USA=領土拡張の歴史4(先住民ジェノサイド1)

わたしの個人的歴史観の裏付けのために以下、独立戦争の契機について以下の記事を紹介します。
https://americancenterjapan.com/aboutusa/translations/3474/

米国歴史の概要
カナダとオハイオバレーを機構としてまとめあげるには、フランス人とインディアンの住民を疎外しないような政策が必要だった。この点で、英国政府と植民地の利害は根本的に対立した。
人口が急増し、定住するための新たな土地を必要としていた植民地側は、西のミシシッピ川まで境界線を拡大する権利を主張した。
一方、インディアンとの一連の戦争を恐れた英国政府は、もっと漸進的に土地を開拓するべきだと考えた。また、入植者の移動を制限することは、新しい植民地が形成される前に、既存の植民地に対する英国王の支配を確保する1つの手段でもあった。1763年の「国王布告」により、アレゲーニー山脈からフロリダ、ミシシッピ川、ケベックの間にまたがる西部のすべての領土が、アメリカ先住民のために確保された。これによって英国政府は、13の植民地による西部領土の所有請求を無効とし、西方への拡張を阻止しようとしたのである。この措置が、効果的に執行されることは一度もなかったが、入植者にとっては、西部の土地を占有し定住する基本的権利を無視した、高圧的な対応にほかならなかった。

独立戦争の本音自体が植民地拡大要求に始まるものであった性質上、米国は独立以来連合政府の生い立ちの通り絶え間ない戦争・戦後は情報操作・武力介入等による間接支配拡張の連続でした。
アメリカ合衆国領土の変遷に関するウイキペデイアです。

1783年のパリ条約で独立を達成した後のアメリカ合衆国は西方に拡張し、その境界を7度広げたが、イギリスとスペインの植民地との間にそれぞれ1回の大きな国境調整があり、また数度の小さな論争があった。
最初の13州が50州にまで成長し、その大半は準州として始まって州に昇格した。この成長の一般的なやり方は、領土の拡大、新規獲得領地から準州の成立、これら準州の境界修正、そして最後の州昇格という過程を通った。ネバダ州とミズーリ州の2州は州になってから大きくなり、ジョージア州、マサチューセッツ州、ノースカロライナ州、テキサス州およびバージニア州の5州は新しい州を創設するために小さくなった。

東部13州から現在のアメリカ50州の規模になるまでのインディアン全滅作戦過程は上記に詳しいので関心のある方はご自分で参照してください。
アメリカが現在の本土領域内で先住民(インデイアン)掃討作戦・・ほぼ先住民族絶滅作戦に成功すると今度は北米大陸外部への進出に目を向けるようになります。
先住民インデアンに対する壮絶な民族殲滅・ジェノサイドの歴史を見ると、ナチスのユダヤに対する迫害や現在中国のウイグル族に対する迫害など比較にならないほどの残酷さです。
自宅にある日本人著になる米国の先住民インデイアン対する酷い仕打ちを読むと、あまりにも酷い米国人の所業に慄然とするばかりでした。
インデアンの誇りを踏みにじる圧迫を繰り替えして誇り高きインデアンが已むにやまれず決起すると待ってましたとばかりに皆殺し戦を敢行し、最後に降伏すると武装解除をいいことにして降伏条件無視の卑劣な屈辱を強いることの繰り替えしにより最後は種族自体の存在を消滅させてしまう流れを見ると、r日本が決起せざるを得ないように仕向けられたハルノートを想起せざるを得ません。
日本も降伏に際しポツダム宣言を受諾したに過ぎないのに、ポツダム宣言の条件を占領後反故にされた歴史を以前紹介しましたが、アメリカは条約を結んで降伏させると武装解除後にこのように約束を破る国です。
このような米国のジェノサイドのひどい歴史を前提にするとき、敗戦の詔勅に「耐え難きを耐え忍び難きを忍び・・・最後に「爾(なんじ)臣民其レ克ク朕カ(が)意ヲ体(たい)セヨ」!と言う詔勅は、どんなにひどい約束違反・悔しいことがあってもじっと時を待て!何があっても跳ね上がりのテロ行為は一見勇敢に見えるものの、実は米国の狙う日本民族絶滅の言いがかりになる危機が待っていることを前提にしていたものでした。
敗戦の詔勅一部抜粋です。
・・敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ 頻(しきり)ニ無辜(むこ)ヲ殺傷シ惨害ノ及フ(ぶ)所(ところ) 真(しん)ニ測ルヘカラサ(ざ)ルニ至ル 而(しかも)モ尚(なお)交戦ヲ継続セムカ 終(つい)ニ我カ(が)民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス(ず) 延(ひい)テ人類ノ文明ヲモ破却(はきやく)スヘ(べ)シ 斯クノ如クムハ(ごとくんば)朕何ヲ似テカ億兆ノ赤子ヲ保(ほ)シ皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ
・・・惟(おも)フニ今後帝国ノ受クヘキ苦難ハ固(もと)ヨリ尋常ニアラス 爾臣民ノ衷情(ちゆうじよう)モ朕善ク之ヲ知ル 然レト(ど)モ朕ハ時運ノ趨(おもむ)ク所堪(た)ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ(び)難キヲ忍ヒ(び) 以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス
・・・・ 若(も)シ夫(そ)レ情ノ激スル所濫(みだり)ニ事端(じたん)ヲ滋(しげ)クシ或ハ同胞排擠(はいせい)互ニ時局ヲ乱(みだ)リ 為ニ大道(だいどう)ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ(が)如キハ朕最モ之ヲ戒ム 宜(よろ)シク挙国一家子孫相伝へ 確(かた)ク神州ノ不滅ヲ信シ(じ) 任(にん)重クシテ道遠キヲ念(おも)ヒ 総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ 道義ヲ篤(あつ)クシ志操ヲ鞏(かた)クシ 誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運(しんうん)ニ後(おく)レサ(ざ)ラムコトヲ期スヘ(べ)シ 爾臣民其レ克ク朕カ(が)意ヲ体(たい)セヨ

