ、これではまだ足りない」と言われ、国内外で反日運動されるようになると、弱者救済ではなかったのか?
となります。
生活保護対象でないが「賠償請求権としてふんだくっている」と、開き直られると国民は納得できません。
虐められるから言い返しているのか、どちらが先か知りませんが、私のようなノンポリが気がついたのは、慰安婦騒動が大きくなってからのことでその時にはすでに、これが嫌韓感情に火をつていて、在日批判運動に連動していったように見えます。
在日自己正当化のために反日を煽った結果慰安婦に行き着いたのか、韓国政府が仕掛けた慰安婦騒動で関係のない在日がとばっちりを受けた「気の毒な立場?」か、そこがよく分かりません。
ただ、これまで紹介してきた辛淑玉氏の言動を見ると(メデイアにおだてられて調子に乗っただけかもしれませんが・・)少なくとも在日の一部が率先して慰安婦その他反日運動を煽って来た・それを支持し応援する多数の在日が背後にいるかのように見えますが・・。
あえて、日本社会で揉め事を大きくしておいて辛淑玉氏のように外国に逃げられる人はいいですが、そうはいかないその他在日社会にとって決して得なことではありません。
事の本質がマイノリテイ保護にあるならば、多数派と対立を煽ってトクはないでしょう。
病み上がりの人が職場復帰すると同僚にその分しわ寄せが行くのは誰でも知っていることです。
例えば身障者にも相応の職を確保してほしいという場合、それは多数派の犠牲の上になりたつ制度です。
妊婦等が遠慮しなくとも良いように一人多く雇用すれば良いというのですが、そのコストはみんなの働きによっているのですから、直接か間接負担かの違いはあっても企業構成員にとっては結果が同じです。
10分の1程度しか仕事のできない人・・あるいは社内教育の成果が見込めない人でも同じ待遇で雇えと強制されれば、残り9人が自分の成果をその一人に分配することになります。
このようにマイノリテイ論は多数派の負担・応援でなりたつものですから、障害者等がこの本質を忘れて権利として要求するようになると白ける人が出てきます。
まして少数派が、さらなる好条件獲得を目指して、多数派の悪口誹謗まで始めるようになると「許せない」と思うひとが増えてくるでしょう。
しかも、一定率の雇用を法で義務付けられるとお金だけの負担で済まないので、多くの企業が困っています。
この1〜2週間ほど、旗振り役の中央省庁自体が身障者雇用率の基準を下回っている実態が報道されていますが、現場としてはその負担が大きい・・理念の上滑りの実態が垣間見えます。
ものごとは行きすぎてはいけません。
中央省庁や大手企業では、末端作業分野を分社化しているから、こういう問題が起きるのです。身近なところでは、銀行が窓口業務などの末端作業の事務作業を子会社からの派遣作業員に切り替えたことが知られていますが、官公庁も民間への指定管理者制度ができて(美術館公民館〜〇〇ホール〜コミュニテイセンタープールなど)非正規雇用に切り変えられるようになっています。
指定管理者制度当初より選定委員をやっていますが、どこの大手業者も正規?雇用は所長程度であとはほとんど非正規という陣容です。
数十年前には、登下校通路で旗を持っていた「みどり」のおばさんの年収が4〜500万円だったかでニュースになっていましたが、こういう分野は民間委託、何でも公務員の時代が終わったのです。

http://5513shigoto5513.com/archives/375
2018年1月24日 / 更新日 : 2018年6月14日

学童擁護員と言われるとあまりピンと来ない人も多いかもしれませんが、「緑のおばさん」と言えばわかる人もたくさんいると思います。
学校の通学路に旗をもって子供たちが安全に通学できるように誘導してくれる人のことで、皆さんの子供の頃にお世話になった人がほとんどだと思います。
臨時職員が安易に正職員となった例をあげると、小学校の通学路などで子供を安全に誘導する「みどりのおばさん」(学童擁護)は夫を亡くした女性の失業対策事業としてスタートした当時は日雇いでしたが、非常勤職員を経て、1965年から正規職員に格上げされました。
江東区の場合、その月額給与は67万円で年間で802万円(平成13年度実績)にもなります。朝夕の登下校時以外は学校の清掃業務などに当たるというが、実働2時間半の業務内容にこの給与は見合っているでしようか。
引用元:http://hen.kooss.com/archive/2004/1206002.html

今でも生き残っていたとは知りませんでしたが、一旦正規職にしてしまったので、解雇できず残っているのでしょうか?
「緑のおばさん」も身障者や精神障害者では事故のもとで、困ります。

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