高齢化と社会保険の赤字3(感謝する心1)

我が国では何かありがたいことがあったり成功すると、何となく神様に感謝する気持ちになる人が多いと思いますが、(今ではそんな古い人はいない・・私のような高齢者だけかな?)古来から、やおよろずの神々が空間に満ちあふれていて、神と民族の一体感・・渾然一体で来たので、「御陰さまで・・」と言う民族共同体全体に対する感謝の気持ちと繋がっています。
感謝精神の有無・程度は、何か良いことがあったときに「望外の幸せ」「有り難いこと」と受け止めるか、当然の権利と(冷静に?)受け止めるかの日頃の心構えの違いかも知れません。
以前、権利と恩恵の関係を書いたことがありますが、特定個人から(将来のための先行投資的場合を除いて純粋な)無償サービスを受けるのは100%・拠出者の善意恩恵によることを疑う人はいないでしょう。
ところが組織からの贈与・恩恵になるとルールで決まった以上は、「貰う権利がある」と言う気持ちになる人が出て来ますが、組織構成員全体からの善意や助け合い意識によるものである本質は同じです。
拠出者と目の前で配布している人が別になっていて距離がある場合、ややこしくなるようです。
目の前の担当者を基準にする人は、救援物資が届くとお前に貰っているのではない・・「受け取るのは俺の権利だ」と言う意識が強くなるし、背後にいる多くの人の善意を気にする人は「有り難い」と伏し拝んで受け取る気持ちになるでしょう。
生活保護費の受給や障害者に年金を支給する、高額医療を無償にするなどは法(国会)で決めた以上は、受給資格者にとっては権利です。
この権利は、生活保護担当役人による「お気持ち」で戴くのではなく、もっと上位者(国言えば国会、個人事業で言えばオーナーなどトップ)の決めたことによるのですから、末端担当者に対しては、(路上生活者が「俺はオーナーからただで食って行けば良い」と言われているんだ」と言うのは、権利主張であることは間違いないでしょう。
この場合もオーナーの無償の好意に寄りかかっている大もとは変わりませんので、主人の気持ちが変わればおしまいです。
生活保護等は、国家意思として国会で決めた限度で公務員がこれに従う義務があり、国民は受給資格に該当する限度で(上記例で言えば店員に対するのと同様の)公務員に「請求する権利」があります。
ただし、これを権利と言うのは技術的なものであって、100円のものを売った場合100円の代金請求権があると言う天賦不可譲的な?権利とは、本質が違っています。
生活保護の不正受給批判が高まったことによって、最近窓口規制が厳しくなって来ていると言われます。
他方、本来受給資格があるのに恥ずかしいから・・人の世話になりたくないと受給申請しない人を掘り起こして「権利」だからと生活保護受給申請を応援するかのような動きも目立ってきました。
権利を知らずに眠っている人を掘り起こして救済するのも弁護士の重要な職務と言えばそのとおりですが、権利の成り立ちの違いを違いとして理解した上で権利要求する精神が必要です。
話が飛びますが、図書館に週刊誌も新聞もあるから国民みんなが図書館で無料で読めば良いと言う運動をして、徒歩圏内に図書館設置運動をした場合、出版業界が成り立たずひいては著作者も食べて行けないので知的活動が衰退します。
保険制度も元は・・病院へのアクセスが悪いその他の時代の設計ですから、(保険制度が出来た頃には都市集中が進んでいませんでした)余程のことがないと病院まで行かない前提で設計されていたのですが、人口の都市集中が進み、町中の徒歩圏内に多数のクリニックが出来るなどアクセスが良くなって、健康意識も挙った結果、受診率が挙り、自分で食事を工夫するなどして直せばいい程度の軽い体調不良まで何でも暇つぶしに?病院に行くようになると保険制度の設計で収支計算してしていた前提基礎が狂ってきます。
(クルマや火災保険や生命保険でも、事故発生率を統計的に計算して保険料率を決めて行くものです)
大病院受診は紹介がないと割増料金を取れるようにするなど利用率を減らすように工夫するなど制度設計を見直す必要が出て来ます。

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