日本首脳層は米国は占領後(武装解除させたことを良いことに)降伏条件を守らない国であることを知っていたので日本人の勇敢な精神の骨抜きにくると覚悟していたからこそ、その対処方法を予め国民に説諭出来た最後のタイミングでした。
鄧小平のように韜光養晦戦術などと指導者が明言するような底の浅い説諭の必要な民度ではありません。
その意とするところを日本国民は一人残らず言外に体得し、生産設備一式の国外搬出が始まっても「降伏条件違反だ」と一人もテロ活動するなど抵抗しないで耐え忍び、朝鮮人を使った挑発にも暴発せずに済ませました。
占領軍が上陸しても何の騒動もなくうけいれる(あれだけの激戦を戦ってきたのでマッカーサーは拍子抜けだった)一方で国体護持を叫ばずに、唯々諾々と米国の言うとおり米国賛美の教育にガラリと変えました。

USA=領土拡張の歴史3(独立戦争の本音)

州兵だけ残してもルールオブローの思想のもと、司法権の優越の結果?連邦最高裁の判断が州の決定も覆せるので、徐々に中央政府の権限が強くなり、今や統一国家の体裁を取っていますが、中央政府の基礎たるべき州内の住民同士の一体感すらないので、州連合の一体感はなおさら希薄です。
これまで見てきたように一体感の希薄な国民で成り立っているにもかかわらず、これが分裂せずになんとかなってきたのは、独立戦争自体が領土拡張エネルギーの一環であり、その後絶え間ない領土・支配地拡張が続いていたことによります。
独立戦争というと抑圧からの独立のように見えますが、アジア・アフリカのように異民族が西洋人に支配され搾取され家畜扱いされていたのとは本質が違います。
日本で言えば幕末北辺を守るために北海道に植民して資本をつぎ込んできましたが、北海道の強化のためにどんどん資本をつぎ込んでいるうちに北海道が自立できるようになると今度は本国の干渉・・国際戦略の都合でここは我慢してくれと言われるのが邪魔になってきた・北海道や沖縄が本国から独立して自分たちで自由にやっていこうや!となったようなものでした。
(現在も北海道は本土からの公共事業投資中心でなりたっていてこれといった自立木産業が育っていませんし、仮に産業が育っても北海道民はそういうことを言わないでしょうが・・)
開墾の場合、すぐに食糧生産ができないので自分らが自活できるまでは本国政府や出身地の親族の経済援助が必要ですし、耕作地や生存を守ってもらうために本国の軍事援助・当初は現地人との戦いその後は西欧人同士の戦いに用心棒が必要でしたが、フランスやオランダとのせり合いで英国が完全勝利をおさめると本国に守ってもらう必要がなくなったのが第一の要因です。
その結果昨日まで英本国軍にフランス系移民とのテリトリー争いから守ってもらっていた植民地の人たちが、正面の競争相手がいなくなり、一方で自立できるようにな経済力がつくと本国の干渉が邪魔になって今までの敵だったフランスの応援で独立戦争はじめたことになります。
子供が成長すると親の干渉がうるさく感じるようになる身勝手さですし、英仏7年戦争で完敗したフランスにとってはこれに干渉するることは雪辱・影響力回復のチャンスでした。
米国独立戦争は、沖縄が日本から援助で自立できるようになった場合、中国の対日攻撃の最前線陣地に寝返ったようなものです。
この寝返りの直接の端緒は移民同士のテリトリー拡張争いでフランス系移民との競争に勝ち、邪魔がなくなったイギリス系移民がこの勢いでさらなる生活圏膨張を求めてインデアン領域にまで進出しようとしたところ、英本国が道義上?先住民配慮からOKしないことに不満を持った現地人集団がこれまで敵であったフランス応援で独立運動に進んだものでした。
