差異化社会4と多様な生き方3

従来型画一生産での国際競争においても、女性の視点が必要ですから、日本文化伝承が必要と言う立場でも、女性が一定数参加して頂くのは合理的です。
ですから、女性がみんながみんな従来型大量生産に参加させるために保育園など拡大するのに反対ということと、女性が一定数従来型生産方式へ参加したり、その一端である既存体制である指導者・・政治家や企業役員等への進出などへの参加を否定しているものではありません。
欧米あるいは中国的価値観バカリではなく(米中や西欧等の価値観は基礎が同じであることを年末に連載してきました)日本的価値観・・細やかなものを作って行く人や、変ったものを大事にする価値観が社会全体の主流になるほどの人数がいらないとしても、これを大事にする女性や好事家をバカにしない・・光を当てる必要性を書いています。
・・補助金や生活保護を拡充する即物的対策ではストレスをなくせない・むしろ彼らが誰も大して利用してなくとも、大事にしている気持ち・・やっていることを尊敬する心・・誇りを持たせる社会のゆとりの必要性を書いているだけです。
このゆとりが結果的に多様な文化を生み、次世代に光るものを日本から発信して行く種になるし、格差意識・ストレスを緩める効果があると思われます。
日本文化継承にこだわると、国家衰亡の道か?と言うとそうではありません。
明治維新以降バブル崩壊までは、外来の大量生産に向けた文化の取り入れは急務でしたが、今になるとむしろ基礎になる細かな作業を厭わない・幼児などを大事にする精神文化がなお生き残って来たこそが重要になっています。
細かな末端道具類を作る技術や行儀作法・結果を賞讃する社会では、いろんなものが生まれて来る・・これを愛でる文化は結果的に・・多様な価値観が賞讃される社会になり易いのです。
変なものを珍重する文化・・多数・少数の比較で言えば少数者の作品を大事にする文化であり・これが古代からの弱者・敗者を大事にして行く合議制の基礎です。
陶磁器でも中国や朝鮮半島では、型に決まったもの以外は相手にされないが、日本では変わった形が生まれると珍重され高く売れる・・この結果超高級品は日本に輸出される習慣が、何世紀も続いてきた結果、良いものは日本にしかない状態になっています。
日本では、織部焼きなどの変形ものが珍重され傑作が残ってきました。
「ひょうげもの」を珍重する文化と俳諧や、落語や川柳・狂歌・落首が生まれる土壌には、共通性があると思われます。
今の酷い中国をしらない2〜30年前に、漢文程度の知識しかなく中国文化に憧れていたときに、台湾の故宮博物院に行き3〜4日家族で通ったことがありましたが、清王朝の傑作と言っても象牙を精密に彫刻したり、石造りの桃ノ木などバカリで、作品が田舎臭・・泥臭さには、驚いた記憶があります。
中韓では儒教の影響で、からだを動かす労働を卑しむ価値観・・手を組んでいる身分が尊ばれる傾向が強い点が、下積みの物造りに優秀な人材が行かない・・勤勉に働く意欲を阻害していると言われます。
これがポスト産業資本主義への移行に赤信号がともっていると言われる所以です。
イタリアも「ママン」の影響力の強い社会であることが知られていて、だからこそ大量生産競争では負けて来たものの、高級車その他職人芸の技術が伝承されていると言われています。
そのイタリア料理では、黙々と働く日本人が誰もやりたがらない下働きばかり押しつけられている間に、いつの間にか日本人シェフがイタリア料理を支えるようになっていると言われているのもてを動かす作業「下積み仕事」をいやがらない・バカにしない国民性を表しています。
多様な生き方を認める社会に方向転換して行くとすれば、日本は最も適応性のある社会だと思っています。
ポスト産業資本主義社会が差異化社会であり、選別から落ちこぼれる人が輩出する絶望社会化が始まっていると言うのも1つの意見ですが、逆に多様な生き方を認める必要に迫られる社会だとすれば,これまで画一社会で息苦しく感じていた多くの人が解放される可能性を持つ社会でもある訳です。
現場系の親が、親は自分が駄目だった?分・・「子供だけは何とか高校くらい出してやりたい」と無理に高校に入れたがる親が一杯います。
自分が子供の頃に勉強がイヤだったのに、子供なら大丈夫と決めつけるのが不思議ですが・・・。

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