幕府権力と執行文の威力

室町時代初期にも、まだ貴族荘園と武家との年貢の取り合い・押領テーマにした幕府への訴訟が多かったこと・・この訴訟の裁定・裁許下知状・執行状に御家人が従わないことなどが尊氏の弟直義・三条殿が裁定していた頃から問題になっています。
この辺は、亀田俊和『観応の擾乱』中公新書、2017年に詳しく出ています。
後醍醐政権の裁定は公卿有利な裁定が多かったので武士の不満が蓄積されて足利政権が生まれたというイメージは、大筋ではその通りでしょうが、武家が荘園管理をするようになった場合、管理者とオーナー(荘園領主)との分配の揉め事は、荘園領主層の支配する中央権門・・朝廷が裁いた方が荘園領主側に有利ですが、武士の力が強くなってきて貴族層による裁定に従わないようになると、公卿会議の裁定は意味がなくなります。
「蛇の道は蛇」ということで、貴族層の方でも武家の棟梁に持ち込んだ方が強制力がある結果、後醍醐政権の方へ訴えるよりも、足利屋敷の方へ持ち込む事件の方が増えてきたようです。
結局後醍醐政権は時代の流れに会わないで市場淘汰されたように見えます。
公家側から見ても足利氏の裁定は無茶に武士に有利ではなかった・・比喩的に言えば、6対4で武士に有利な裁定であっても公卿にとっては、10割勝っても何の実効力もないよりは、4割でも権利を守ってくれる方がよかったということでしょう。
こういう意見(想像)は上記の本に書いていることではなく読後感・私の勝手な憶測です。
またこの本による執行状も興味深い事実です。
武家政権に頼んでも同じことで、執行状を誰が書いているかによって現場の実効性が違ってくる・・三条殿に対する御所巻きで、高師直側に多数武士が集まったのも、高師直が失脚して彼のサインした執行状の効力がなくなるのを恐れてあわてて集まったという読みも(本には書いていませんが)成り立ちます。
ところで、日本の歴史の連続性に関心するのですが、今でもせっかく勝訴判決を得てもこれを執行できないと単なる紙切れです。
判決を得て強制執行するには、さらに「執行文」というものを判決書につけてもらう必要があります。
判決書正本に執行文がついて初めて強制執行の申し立てができる仕組みです。
これを執行力ある、〇〇正本といい、公正証書や調停調書や和解調書など全て執行文付与が必須になっています。
民事執行法
(強制執行の実施)
第二五条 強制執行は、執行文の付された債務名義の正本に基づいて実施する。ただし、少額訴訟における確定判決又は仮執行の宣言を付した少額訴訟の判決若しくは支払督促により、これに表示された当事者に対し、又はその者のためにする強制執行は、その正本に基づいて実施する。
(執行文の付与)
第二六条 執行文は、申立てにより、執行証書以外の債務名義については事件の記録の存する裁判所の裁判所書記官が、執行証書についてはその原本を保存する公証人が付与する。
2 執行文の付与は、債権者が債務者に対しその債務名義により強制執行をすることができる場合に、その旨を債務名義の正本の末尾に付記する方法により行う。

「将軍が良し」と言い、今では裁判官が判決を宣言しただけではダメ・・執行文が必要な仕組みが室町時代には普通になっていたことがわかります。
今は官僚機構が整備されているので、執行文を誰が書いたかで効力に差がない・誰が書いたかに関係なく権限のある人(書記官)が書いていれば画一的権限が保証されています。
民事執行法
執行官等の職務の執行の確保)
第六条 執行官は、職務の執行に際し抵抗を受けるときは、その抵抗を排除するために、威力を用い、又は警察上の援助を求めることができる。ただし、第六十四条の二第五項(第百八十八条において準用する場合を含む。)の規定に基づく職務の執行については、この限りでない。

執行に抵抗すれば、公務執行妨害罪になりそうですから、ひ弱そうな執行官が来ても今の時代ヤクザでもヒルム関係です。
室町時代には執行(せぎょう)状を書いた人が誰かによって「あの人の命令では、聞かないわけにいかない」「あいつの命令じゃ聞く気持ちになれない」などと末端武士が決める時代でした。
判決(正義)に従うのではなく、執行状(ひと)に従う社会でした。
領地の境界争いの場合、負けt方が係争地をすんなり引き渡すのを期待するのは無理ですから、ほとんどの場合、上京した機会に執行状に花押を書いた実力者に、あの件何とかなりませんか・・とお願いする程度で、実力者が「よしわかった」と言って付け届けをもらいながら何もしてくれないと信用がなくなる関係です。