フランスの応援で本国に対する独立戦を勝ち抜き、いわば自分らの生活領域をイギリス本国支配から奪取したこと自体が一種の主権簒奪行為ですし、海外子会社の社員が根こそぎ本国本社に背き海外子会社を乗っ取ったようなものでしょうか?
どこで読んだか記憶ありませんが、イギリス本国では異民族植民地支配の在り方に関する人道的立場による批判意見が国内で発達していて、異民族に対する過酷支配が正当化され難くなっていたようです。
同族または対等な西欧諸国民中心の北米大陸の植民地においてはアジア〜アフリカ等での植民地支配のような人種差別意識を基礎とする隷属はなかったとしても、内地と外地の経済格差や政治格差に不満があった人たちにとっては、有力なよりどころでもあったでしょう。
アメリカ植民地内の独立意見は本国内の良識は意見に触発されていた面もあったでしょう。
ただ、不平分子が反抗道具に使った場合、自分の人権意識が高いわけではありません。
人権人権と主張する日本の革新系知識人が、日常的行動様式では驚くほど女性軽視なのに驚くことが多いとだいぶ前に書いたことがありますし・・社内不平分子が課長部長の職に就けば、もっと能力がない・気配りに欠けるのが一般的なのと同じです。
北米大陸乗り植民地は、英本国の犯罪者等の流刑地でもあったことから、ならず者の天国でした。
(この点は後に大陸横断鉄道敷設工事や西部開拓時の事例紹介します)
米国独立後この流刑地がオーストラリアに変更されているので、一般的には、米国の都合で隠蔽されオーストラリアが流刑地であったことが知られているだけですが、本当はそういう成り立ちで、これを美化するためにメイフラワー号伝説・一種の建国神話が語り継がれるのではないでしょうか。
当時もその後も世界無比の過酷な黒人奴隷制度を内包していたし、その後先住民インデイアンに対する過酷なジェノサイド行為や黒人奴隷に対する仕打ちなどは周知のとおりであって、ならず者中心の移民らが、本国の人権思想家の意見を本国反抗道具に使ったと見るべきです。
この後に合衆国の歴史で引用する予定ですが、米国人はメデイアを通じて正義のイメージを巧妙に宣伝して国民を戦争に煽り立てることが常套手段になっていきますが、この第一歩・・独立戦争の「代表なくして課税なし」のスローガンが見事に成功して(インでデイアンを殲滅したい国民の)本音を隠すのに成功してきました。
南北戦争でのリンカーンのゲテイスバーグ演説、米西戦争〜真珠湾攻撃〜大量破壊兵器言いがかりでのイラク侵攻・・皆そうです。
後世歴史の真実が暴かれる時が来るのを見越して、批判されれば「国民は当時の指導者の巧妙な宣伝工作に騙された」という逃げ道を作ってきたように見えます。
独立戦争の契機になったのは、植民地側のインデアン居留地への植民拡大に英本国が応じなかったこと・先住民を追い出す支配拡張行動を遠慮なくやりたい衝動が紛争の端緒でしたのでその後の先住民・インデアンに対する侵略→ジェノサイド傾向が露骨になっていきました。
戦後日本学校教育では、米国は理想の国として教育されるので増税反対が独立運動の始まりのように習いますが、それは教育宣伝がそうなっていただけ?・日米開戦は真珠湾奇襲攻撃を受けたから日本が悪いと米国に都合よく説明されているのと同じようです。
親が暴走族で暴れまわっている息子を世間体を気にして説教したら、家を飛び出してヤクザの応援でやりたい放題を始めたのを親の抑圧から独立したと説明しているようなものです。

