高度化努力の限界と労働人口の過剰

国際貿易競争を有利にするには為替を思い切って切り下げれば有利という発想になると韓国のように無茶にウオンを安くして行き、それで対日貿易競争上有利になっていることはそのとおりですが、その副作用も起きつつあります。
賃下げのためには、非正規雇用が良いとなればそこにマトモにシフトして行き、国民の苦しみなど気にしない感じです。
自由貿易協定が良いとなれば世界中とドンドン締結して行く、宣伝戦で勝ちさえすれば良いのだという意識が強いのか、韓国の文化輸出が重要となればなりふり構わず、相手国のマスコミに食い込んで(相手国の国民感情など無視して)根拠ない虚像を流し続ける、何もかも自国が世界の歴史の始まりだという荒唐無稽な主張をするなど大量宣伝で圧倒してしまえば良いと言う単思考で行動しているみたいに見えます。
ある国でネット投票があれば、韓国からの無名の韓国芸人に投票を集中するなど(日本でもやらせメールが問題ですが・・)その程度が、何事も極端に振れる傾向があります。
日本人からみればそこまで見え透いたことをやると「ハシタナイ」「恥ずかしくないの?」と言う段階に達していますが、世界ではそのくらい厚かましくてもやってしまえば勝ちみたいなところだという認識でしょうか?
日本が負けずに宣伝合戦した方が良いという意見もあるでしょうが、これをやると日本人まで同じレベルに落ちてしまうのでやめた方が良いと言うのが大方の認識でしょう。
話を戻しますと我が国の場合、アメリカのように中国や韓国と競える程度の賃金相場まで下げて行った結果の競争力維持では国民にとって辛過ぎますから、29日に書いた比喩で言えば10〜20点以上の能力・価格差程度で安定出来ることを期待したいものです。
最後の最後まで頑張っても諸外国との実力格差以上の賃金格差があれば、実力以上の差になりますからその差を埋めるには国内賃金引き下げか為替相場の下落で対応するしかないでしょう。
(2月25日に書いたように海外投資収益の還流効果を減殺した上でのことです)
ところで、日本の貿易収支が黒字状態からいつかは均衡状態になった場合、それまでの黒字分に対応する国内生産が減るので、その分の労働力過剰=失業者が今よりもっと増えることになります。
貿易収支均衡の結果総輸出額が一定の場合、その生産に従事する労働人口・時間が少なければ少ないほど、一人当たり・時間当たり単価が高くなる理屈ですから、日本の貿易収支が均衡状態になったときに中国や韓国よりも一人当たり単価・生産性が1〜2割高い場合には、養える労働人口が1〜2割少なくなります。
逆に言えば、A国とB国で総輸出額・金額ベースが同じなのにA国では1割多い労働者が必要だとすればA国では1割人件費が安い仕事をしていることになります。
日本は製品高度化=生産性上昇を進めるしかないのですが、これが成功すると従来と同じ輸出額でも従来よりも必要労働力は減少することになります。
汎用品製造向けの人材・・これが国民の大多数ですが、これらの職場は新興国でも生産出来る商品が普通ですので、約10倍もする人件費では生産しても国際競争力がないので、貿易黒字継続下でも汎用品製造分野は減少中です。
汎用品製造分野で黒字がなくなり赤字傾向になる・・国際競争力がなくなれば、製造工場の縮小となって、大量の雇用現場が失われるので労働需給としては大変なことになります。
最後に行き着くところ(貿易収支均衡)を見れば、貿易黒字状態を前提・・即ち国内需要以上の過剰な生産力=過剰労働力を国内に抱えてしまったことが根本の問題で、いつかは収支均衡程度の生産力で養える労働人口に戻すしかないことに帰します。
製造技術の高度化だけではなく、2月24日に書いたように商事会社が海外プロジェクト取りまとめ事業に転身しているような場合、その事業に必要な鋼管その他の製品を自分で生産するものではないので、養える人口は交渉に関与する人やその補助をする人材だけで足りるので、取引額の大きさの割に限定的です。

