各種反対〜政治家の責任2(集団自衛権1)

離島奪還作戦でみれば、日本の戦闘機能力が数%高く飛行士の能力が1割高いとしても、現場で中国軍機100機単位に対して日本機2〜3機の比率ではまともな戦いになりません。
近くに日本自衛隊の発進基地が必須ですし、日本単独では対中総力戦で数の上では勝てないので、米軍協力が不可欠であることも常識です。
集団自衛権反対運動はこの協力関係遮断が主目的であることが、昨日引用した目標で浮きりになっています。
要するに「中国が実力侵攻してきたら抵抗するな!」いう主張を別の表現にしただけのように見えます。
従来社会党が唱えていた非武装平和論は社会党政権時に現実的でないとして?自衛隊違憲論や安保条約違憲論を否定していたと思いますので、今更持ち出しませんが実際の抵抗をさせないための事実上の公約破り・・運動のように見えます。
社会党政権で何が変わったかはっきり記憶していないので、念のために検索して見ました。
http://www.kamogawa.co.jp/~hensyutyo_bouken/?p=445

社会党が凋落した原因
2013年6月7日
おもに左翼陣営からの指摘だが、自衛隊と安保を容認したのが決定打だったということだ。これは、ある意味で言い当てているが、別の意味ではまったく説得力に欠ける。
自衛隊と安保にきびしく反対する政党は伸びるかというと、まったく逆である。だって、国民の8割以上が自衛隊と安保を認めていて、自衛隊の縮小(廃止ではなく)を求める人が数パーセントしかいない状況において、尖閣で何が起ころうがが、北朝鮮のミサイルがどこに向かおうが、どんな場合も絶対に自衛隊を使ってはなりませんという立場を表明していたら、どんどん支持を減らすのは目に見えている。選挙で数パーセントを超えることはできない。単線的な見方しかできないと、社会党の凋落から学ぶことができない。

昨日紹介した論文?離島占拠された場合の奪還演習を「戦争法の先取り」の事例と主張するのを見れば、「不法占拠されれば、されっぱなしが良いし、自国が侵略されたら侵略軍に服従する」主張のように見える・・専守防衛も反対という旧社会党が方針変更する前の言い換えではないでしょうか?
要するに社会党支持層は表向き合憲論に変更しながら内実はまだ非武装平和論によっていて公約違反をしているのです。
こういう平和論は「何の反撃もないなら・・」と結果的に周辺国の侵攻誘惑を誘うことになり、却って無用心という意見が普通ではないでしょうか?
無防備の方が安全というならば、「女性の深夜一人歩きの方が安全」「幼児の一人歩きの方が誘拐されない」というのでしょうか?
なまじ大人付き添いの方が危ないということになりそうです。
警備するから襲撃が増えるということでしょうから、政府要人警備ももちろん不要でしょうこういう論法が合理的であるならば、自宅に鍵をかける必要も警察も不要です。
この論法が通らなくなったので、集団自衛権反対というのでしょうが、各種政策の必要があって行った国会議決(国民意思決定)後にこれに協力せずに、なお陰に陽に事実上妨害に精出してきた「何でも反対運動」と同じ手法です。
こういう視点で沖縄基地騒動を見直すと、集団自衛行動・米軍応援が阻止し切れないとした場合の第二段階戦略として、米軍基地縮小弱体化がその視野に入っているように感じる人が多くなるでしょう。
民主党は政権時代に普天間基地の辺野古移設容認に舵を切った以上、野党になったからといって今更表立って反対できないものの、裏で画策しているような印象です。

枝野幸男 民主党 普天間基地は「最低でも県外」→「やっぱり辺野古しかない」→「や、やっぱり辺野古移設反対」立憲民主党 玉城デニー支援

枝野幸男 民主党 普天間基地は「最低でも県外」→「やっぱり辺野古しかない」→「や、やっぱり辺野古移設反対」立憲民主党 玉城デニー支援

政治家は政党さえ変えればその前の行動が全部免責されるのでしょうか?
(成田空港開設反対運動では軍事基地に転用されるという反対論を地元弁護士から私は当時説明されました・集団自衛権では国民が徴兵され外国の戦場に駆り出されるかのような不安を煽る主張中心でしたし、軍国主義化反対とか憲法違反等の内容空疎な反対ばかりで反対し、国会ではこういう場合どうする式の長時間ネチネチ食い下がりで時間を稼ぐ(日本のために必要な政策実現妨害)のが国会議員の仕事のようなイメージが定着しています。
日本共産党赤旗の記事です。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2014-07-08/2014070801_01_1.html