USA=領土拡張の歴史2

米国の州には自治権があり軍隊まで持っていると聞くとすごい様に思いますが、日本だって各大名家・藩が軍隊を擁していたのですが、明治維新後無駄だからヤメたのに対して米国の場合は、独立後連合政府ができた以上は、無駄なのにまだ持っているのは民族統一政府ではなく軍事同盟関係の本質を脱却できないからでしょう。
トランプ政権が同盟国に対等な負担を求めて来るようになりましたが、United States=軍事同盟である以上は、軍事協力義務が必須という理屈によるものです・・だから今だに州兵を廃止できないのではないでしょうか?
米国政府首脳、大統領や議会を州の代表でなく直接選挙で選出するようになっているので、連合政府ではなく連邦政府(the Federal Government (of the U.S.)と翻訳しますが、似たような制度設計したEUとの違いは地域的な帰属意識の違いです。
だからEU(European Union)欧州連合と言い連邦とは言わないのでしょう。
しかし国家権力構造だけ地域を飛び越して一体化しても、地域ごとの帰属意識を飛び越した一体化は、危ういのでいつも外敵の存在による団結・戦後は領土拡張を卒業した代わりに冷戦構造による対立〜テロ国家撲滅等々〜米中対決など常に標的が必要な社会です。
組織が大きくなると誰もが首脳と直接意思疎通ができなくなる代わりに、各人が小分けしたピラミド型組織に帰属して各部署毎の一体感・歓送迎会・飲み会や運動会などの足元一体感の積み上げで万単位組織一体感が維持できるものです。
政党では派閥やグループ帰属が必須になるように、弁護士会では東京のよう単位会で数千人規模になると早くから派閥が結成され、そこの小グループ味帰属することによる安心感が維持されてきたようです。
千葉県弁護士会等の中規模会では派閥までいかないものの各種委員会活動で日々顔を合わし、切瑳琢磨していく過程で専門的スキルが磨かれるし委員会後の飲み会などで気心のしれた関係が出来上がっていくようです。
そう意味で「あの人は何々系(委員会の名称)」という表現が会員数がほぼ倍増したこの10年ほどで目立つようになりました。
ウエブの発達で中間組織不要と言いますが、個々人が首脳に直接メールできても中間組織がなくなっていくと砂粒のようになった個々人の帰属場所がありません。
戦前の反省?隣組制度は厳しく批判されますが、人は何かのグループに帰属しないと頼りない気持ちがするものです。
砂つぶ化を国家規模で作り出した人工国家が米国でしょう。
これを観察して明治人は、米国の内在的本質を見て合衆国と命名したのは慧眼というべきです。
こういう寄る辺ない組織・社会になると個々の国民大衆は日常生活の現実から遊離した大スターやヒーローを求めるようになり、政治家は地道な政治よりは砂粒の個々人にテレビやネット等で派手に訴えるパフォーマンスが必須になり、国民は扇動に簡単に乗りやすくなります。
ゴーン氏や現トヨタ社長のように露出能力がトップの重要資質になります。
米国は建国以来いつもターゲットの必要な社会になっていたので、世界中に勢威を振るっていたのですが、中国の台頭によってその限界が来たので「世界の警察官ではない」と言い出したのですが、世界のために警察官・正義の押し売りをやっていたのではなく、自国内国民一体感維持の道具としてやっていた以上はその効果が国内に及びます。
外に標的がなくなると砂つぶの統合はどうなるか?United Statesは瓦解するかの関心で書いています。
戦後は、民族独立機運に便乗して領土拡張欲を表に出さず、その代わり英仏等の植民地独立を応援し正義の味方のポーズをとりながら巧みにその見返りに英仏旧植民地の利権を英仏から奪う政策で成功してきました。
いわば北米地域内領土拡張(現在の米本土)が終わると、モンロー主義宣言で中南米を囲い込んで棍棒外交で半植民地化して裏庭とし、これが完成するといちゃもんをつけて米西戦争に引きずり込みフィリッピンを奪い取り、その間日欧に遅れをとった中国参入のために「門戸開放要求」し、先行する日本を攻撃標的にしました。
戦後は、第二次世界大戦を契機に日本が火をつけた植民地支配批判によって、アジアで英仏蘭等の旧植民地独立運動が起きると正義の味方のふりをして応援して、英仏蘭等の旧宗主国退場後の穴埋め浸透する政策で東南アジア、中東等を中南米諸国のように米国市場に取り込んできました。
英仏退場後の空隙補充をソ連も狙ったので例えばナセルのスエズ運河国有化事件では英仏軍進駐に対してソ連が核の脅しを英仏にかけた時に米国が英仏を応援せずエジプトを支持して、ソ連の影響下に入るのを防ぎ逆に米国影響下に編入して現在に至っています。
中東ではアラブ諸国にとって目に入ったゴミのような存在であるイスラエルの存続をめぐり米ソ代理戦争が次々と起きたし、インドは国内安定していたので米ソの介入・内戦にならなかったので中立的立場を維持できました。
米国の戦後国際政治は、ソ連・共産主義浸透を阻止する名目で戦後の独立国への影響力競争にしのぎを削る→経済メリット追求との合体政策=グローバル化推進政策により、目に見えるメリットを掲げて国内人心一体化を煽る政治が必須になっている点は独立以来現在も変わっていません。
・・・例えば中東諸国の英仏植民地の独立を背後で応援して結果的に石油利権をほぼ独占してきた・・中南米諸国支配の構図の中東版でした。
現在中東の混乱が収束しないのは、米国内油田開発(技術革新によりサウジ等の中東系原油産出後、不採算化していた国内油田の採算が取れるようになった)により、中東原油支配の必須性が低下し・・中東の争いに首をつっこむメリットが低下したことによることは明白です。
独立戦争に結集した州の本質と連合体制に戻ります。
これといった帰属意識のない州・・英本国の統治の都合でアフリカ植民地のように地図上に線を引いただけの区域である「州」が対英国独立戦争のために連合を組んだだけのことだったのを独立後も西欧諸国からの干渉を跳ねつけ貿易交渉を有利に進めるために「そのまま連合を続けましょう」となり現在に至っているように理解できます。
明治維新政府軍は薩長土肥の連合軍政府だったのですが、新政府ができて廃藩置県を経て政府軍が編成されると各大名家の軍は解体しましたが、米国の場合南北戦争を経て連邦軍が強化されて州の連合軍ではなくなったにも関わらず、いまだに州兵を維持しているのは、連合国・UNTEDのまま現在に至った・対外軍事同盟(をバックにした経済交渉)維持の利点に重点を置く狙いが濃厚です。
トランプ政権が同盟国に対等な負担を求めて来るようになりましたが、United States=軍事同盟が本質である以上は、軍事協力義務が必須だから今だに州兵を廃止できないのではないでしょうか?
その結果、州兵が形式的に残っていると思われます。