専門家の論文は事実の裏付けというか事実を丹念に拾っているので、私のような不器用なものには、読み応えがあって楽しいものですが、高齢化のせいか?読んでも読んでも忘れてしまうのは困ったものです。
直義が観応の擾乱第1幕では圧倒的に勝利を収めて政敵の高師直が討ち取られますが、直義がすぐに地位を失っていくのは彼は正義感が強すぎて?、あるいは過去の価値観にこだわりすぎて?自分に味方した武士に対するその後の論功行賞をまともにしなかったからのような印象です。
観応の擾乱第一幕では、御所巻きに屈服した直義でしたが、第二幕の直義による全国規模の巻き返しで直義側に馳せ参じた武将らは、自己主張が正しいかどうかは別として命がけで応援した以上は、相応の恩賞(不当な)利益を期待していたのにがっかりしたのです。
もともと室町幕府の威令が届きにくかったのは、足利家は源氏の名門とは言え頼朝のような絶対的名門ではなく相対的名門であった上に、権威の裏付けたる朝廷自体が南北に分かれていたことが、騒乱に明け暮れた基本原因でしょうと形式的には言えるでしょうが、(今でいう国連での決議や・・中国が南シナ海問題に関する国際司法裁判所判決を「紙切れに過ぎない」と一蹴したのと同じです。)上記私の想像によれば、時の流れが速すぎて室町幕府はしょっちゅう政変続きになったとも言えそうです。
建武の中興政権が崩壊して室町幕府成立直後は、高師直・高家一族勢威を張っていましたが、これが急速に武士団の信望を失って行くのは、上記の通り、公卿荘園領主側への遠慮が大きすぎて今度は武士の方から不満が出てきたからでしょう。
足利政権樹立直後は、政治的情勢から公卿側に配慮して上記の通り比喩的にいえば6対4で武士有利に裁定していたとしても、武士の世がはっきりしてくると、武士の方は6では納得しなくなる・7対3の願望が強くなります。
それが、比喩的にいうと数年もすると今度は8対4でないと納得しないような急激な変化の時代でした。
この不満期待感が直義への期待になったようですが、上記著者亀田俊和氏によれば、直義はむしろ守旧派・常識人・・過去の価値基準でいえば、武士が約束違反しているという発想が強かったようですから、直義側についた武士団はあっという間に直義を見放していきます。
ただし、室町幕府自体が武士に対する威令が届きにくい脆弱性を持っていたので、執行状を発給しても現地では守られないのが普通だったとも書かれています。
だいぶ前に非理法権天の法理を紹介しましたが、その時に書いたように粗暴な君主の事例を見ると国民隅々まで威令が行き渡る怖い時代かのように見えますが、逆から言えばそのくらいのことをしょっちゅうしなければならないほど、末端では威令=法令が守られないということです。
こう見ると何のための訴訟か?となりますが、一応幕府に訴えて自分の方が正しいという「正義のお墨付き」を求めるだけの利用価値があったのです。
今の国際司法裁判所の判決を「中国は紙切れだ」とうそぶいていますが、その程度の効力があったのでしょう。

天皇制変遷の歴史2(朝廷財源消滅1)