高度化努力の限界3と均衡1

2月27日の日経朝刊では2014年ころには中国の賃上げ傾向(とアメリカの下落傾向)から見れば、アメリカ国内の人件費を追い越す・・逆転するだろうと書かれています。
昨年報道されていた広東付近の先端工業地帯の工場労働者の賃上げ争議を見ていると、ほぼ月収2〜3万円の印象ですが、争議が頻発しているので、その内アメリカの人件費を追い越すことになると言う報道はもしもアメリカの労働者の平均賃金が日本円にして月額4〜5万円に下がっているとしたら(今後更にドルが下落し元が上がることも想定すると)現実味があります。
この賃上げ圧力に対応するためにか、中国ではラオス、カンボジア、ベトナムやヤンマーなど中国よりさらなる低賃金国への中国自身による工場進出が盛んになっています。
中国では就職出来ない大卒が600万人ほどいるが単純労務に就職したがらない・・他方で農民工もそれほど集まらなくなったなど、構造的問題が噴出し始めているようです。
日本でも失業者が一杯いるのに3K職場への求職者がなくてフィリッピン人などの外国人労働者導入論が昔から盛んです。
中国の場合、まだ経済が離陸し、先進国にキャッチアップ出来たかどうか分らないうちからこの状態では上昇率が打ち止めになるのは予想外に早いものと思われます。
日本が高度化努力・生産性向上で新興国の追い上げから逃げようとしても60→70→80→90点台とレベルが上がれば上がるほど上昇率が下がって行くしかありませんし、どこかで上昇率が打ち止めになることを防げないと言えるでしょうか?
物事の原理として100点以上の得点はあり得ないかと言うとそうではありません。
数学のテストの場合で言えば、学生のレベルが上がれば問題を難しくして行くことが可能なように、生活水準は無限に前進して行くので、100点満点の到達点は無限に先に伸びて行くので100点に近づく極限値はあり得ないのです。
30年前には考えられなかった携帯電話やパソコンの普及・・最近のスマホの普及などを見れば分るように工夫さえすれば競争すべき到達点は先送りの一方です。
上記のように考えると先頭ランナーは、どこまで頑張っても満点になって進歩する余地がなくなる心配はありません。
進歩が止まるのは工夫・進歩が止まったときですから、結局は民族の資質次第と言えます。
中世でアジア世界全体あるいは世界全体で進歩の頭打ちがあったかのように見えたのは、緩やかに進歩を続けながらも対抗する諸国との順位や差があまり変わらなかったからでしょう。
日本が仮に95点で頭打ちになり、韓国が85点、中国が80点でそれぞれ頭打ち(順位や距離が安定した場合)になるとしたら、その時点での賃金格差がこの点数差と一致していれば国際競争力が均衡することになります。

高度化努力の限界2

上昇率が相互に似たようなものになった場合、均衡を破るのは、産業革命のような大規模な革新的発明発見がどこかの国で起きたときでしょう。
ただ、グロ−バル化が進んでいるのでどこかの国で画期的技術を発明・発見しても世界中に直ぐに伝播しますから、先行者利益の期間が短いので、18〜19世紀型の先進国と後進国に分かれるような大きな格差は生じないと思われます。
例えばアイポド・アイフォーンが開発されてもアメリカだけで何十年も閉鎖的に進歩する時代ではありません。
05/26/07「現地生産化の進行と加工貿易の運命1(先行者利益の寿命)」で古代には文明の伝播に数千年かかっていたの次第に短期化されて来た経過を紹介しました。
上記発展段階の理解によれば、韓国や中国と日本の賃金格差は韓国や中国が近代産業に目覚めて発展を始めたときには妥当だったかも知れませんが、その後急激な発展を始めた以上は従来の賃金格差は大きすぎるので、急激な発展に合わせて賃金格差も急激に縮まるのが本来です。
中国が改革開放を始めた頃には日本と中国の賃金格差が3〜40倍あったように思いますが、今では約10倍の格差に縮まっていますが、文化力・技術力の差がそれだけあれば良いのですが、そうでなければ現状はまだまだ縮小不足となります。
(対中貿易、対韓貿易では我が国だけが?輸出超過国ですから、これで良いのかも知れませんが・・・)
アメリカの場合は、リーマンショック後のドル急落や国内人件費下落(26日に書いたようにGMに関しては倒産前の4分の1まで下がっているとのこと)によって賃金格差縮小が充分に進んだということでしょうか?
ちなみに今でもアメリカの一人当たり収入は中国の一人当たり収入をはるかに凌駕していますが、これは海外利権・石油採掘権・収益の還流等があって、これを国民の数で割るから大きくなっているだけで、労働者の賃金水準と一人当たり収入は関係がありません。
同じことは日本の一人当たり収入算出にあたっても気をつけるべきことです。
GMの好調は中国での販売好調に由来するものですが、これら投資収益があって企業は大もうけしたのであって、アメリカ国内のGM労働者の生産性にこれをカウントするとややこしいことになります。
企業の海外での大もうけが労働者の収入増に結びつかないので、アメリカ国内では格差が余計広がる仕組みです。
この点は我が国でも貿易収支の黒字よりも所得収支の黒字の方が大きくなって来ると、労働だけに所得源を頼る人は所得が総体的に低くなりがちであることを、05/26/07「キャピタルゲインの時代16(国際収支表1)」までの連載で書きました。
新興国と先進国との賃金格差の縮まり方が新興国の技術発展のスピードに追いつかないので、その間日本や先進国の貿易収支が赤字に傾く・・国際競争力が低下していくのは仕方がないことです。
2月27日の例で言えば、点数差が初期のころは急激に縮まるのに対して賃金差が縮まり難い・・・中国の方はいくらでも奥地から労働者が供給されるので、技術力アップに見合う賃上げが簡単に進みませんでした。
(最近様相が変わってきましたが・・・)
先進国の方は容易に賃下げが出来ない(下方硬直性)のが普通ですが、2月26日のブログの終わりころに書いたようにアメリカではレイオフが簡単(賃金相場も市場原理が貫徹し易い)なこと急激なドル安で、対外的な賃金水準引き下げに成功していることが却って格差社会の問題を引き起こしています。
GM人件費が倒産前の4分の1に下がっているというのですが、これを円に換算すれば分りますが大変な下落状況です。
1ドル120円前後のリーマンショック直前の給与水準が仮に月額25万円前後であったと仮定して計算すればアメリカ労働者の悲惨さが直ぐに分ります。
ドルの下落の結果今は1ドル約80円ですから、円換算で月収11〜12万円だったのが8万円、24万円だったのが約16万円に下がっていることになります。
為替換算だけで約16万円になっていたのが、更に国内で4分の1に下がっているとすれば、月収4万円前後に下がっていることになり大変なことです。