United States of America=領土拡張の歴史1

米国では州ごとの民族的気質の違いがないために、Aという人の人物属性を知るためにはどこそこの州出身という紹介より、日系、ドイツ系、スペイン系かアイルランド系かなどの特定の仕方が、一般的です。
ケネデイの紹介ではアイルランド系が強調され、トランプ氏の場合、ドイツ系という紹介がされていました。
州の連合体と言っても州単位の民族属性が低いために、独立戦争に参加した各地域を個性のあるNationsではなく、独立戦争時の地域単位をのことを stateと表現したのでしょうか。
ところで州とは日本語翻訳であり米国自身が、「州」と表現しているわけではありません。
ちなみに日本語で州とい翻訳しているのは、もともと漢字の州の流用から発展したものですが、中国歴代王朝ごとに行政単位としての州の位置付けがガラリ何回も変わっているので中国の使用例を研究する意味があまりないので、日本がアメリカのステートを州と翻訳した当時の日本国内用法を見る方が合理的でしょう。
私の個人感想ですが、詩文教養が公卿階層から平家の公達に及び(忠度については平家物語にも出てきますし西行法師も同時期です)に戦国時代には地方でも有力武士になると、太田道灌でも古歌を知らないのを恥ずかしく思うほど地方武士に詩歌の道が広がり、江戸時代に入ると下級武士一般どころか町人階層にまで教養が広がった勢いで、いわゆる教養をひけらかす風潮が広がっていたように思えます。
水戸黄門など通称がいつから出てきたか知りませんが、日本の官位をそのまま言うのは野暮でそれをから(中国)風に言うとこうなるという教養系をひけらかす系の言い方が流行った時代になっていたことにより、日本古来からの上毛野国、信濃国、紀伊の国、尾張国という代わりに上州、信州、紀州、尾州というのがかっこよくなっていたように思われます。
州に関するウイキペデイアの解説です。

