差異化社会5と多様な生き方4

思うに,本来知育基準向きの才能ではなかった・・結果的に途中から縁を切って、その他の道で活躍して来た人でも、どこか学校教育的価値観が最高で自分はタマタマ野球・サッカーでで何とかなっているけど・・などと自分を本心では駄目な人間だと思い込まされて来たからではないでしょうか?
洗脳されてしまった内心の価値観が子供が生まれると子供に対する期待になって、何とか挽回して欲しいと言う欲求に駆り立てるのかも知れません。
子供がいやがると「お父さんの頃には中卒でも今は親方をやっているけれども、これからは「高校も出ないで将来どうするの!」と説得し続けるので、子供は仕方なしに、進学?に同意するのですが、向いていないことはどうにもなりません。
お父さんはトビの親方などやっていて自分なりに満足しているし、お父さんが自分の子供の頃にイヤな授業が終わると嬉々として遊んでいたことも経験しています。
「子供がいやがっているのに・・」うっかり口を挟むと「だからあんたみたいになっているのよ・・」「これからは高校くらい出ていないでどうするのよ!」と噛み付かれるのが落ちですから、黙ってみているしかないようです。
これからの社会では、現場系でも一定の機器操作が必須で高卒〜短大卒程度のレベルが必要なのと、子供の能力(素質)が高度化しているかは別問題ですから、これからの社会のあり方に関する母親の心配・見通しが正しいとしても、我が子の能力(素質)無視で要求している点に無理があります。
企業で言えば、高度機器導入によってその操作能力、あるいは海外展開によって英会話能力必須となって、社員教育をしてもついて行けない人材が出るのは仕方のないことです。 
企業の場合勧奨退職や子会社への転籍などで選別して企業の必要とする人材に純化して行けますが、国家や家庭の場合、国民を振り落とす訳に行きません。
そこで社会保障の充実策となるのですが、振り落としてしまった人を生活保護・経済支援だけと言うのでは・ストレス社会になってしまい、社会の安定が保てませんし、国民も不幸です。
世上中間層からの脱落の増加・・中間層縮小を問題視している意見が多いですが、問題視して格差拡大とか非正規雇用拡大批判・・社会不満を煽るだけで解決出来ません。
社会が高度化して来ると最下層職務の底上げがあるように中間層職務も徐々に高度化して行きます。
そうなると職務の高度化について行けない・・中間層内の最下層から順に就いて行けない層の脱落が始まるのは当然のことです。
従来中間層に厚みがあったのは、特にホワイトカラーでは勤務評定基準がはっきりせずに職務内容に農業社会同様の緩やかなハバがあったからです。
中間管理職でもボヤーッとしていると課長クラス間競争に負けてしまう時代が来たので、比喩的に言えば昔は課長クラスの能力差が1センチしかなかったとすれば、今は10センチも上下差が出て来る・・勢い能力差がはっきりして来た時代です。
最下層と言うか現場系に戻りますと,従来中卒程度で出来た仕事が高卒程度のレベルがないとやって行けない時代が来ています。
家電量販店に行けば商品知識の豊富さに驚きますし、コンビニ店員でも商品配置を聞かれれば直ぐ応答し、各種機器利用に戸惑っていると直ぐに手伝ってくれます。
ただボヤーッと店番していた昔とは格段の違いです。
・・今世間を騒がせているマンション杭打ち工事・・東京駅の建て替え工事で言えば、元の東京駅の基礎は「松の杭」を人力で打ち込んでいた程度だったのが、今は、住居用のマンションでさえ、コンピューター処理でグラフや地耐力計算をしながらやる仕事になっていることが分ります。
昔から「土方」と言う言葉があるように、体力仕事だった基礎工事でさえこれですから、多くの母親が子供の高学歴化に必死になるのは分りますが、知能指数◯◯程度の場合必死に尻を叩いて勉強させても勉強時間さえ増やせば能力が上がる訳ではないので、子供がいじけるだけです。
中学で9x9の掛け算が出来なかった子供が無理に底辺高校に入れられても高校に行くとなおさら授業について行けないので、早く現場労働見習いなどで自分の能力に応じたことをしたいのに、嫌々高校へ通っている・・そのうち不良になって行くパターンです。
こう言う場合,授業が分らないなら予備校へ・さらにはマンツーマン塾へ行かせてやれば良いと言うのでは、子供にとっては地獄です。
学校の授業だけでも苦痛で、早く放課後になるのを楽しみにしているのに、帰ると塾に行け・・集団授業ならまだ息を抜けますが、お金をかけてあげるからマンツーマンで頑張りなさいと言うのでは、息を抜けません・・.

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