スケープゴート探しの危険性2

橋下氏の主張では、大阪の地盤沈下をどうするというビジョンも日本経済をどうするかのビジョンもなくせいぜい、二重行政を排するとか教師の国歌斉唱を義務づける、労組を標的にしたり市職員を締め付けるという程度しか伝わってきません。
もっと高邁な主義主張をしているのかも知れませんが、新聞やネットにはそれが出て来ていない以上は、多くの国民や府民は、マスコミに出た程度の情報で判断して彼を支持していることになるので、結果は同じです。
弱いものいじめをしても、大阪の地盤沈下や生活保護受給者を減らせる訳でもないし、まだ市長になったばかりで、何もしていないこの段階で、市政をどうするかのビジョンも明らかにしないで、今から国政への野心を明らかにしています。
知事→市長→国政へという野心があるらしいのは個人的動機としては,理解可能ですが、知事として大阪のために何をしたのか、就任したばかりで市長としてこれから大阪のために何をするのかさえ分らないうちに、更に国政へと言う動きは異常です。
大阪市あるいは府民のストレスの根本は大阪の経済沈滞にあることが明らかですが、市の経済浮揚に何の解決にもならないまま、労組その他特定のグループを標的にしているだけでは戦前のナチスやファシストと同じです。
今度は国政になっても同じくスケープゴート探しをするのでしょうが、こういうことを全国規模で繰り返して行くと国民意識が分裂してしまい、日本民族にとって取り返しがつかないことになりかねません。
(政治家が国民の職場縮小・産業停滞の責任を取らずに、自己保身のために国内でスケープゴートを造るやり方がはびこると、日本の誇る同胞意識・・絆の強さを彼がぶちこわしてしまう可能性があります)
国内でスケープゴートを次々と造って血祭りに上げても、国内経済の停滞・失業率の増加に対して何の解決にもならないのは理の当然ですから、攻撃対象も次第に小粒になるしかなくなります。
こうなると、庶民に至るまで国内はあら探し・・昔で言えば秘密警察に睨まれたらおしまいのような戦々恐々の状態に陥ります。
いじめっ子に睨まられないようにこそこそ生きて行くしかない、もの言えば唇寒しの再来で窮屈な生活です。
弱いものいじめばかりでは政権がもたなくなるので、今度は(今の韓国や中国では何か国内的に不都合があると対日非難を繰り返すように)隣国を非難して行くしかなくなります。
ナチスドイツがユダヤ人を排斥しても何の解決にもならなかったので、生産増を図るためには戦時経済化しかなかったので侵略に進みましたし、アメリカでさえ(公式・教科書的にはTVA計画による需要喚起と教えられましたが・・・)今になるとその効果ではなく、大恐慌後の不況から抜け出したのは対日戦争の開始による軍需景気によるものだったと明らかにされています。
日本が国内対策として韓国や中国の非難を始めると中国も黙ってはいないので、もしかすると第三次世界大戦になりそうでとても危険です。
経済政策が行き詰まるとフラストレーション解消のために左右両翼の極端な主張が出易いのは歴史の証明するところです。
仕事に疲れてイライライラすると関係のない家族に当たり散らすお父さんのようなもので、最も下手なストレス発散方法ではないでしょうか?
関西の政治指導者(であるとすれば・・)がやるべきことは、福祉の充実で(左翼系の主張)もなければ、この反動としての右翼的言動で弱いものいじめをして喝采を浴びることでもありません。
危急存亡のとき・・力を合わせるべきときに、こんなことで国民同士いがみ合っている暇はないのです。
大阪の場合関西経済圏復興・・国政レベルでは、日本経済振興・産業空洞化阻止のビジョン造りとその実行あるのみではないでしょうか?
国政を目指す前に大阪市の地盤沈下を止める政治をまじめにやって、実績を上げてからにして欲しいものです。
そう言う人が国政に挑戦するのならば賛成です。