翻訳語としての「州」[編集]
東アジアにおける地方行政単位としての州の用例から転じて、ある国家の中で、国家に直属し、広範な領域を持っていたり、高度な自治権を持っていたりする行政単位のことを、「県」ではなく「州」と訳す場合がある。特に、アメリカ合衆国やオーストラリアのステート (state) 、イタリアのレジョーネ (regione) 、カナダのプロヴィンス (province) 、ドイツのラント(連邦州) (Land) 、スイスのカントン (canton) / (Kanton) 、マレーシアのネゲリ(Negeri)のように一定の主権を持ち、連邦を構成する支国またはそれに匹敵する広域行政区画はほとんどの場合「州」と訳され、「県」と区別されることが多い。
中国の省やフランスの地域圏 (région) も州に相当すると考えられる。ただしすでに述べたとおり、中国の州は省と県の間であり、注意が必要である。

上記によるとドイツ、スイスなど旧世界では歴史経緯によるようですが、米国やオーストラリアなど新天地の場合、民族的特性に関係なく植民した地域区分けに始まる・・中央政府の都合による行政単位であるが、高度な自治権を持つか否かに着目した翻訳のようです。
米国の州自体が本国の支配都合上の地域区分け・・地域名称的効能しかなく・・民族的価値観の一体感に依拠しないので、自治権があるとはいうものの自治政府に対する帰属意識がほとんどない点が特徴です。
第二次世界大戦後アフリカ大陸の独立国は、旧植民地の領域ごとで独立しているので世界地図上に定規で引いたような一直線の国境になっている国が多いし、そうでない場合も欧州の植民地支配地の領域のまま独立しているので、現地種族居住地域が分断されていたり、複数種族が一つの植民地になっていた結果独立後の内政は複雑です。
独立後のアフリカ諸国で血を血で洗うような種族間抗争の結果大虐殺が頻発するのは、植民地支配の置き土産です。
中東も同様で現在トルコとシリア関係がややこしいのはクルド族がトルコ領内とシリア領内に分断されていることが大きな原因になっているのが知られます。
アメリカの諸州は、地域住民の生活習慣や言語の一体感によって領域が決まったのではなく植民地経営した本国の都合と主に英仏の植民地争奪戦の結果で決まったものですから、アフリカの独立国の線引きと根が同じです。
米国は英国から独立したので、ついイギリス植民地=英国人が母体のような印象ですが、実は北米地域ではフランスやオランダ島の西欧諸国の植民地がバラバラと広がっていたのに対して、いわゆる英仏七年戦争の北米版として、抗争を繰り広げて徐々に英国が支配地を獲得していったにすぎず、元々の移民は西欧諸国のいろんな民族がバラバラに植民していた歴史です。
ニューヨークはオランダの植民地ニューアムステルダムが英蘭戦争の結果英国植民地になり英国都市名ヨーク市に改名したものですし、元はオランダ人入植地でした。
このような結果ですので、地域民族特性など育つ暇がなかったでしょう。
明治以降の都道府県制度の場合でも、古くからの分国に基礎を置く地域ではなお県民性は濃厚で一体感も濃厚です。
信濃国と木曽の国が合体した長野県では南信北信地域での対立が有名ですしどこそこの出身と紹介されるとその地域出身者としての気質が瞬時に理解可能です。
千葉県のように政府の都合で大きな川で県境を区切り、地図を見ればかり良いようにあっさりと区切った県でしかも、その後東京隣接通勤住宅地として発展してきたので新住民が多くて民族的個性があまりありませんが、それでも縄文以来の豊かな環境のもたらす地元民の大らかな気風がそのまま房総(安房国と上下総国)の県民気質に自然に染まっていく感じです。
古代から・・真間の手児奈で知られる葛飾郡(こおり)が、江戸川で真っ二つになり一方が東京、一方が千葉県に、利根川を挟んでいた下総国の相馬郡が茨城と千葉県になるなど、本来川の両岸が流域経済文化圏を形成していたのを無視して明治政府はこれをぶった切ったのです。
しかし、江戸川両岸葛飾地域は昔からの民族的一体感の結果、信用金庫・組合関連で言えば両岸地域の金融事業の一体感が目立ちます。
利根川両岸の旧下総国でも同じで潮来や鹿島、神須町などは事実上千葉県経済圏に入っています。