古代から朝廷=国家(個人事業創業時同様に財政と内廷費の分離がはっきりしないのが原則)ですから、天皇家=朝廷は納税する側にとってはいかにして国税納付をまぬがれるかに知恵を絞る対象であり、朝廷は恩賞を気前よく配る立場でした。
今でも納税者は法人税の減税をはじめとしていろんな分野で如何にしても減税を勝ち取るか、一方で如何にして補助金を多く勝ち取るかが、政治の大きなテーマです。
今から始まっていますが、消費増税をするとなれば自己業界を例外扱いしてもらうために、各業界はしのぎを削るのが普通です。
親子でいえば年金収入しかなくなっても親はいつまでたっても里帰りした子供らに手土産を持たせるかに気を配り子供世代はなにかもらって帰る習慣が抜けないのと同じです。
荘園の発達によって国庫収入・・収入源が細る一方→皆無になっていたのが安土桃山時代でした。
税を取れなくなって、恨まれないかもしれませんが、税のさじ加減の権限・影響力がなくなるしだけではなく、古代も今も経済影響力と権力は比例しますので、天皇権力に経済裏付けがなくなった上に、官僚やその他貴族にとっては事実上の決定権を持つ人に恩を感じても名目上の叙任権者である天皇に何の感謝もありません。
ついでに天皇・朝廷の権限縮小過程・・収入減少を見ていくと、荘園の発達に比例して国衙収入が減っていくので、藤原家の勢威が「望月の欠けたることのなき」栄華を誇る絶頂期になると、天皇家側で自前の資金源を持つ必要に迫られて「毒を以て毒を制する」挙に出たのが院政の始まりだったように思われます。
朝廷自身が荘園を持つのは国家体制と矛盾するので、早くに退位して身軽になった上皇が、院の荘園保有・・経営に乗り出して藤原氏との荘園の系列化争いを演じ始めたことになります。
朝廷には公式の左右の大将や近衛兵など青侍?しかいませんが、院の経営する荘園には藤原氏の荘園同様の武士団が発生します。
この中央武士団が北面の武士ということでしょう。
ところで、荘園の中央系列化の始まりは、地元豪族(いわゆる郡司さん)のものですが、もともと国衙の徴税を免れる(ゼロにして納めないというのではなく徴税のさじ加減を緩くしてもらうため)には中央権門に名目上寄進して交渉を有利に進める(今で言えば政治家に口利きしてもらう?)ために始まったものでしたから、さじ加減の権力の強い方に集中するのは当然の結果です。
このコラムで何回も紹介している千葉氏は元々平家でしたが、伊勢神宮の荘園である相馬御厨の管理権・今で言えば不動産会社がマンション管理する権利に似ています・・あるいはヤクザのショバ争いで、平家に頼んでいたが有利な結果にならず恨んでいたそこへ新興の源氏が食いついて世話になったので源氏に恩を感じるようになっていたという構図です。
老舗は客が多すぎて(双方に義理があって)どっちつかずになって、新興の勢力に負けて行くのは現在の世界の勢力争いでも同じです。
今のアメリカが、中東であちらてればこちら立たずで、一方的な応援できない・どうして良いかわからなくなっていたのと同じです。
古代豪族(のちの公卿)間の荘園系列化で、藤原氏の一人勝ち的(比叡山や興福寺その他寺社勢力も残っています)状態になっていた平安末期に院の庁が荘園経営に手を出すようになると、地方豪族は藤原氏に着くのが良いか院(上皇)に頼む方が良いか(荘園名義をどちらにするか)の選択が始まります。
院の方は新興勢力ですから、対立当事者に何の義理もない・・きた方に味方すれば良いだけである上に朝廷の実力者ですから、この争いに負け始めて藤原氏の影響力が足元から崩れ始め、この経済戦争の表面化が、保元平治の乱であったことになります。
もちろんこのような意見は、素人の私の妄想です。
この最盛期が八条院領を始めとして後白河周辺で荘園取り込みが活発化したことを17年12月31日の大晦日にちょこっと紹介しました。
この時点では、八条院庄園が、藤原氏の荘園経営を凌駕していたようですし、建武の中興後の観応の擾乱のテーマが、八条院領などの荘園経営者と武士層との年貢の取り合いであったことを見ると、鎌倉幕府成立後も八条院東野平安貴族層の荘園経営が続いていたことがわかります。