大阪の地盤沈下2

我が国の勤勉革命・手間ひまかけた精巧品にこだわる精神は、12/06/03「千葉の歴史4(千葉県人と海洋史観1)以下のコラムで連載しましたが、家光の鎖国ころから始まったものに過ぎません。
鎖国後200年あまりの間に物造りが精巧化して職人の技術が発達し(からくり時計でも何でも造りました)、この基礎があってこそ我が国の明治維新→近代産業化の成功に繋がったのです。
ところが、大阪は、元々浪速津の干潟であって人口集積地あるいは農業値でもありませんでした。
大阪の都市としての始まりは元々ほぼ無人の地に商都として人が集まって来て都市化が発展して来たもので、この地で連綿と伝わる人種的特性・・蓄積がありません。
江戸時代には上記のように鎖国に伴う勤勉革命が進行し他の大名領地では領国経営のために特産品製造等に精出していたのに対して、大阪は天領であったことから特産品を作り出すモチベーションもないまま、商都としての機能に寄りかかったまま幕末を迎えています。
このために、プラザ合意以降の円高→グローバル化進行によって、大量生産型産業が下火になってもこれに代わる高度部品・精密機械製品製造に向いた人材の蓄積が多くありません。
日本の生産力が車に比重を移した後も、大阪経済圏は車生産の恩恵をあまり受けなかった上に、ここ10〜20年間に進んだ部品高度化の波にも乗り遅れている感じです。
江戸時代には国内経済中心でしたし、信長のころまではまだ北陸と京を結ぶ物流は貴重なものでしたが、秀吉以降になると外洋航海向きの船が発達したので(江戸時代になると日本列島を回遊する廻船網の発達を想起して下さい)それまでの北陸あるいは日本海側諸国から京大阪への物流が琵琶湖を通じる必要性がなくなりました。
その上、徳川政権成立により日本最大の大都会として江戸が誕生しましたので、江戸への物資輸送に関しても北陸から京への物流はマイナーになって行き、船便で大阪へ一旦物資を集中して分散する方式が合理的になっていたのです。
しかし、開国してしまえば、瀬戸内海の水運は地域交通手段に過ぎなくなりますし、アメリカとの交易中心ならば東京が一番近いし、中国、韓国・東南アジアが相手となれば福岡が有利です。
国内物資の集散地としても、鉄道網が発達すると一旦大阪へ船で集めなくとも必要な場所へ直接産地から輸送すればたります。
明治維新以降大阪は物流の要衝でもなくなったし、平成になってからは大量生産型事業が縮小する一方となったのに、江戸時代を通じた物造り技術の蓄積もないとなれば、都市機能・規模を縮小して行くか生活保護ないし補助金を増やしていくしか現状維持出来ません。
炭坑町として山奥に出現した町が炭坑の出炭量の縮小に合わせて寂れて行くのと同じです。
これらの複合効果がジリジリと関西経済圏を蝕んで来たと言えるでしょうが、こうなると徐々に元気な人(外で通用する有能な人)や企業から順に他の経済圏に出て行きます。
出て行けない人や企業の多く・・弱者が大阪に残っているので、生活保護受給者の増加・医療費の上昇・・学力テストの最下位になっているので、これは結果です。
生活保護受給率が高い地域の場合、その予備軍層がもっと高い比率で存在している筈ですし、政治的には、こうした貧困層の比率の高まりが、公明党や社民党等の強固な政治地盤になっていた面があるでしょうが、彼ら政治家がいるから生活保護受給者が多いのではなく、彼らが政治家が当選したのは生活保護受給を必要とする貧困層が多い結果です。
生活困窮世帯の子供の学力水準が悪くなる傾向があるのは否定出来ず、先生だけの責任ではありません。
学力が低いことと日教組を結びつけるのは、間違いです。
大阪の医療費の増加も、医師にかかり過ぎ(府民の心がけが悪い)とか医師の腕が悪いと言う精神論で片付けるのは間違いです。
奈良の医師のように生活保護受給者を食い物にする医師が摘発されたりして、如何にも悪い医師が多いかのようですが、実はその基礎に生活困窮者・保護受給者・・底辺層が増えていることにあり、底辺層が増えれば疾病率が上がります。

生活水準向上とソフト化社会2(大阪の地盤沈下1)