天皇制変遷の歴史4(連署・同意権2)

天皇制変遷の歴史4(連署・同意権2)

現在の議院内閣制でも天皇の名において国会を召集しますが、詔書には内閣総理大臣の副書が必要です。

官報で見る国会召集の詔書


日本国憲法第七条及び第五十二条並びに国会法第一条及び第二条によって、
平成二十五年一月二十八日に、国会の常会を東京に召集する。
御 名  御璽
平成二十五年一月十八日
内閣総理大臣臨時代理
国務大臣 麻生 太郎
法令を公布する場合には内閣総理大臣と担当大臣の連署が必要です。
連署を拒むことはありえないと思いますが、仮に内閣総理大臣や担当大臣の副署しない詔書が発行されても、公布の効力がないとされるでしょうか?
徳川時代でいえば、将軍家の同意がないということで無効(紫衣事件)でしょうし、現在でも天皇が独断で任命したら内閣の助言承認がないという点では同じです。
いわゆる天皇の大権と内閣の助言承認との違いですが、実際の実力関係・実質決定権は徳川時代も明治時代も現在も変わらないように思うのは私だけでしょうか?
天皇と周辺に実務能力がなくなった結果天皇大権の場合、周辺を握ったものが天皇の名で政治権力を行使できる点に問題があった点は確かです。
禁中並公家諸法度以来、政府高官の任命に至るまで幕府の同意が必要になったことを紹介しましたが、明治憲法も国務大臣の輔弼プラス副署が必須にされていた点では、禁中並公家諸法度の幕府同意権の明治版ですし、現行憲法の内閣の助言.承認を要するのとほとんど同じです。
以下明治憲法を見てください。
いかにも仰々しく天皇大権を謳っていますが、実態は内閣の輔弼によるものでした。
捕弼する仕組み・・君側の奸がはびこるかどうかで天皇制危機が起きるだけでしょう。
今のような民主制が確立すると補弼すべき内閣が悪いかどうかは、国民が選ぶことですから天皇制の問題ではなくなります。
天皇(君主)無答責という原理がトキに言われますが、実務を握るものが責任を負うべきである組織・機関決定にそのまま署名するしかないものが責任を取るのは無理があるという当然のことを言うにすぎず、保元の乱や承久の乱のように、上皇が先頭切って行えば責任を取るのは当然です。
皇子も同じで以仁王や護良親王のように自己の意思で行動すれば、相応の責任を取るしかありません。
現在サウジ国籍ジャーナリスト殺害事件が国際政治を揺るがしていますが、皇太子の地位があるから責任があるかどうかではなく、実効的関与があったかどうかで決まることです。
このように見れば、天皇の戦争責任論・・あるいは天皇制があったから戦争回避できなかったかの問題ではなかったことがわかるでしょう。
これまで日露講和条約反対論に始まる過激主張煽りの極限化が国会での良識的言動を葬る役割を果たし、ひいては戦争に持ち込んで行ったのですが、これは天皇制の結果ではなくジャーナリズムによる國民扇動行き過ぎの結果です。
※日米開戦自体をジャーナリズムが煽っていたというのではなく、第一次世界大戦後の国際情勢変化に合わせて対外活動を軌道修正すべきところを逆方行為へ煽って行ったことを書いています。
例えば、今回の米中覇権争い、あるいは米ロの核軍縮条約破棄で言えば、米国トランプ氏による過去の約束全てのちゃぶ台返しで始まっていますが、その非を咎めても仕方がない・・ロシアは再度米国と無制限軍拡競争する力がないことが明らかである以上、ロシアとしては表向き自国に非がないと言いながらも、米国との再交渉・新条約締結に応じる構えを見せています。
カナダやメキシコも過去の条約違反だと喚いても仕方ない・・再交渉に応じてきました。