長崎新聞6日付は、日本平和委員会の小泉親司理事を迎えて5日に開かれた「ながさき平和委員会」の講演を小泉氏の写真入りで大きく紹介。小泉氏が「今後は行使に関する法案の成立を阻止する運動が大事」と強調したと伝えています。
琉球新報6日付は県高教組の定期大会(4日)で、「先生、僕たち戦争に行かないといけないの?」と生徒たちが不安げに質問するようになったとの報告が現場の教諭たちから相次いだことを報じました。「こんなことは初めてだ」との教諭の声を伝え、「これからどうすれば良いの? 閣議決定で決まったらもう変えられないの?」という生徒の問いに、この教諭は「20歳になったら君たちには投票権がある。どういう政治をしてほしいか考え、そして選挙に行くことだ」と語ったと報じています。

国会は法案是非を論じるよりは阻止が目的であり、子供らが「戦争に行かねばならない」と誰からか宣伝されて行動している様子が窺われる報道です。
もしも侵略された領土奪還訓練をしていることを「戦争法の先取り行為」と宣伝しているだけであれば、これを聞いただけで「先生、僕たち戦争に行かないといけないの?」と生徒たちが不安げに質問するようにな」るでしょうか?
そういう飛躍的理解をする若者が皆無とは言わないまでも、そういうレベルの若者は10万人に1人もいるかいないかではないでしょうか?
もしかしたら、誤解する子供のレベルの問題ではなく、文字にならないところで法律内容を捻じ曲げて宣伝しているのを、そのまま信じ込む子供がいないとは限りませんが、荒唐無稽な宣伝を安易に信じ込む子供のレベルがやはり問題です。
嘘を言われたので信じ込んだという事件(振り込め詐欺など)がありますが、嘘も程度問題であってみるからに詐欺っぽい話にホイホイと乗る人はやはりもともと合理的チェックできないレベル人たちです。
(オレオレ詐欺や振り込め被害が能力のかなり落ちた高齢者にほぼ限定されているように、現役で非合理な意見を安易に信じ込む人はよほどの例外・数%しかいないという社会党に関する上記引用記事の結論でしょう)
理解力が弱く非合理な宣伝を安易に信じ込む人と、もともと本気で非武装論が良いと信じ込んで来た人を合わせても、上記引用記事の通り今どきそういうレベルの人は国民の数%いるかいないかではないでしょうか。