幕府成立〜武士の時代がきてどうなったかですが、有職故実の研究で知られている順徳帝の履歴を見ると、後鳥羽天皇(後の後鳥羽上皇)の寵愛を受けていた彼は、即位前から経済的バックを固めるために巨大な八条院領の相続人になっていることが出てきます。
天皇家の経済基盤が重視されていたことが分かります。
一般的歴史書では、藤原氏が代々天皇の外戚であったのに、保元平治の乱は藤原氏の娘の産まない皇子が天皇になったのでこういう乱が起きたかのような人脈だけを中心に説明されますが、(外戚支配の危機は何回もあったのですが、その都度藤原氏(長屋の王の事件や弓削道鏡事件が有名ですが、その他にも藤原氏の危機はいろいろありました)がその都度乗り切ってきたのですが、この時に限って危機を乗り切るに足る人材がいなかったということでしょう)そういう背景で天皇家は経済独立のために経済基盤の確立を図る動きが出てきてこれに藤原氏が対抗できなかったということです。
光明皇后が勢威を振るえたのは、紫微中台という役所を作って国家財政の過半を握っていたからという記述をどこかで、読んだ記憶がありますが、政治権力掌握・維持には、人脈も重要ですが経済基盤が絶対的に必要でしょう。
歴史年表的には、鎌倉時代に起きた承久の乱を習うと、源平時代がとっくの昔で、武士の時代になってからのこと思いますが、尼将軍政子の演説が有名なことからしても、その頃はまだ後白河時代の人脈や遺産につながっているのです。
その頃にもまだ後白河の頃に肥大した八条院の荘園がそのまま?残っていて大きな役割を果たしていたことがわかります。
鎌倉時代に問注所・訴訟部門・が発達していたことが知られますが、(室町幕府の所務沙汰)は そこの大きなテーマは所領(結局は武士の管理権?)争いや年貢の横領(管理人とオーナーとの分配)事件だったのでしょう。
大晦日にちょっと紹介した院近臣による荘園設定の場合、(国衙との共同経営的荘園が多かったので)国衙役人が荘園内の年貢徴収を荘園に委ねて一定率を、荘園が国衙におさめる方法でしたが、(このため荘園設定には国衙の同意書添付で中央に申請する仕組み・・・院近臣が各地国司になるとどんどん八条院の荘園が増加していった仕組みでした。
武士はこの荘園経営の現場部門が肥大化して独自性が出てきたものですから、貴族と国衙の年貢取り合いだった平安時代から、鎌倉時代に入ると朝廷の取り分がほぼ消滅していて、武士と公卿の取り合い・都の貴族や寺社にまともに上がりを納めない・収める量が少なすぎるなどの争いに変わっていったのです。
学校教育では合戦を歴史のエポックとして取り上げるので、合戦の結果幕府権力が出来上がったように見えますが、実は荘園経営の実利争いになると朝廷で議論してもラチがあかない・今でいうと「ヤクザ相手にするにはその道の格上・武家の棟梁相手に話をつける方が早い」となるのと同じです。
ヤクザの下っ端にとっては警察も怖いですが、その程度なら「月夜ばかりと思うなよ!」という捨て台詞が効きますが、兄貴分に「あいつには俺がギリがあるので手を出すなよ!」と言われる方が効き目があります。
荘園の用心棒である武士団が横領を始めると、貴族社会で「困ったものだ」と嘆いていてもラチがあかない・武士団の棟梁にけじめをつけさせるのが合理的です。
ヤクザの親分や幹部が内部けじめをつけられてこそ、幹部の地位を維持できて稼ぎの元にもなる訳ですが、武家の棟梁の始まりもこれの原始版でしょう。
千葉氏はもともと平氏一門でしたが、伊勢神宮所領の相馬御厨の管理権をめぐる争いで平家が力添えしてくれなかったので、折から利根川沿いに進出してきた後発の源氏の応援を頼んだことが、石橋山の旗揚げで敗れて安房(房総半島)に落ち延びてきた頼朝の応援につながったことを2004年に 09/19/04「源平争乱の意義4(貴種と立憲君主政治3)」」で千葉氏が源氏に乗り換えた経緯を書きましたが要は管理権・用心棒のシマ争いです。
後醍醐天皇の建武の新政がつまづいたのも、この裁定実務能力がなかったからです。
政治家に必要なのは利害調整能力ですが、革新系は理念先行実務能力に欠けているのが一般的です。