このシリーズで何回も書いていますが、バブル崩壊後の生活水準の向上は目覚ましいところがありますが、例えばユニクロ以来各種衣料品・生活雑貨で言えば100円ショップで大方間に合うし、食品で言えば牛丼や回転寿し等々、生活コストはバブル期以降約半分以下になっています。
タマタマ日経朝刊1月23日の9面に出ていましたが、花王の洗剤アタックが25年前の870円台に対して店頭実勢価格が300円以下になっているなどの事例が出ていましたが、機能が良くなって半値以下というものが消費財にはゴロゴロしています。
(牛丼・パソコン・携帯電話その他いくらでも半値以下になったものがあるでしょう)
物価が半値以下であれば現状維持の収入でも生活水準が2倍以上になっていますが、繰り返し書くようにバブル崩壊以降国内総生産がジリジリと上がっていたのですから、生活水準向上は2倍どころではないことになります。
これをドル表示で見ても約2倍になっていて裏付けられることを、2012/01/19「為替相場1と輸出産業の変遷1」のコラムで書きました。
前回書いたように生活水準が上昇するとすべての分野で行動形態がソフトになるのが我が国の傾向で、(そこが諸外国とは違います)勢い粗野な争いがなくなって行きます。
高度成長期に生まれた膨大な中間層の2代目が、みんなお坊ちゃんお嬢さん育ちになってデーイプインパクトのようにソフトになってしまって「大阪のおばちゃん」と揶揄される横柄・厚かましい人種が姿を消してしまったのです。
この種の人は10〜15年くらい前までは東京でもどこでも一杯いてオジさんやオバはんが嫌われていたのですが、生活水準の向上に連れて厚かましい中年族はいつの間にか姿を消した(今では60〜70代になって世間に余り出なくなった)と言うか、少数派になってしまったのですが、大阪だけ今でも残っていることから目立つのでしょう。
大阪だけに何故今でも厚かましいオバはんが多く残っているのかですが、以下に書くように大阪経済圏では生活保護受給率が大阪では高い・・医療保険の利用率も高い、学テでは全国最低水準になっているなどの現象からみて、この20年あまりの我が国の生活水準向上の波に乗り遅れているからではないでしょうか?
どこかで言ったことがありますが、大阪の長期的地盤沈下は、府と市の二重行政に原因があるのではありません。
産業の主役が繊維系から電気に移るまでは元気だったのですが、その後車産業に主役が移ったときについて行けなくなったころから、関西経済圏の沈下が始まったと私は考えています。
江戸時代中期ころから関西以西では木綿栽培が発達していたと読んだことがありますが、これを基礎にして、近畿圏周辺〜岡山までには繊維産業が明治維新以降勃興し、これに連れて糸扁の商社も大きくなりこの傾向は戦後も続いていました。
戦後は家電系も松下電器産業(ここから派生して生まれたサンヨー・・今は合併しましたが・・・)に始まって新たに経済を支えましたが、精密な電子産業以降となるとちょっとついて行けない感じになって行きました。
造船その他重工業も大阪の経済規模に合わせて十分発達しましたが、車製造が経済の中心になる時代が始まると新たに広大な工場敷地を必要としました。
過密化していた大阪周辺では工場敷地の余裕がなかったこともあって、自動車産業と関連産業の新規開設立地がほぼ皆無だったことが、大阪の地盤沈下に甚大な影響を及ぼしたと思われます。

