野党離合集散1

いわゆる55年体制下の社共両党はソ連や中国をバックにする政党として事実上?(というか国民多くの暗黙の認識)存在してきたので、ソ連崩壊後非武装平和論の公然たる主張は無理が出てきました。
国民支持を受けなくなった結果対応として、社会党のままでの党綱領改変は無理があったので社会党から解党的に大量脱退して(今回の民進党から希望の党への大量遺跡の前身)現実主義路線転換のために新党結集に動いたものです。
同時に選挙制度改正・・小選挙区化により1選挙区一人しか当選できないとなれば一人しか党公認で立候補出来ない⇨現役優先になる結果、新人出現の阻害要因になり優秀な新人が野党に流れる期待・・中選挙区の場合人材が政権党にばかり集まる⇨自民党長期政権可能な下地の破壊⇨政権交代可能にする構造改革政策でした。
野党が自民党公認漏れの新人の受け入れ皿となるには・保守系も受け入れ可能な政党への脱皮を図る必要がありました。
野党=非武装論一本では現実的政策論者を受け入れられないので小選挙区にした効果がない・・この変身過程の離合集散の結果、自民党出身者・・保守系もかなり取り込んだので現実政党らしくなったので国民も安心した結果、初めて自民党が下野して登場した細川政権は、もともと保守的地盤を持ち熊本県知事の経験のある細川氏が総理になったものですし、それを担いだ実力者が元自民党幹事長の小沢氏でした。
自社さきがけ等の連立を経て自社連立となり、自公連立に変わりついにリーマンショック後民主党政権に至ったものでした。
既存政党からの分離組みの初期時代を経て10〜15年を経ているので独自政権のように見える民主党政権でも、初代総理になったのは元自民党員であった鳩山氏であり、自民党創設当時頃吉田総理と争っていた鳩山元総理の孫?です。
現在の国民民主の共同代表は玉木氏は何と自民党の大平正芳元総理の娘婿でその地盤を継承しているイメージです。
玉木雄一郎氏に関する本日現在のウイキペデイアの記事からです

妻・恵理は首相・自民党総裁だった大平正芳の親戚であり、この縁で大平の孫娘である渡辺満子(元・日本テレビプロデューサー、元日本テレビ取締役専務執行役員・渡辺弘の妻)が玉木の公設秘書を務めている。また、地盤である現在の香川2区はかつての大平の地盤(中選挙区時代の香川2区)の一部を引き継いだ地区でもある[46]。

自民党でさえ一人しか公認できない小選挙区制になったので、野党の方も選挙協力で候補を一本化しないと小選挙区では完敗になりますので、共産党を除く野党が民主党に大同団結してついに政権獲得にまで進みましたが、政権担当して見ると選挙に勝つための政党結成だった結果、内部意見統一もできないし、実務能力がなく信用を落として終わりました。
その後政権取りのためだけの無理な大同団結の反省から、この数年で民主党が民進党になりさらに国民と立憲と無所属に3分裂した結果、それぞれの主張がスッキリしました。
ここに至る過程を振り返ると民主党は左右混合の現実政党を目指した結果、両翼の支持が混在しているので寄合所帯の矛盾を孕んで二進も三進もいかなくなって来たのが、民主党〜民進党への党名変更後の段階・・最大の弱みでした。
この民進党になった段階では保守と革新に純化・・分党するしかない状態に追い込まれていたのです。
健全野党の成長を待望していた国民が多かった(私の主観?)ので、希望の党はこの期待と野党の矛盾関係に手を突っ込み保守系を引き抜いて一挙に自民党に対抗できる現実的大政党を作ろうと目論んだものでした。
健全野党の出現を期待している国民は心情的に喝采していたと思います。
16年頃に民主党から民進党へ党名変更しても、支持率が低迷する一方で行き場を失って右往左往していた民進党議員は票を求めてすぐにも雪崩を打って希望の党へ大挙入党する勢いでした。
自民党からの野合批判(国民の期待は現実政党誕生であり、原理論者の合流を期待してはいない・核心をついたものです)に小池氏が反応して、もともと保守系大同団結を目指した結党であった以上は、非武装平和系「排除」は譲れない基本として排除発言に追い込まれました。
排除発言されて行き場を失って追い込まれたグループの受け皿として立憲民主党が結成されました。
立憲は結果的に・・反安保等旧社会党的主張へ回帰する純化集団中心の受け皿となり、スッキリした分、当面は旧民主党内でモヤモヤしていた反安保勢力の取り込みで一定のところまでは党勢拡大できるでしょう。
小選挙区制対応のための大合同・実質選挙協力体制でしたから、1選挙区で民主党から一人しか公認候補を立てられないので、ある選挙区では保守思想の候補者が公認されると、その選挙区に住む左翼系の人でも仕方なしに保守系思想の民主党候補に投票したり、逆に非武装系の候補者しかいない選挙区では、民主党内の保守系の人も左翼系の民主党に投票するしかないなど選挙区ごとで歪みが生じていました。
選挙協力・統一候補擁立とはそういうものです。
排除論理による左右分裂・純化路線とは・・各派が別の政党になり選挙協力がなくなったことになります。
立憲と国民民主そして無所属の3派に別れた各選挙区にそれぞれの派閥が独自候補を立てるようなもので、党員にすれば自分の支持派閥にそのまま投票できて気持ちがいいでしょう。
自分の選挙区では民主党内の保守系しかないので仕方なしに民主党の保守系に入れていたか共産党に投票していた場合、立憲が非武装論者を全選挙区で擁立してくれれば、喜んでその候補者に投票できるでしょうから、左翼系では当面共産党と民主党内の保守系議員の票を食う関係になりそうです。
とはいえ、非武装平和論(米国支配よりソ連支配の方が良いという主張を根底にした思想)はソ連崩壊後限界が来たので社会党が事実上解体せざるを得なかった現実があったのですから、(ソ連に変えて中国の支配下に入る方が良いという主張?)立憲民主党が今更歴史の歯車を元に戻すのは無理ではないでしょうか?
立憲民主の目標はニッチな非武装論者の取り込み専念段階では成功するでしょうが、一定率まで伸びれば壁にぶつかるしかなさそうです。
4月7日の統一地方選の結果を見ると立憲の市議が増えた分の主な供給源として、国民と共産党が落ちている傾向が見えます。
民進党の分裂劇は、左右混在の元民主〜民進党の左右純化への流れを表しているとすれば、立憲民主の党勢拡大は、元民主党支持者内の食い合い以上に伸びられない分を共産党支持者を食っているようです。
立憲民主結党以来共産党が、野党統一候補擁立・選挙協力に必死になっているように見えるのは、放置すると立憲民主に共産党支持層が侵蝕されていく危機感から,選挙協力という名の縄張りの取り決めを必要とする背景があるからでしょうか?

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