憲法論と具体論の重要性(韓独など憲法裁判所の観念)2

昨日紹介した最高裁判決中の寺田治郎裁判官の補足意見は多数意見とは違い争訟性があるが、宗教教義に立ち入れないので、結局原告は錯誤内容を主張できない・許されない?ことを理由に棄却すべき・だが被告が控訴していないので高裁に差し戻しても棄却できないので、結局的に却下という結論を同じくするというもののようです。
(勉強不足の私にとっては、補足意見の処理の方がわかり良いように見えますが、ちょっと技巧的にすぎるということでしょうか?)
日弁連では、ある単位弁護士会で懲戒処分したことに対して対象弁護士が弁明を聞く手続違反があるとして異議申し立てしていたところ、日弁連がこの手続き違背を理由に破棄して単位会に差し戻した事例があります。
ところが、その事件では対象弁護士が単位会の懲戒処分後他の弁護士会に移籍していたために原単位会に差し戻されても原単位会では(対象弁護士はもはやその単位会の会員ではないのですが・懲戒処分後日弁連に継続した後に事件が原単位会に戻った場合には、その手続きの範囲内でその間に他の会に移籍していてもなお原単位弁護士会で処分できるような規定が整備されていなかった・今も同様です)再審査できない状態だったので、日弁連で自判しないと事件が宙に浮いてしまう事例であったのに、日弁連が差し戻してしまったことがあります。
上記最判の運用を見れば、こういう場合差し戻さず「自判」すべきだったことになりそうです。
憲法論といっても、具体的当てはめが重要という意味で正当防衛の議論などで紹介しましたが、争訟性が必要・・具体的事件になって「事件に即して考えるべき」という仕組みを18年1月22日までに私が書いてきましたが、これが結果的に正しいことを証明しているように見えます。
具体性のない段階で決めると原理論で決めるしかない・・観念論では先のことは何もわからないのに、「英断」してしまう・・政治的立場による「乱暴」な意見になりがちです。
憲法判断だけ別に行うシステムの国では、憲法裁判所構成員が裁判官だけではなく、ドイツのように議会の政党比で選出したり一定数しか元裁判官を要件にしていない国が多いので、これを憲法「裁判所」と言ったり言わなかったり(フランスは憲法「評議会」)するのは、この点の違いでしょう。
ウイキペデイアによれば、韓国の場合は以下の通りです。

韓国はドイツ型と考えられる。韓国では1987年改正の現行憲法によって、通常の最上級裁判所である大法院とは別に憲法裁判所が設置された。憲法裁判所の裁判官は、大法官となる資格を有する者(その具体的内容は下記の表を参照)の中から、大統領・国会・大法院が3名ずつを指名する。憲法裁判所の権限は、ドイツ型の制度を敷いている諸国と同様、憲法解釈のほか大統領の弾劾、政党の解散、機関争訟(行政機関相互間、たとえば国と自治体との間で発生した対立の処理)といった重要な職責を与えられている。

朴槿恵大統領の弾劾・罷免をした例を見てもわかるように 、ほとんど時の政治動向・世論そのままで動く政治機関です。

フランスの憲法評議会
他国の憲法裁判所の多くが、その裁判官の資格として、通常の裁判所の裁判官の経験や法曹資格を定めるのに対して、憲法評議会の委員(9名)には、特に任命資格などが定められず、その構成も大統領・国民議会議長・元老院議長からそれぞれ3名ずつ任命すると定めるなど、政治的機関としての色彩が強い・・・。

北朝鮮問題と世界平和(観念論の限界)

いわば中国は北朝鮮の暴発暴言を煽って?小出しの協力を取引材料に使い自国の立場を強めて行くという見え透いた戦略です。
この旨味を知ってか?ロシアが北朝鮮への援助?介入?を始めました。
https://jp.reuters.com/article/north-korea-russia-idJPKBN1CB0YF

2017年10月8日 / 10:10 / 3ヶ月前
焦点:ロシアの危険な「綱渡り」、北朝鮮支援をひそかに加速
モスクワ 4日 ロイター] – ロシアは、金正恩・朝鮮労働党委員長を失脚させようとする米国主導の試みを阻止すべく、ひそかに北朝鮮に対する経済支援を加速させている。金正恩氏が失脚すれば、ロシアの地域的影響力の衰退と、東部国境沿いへの米軍配備を招くことになるからだ。