組織(集団)の存在理由2

戦国時代、落城にあたって勇猛な兵士が敵の前に立ちふさがって主君を逃すようなストーリイがありますが、歴史の実態は城主が責任を取って腹を切る代わりに篭城した城兵や妻子の助命を引き換えに要求するのが我が国の主流的解決法です。
第二次世界大戦の敗北においても、(極東軍事裁判という変な仕組みですが・・・)結果的に指導者が戦争責任を負って国民が皆殺しになるのを防ぎました。
明治維新の江戸城無血開城も同じですが、背後の人民の被害を出来るだけ小さくするための知恵がいつも働きます。
私が育った頃には、上記のように我が国の実態に反して主君が先に逃げるような物語や、経営者はいつも良い思いをして労働者は搾取されるばかりだというストーリーが多かったのは、戦後盛んだった共産主義の思想や西洋の流儀をそのまま日本の歴史に応用して、経営者は無責任だという主張をしたかったからでしょう。
日本の企業経営者や中小業の親方もそうですが、自分が先頭に立って、従業員の何倍も働いているのが普通です。
西洋の貴族のように領地経営を執事に任せて、優雅に遊び暮らしている前提で日本の組織を見ると誤ります。
学者は、西洋のお勉強中心ですから、我が国の実態を余り知らないで議論している傾向があります。
私の場合、小なりといえども法律事務所を実際経営してみると、その月々の収入の増減は経営者が先に負担するので、例えばその月の固定経費が200万円必要なときに、200万円までの収入は全部給与や家賃等の支出等になってしまいますから、月末になってそれだけの収入がないと、経営する弁護士の収入はゼロ・・200万円に達するまでは、ただ働きになる仕組みです。
月の25〜6日経過した時点まで200万円しかないときにはそれまでの仕事は経営者個人にとってはただ働きになり、それ以降の収入だけが経営者の収入になる勘定ですから、最後の数日が勝負になります。
我が国では経営者が先に自分の収入をとってしまう関係ではありません。
中小企業では経営が左前になると自分の手取りを減らして、従業員の給与だけはそれでも払い続ける・それも出来なくなると金貸しから経営者個人名義で借りてでも払い続けるのが普通ですから、倒産すると大変なのです。
我が国では従業員給与が先取りになっている社会・・まずは従業員の生活を保障する社会と言うべきでしょう。
集団利益を守るために責任者(日本では指導者というよりも責任を取る人=「責任者」が正しい表現です)がいるのであって、トップの私腹を肥やすために集団があるのではありません。
海外の方が儲かるからと言って、徐々にシフトして行き、結果的に生産拠点も本社機能もすべて海外移転することになってしまう(日本人の殆どが振り切られる)のでは、何のために集団トップに選ばれたのか分らないことになるのではないでしょうか?
海外本社にトップとその取り巻きだけが移住し、その他集団員の99、99%が置き去りにされる結果になるのでは、その企業の名前は残るかも知れませんが、元の集団構成員にとっては意味がないでしょう。
今朝の日経新聞朝刊第1面「アジア消費をつかむ」の冒頭には、SNSのフェイスブックで日本第2位のサテイスファクションギャランティード(sg)が本社機能もシンガポールに移したと報じられています。
SNS98万人のファンのうち97%が海外顧客だから移転は必然との説明があります。
こういう新興企業がいくら生まれても一握りの優秀な人材が海外移住して行くことになり、国内は底辺層が残るばかりになって国が衰退してしまいます。
中央で通用する優秀な人材が出れば、当然のことながら中央に出てしまうのが普通ですから(たまに名を成してから地方に隠棲する(・・空海→高野山・道元→永平寺のように特別有名になりますが・・・)地方から人材が流出して首都に人材が集まる傾向・地方疲弊の国際版となります。
人材流出による地方疲弊の構図については、10/02/03「地方自治と人材3(憲法38)」前後のコラムで連載しました。
海外進出を賞賛するよりは、為政者としては日本に人材が集まるような工夫が必要です。
儲かるところへ率先して移動して行く発想は、遭難した船の船長と取り巻きだけが、安全な(儲かる)ところへ先に避難したようなものです。
最近話題のイタリアの豪華客船の座礁事故では、船長や従業員が我先に逃げてしまったことが我が国では大きく報道されていますが、イタリアに限らず日本以外では本来当たり前のことかも知れません。
第二次世界大戦ではマッカーサーサーが「アイシャルリターン」と言いながら将兵を残して自分が先にフィリッピンを脱出してしまいますが、我が国の感覚から言えばおかしな行動です。
我が国では部隊の長は「最後まで死守する」・・・と言うと玉砕まで頑張る非合理な歪んだイメージが造られていますが、そうではなく日露戦争の廣瀬中佐・杉野兵曹長の故事のように、部下を見殺しにしない・・自分が先に逃げないという思想です。
第二次世界大戦末のソ連参戦時に関東軍が満蒙開拓団を放置して撤退したことが、未だに非難されているのはこの思想によるものです。
原発事故では吉田所長以下の命がけの大活躍が報道されていますし、現地自治体の人々が自分は逃げないで最後まで避難を呼びかけて回っていて津波に巻き込まれた話がいくらもあります。
2度にわたる蒙古軍撃退も単に嵐が来た結果撃退されたのではなく、地元の武士団・松浦党などが背後の同胞を守るために決死の夜襲攻撃を仕掛け続けた成果によるものであることは誰も疑わないでしょう。
台風が来たのは運が良かったことから神風というものの、運は決死の努力が呼び込むものであることは人生経験で学ぶ事柄です。