各種反対〜政治家の責任1

政策提案のうち何が重要かの方向が決まった後も、1分で5分でも政策実現を遅れさせるための議事妨害に一生懸命というのではその政治家が国家のために活動してきたかの疑問が生じます。
何が優先政策課題かを決めるための議論する権利義務と、どちらの推進する政策が多数の支持を受けるかの方向性が決まったのちの議決を先延ばし・抵抗するための議論のための議論にこだわるのとは次元が違います。
企業等で一定方向のプロジェクトが決まればその実現に向けてみんなで各方面に手を尽くすのが普通です。
自分の意見が通らなかったからと横を向いて協力しないようなことをしていると信用を無くすので率先して動くの一般的です。
国家にとって必要な政策を決めた以上は、国会議員を含めてその実現に向けて動き出すべきでしょう。
政策実現の遅れは、国家にとってそれだけの損失です。
多数の意見で「これが良い」と決まった政策実現を1分でも4分でも遅れさせるのに必死になっている人たちは、国家損失効果拡大を狙っていることになります。
もちろん野党としては政策の方向性に反対しないが、「その実現には最低こういうことを詰めておく必要があるという問題点を指摘しているだけ」という場合もあるでしょうが、それはまず方向性確認後法案では賛成し、政省令等の周辺事情の整備を求める次段階の議論であるべきでしょう。
企業でも多くの新プロジェクトは試行錯誤しながら修正を重ねて進めていくのが原則で、前もって何もかも見通せるものではありません。
今朝の日経新聞2pでは千葉県野田市の小4児童虐待死事件について、児童福祉司の対応について、傷害等の客観資料をもとに機械的に保護開始するのは難しくないが保護解除の見極めには5年程度の経験が標準的に必要であり、困難事案では10年程の経験がないと対応困難な事案が増えているとしたうえで、現在児童福祉司で10年以上経験者は全体の16%しかなく、全体の平均経験年数が3年程度しかないという実態が紹介されています。
他方で10年前に比べて相談が10年で3倍に増えている他、従来は母親の相談対応が中心であったのが、今回の事件のように父親による虐待の場合、家庭訪問しても父親が勤務等で不在のことが多く、直接面談できないことが多く実態把握が難しくなっている側面もあるようです。
児童相談所設置等の整備・大都市での設置が始まってからまだそれほど普及していない状態です。
私の実務経験では少年事件対応が主目的で県単位で(家庭裁判所本庁のある県庁所在地)1箇所あるかないかでした・・この点はうろ覚えです)まだ法の期待する設置が実現出来ていない自治体が多い現状を最近新聞だったかで読んだばかりです。
人材を急速に育成できないので以下の通り設置義務化ではなく、「設置しても良い」という程度から始まっている現状です。
https://kotobank.jp/word/%E5%85%90%E7%AB%A5%E7%9B%B8%E8%AB%87%E6%89%80-74428

2006年政令で指定された中核市なども児童相談所を設置できるようになった。2016年東京都の 23特別区に設置の権限が与えられ,中核市にも設置を促すこととされた。2015年現在,全国の施設数は 208。(→児童福祉)

今まで児童相談所が存在しなかった市が設置する場合、経験者を他所から引き抜くしかないのですが、こうした場合経験者が少ないから児童相談所増設置に反対するのではなく、まず相談所の任意増設から始めて人材を育成(需要に応じて経験者が増えていくのを期待)しながら・・走りながら考えて行くのが社会の暗黙の合意でしょう。
政治的立場による違いのない法案は、こういう方式が普通なのに、政党の主義主張に絡むもの・多くは国家社会にとって重要案件に限って・具体的対案もなく反対→実質的議事妨害が先行していましたが、社会党が政権を取れば自衛隊合憲論に修正し、長良川だったかのダムの工事を推し進めたことが知られています。
民主党政権ではそれまでの消費税反対論と正反対の消費税増税を決定し、沖縄の辺野古移設も認めた記憶です。
政権を取ればいきなり反対から推進に変わる結果を見れば、反対論者は日本のために何が良いかの議論をしてきたのではなく、「与党の政策には反対」という基準で反対しているように理解する人が多いのではないでしょう。
最近では集団自衛権反対運動や改憲反対論をネット情報で見ると「安倍政権だから反対」という点で共通性があるとネット発信者自身が自賛しているものが多く見受けられます。
以下はアジビラと違い表現が抑制されていますが、それでも第一目標が安倍政権打倒にあることが事実上宣言されています。
http://www.mdsweb.jp/doc/article/151011article03.pdf

論説民主主義的社会主義No.3
佐藤和義高瀬晴久山川よしやす
4.今後いかに闘うかこれからの闘いの方針を提案しておこう。
まず第1に、戦争法廃止、安倍内閣打倒の闘いがある。総がかり行動実行委員会は毎月19日の行動を提起し、戦争法廃止・安倍内閣打倒の闘いを継続することとしている。また、戦争法廃止署名を提起している。
第2に、戦争法の施行を阻止していかねばならない。2016年3月の戦争法施行に向けて、表5に示されるように政府は準備を進めていこうとしている。すでに自衛隊は戦争法を先取りする軍事演習を行なっている。2015年7月5日から21日までの米豪合同軍事演習「タリスマンセーバー2015」に自衛隊が初めて参加し、離島奪還上陸訓練を行なった。

