組織(集団)の存在理由2

戦国時代、落城にあたって勇猛な兵士が敵の前に立ちふさがって主君を逃すようなストーリイがありますが、歴史の実態は城主が責任を取って腹を切る代わりに篭城した城兵や妻子の助命を引き換えに要求するのが我が国の主流的解決法です。
第二次世界大戦の敗北においても、(極東軍事裁判という変な仕組みですが・・・)結果的に指導者が戦争責任を負って国民が皆殺しになるのを防ぎました。
明治維新の江戸城無血開城も同じですが、背後の人民の被害を出来るだけ小さくするための知恵がいつも働きます。
私が育った頃には、上記のように我が国の実態に反して主君が先に逃げるような物語や、経営者はいつも良い思いをして労働者は搾取されるばかりだというストーリーが多かったのは、戦後盛んだった共産主義の思想や西洋の流儀をそのまま日本の歴史に応用して、経営者は無責任だという主張をしたかったからでしょう。
日本の企業経営者や中小業の親方もそうですが、自分が先頭に立って、従業員の何倍も働いているのが普通です。
西洋の貴族のように領地経営を執事に任せて、優雅に遊び暮らしている前提で日本の組織を見ると誤ります。
学者は、西洋のお勉強中心ですから、我が国の実態を余り知らないで議論している傾向があります。
私の場合、小なりといえども法律事務所を実際経営してみると、その月々の収入の増減は経営者が先に負担するので、例えばその月の固定経費が200万円必要なときに、200万円までの収入は全部給与や家賃等の支出等になってしまいますから、月末になってそれだけの収入がないと、経営する弁護士の収入はゼロ・・200万円に達するまでは、ただ働きになる仕組みです。
月の25〜6日経過した時点まで200万円しかないときにはそれまでの仕事は経営者個人にとってはただ働きになり、それ以降の収入だけが経営者の収入になる勘定ですから、最後の数日が勝負になります。
我が国では経営者が先に自分の収入をとってしまう関係ではありません。
中小企業では経営が左前になると自分の手取りを減らして、従業員の給与だけはそれでも払い続ける・それも出来なくなると金貸しから経営者個人名義で借りてでも払い続けるのが普通ですから、倒産すると大変なのです。
我が国では従業員給与が先取りになっている社会・・まずは従業員の生活を保障する社会と言うべきでしょう。
集団利益を守るために責任者(日本では指導者というよりも責任を取る人=「責任者」が正しい表現です)がいるのであって、トップの私腹を肥やすために集団があるのではありません。
海外の方が儲かるからと言って、徐々にシフトして行き、結果的に生産拠点も本社機能もすべて海外移転することになってしまう(日本人の殆どが振り切られる)のでは、何のために集団トップに選ばれたのか分らないことになるのではないでしょうか?
海外本社にトップとその取り巻きだけが移住し、その他集団員の99、99%が置き去りにされる結果になるのでは、その企業の名前は残るかも知れませんが、元の集団構成員にとっては意味がないでしょう。
今朝の日経新聞朝刊第1面「アジア消費をつかむ」の冒頭には、SNSのフェイスブックで日本第2位のサテイスファクションギャランティード(sg)が本社機能もシンガポールに移したと報じられています。
SNS98万人のファンのうち97%が海外顧客だから移転は必然との説明があります。
こういう新興企業がいくら生まれても一握りの優秀な人材が海外移住して行くことになり、国内は底辺層が残るばかりになって国が衰退してしまいます。
中央で通用する優秀な人材が出れば、当然のことながら中央に出てしまうのが普通ですから(たまに名を成してから地方に隠棲する(・・空海→高野山・道元→永平寺のように特別有名になりますが・・・)地方から人材が流出して首都に人材が集まる傾向・地方疲弊の国際版となります。
人材流出による地方疲弊の構図については、10/02/03「地方自治と人材3(憲法38)」前後のコラムで連載しました。
海外進出を賞賛するよりは、為政者としては日本に人材が集まるような工夫が必要です。
儲かるところへ率先して移動して行く発想は、遭難した船の船長と取り巻きだけが、安全な(儲かる)ところへ先に避難したようなものです。
最近話題のイタリアの豪華客船の座礁事故では、船長や従業員が我先に逃げてしまったことが我が国では大きく報道されていますが、イタリアに限らず日本以外では本来当たり前のことかも知れません。
第二次世界大戦ではマッカーサーサーが「アイシャルリターン」と言いながら将兵を残して自分が先にフィリッピンを脱出してしまいますが、我が国の感覚から言えばおかしな行動です。
我が国では部隊の長は「最後まで死守する」・・・と言うと玉砕まで頑張る非合理な歪んだイメージが造られていますが、そうではなく日露戦争の廣瀬中佐・杉野兵曹長の故事のように、部下を見殺しにしない・・自分が先に逃げないという思想です。
第二次世界大戦末のソ連参戦時に関東軍が満蒙開拓団を放置して撤退したことが、未だに非難されているのはこの思想によるものです。
原発事故では吉田所長以下の命がけの大活躍が報道されていますし、現地自治体の人々が自分は逃げないで最後まで避難を呼びかけて回っていて津波に巻き込まれた話がいくらもあります。
2度にわたる蒙古軍撃退も単に嵐が来た結果撃退されたのではなく、地元の武士団・松浦党などが背後の同胞を守るために決死の夜襲攻撃を仕掛け続けた成果によるものであることは誰も疑わないでしょう。
台風が来たのは運が良かったことから神風というものの、運は決死の努力が呼び込むものであることは人生経験で学ぶ事柄です。

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