高齢化と社会保険の赤字4(感謝する心2)

生活保護制度(養老院→老人ホームなど)が昭和25年に成立していますので、設計時には、有資格者(老後生活に困っている人)がいても、他人の世話になるのは、恥ずかしいから一定数は親類縁者(友人)の受け皿がいて救済される・・縁者がいない人の最後の受け皿として設計されていたと想定されます。
以前コラムに書いたことがありますが、この15〜20年近く前から、大企業の役員をしている息子がいてもお祖母さんを所帯分離して無収入として安い老人ホーム入所資格を得ているのが普通になって来ました。
昨年だったか?有名お笑い芸人の母親が生活保護受給していることを高市早苗さんが指摘してマスコミで問題になりましたが、この傾向は大分前から私のコラムで指摘して来たところです。
生活保護受給する権利があると言う教育?・・他人の世話になるのは恥ずかしいという道徳心を否定して、何も恥ずかしいことではない・・「権利を堂々と主張しましょう」と言うのは、本当に困っている人に対しては必要なことです。
しかし、従来基準で言えば、子供世界が経費を出せるのに、経費出費による生活水準を落としたくないために所帯分離するなど、権利主張するためにどうしたら受給資格を得られるかの工夫が発達して来ると一種の制度濫用です。
子供の年収が何千万あっても親が生活保護受ける権利があると言う考え方が一般的になれ別ですが、今のところそこまで国民意識が変わっているようには見えません。
高市早苗氏が問題提起したお笑い芸人の場合、年収5000万と言うことで社会問題になったものですが、そう言う「狡い」行為を国民は許容していない国民意識を前提にしています。
最低生活水準の人でもやりくりして助け合って生活するのが今までの風潮でしたが、その程度の人は別として、年収1200万の人でも1000万の人でもお金と言うものは、月5〜10万の出費が増えるのは避けたいものです。
そうは言ってもそのお金を関係のない他人が出すべきと言う意識・・極端に言えば、「育ててくれた親に対して舌を出すのもイヤだ」と言うことで、社会保障費が膨らむのっておかしいと思いませんか?
このコラムを書くついでにちょっとネットを見ると、◯◯が生活保護申請すると自分の収入を調べられるかと言うような公務員など一定の年収のある人の質問がいくつも出ています。
元々は、最後の受け皿・・セーフテイネットとして制度設計したものなのに、周りの友人知人どころか、肉親も援助しない・・所帯分離などの工夫が発達すると、統計上貧困所帯が激増して行きます。
この制度が出来た戦後直ぐのころよりも日本が貧しくなって、生活保護請求者が増えた言うのは、無理があります。
本来の権利者が遠慮していた点は改める必要がありますが,勢いが余って?巨万の資産家の母親や身障者などまで所帯分離するように勧誘するようになると本末転倒で助け合いの精神を破壊してしまいます。
在日系に生活保護所帯が多過ぎると言う批判論は、自分の母親が生活保護なんて恥ずかしいと言う・・恥を重視する日本人と違う道徳意識の違いによると思われます。
高市早苗氏の指摘した有名お笑い芸人は・在日だったように記憶しています。
この4〜5年ばかり弁護士による生活保護受給援助活動が急速に盛んになったように見えますが、日弁連が音頭をとっているのかどうか知りませんが、在日だけではなく日本人にも身内に頼らずに権利要求するのを応援するだけではなく,生活保護受給は権利であって、恥ずかしいことではないと言う風潮を広げようとするのかも知れません。
元々家族で助けあう・その外延として親戚→一族→同じ集落で助け合う価値観でしたが、これに頼る意識を前提にし過ぎるのは古過ぎる・・改めて行く必要がある点については、私も同感です。
とは言え、同居していた母の住民票を動かして所帯分離するようになってくると行き過ぎの感じがしますが・・。
この運動の行き着くところ、日本人の「同胞に出来るだけ迷惑かけたくない・・恥ずかしいことだ」と言う道徳意識が変っていくのでしょうか?
東北大震災被害で特性が明らかになった日本人の世界に誇る同胞意識「絆」の解体が目的でないとしても結果的にそうなって行くでしょう。
生活保護を受ける権利と言えば、昨日書いたように法で基準を決めた以上は基準に合致する限り(本質は社会の善意によるとは言え、形式的には)権利ですから、その運動自体弱者救済となります。
本来の有資格者が遠慮して苦しんでいるのを放置せずに権利意識を覚醒させて受給するようにするのは人権擁護上必要ですが、(子供の年収数千万の人が境界かどうか分りませんが)境界付近の人まで所帯分離して押し掛けるようになって来ると(お金のある人までホンを買わないで図書館に行く時代にするようなものです)国家予算に限界があるので窓口作戦を発動し、保護基準を引き下げるしかありません。
制度設計当初の社会意識では、老後困った人の大方を子供らが、面倒を見る前提で設計されていたし、権利があっても遠慮する人しか想定出来なかった・・不正・不当受給など考えられなかったので、子供や兄妹の経済力証明など要求していなかったに過ぎないと想定されます。
今になって、子供らの収入証明が必要と言う規則がないことを理由に「聞かれても拒否しましょう」と言う宣伝が行き渡って来ると、ルール改正すべきだと言う意見が増えて来るでしょう。
年収千万以上の子供らがいても面倒見なくなる時代を比喩的に言えば、100の受給者を想定して予算額が100のときに受給者が急激に3倍になれば、一人当たり支給額を3分の1にしないと計算が合いません。
そうは行かないとなれば、予算を倍増するか、イキナリ倍増出来ないとすれば、2〜3割増して支給基準を6割減にするなどの外、運用基準を厳しくする・・親兄弟などの年収要件を作るなど調整が必要です。

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