第一目標が安倍政権打倒目的のようですし、
第二目標を見ると喫緊の課題になっている(中国によって尖閣諸島が実力占領された場合の)離島奪還演習を戦争法の実例に挙げていることからすれば、彼らのいう「戦争法」を許すな」というのは、離島を占領された場合、奪還行為をすることを「戦争法」と評価宣伝しているイメージが伝わります。
戦争法反対で盛りがっている人の内どれだけのひとが、尖閣諸島防衛反対運動と理解しているのでしょうか?
中国の公船と称する事実上中国軍によって連日行われている領海侵犯行為の現状で、ある日突然中国軍による上陸が行われるのを防ぐ手段がない・領土保全にはその後の奪還しかない現状を前提にすれば、奪還作戦阻止あるいは日本の奪還作戦の対応準備の遅れを目的にした運動と想像するのが普通ではないでしょうか?

各種反対運動と説明責任2

昨日最後に紹介したように、憲法学界では「思想の自由市場」が機能していない前提で、支配的地位を確立した特定思想集団(東大学閥)が自己正当化のために思想の自由市場論を宣伝してきたように見えます。
報道の自由論が寡占市場である報道界を前提にしての主張でしたが、ネットの発達で覆されつつあることをこのコラムでは折に触れて書いてきました。
事実上表現の自由のない市場?で支配的地位を獲得した人たちにとっては、就職先の推薦などの影響力を行使できない国民相手では、文字通り言論の自由市場ですから、そこで内容の議論をするのは怖いので(「素人は黙ってろ?」)「専門家の多くが反対だ」式宣伝・・何名の憲法学者が反対しているとか、大勢の弁護士署名があるとか?の運動中心になってきたのではないでしょうか?
韓国の学者の議論ではまず相手どこの大卒かどこの大学教授かの肩書で議論の立場が決まり、一方的な上から目線の議論になると日本人から見れば驚くような権威社会と言われます。
この弊害が高学歴を求めて無茶苦茶な受験浪人(親が法外な?受験コストを負担せざるを得ない原因)が生まれる基礎になっているようです。
この弊害については、(「上から目線の慣習」まで書いているものではありませんが)昨日の日経新聞朝刊2p韓国学歴主義招く出産減」「教育費高騰子育てためらう」という副題で出ています。
日本で政治運動では意見表明の方法自体が、内容よりも「権威」で勝負しようとする傾向が見えるグループの場合、どこか韓国的価値観と共通する点で日本の大方の意見調整方法と違っています。
運動家にとっては「権威づけで勝負あり!と思っているのでしょうが、受け手の日本国民は権威者が言ってる!という煽り行為に反応しないで自分で具体的時用によって判断したい人が大多数ですので、権威づけの運動形態に頼っている限り空回りです。
「国民大多数の願いを踏みにじって!」とか「国民の声を無視して」いるなど一方的声明を羅列しても日本列島では古代から、根っからのボトムアップ民主主義社会ですので、賛同する学者や弁護士の数で決まる社会ではありません。
直近で言えば、岡口判事支援に関して27日に見たように、いかに多くの弁護士が賛同しているかのアッピールが中心になっていて、具体的内容不明(引用記事だけ見る限り空疎?)の主張になっているのもその1例です。
裁判官の裁判外発言であれば、裁判官に対する国民の期待する人物像とずれている場合に、(上記条文の「威信」という表現は時代背景もあって古いので、今風に言えば「国民の信頼」と訳すべきでしょうか?)相応の社会批判を受けるのは当然であり、それが罷免すべきほどのものかの判断をするために弾劾裁判制度を憲法に設けている以上は、そのシステムに乗ること自体を批判するのは、憲法をないがしろにする行為ではないでしょうか?
27日紹介した支援グループがいわゆる護憲グループと重なっていないとしても、支援グループの論拠は憲法違反を前提していることが明らかですから不思議です。
現在日本の支配的憲法学・あるいは上記支援弁護士らの主張では結果的に、違法にならない限り「裁判官はどういう表現をしようが勝手だ」となりそうですが、裁判官ならば何をしようと言おうと違法でない限りどのような制限も受けないということ自体、憲法の弾劾制度を否定する憲法違反の主張はないでしょうか?
表現の自由論においては二重の基準論とか言って(企業活動の場合保護が薄い)ようですが、表現行為が名誉毀損等何らかの規制に触れない限り、どういう主張をしていても良いと言えるのでしょうか?
日本人は「〇〇人の奴隷に」とか「服従すべきだ」という抽象論では、なんの犯罪にも該当しないように思いますが?
人を殺せとか盗め、日本人を牛馬のごとく扱えと言っても、具体性がない場合、日本国内では日本人は少数民族でないのでヘイトスピーチにもならない?殺人罪や監禁罪等の教唆犯にもならないのが刑法理論です。
刑事処罰あるいは名誉毀損等にならない限り、マスコミは表現の自由だからと「日本人は〇〇人の奴隷になった方が良い」という意見をメデイアにのせ宣伝するのも自由でしょうか?
いわゆる反日言動に対して憲法学者による自己実現論等で手厚い防御理論が確立されていて、これを背景にして?道義(共同体維持)などの基準不要・・言いたい放題が憲法の理想だと奨励される時代になっていたように見えます。
無責任思想表現の自由にととまらず、現実政治を担う国会で言えば、社会党時代には国会で揚げ足取り的議事妨害を繰り返し、本会議直前には担当委員長の不信任案動議提出など決まり切った議事妨害抵抗をするのが定番です。
本会議にかかると何時間ぶっ通しの演説時間の長さを競い、いざ採決になると牛歩戦術で、1分でも5分でも引き延ばすことが国会議員の仕事のような行動でした。
https://www.fnn.jp/posts/00345220HDK