制裁知り抜けが困るならば、「ロシアの言い分も聞いてくれ」(対ロシア政策でなんらかの見返りを!対露経済制裁緩和)と言わんかのような動き方ですが、中国がうまい事しているのを見て、ここでロシアも一枚噛んでおけば何らかの取引材料になると読んだのでしょうか。
アメリカの対中圧力緩和利用に北朝鮮問題を取引材料にして上手いことをしようとしたようですが、トランプ氏はこれを嫌ってこの夏頃から一転して対中攻撃に転じたようにも見えます。
このまま(オバマ政権のようにだらだら譲歩を繰り返していると)将来米国の影響力が低下し南シナ海に中国がゴリ押しで作ってしまった海空軍基地を不沈空母化してアンチョコに航行妨害できるようになる日が来るのが目に見えています。
日本に理不尽な要求をつきつけてから当初は海賊行為?等(そのうち中国領海という名目での堂々たる航行妨害)での揺さぶりをかけることが想定されます。
そうなってくると今後、台湾沖や南シナ海等公海での航路の安全確保行為が、自衛権行使の範囲かどうかの議論が必要になるでしょう。
これが日本の死活問題・航路安全確保が自衛行為となれば、日本に協力している国(例えば南シナ海でのフィリッピン)の巡視艇などと共同で海賊取り締まり中に日本自衛隊がフィリッピンの巡視艇を応援することも自衛行為となります。
このように自衛の範囲がどうあるべきかは、「集団自衛権が許されるか」の抽象論ではなく、事態の変化・・対象や海域によって日々変わっていくべき具体的議論であるべきです。
ところで、理論上日本向け商品運搬の安全確保が自衛に当たるとしても中国と戦争になる危険を犯してまで、実力行使すべきかはまた別の政治判断が必須です。
具体的実情に合わせてどの程度まで反応すべきかの限界を考えるべき分野で、原理原則論の研究が専門領域であるはずの憲法学者が、具体的事例に当てはめて政治判断する訓練を受けている実務家よりも、有益な意見を言えるとは思えません・・。
人命尊重とか動物愛護、人はどう生きるべきか、平和は大切だという抽象論ではなく、具体的事象でどこまで規制するのが正義かのギリギリの限界を探る時代になると、日々研鑽している実務家に叶いません。
キリスト教の教えでは
「右の頬を打たれたら、左の頬をも差し出しなさい」マタイ福音書5:39
と言われる部分もあるようですが、精神論・心の持ちようとしては意味があり立派なことですが、現実生活・・社会のあり方の議論としては何の役にも立ちません。
キリスト教国でも、殺人や暴力行為や窃盗を取り締まる法律のない国はないでしょうし、これを不要という実務家はいないでしょう。
ところで、何気なくこのような思いつき意見を書いた後で事務所に送られて来ていた安念中央大学教授のキリスト教と平和に関する論考があったので読んでみました。
(中央ロージャーナル17年12月20日号)
私にはキリスト教に対する基礎知識がないので難しい内容でしたが、上記のような意見もあれば、敵は容赦なく皆殺しにすべしという部分(・・いわゆる正戦論の起源?)もあるなど矛盾・混沌(これが初期宗教の発展の活力になった)としたものであったことが紹介されています。
コンスタンチヌスの時にローマ国教になって以来、体制内宗教になった以上「国家組織体制維持のための軍や刑罰が不要」とは言えないので、兵士は敵を傷つけ殺すべき職業であり、この存在を否定するのは自己矛盾になっていた・キリスト教と平和主義の両立は無理があるというのが私の読後感(誤解かな?)です。
例えば貧しい人を救済すべきとしても、その精神論だけでは生活保護基準をどのように設定するかの具体論に役立ちません。
韓国文政権では、実務能力がないので、庶民受けのため?賃金を引き上げれば国民は豊かになるという理念先行で最低賃金引き上げ強制が失業を増加させている矛盾が報道されています。
https://ameblo.jp/katsumatahisayoshi/day-20180118.html

韓国、「最低賃金」大幅引上げが生む失業者増加「文氏どうする」
今年から始まる最低賃金の大幅引き上げに見られる。一挙に16%以上の引き上げで、2020年には時給1000円にする計画だ。この時点で、日本の最賃を上回る。政府の務めは、賃金を引上げてより豊かな生活できる環境整備である。だが、生産性向上が伴わない最賃引上は、政府の狙いとは逆に失業者を増やすリスクが大きい。
この「最賃引上げ」にからむ前倒し失業が、昨年12月に始まった。多くの零細業者はこれまで、最賃が施行されたらやむを得ず従業員を解雇すると苦しい胸の内を明かしてきた。失業者の増加は、これまでの事前予測を的中させた形である。
(2)「雇用指標を見ると、昨年の雇用状況はほぼすべての分野で悪化した。まず、青年失業者(15~29歳)が青年10人に1人に増加した。あきらめて就職活動をしていなかったり、アルバイトをしながらより良い仕事を探したりしているケースも含めた体感青年失業率は22.7%に達した。経済専門家らは『大企業が採用に積極的に乗り出すよう誘導して良質な雇用を新たに生み出す試みもせず、公務員の採用ばかり増やしている現在の雇用政策では、青年失業の構造的な解決は難しい』と話している」(『韓国経済新聞』(1月11日付社説)
・・・アルバイトなどしながら就職活動に備える人々の失業率である。これが、なんと22.7%にも達している。この「失業地獄」を見ると、日本は「就職天国」に見えるはずだ。若者の自民党支持率が、約50%にもなっている。この事実は、文政権にとっても参考になるはずだ。企業活性化が失業率を減らす近道である。