為替変動と企業努力2

為替が上がれば為替の下がった国での生産を増やす・・・単純明快な企業合理的行動に走らずに民族意識に基づいてある地域での生産に飽くまでこだわるのが、我が国の企業行動です。
このためには、円が1割上がれば生産性を1割上げねばならない・・生産性を引き上げて輸出減を防いでいると、黒字が減らないので円がさらに上がっていきます。
企業努力の結果奏功して輸出減を防ぐ繰り返しでしたから、円が恒常的に上がるトレンドで来たのですが、こうした企業精神・努力の場合、絶え間ない円高=外圧が生産性向上努力を強制する状態です。
これは大変なストレスになりますが、この外圧による不断の努力を怠らなかった結果、我が国は戦後絶え間なく生産性向上が進み、生活水準が切り上がって来たのです。
日本企業の場合は、我が社意識・・幕藩体制以来・・実は一所懸命の語源通りもっと前の土に根ざした武士勃興以来と言えるでしょうが・・の郷土意識の残滓が強力です。
半端なことでは地元を捨てて簡単に外に出ようとはしませんし、海外に出るにしても国内既存工場の存続を前提とした増産分としては始めるのが普通です。
石にしがみついても・・の意識で最後の最後まで頑張る傾向があって、その分円高トレンドに負けないように生産性向上に資するメリットがあります。
オラが企業の強力な意識が、(安易に海外に逃げようとはしないで・・)際限のない熾烈なコスト削減努力が、省エネ技術や新たな製品・・コスト上有利な新部品を生み出す原動力にもなっていたのです・・。
海外株主比率・・あるいは国債保有比率・社債保有比率が上がって来るとそうはいかないでしょうから、我が国のためには外国人保有比率を上げない方がいいでしょう。
(民族意識に基づく非合理なしがみつき努力は薄まり、人件費の安いところで造れば良いに決まってるのに、何を無理して国内にしがみつくのか・・となり勝ちです)
経営者が外国人であるゴーン氏に変わっている日産では、数年前に特定車種だけですが日本国内向けの生産まで全量タイへ生産移管してしまったことは(マーチ効果と言われています)ショックとなって国民の記憶に新しいところです。
日産の外国人株主構成(ルノー1社で44、33%)も重要ですが、経営トップが外国人となっていることが、その決断を導いた大きな要因でしょう。
企業の損得だけで行動すれば前回書いた通り、為替相場の最適生産地を選んで生産量の調節をして行けば良いので、円高は企業が悲鳴を上げるべき問題ではなく、企業の生産地変更について行けない国民が悲鳴を上げるべき問題です。
アメリカの場合、例えばGMで見ても分りますが、最適地生産という合理主義ですから、(国内生産を死守するということはなく)昨年の世界販売台数のトップシェアーを奪回したと言っても、海外生産がその多くを占めていてアメリカ国内での生産が大幅に増えた訳ではなさそうです。
外国人投資家の売り越を心配するマスコミ論調が多いのですが、私は外国人比率が減ること自体は結果的に歓迎すべきことだと思っていることをJan 14, 2012「海外投資家比率(国民の利益)2」までのコラムで書きました。
外国人投資家に人気がないのは相応の原因があると考えて、反省すべき材料にはなりますので外国人が一定比率を保有しているとその傾向が理解できるメリットがありますが、一定量を超えてしまうと、その意向で運営しなければならないのでは、同胞意識で運営していきたい日本企業にとって困ったことになります。
仮に日産がマーチに限らず全生産を外国に移管したことによって生き残ったり利益を出している時代が来ても、国内雇用がゼロになって(勿論今はそこまで進んでいませんが・・分りよい極端に進んだ場合で議論すればの話です)しかも株主の大半が外国人投資家になった場合、日本人にとってめでたく、有り難いことでしょうか?

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