高度化努力と新興国追い上げの限界1

高度化努力を際限なく続けてその結果際限なく円高になるのを繰り返して行っても、いつかは力尽きる時が来ることは防げません。
ただ、例えば日本が年に1割の高度化努力に成功していたのが、8%〜6%〜4%と順次成果が小さくなって行くとした場合、前年比ゼロ%になった時点で海外競争に負けてしまうかと言うとそうとは言い切れません。
相手の方も生活水準上昇による賃上げ率の上昇があるので、適当なところで日本に対して追いつく力が尽きることもあります。
韓国や台湾がそれで、一定程度まで日本に追いついていましたが、最近その差がこれ以上縮まらくなっている感じです。
中国もその内一定以上に生活水準が上がったところで、ピークを打つ可能性があります。
学業の成績上昇の変化を例あるいはマラソン走者を例にに考えるとよく分ります。
全く勉強しなかった子供があるときに目覚めて勉強を始めると各科目平均20点台から始めた場合当初は急激に伸びますが、その勢いで際限なく伸びるのではなく、子の資質次第で50点台で上昇率が鈍り60〜70点くらいで打ち止めになったりします。
他方元々60〜70点台だった子も負けずに努力すると少しずつ上昇するのですが、20点台から40点台に上がる子に比べて60点台の子が5〜10点でも上げるのは大変です。
このように低水準から始めた子供よりも、元々の上級者の方が上昇率が低いのは当然です。
あるいはある人が1km先に走っていた後で次の人がスタートを切れば、先に走っている方は疲れているのでスピードが落ちていることから最初の数百〜1kmメートルは距離が縮まるでしょうが、一定距離を走った後はその走者の能力次第で同じ能力ならば、1kmの差に戻ってしまうし、逆に開くことさえあります。
(日本の高度成長は明治維新以降の技術力の蓄積の上に始まっているので、中国や韓国とはスタート台の違いも重要です)
この勢いの良い初期段階を見て新興国は今にも日本に追いつき追い越すかのような単純な妄想を抱いて高慢になり、日本のマスコミも「大変だ」と騒ぐ傾向がありますが、物事の発展段階のルールを知らない幼稚な議論に過ぎません。
このように新興国も一定水準以降は技術力・生産性の向上率が下がって先進国の上昇率と肩を並べることになったり、(追いつかない内に同じ上昇率になると差が縮まりません)あるいは止まって下降曲線になる国もあります。
相撲で言えば勢い良く昇進していた力士が幕内上位になると足踏みし、その内下がり始める力士の方が多いのとを想起しても良いでしょう。
最終的には遅れて目覚めて勢い良く上昇し始めた国がどこまで先進国に追いつけるか、どの段階で息切れするか、追い越せるかについては、日本人の資質と競合国の資質の差に落ち着くでしょう。
今のところ急上昇中の新興国の上昇率に賃上げが追いつかないので、先進国との賃金格差が大きすぎるのですが、最終的には資質差の範囲内に人件費の差が縮まって漸く安定することになります。
(画期的発明がなく)同じような製品の競争を続けている限り、日本も60→70→80→90点台になるとそれ以上技術力の向上は難しくなるので、どこかで打ち止めあるいは上昇率低下に見舞われることがあり得るでしょう。
日本が仮に95点で上昇率が頭打ちになり、韓国が85点、中国が80点でそれぞれ頭打ちになるとしたら、その時点での賃金格差がこの点数差と一致していれば国際競争力が均衡することになります。
(歴史を見ると一見停滞しているようでも少しずつ進歩して来たことは間違いがないようですから、何時の時代でも少しずつ進歩し続けるのですが華々しく目立たないだけですので、進歩が停止するのではなく上昇率が低下するだけです。)