2018年8月3日 金曜 午前6:30
衆院最長!?枝野演説は異例の書籍化

「2時間43分」
この時間は7月20日、安倍内閣不信任決議案の審議で立憲民主党・枝野幸男代表が本会議場で行った趣旨弁明演説の長さだ。衆議院では記録が残る1972年以降で最長の演説となった。

政策決定は国家・社会に必要があってやることですから、この政策選択が国民多数の意思で決まる以上はその政策を一刻も早く実施すべき事柄です。

何が国家にとって優先課題かは、民主国家においては国会が最高議決機関ですから、政治家が徒党を組んで(政党)「これが国家に必要」と競うために論争を繰り広げるのは当然の権利であり義務です。
議論を重ねてABCの政策のどれが多数の支持を受けているかの方向性が決まった以上は、自分の推進していた政策論が通らなくとも多数の支持を受けた政策が民意と受け止めてその内容実現に協力すべきです。
内心にとどまる心理学や芸術や学問分野の場合、出品して受賞できなくとも、支持者が少なくとも「自己実現行為」として自己の主義主張、自己の信ずる創作活動を続けたり少数説でも粘り強く研究を続けるのが勝手なのとの違いです。
自己実現にこだわる生き方の立派さの議論と政策実行の遅れが許されない政治決断の必要性とは評価の次元が違います。
芸術作品でもどの作家に依頼するの選定作業過程で、(例えば唐招提寺の襖絵を東山魁夷氏が描いたことが知られていますが)その依頼が自分に来そうもないことを知った他の画家が、お寺が東山氏に依頼するのを1日でも先延ばしするように妨害工作活動をしていたとしたら・・そのようなことがバレたらその画家の信用がどうなるかです。