友好国を増やしたいといえば友好国が増えるものでないのと同様に、相手が侵略意図を持っているときに、「私は平和を愛する」と言ってなんの戸締りもしなければ、スキを見せて侵略を誘発するだけのことです。
理念だけではどうにもならない・・・賃金水準アップの理念実現には相応の複雑な手だて・・生産性アップ戦略とセットでないとどうにもならないのが現実社会です。
「理念通りにいかないのは悪徳商人やずるい政治家がはびこっているからである」という、単細胞・短絡的理解が戦前青年将校の決起理由でしたし、短絡的スローガン・「君側の奸を切れ」とかテロに走る単細胞的対応を煽れば、目先のストレス解消になるのでしょう。
右翼と左翼は同根と一般に言われているのは、この程度の短絡反応向きレベルという点で共通だからでしょうか?
昨年のパク政権打倒のロウソクデモも、この種のもので、経済がうまくいかない原因を、(本来関係のない?)パク大統領の友人問題に無理に結びつけて鬱憤ばらしをした印象です。
江戸時代に入って、原理論しか知らない宗教家の意見では間に合わなくなってきた・・宗教界の役割がなくなったことを、仏教から儒教〜実務役人への流れへとして連載したことがあります。
「生類憐れみの令」でいえば、理念は今でも正しいのですが、それを手当てなしに強行すると全般で矛盾が起きて社会が混乱しました。
最近の野良猫対策を例に書きますと、生き物の生命も尊重すべき(目の敵にするのはかわいそう)ですが、際限なく子を産む・野良猫が増えるのも困ります。

キリスト教国の国際条約5(異教徒は守る気になれるか?2)

日本では一帯一路構想は中国の孤立した野心で失敗するだろうとの位置付けですが、上海協力機構外形だけ見ると中露を軸に着々と地歩を固めつつある様子です。
中国は国内不採算投資拡大の限界→外貨準備枯渇の心配から、自由に支配できる自前の国際機構を作り(本部中国で他国の理事は名目だけにして、常駐しないので国際資金を事実上中国の思うように使える仕組み)そこに外資を入れてその資金を自国のために流用したいという狡猾な思惑から、一帯一路構想をぶち上げました。
中央アジア諸国は概ね人口まばらな経済力のない国々ですから、(その分、採算性が低いので民間投資が望みにくい地域です)中国による巨額投資の計画は夢のように映ったでしょう。
上記のように国際的資金を導入して対外的には資金バラマキを餌に一帯一路沿線国に夢を与え賛同者を募った面があるので、資金出し手予定の日米が入らない(知らんプリ)と軍資金が続かない弱点が致命的です・・。
もともと中国の自己資金は見せ金でしかなく日米の資金をかすめ取ろうというものでしたから、日米がそっぽを向いたまま設立後時間がたてば経つほど資金が続かなくなってきた(背に腹を変えられずにアコギな取り立てに回るしかなくなり、国際信用がガタ落ちになってきた)ところへ、米中経済戦争勃発で、(将来的にはトルコ並みの通貨暴落対象になりかねない状態で)泣きっ面に蜂の状態です。
https://ameblo.jp/katsumatahisayoshi/day-20181013.html
2018-10-13 05:00:00
中国、「貿易戦争」立ち向かう原動力は債務依存で「手詰まり感」

中国は、よく資金が豊富だという。「一帯一路」で各国へ資金を貸し付けていることを見てそう言われているのだ。それは、間違いである。本来の対外直接投資資金は、経常収支の黒字で賄うべきもの。それを計る尺度が、対GDPの経常収支黒字比率である。中国は今、これが急速に低下している。今年は、1%を割る懸念が強い。その背景にあるのが、先の限界資本係数の上昇だ。非効率経済ゆえに、対GDPの経常収支黒字比率を引下げている。対外直接投資を自前の経常収支黒字で賄えない状態である。だから、中国は「一帯一路」で日本へ資金的な協力を求めてきたのである。中国は、決して資金豊富な国ではない。