為替変動と企業努力2

為替が上がれば為替の下がった国での生産を増やす・・・単純明快な企業合理的行動に走らずに民族意識に基づいてある地域での生産に飽くまでこだわるのが、我が国の企業行動です。
このためには、円が1割上がれば生産性を1割上げねばならない・・生産性を引き上げて輸出減を防いでいると、黒字が減らないので円がさらに上がっていきます。
企業努力の結果奏功して輸出減を防ぐ繰り返しでしたから、円が恒常的に上がるトレンドで来たのですが、こうした企業精神・努力の場合、絶え間ない円高=外圧が生産性向上努力を強制する状態です。
これは大変なストレスになりますが、この外圧による不断の努力を怠らなかった結果、我が国は戦後絶え間なく生産性向上が進み、生活水準が切り上がって来たのです。
日本企業の場合は、我が社意識・・幕藩体制以来・・実は一所懸命の語源通りもっと前の土に根ざした武士勃興以来と言えるでしょうが・・の郷土意識の残滓が強力です。
半端なことでは地元を捨てて簡単に外に出ようとはしませんし、海外に出るにしても国内既存工場の存続を前提とした増産分としては始めるのが普通です。
石にしがみついても・・の意識で最後の最後まで頑張る傾向があって、その分円高トレンドに負けないように生産性向上に資するメリットがあります。
オラが企業の強力な意識が、(安易に海外に逃げようとはしないで・・)際限のない熾烈なコスト削減努力が、省エネ技術や新たな製品・・コスト上有利な新部品を生み出す原動力にもなっていたのです・・。
海外株主比率・・あるいは国債保有比率・社債保有比率が上がって来るとそうはいかないでしょうから、我が国のためには外国人保有比率を上げない方がいいでしょう。
(民族意識に基づく非合理なしがみつき努力は薄まり、人件費の安いところで造れば良いに決まってるのに、何を無理して国内にしがみつくのか・・となり勝ちです)
経営者が外国人であるゴーン氏に変わっている日産では、数年前に特定車種だけですが日本国内向けの生産まで全量タイへ生産移管してしまったことは(マーチ効果と言われています)ショックとなって国民の記憶に新しいところです。
日産の外国人株主構成(ルノー1社で44、33%)も重要ですが、経営トップが外国人となっていることが、その決断を導いた大きな要因でしょう。
企業の損得だけで行動すれば前回書いた通り、為替相場の最適生産地を選んで生産量の調節をして行けば良いので、円高は企業が悲鳴を上げるべき問題ではなく、企業の生産地変更について行けない国民が悲鳴を上げるべき問題です。
アメリカの場合、例えばGMで見ても分りますが、最適地生産という合理主義ですから、(国内生産を死守するということはなく)昨年の世界販売台数のトップシェアーを奪回したと言っても、海外生産がその多くを占めていてアメリカ国内での生産が大幅に増えた訳ではなさそうです。
外国人投資家の売り越を心配するマスコミ論調が多いのですが、私は外国人比率が減ること自体は結果的に歓迎すべきことだと思っていることをJan 14, 2012「海外投資家比率(国民の利益)2」までのコラムで書きました。
外国人投資家に人気がないのは相応の原因があると考えて、反省すべき材料にはなりますので外国人が一定比率を保有しているとその傾向が理解できるメリットがありますが、一定量を超えてしまうと、その意向で運営しなければならないのでは、同胞意識で運営していきたい日本企業にとって困ったことになります。
仮に日産がマーチに限らず全生産を外国に移管したことによって生き残ったり利益を出している時代が来ても、国内雇用がゼロになって(勿論今はそこまで進んでいませんが・・分りよい極端に進んだ場合で議論すればの話です)しかも株主の大半が外国人投資家になった場合、日本人にとってめでたく、有り難いことでしょうか?

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC