生活水準向上とソフト化社会2(大阪の地盤沈下1)

このシリーズで何回も書いていますが、バブル崩壊後の生活水準の向上は目覚ましいところがありますが、例えばユニクロ以来各種衣料品・生活雑貨で言えば100円ショップで大方間に合うし、食品で言えば牛丼や回転寿し等々、生活コストはバブル期以降約半分以下になっています。
タマタマ日経朝刊1月23日の9面に出ていましたが、花王の洗剤アタックが25年前の870円台に対して店頭実勢価格が300円以下になっているなどの事例が出ていましたが、機能が良くなって半値以下というものが消費財にはゴロゴロしています。
(牛丼・パソコン・携帯電話その他いくらでも半値以下になったものがあるでしょう)
物価が半値以下であれば現状維持の収入でも生活水準が2倍以上になっていますが、繰り返し書くようにバブル崩壊以降国内総生産がジリジリと上がっていたのですから、生活水準向上は2倍どころではないことになります。
これをドル表示で見ても約2倍になっていて裏付けられることを、2012/01/19「為替相場1と輸出産業の変遷1」のコラムで書きました。
前回書いたように生活水準が上昇するとすべての分野で行動形態がソフトになるのが我が国の傾向で、(そこが諸外国とは違います)勢い粗野な争いがなくなって行きます。
高度成長期に生まれた膨大な中間層の2代目が、みんなお坊ちゃんお嬢さん育ちになってデーイプインパクトのようにソフトになってしまって「大阪のおばちゃん」と揶揄される横柄・厚かましい人種が姿を消してしまったのです。
この種の人は10〜15年くらい前までは東京でもどこでも一杯いてオジさんやオバはんが嫌われていたのですが、生活水準の向上に連れて厚かましい中年族はいつの間にか姿を消した(今では60〜70代になって世間に余り出なくなった)と言うか、少数派になってしまったのですが、大阪だけ今でも残っていることから目立つのでしょう。
大阪だけに何故今でも厚かましいオバはんが多く残っているのかですが、以下に書くように大阪経済圏では生活保護受給率が大阪では高い・・医療保険の利用率も高い、学テでは全国最低水準になっているなどの現象からみて、この20年あまりの我が国の生活水準向上の波に乗り遅れているからではないでしょうか?
どこかで言ったことがありますが、大阪の長期的地盤沈下は、府と市の二重行政に原因があるのではありません。
産業の主役が繊維系から電気に移るまでは元気だったのですが、その後車産業に主役が移ったときについて行けなくなったころから、関西経済圏の沈下が始まったと私は考えています。
江戸時代中期ころから関西以西では木綿栽培が発達していたと読んだことがありますが、これを基礎にして、近畿圏周辺〜岡山までには繊維産業が明治維新以降勃興し、これに連れて糸扁の商社も大きくなりこの傾向は戦後も続いていました。
戦後は家電系も松下電器産業(ここから派生して生まれたサンヨー・・今は合併しましたが・・・)に始まって新たに経済を支えましたが、精密な電子産業以降となるとちょっとついて行けない感じになって行きました。
造船その他重工業も大阪の経済規模に合わせて十分発達しましたが、車製造が経済の中心になる時代が始まると新たに広大な工場敷地を必要としました。
過密化していた大阪周辺では工場敷地の余裕がなかったこともあって、自動車産業と関連産業の新規開設立地がほぼ皆無だったことが、大阪の地盤沈下に甚大な影響を及ぼしたと思われます。

生産性向上と雇用減

生産性向上による雇用縮小分と増えて行く一方の労働人口の受け皿として、輸出増に活路を求める生産拡大=貿易黒字の拡大政策に対して、昭和末頃から失業の輸出として日本叩きが激しくなって来たので、海外工場立地しかなくなり、日本の一人勝ち・・これ以上の国内生産拡大が国際政治的に許容されなくなりました。
そこで韓国・台湾更には東南アジアあるいは中国等への順次の進出で日本製部品を使った組み立てによって、迂回輸出で稼ぐ構図にして行ったのが、その後の展開です。
いまさら製造業等の分野で国内雇用が減ったと騒いでも、上記経過によれば国際・国内・政治上の公約とも言うべきですから、何の解決にもなりません。
(後に紹介しますが、今でも膨大な国際収支黒字が続いていますが、中国躍進の陰に隠れて文句言われていないだけです)
ところでバブル崩壊後の雇用減は、従来のように生産性向上分を絶えざる国内生産拡大で解決しないで生産増分を海外立地に移しただけで、国内生産縮小による部分はそれほど多くはありません。
たとえば、代表的な産業である製鉄であれ車であれ、現状維持どころかじりじりと生産を増加しているので、国内雇用減少の原因は技術革新による分が多いでしょう。
www2.ttcn.ne.jp/honkawa/5500.html – キャッシュによると以下のとおりです。
2008〜9年だけは減少していますが、これは日本だけではなくリーマンショックによる例外です。

他方車の方は、opyright (C)2009 株式会社 自動車情報センター All Rights Reservedによると、過去10年分だけですが、

1998年~2008年
国内乗用車生産台数推移 1998年~2008年

国内乗用車の生産台数は1998年の 805万台から
2008年の 992万台へと増加した。

車種別に見ると 普通乗用車は2001年に小型乗用車を抜き2005年以降は大きく伸張する。

これは国内需要の増加もあるが それ以上に
海外需要の拡大が大きく影響している。

国内乗用車の生産金額は1999年の 11兆 5992億円から
2008年の 17兆5069億円へと増加した。

特に普通乗用車の伸びは急速で
1999年の 6兆円から2008年の 13兆円弱へと増加している。

と記載されています。

上記の通り、バブル崩壊後も日本は製鉄・自動車等の基幹産業では、海外進出しながらも国内生産を減らしていなかった(ジリジリと増やしていた)ことが分ります。
それでも「労働需要減少と就労者増」Posted on January 12, 2011で紹介したように製造業で大幅な労働者減になったのは、ひとえに生産性の上昇・・合理化によるものでしょう。
事務系労働者縮小も、ファックス・パソコン・携帯の普及に代表される事務系技術進歩によるものです。
バブル直前までは合理化によって労働者が余ると、その分生産拡大・輸出増・・規模拡大(事務間接部門も増えます)によって吸収していたのですが、これが許されなくなったので若者の就職が難しくなったことが上記統計で分ります。
1月4日の例・・飲食店で言えば、来店客数と滞在時間増加にテーブルの追加(厨房能力拡大)・生産設備の拡張(輸出)でごまかせなくなったので、あまったエネルギー(資金)を土地等の非生産的資産に向けて平成のバブルになってしまったのです。

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