『サーチナ』(10月1日付)は、「リーマン・ショックから10年、高まる中国の金融リスクー大和総研調査」を掲載した。
(3)「BIS(国際決済銀行)統計によると、中国は、債務残高のGDP比が2008年末の141.3%から2017年末に255.7%へ急上昇した。この水準や上昇ペースの速さは、かつて金融危機に陥ったり、バランスシート調整による景気急減速を余儀なくされた国々に匹敵している」

昨日見たように、中露が派手な軍事演習をしたり、公海を埋め立てて軍事基地を作って威勢を示しても、軍資金が続かないのでは文字通りコケ脅しでしかなく、どうにもならないでしょう。
中国は覇を唱えるための対外援助どころか、通貨マフィアの標的にされかねない危機的状態になっているのです。
このために中国は膝を屈して日本にすり寄っている状態です。
ところできれいごとと言うか西欧で理性に基づいて一歩一歩組み立てて来た国際政治上の約束事(ウエストファーリア条約以降の漸進的向上/国際通商条約)にロシアを含めた周辺ないし新興国指導者はごもっともと言うことで反対出来ないから条約参加してきました。
しかし、身近な生活では暴力的解決が普通の社会で、国連の掲げる高邁な人権思想にそのままついて行けない現実が先進国アメリカでさえ)吹き出した印象です。
アメリカの場合、国(国家理性)としては自由民主制で、人権重視ですが、死刑制度がない代わりに犯罪処理現場では黒人に対する射殺が日常化している実態・・これが実質の二重基準です。
日米戦では異教徒の日本に対しては国際法を守らなくとも良いという戦争方法であっただけではなく、国内でもアメリカ国籍を持つ日系人を迫害し、黒人と白人では国内でも扱いが今でも違うのです。
格差拡大・・トランプ氏の1国主義の主張・・それらは全て「国民レベルでは、優等生を演じ切れない」と言う悲鳴にも聞こえます。
米軍が、欧州戦線で解放軍というメデイアの宣伝にも関わらず、強姦魔になっていたことを12日に紹介しましたが、綺麗事に国民がついていけない実態があります。
アメリカ自身も西欧から見ればロシア同様の西欧文化の周縁国ですから、いざとなれば野蛮な本性を出してしまうのでしょう。
平安末期の公卿社会からすれば、勃興してきた地方の粗野な武士団とは気が合わないが、利用できる限度で無視できないので、粗野な武士同士で争っていればいいという源平時代の摂関家のような気持ちが、20世紀以来の西欧の姿勢でしょう。
もしかしたらトランプ氏の無茶な要求は、アメリカの草の根の本音・・上海協力機構に参加すれば価値観や気持ちが一致するかもしれません。
実はアメリカは、本音に従って?上海協力機構にオブザーバー参加申請したところ、拒否されているらしいのです。
上海協力機構に関するウイキペデイア引用の続きです。

SCOはアメリカのオブザーバー加盟申請を拒否した他[2]、アフガニスタンのカルザイ政権が半ば「アメリカの傀儡」である事を理由に加盟申請を拒否したり、加盟国ウズベキスタンからの駐留米軍撤退を要求するなど、米国との対立路線を形成しつつある。過去のサミット(2007年のビシュケク・サミットを含む)では、たびたび間接的に「ワシントンへの反感」が示されている。

キリスト教徒は嫌・お断りということでしょうか?
ところできれいごとと言うか西欧で理性に基づいて一歩一歩組み立てて来た国際政治上の約束事(ウエストファーリア条約以降の漸進的向上や各種国際通商条約)にロシアを含めた周辺ないし新興国指導者はごもっともと言うことで反対出来ないから条約参加してきました。
しかし、身近な生活では暴力的解決が普通の社会で、強盗も泥棒も蔓延している社会で国連の掲げる高邁な人権思想にそのままついて行けない現実が先進国?アメリカでさえ吹き出した印象です。
アメリカの場合、国(国家理性)としては自由民主制で、人権重視ですが、死刑制度がない代わりに犯罪処理現場では黒人に対する射殺が日常化している実態・・これが実質の二重基準です。
格差社会は経済用語ですが、実はその基礎には文化度の二重構造があるとみるべきです。
日米戦では異教徒の日本に対しては国際法を守らなくとも良いという戦争方法であっただけではなく、国内でもアメリカ国籍を持つ日系人を迫害し、黒人と白人では国内でも扱いが今でも違っている、二重基準の社会です。

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