中国も米国の強硬要求に応じるのが大人の知恵でしょうが、中華の夢実現という国粋主義思想家のいう通り自力更生路線で断固アメリカと対決すると戦前日本の二の舞です。
多分表面的強硬路線とは別に妥協を探っているでしょうから、日本としてはいきなり頭越し米中和解をされると困るので安倍総理が10月25〜26日に訪中して首脳会談をしたばかりです。
欧州情勢は複雑怪奇と言って政権を投げ出した時代とは違い、安倍政権は複眼的どころか多層的国際戦略を実行しています。
明治憲法
朕祖宗ノ遺烈ヲ承ケ万世一系ノ帝位ヲ践ミ朕カ親愛スル所ノ臣民ハ即チ朕カ祖宗ノ恵撫慈養シタマヒシ所ノ臣民ナルヲ念ヒ其ノ康福ヲ増進シ其ノ懿徳良能ヲ発達セシメムコトヲ願ヒ又其ノ翼賛ニ依リ与ニ倶ニ国家ノ進運ヲ扶持セムコトヲ望ミ乃チ明治十四年十月十二日ノ詔命ヲ履践シ茲ニ大憲ヲ制定シ朕カ率由スル所ヲ示シ朕カ後嗣及臣民及臣民ノ子孫タル者ヲシテ永遠ニ循行スル所ヲ知ラシム
国家統治ノ大権ハ朕カ之ヲ祖宗ニ承ケテ之ヲ子孫ニ伝フル所ナリ朕及朕カ子孫ハ将来此ノ憲法ノ条章ニ循ヒ之ヲ行フコトヲ愆ラサルヘシ
以下省略
第5条 天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行フ
第6条 天皇ハ法律ヲ裁可シ其ノ公布及執行ヲ命ス
第10条天皇ハ行政各部ノ官制及文武官ノ俸給ヲ定メ及文武官ヲ任免ス但シ此ノ   憲法又ハ他ノ法律ニ特例ヲ掲ケタルモノハ各々其ノ条項ニ依ル
第2章 臣民権利義務
第18条日本臣民タル要件ハ法律ノ定ムル所ニ依ル
第19条日本臣民ハ法律命令ノ定ムル所ノ資格ニ応シ均ク文武官ニ任セラレ及其ノ他ノ公務ニ就クコトヲ得
第20条日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ・・以下省略
第37条 凡テ法律ハ帝国議会ノ協賛ヲ経ルヲ要ス
第55条 国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス
2 凡テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス
御名御璽
明治二十二年二月十一日
内閣総理大臣 伯爵 黒田清隆
枢密院議長 伯爵 伊藤博文
以下省略
1921年に軍部の同意が得られず組閣すらできないで「うな丼の香りを嗅いだだけだった」とし、「鰻香内閣」と揶揄された清浦奎吾内閣がありましたが、組閣が天皇の大命降下によるならば、軍部も天皇大権・・統帥権を盾にした組閣非協力は許されないはずです。
皆、自己主張を通すために天皇制を悪用していただけなのです。
上記の通り、官吏任免権があっても法の特例を除くのですが、法に根拠のない官吏任免がほぼゼロですし、基本的人権もすべて「法律に従い」という限定があって、天皇は立法権があるとはいうものの、法は国会の協賛が必須ですから、天皇が勝手に何も決められない点では中世以来の天皇の権限と変わりません。
幕府の同意なしに叙任し、幕府に取り消された後水尾天皇の例とどう違うか?です。
また、現行憲法と比べても法令交付や政府高官任命その他すべてに国会の指名や内閣の助言承認がいる(憲法6条7条)のと結果が同じです。
このように天皇権力は明治憲法でも禁中並公家諸法度(慶長20年7月17日[2](1615年9月9日)以来長期的に象徴的機能・名前を貸すだけ?以外に実際にはなくなっていたのです。

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