各種反対運動と説明責任

「近代法の法理違反や、平和憲法違反とか、軍靴の音が聞こえる」などの主張は言いっ放しで主張には具体性がないとこのコラムでは批判してきましたが、今回も「裁判官の独立や三権分立にかかる問題」というお題目を唱えるだけで、どの行為が裁判官の独立にかかる問題なのかの主張すらありません。
ただし支援弁護士は具体的に書いているのに、昨日引用した発信者が勝手に省略したのかもしれませんが・・・。
「裁判官の独立や三権分立にかかる問題」との主張ですが、国会の調査は岡口裁判官の担当事件に対する調査ではないし、特定思想そのものへの批判でもない・具体的表現行為が現職裁判官の表現行為として許容範囲かどうかの調査のよう(上記ネット記事しか知らないので断定不能)ですから、個別裁判への圧力や干渉という問題から遠い印象です。
具体的事実関係とどういう関係があるのか、司法権への「憲法で許容されない政治圧力」というには積極的な説明がないと論理に飛躍があると思う人が多数ではないでしょうか?
上記ネット記事の限りでは、特定訴訟や具体的思想に圧力をかける目的でないように見えますが、これを前提にした場合、こういう主張グループは、「裁判官に対するいかなる批判も許されない」「それが憲法解釈として正しい」という主張を前提にしているような印象を与えます。
それでは憲法でなぜ弾劾制度が設置されているかの説明がつきません。
憲法の想定している弾劾制度の乱用というには、どの点が乱用かの主張説明しないでいきなり「政治圧力」という広い概念を持ち出して、裁判官の独立に関連づけて、国会の訴追委員会への呼び出し行為の内容の何が不当かの議論抜きに「呼び出し」だけを批判する支援集団呼びかけを発表している・・昨日引用記事を見る限り、「もしかして憲法上弾劾制度があるのを知らない集団がこんなにいるのかな?」と疑う人がいてもおかしくありません。
一般人でもその立場によって、意見発表すれば、刑事民事等の違法行為にならないネット炎上程度でも、内容の広がりによってはテレビ番組などから降板させられたりしています。
企業で言えば、社長発言は言うに及ばず、幹部どころか営業マンでさえも企業を背負って働いている以上は、顧客や世間に向かって所属企業に関する発言がどこまで許容される範囲かの試練にいつも晒されています。
休暇中であろうと勤務時間中であろうと所属組織に関連する発言か否かによって、発言の重みが違います。
この数日酔っ払った厚労省現職課長が韓国空港であばれた上で「韓国大嫌い」という趣旨の発言をしたことが、ネットニュースに出ています。
休暇中の個人旅行であったかどうか不明ですが、休暇旅行であろうと日本国の現職官僚発言としてニュースになるし社会への影響の大きさも違ってくる・・影響の大きさに比例して責任も大きくなるべきでしょう。
現職高裁判事という要職にあるものが、個別事件へのコメントを発表すればその影響力が一般人のTwitter発信(トランプ氏のツイッターでも知られる通り)とは桁違いに大きいのは当然です。
裁判官や官僚にも自己実現権があるという一般論で解決すべき問題でなく、同僚や友人間の個人的会話が録音されたものか?意図的な対外発表か等の具体的事実次第での責任を論じるべきは明らかです。
そもそも憲法で設けられた弾劾制度で弾劾事由の要件(特定違法行為限定など制限列挙)を厳しく定めていない意味からすれば、刑事犯罪や不法行為確定のような機械的事例しか対応できない制度設計とは到底思えません。
裁判官の言動がどの程度まで許容されるべきかの幅を決めるには、「国民の代表たる国会で良識に従って決めるべき」というのが憲法の精神でしょう。

憲法
第六十四条 国会は、罷免の訴追を受けた裁判官を裁判するため、両議院の議員で組織する弾劾裁判所を設ける。
○2 弾劾に関する事項は、法律でこれを定める。
第七十八条 裁判官は、裁判により、心身の故障のために職務を執ることができないと決定された場合を除いては、公の弾劾によらなければ罷免されない。裁判官の懲戒処分は、行政機関がこれを行ふことはできない。
昭和二十二年法律第百三十七号
裁判官弾劾法
第二条(弾劾による罷免の事由) 弾劾により裁判官を罷免するのは、左の場合とする。
一 職務上の義務に著しく違反し、又は職務を甚だしく怠つたとき。
二 その他職務の内外を問わず、裁判官としての威信を著しく失うべき非行があつたとき。

岡口判事支援弁護士らの主張は、表現の自由絶対論(刑事その他法令違反を除いた)・・・「何を言おうと憲法上の権利だ」から「自己実現を否定すべきでない」と言う意見を下敷きにしているかどうか不明ですが、表現の自由=自己実現論が現在の憲法学の通説であるとすれば、これを十分知っているはずの通説を正面から主張できないのは、国民の支持を得られない変な通説?であることを知っているからでしょうか。
何かあるとすぐに憲法違反に結びつけて主張する人たちや、憲法学者は、国民意識から遊離しいると言われる所以です。
遊離すればするほど象牙の塔?素人にはわからないという問答無用式の憲法学界が支配していくようになり、うっかり集団自衛権合憲を主張すると学界で孤立し、まともな発表の場を与えられないし、活動がしにくくなる・昔有名になった「白い巨塔」同様に・全国に張りぐらされた大学教授の推薦ステムの網から外される仕組みになっている印象です。
自己実現論紹介のために判例時報増刊号を紹介中ですが、その冒頭の論文を書いた毛利透氏のウイキペディアでみると以下の通りです。

東京大学では樋口陽一の指導を受ける。筑波大学時代には、ドイツのフランクフルト大学に留学し、インゲボルク・マウス教授に師事。
京都大学の佐藤幸治教授の定年退官に伴い、佐藤の強い推薦で京都大学に移った。

https://business.nikkei.com/atcl/report/15/120100058/050500004/

2016年5月17日
昨年、安保法案に多くの憲法学者が「違憲」の声を上げた。だが極めて少数だが、「合憲」と発言した者もいる。そのあと彼の身に何が起きたか。その主張についてじっくり聞いて見た。憲法学者の姿、2回目は九州の新進気鋭の学者を紹介する。

大学に「あんな奴を雇っていていいのか」と電話も掛かってきた。事務局は無視してくれた。
同業者にフェイスブックで「化け物」と書かれ、テレビ番組で「ネッシーを信じている人」と揶揄された。
「ふだん少数者の人権を守れって言っている人が、矛盾していないんですかねえ」と、九州大学法学部准教授の井上武史は苦笑する。

 

自己実現と社会関係6(岡口判事問題1)

素人の思いつきですが、自己実現という表現自体からその本籍は心理学あるいは精神医学療法?的には有用な概念のような印象を受けますが、対外発表は社会に影響することですから、自己実現行為という定義(内心動機)さえ付ければ放置して良いものではありません。
自己実現は表現行為に入るとは言え、対外関係の生じる表現行為では社会との関係を抜きに評価出来ませんし、ことが政治分野になると所属社会との折り合いが必要です。
社会との関係を論じる憲法・法の解釈と心理学とは違った側面からの考察が必要ではないでしょうか?
「自己実現」を称揚する学者や弁護士(私が心理学の精髄を理解した上での主張ではありませんが・・)らが「語感」だけの理解?で表現行為=自己実現と表層理解(飛びつき?)し、表現行為を優越的人権論にすり替えていた疑いがないのでしょうか。
芦部氏が米国留学中(1960年台?)に米国で流行になっていた人間性心理学の理解を日本の憲法解釈論に合成し、「自己実現・自己統治」と言う語呂の良さで(学会で深い議論経ずに?)一世を風靡しただけだった可能性(素人憶測ですが・・)があります。
心理学からの借用議論である自己実現=最高の人権と位置付けられると、どんなことを表現しよう(刑事民事の違法行為でないかぎり)と内容審査は許されない?・・内容如何によらずに「自己実現行為」であれば、批判すらも許されないようなイメージを広げます。
なんとなく精神医学で言われる「赤ちゃんの万能感」を大人になるまで引きずっているグループの好きそうなイメージです。
岡口裁判官の場外コメント発表が「矩を超えているか」否かは事件全体が具体的にわかりませんので、許容範囲か否かの○Xを安易に言えませんが、自己実現=表現の自由があるという一般論で「何を言っても良い」とイメージづけて主張するのは個人内面解析で完結する?心理学系と社会との折り合いを論じるべき法学系の違いを弁えない議論ではないでしょうか?
「表現して良い限度か否かの国会審査自体を許さない」イメージ主張が岡口判事のネットコメント擁護論として流布しているように見えます。
憲法論で批判論を封じ込めようとする・・自己実現行為は憲法で保障されているという論法で入り口でシャットアウトするではなく、(心理的には自己実現でも)自己責任で対外表現された以上、(過失漏洩か意図的発表かはどうかも重要指標でしょう→酒飲み話が録音されたばあいと恋に発表した場合の違いなどありますが)コメント内容の是非を誰もが遠慮なく議論できるようにすべきではないでしょうか?
岡口判事問題については以下のようです。
https://www.bengo4.com/c_23/n_9275/

岡口裁判官に国会の訴追委が出頭要請、今後どうなる? 過去には裁判官9人が「訴追」
国会の裁判官訴追委員会は、2月13日の委員会で、東京高裁の岡口基一裁判官を呼び出して審理することを決めた。岡口氏本人が、3月4日に訴追委から呼び出しを受けたことを明かしている。岡口氏は今後どうなるのだろうか。
岡口氏が自身のブログに掲載した内容によると、訴追委は今回、戒告処分の対象となった犬の所有権をめぐるツイッターへの投稿に加え、女子高生が殺害された事件をめぐる投稿についても調べる意向。
今回、岡口裁判官に対しては、最高裁が全員一致で戒告の結論を出している。最高裁の処分と訴追・弾劾の関係について、訴追委の事務局は「裁判所の処分と、訴追委員会の訴追の動きは、ともに独立しているもので、お互い影響を受けないし、規定もない」としており、弾劾裁判所事務局も同様の見解を示している。

https://www.bengo4.com/c_23/n_9298/

岡口氏の出頭要請「裁判官の表現の自由に重大な脅威」 弁護士有志が賛同者募る
2月25日22時半時点で、呼びかけ人は64人、賛同者は257人呼びかけの中心となっている島田弁護士や、アピールの賛同を求めるホームページによると
・・・裁判官の表現の自由への制約については、必要最小限の制約が許されるにすぎないとの見解を示した上で、訴追前の調査について「(岡口裁判官の)呼出を決定したこと自体、裁判官の表現の自由に重大な脅威を与えるものと危惧せざるをえない」と、問題視している。
島田弁護士は、「今回の問題では表現の自由が軽く見られている」と指摘。訴追請求があっても、出頭要請のないまま不訴追になるケースが多いことを念頭に、「出頭要請せずに不訴追にすべき事案と考える」「呼び出しまでするのは、政治的圧力を裁判官にかけることで、裁判官の独立や三権分立にかかる問題」としてる。

岡口判事支援弁護士らの
「呼び出しまでするのは、政治的圧力を裁判官にかけることで、」
と言う主張は法律家の文書としてはおかしな主張です。
「政治的圧力」とは何か?ですが、国会での野党の質問も選挙も当事者にとっては政治圧力そのものでしょうから、憲法を基準に色分けするならば、憲法の予定する政治圧力と許容しない政治圧力がありそうです。
アウトローの主張ならいざ知らず、弁護士の肩書で政治問題視している以上は憲法が想定している圧力を問題にする余地がありません。
その圧力の及ぼす弊害が「裁判官の独立や三権分立にかかる問題」というからには「憲法が(許容しない)違反」の「政治圧力」だと主張していると理解すべきでしょう。
憲法によって設置されている弾劾裁判手続き上の「呼び出し行為」が憲法違反の政治圧力というとすれば、よほどの事情説明がないと主張自体矛盾していませんか?
論理を一貫させるには、弾劾制度は憲法上の制度であることは争いがないが、その手続きのための呼び出し行為が、憲法違反の政治圧力というためには「呼び出し行為」が憲法違反というのか、手続きがあること自体違反でないが、今回の呼び出しは乱用(すなわち違法)だというのでしょうか?
しかし弾劾裁判をするには呼び出し行為が必須ですから、憲法は「呼びだし行為」を憲法が許容していることが明らかです。
民主国家においては、不利益処分を受ける対象者にはあらかじめ告知し、これに対する弁明チャンスを与える手続きが必須であることは周知の通りであって、この原理に則って弁明のチャンスを与えることが違法評価を受けるのは、よほどの例外事情があってこそ成り立つ主張です。
この具体的事情を主張しないであたかも弾劾の先行手続き開始自体を違憲と言わんかのような主張態度はおかしくないでしょうか?

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