空洞化対策と円高対策の二律背反

為替相場の上昇・・円高は、輸入物価の下落を通じた実質デフレ強化に働きます。
生活水準の上昇・(実質賃金の上昇)は国民には嬉しいことですが、円高になった分仕入れ価格は下がりますが、人件費その他固定経費が下がらない分が対外的競争力に関係しますので、グローバル化による低賃金圧力に加えた更なるハンデイとなります。
日本経済はグローバル化に対応して人件費を下げねば(あるいは高度技術にシフトする・・生産性の向上を図る以外に)国際競争力を維持出来ないとして苦労しているのに、努力した結果貿易黒字を維持すれば円高になって、イキナリ逆張りの(対外的・ドルベースで人件費率上昇)結果出現ですから大変な重荷になります。
国内平均で5〜10%程度賃金を引き下げるだけでも、何年もかかる大変なことですが、円が10%以上上がってしまえば、ストレートに対外的(ドルベースで)人件費が10%上がってしまいます。
最近半年くらいの間に円が2〜3割も上がっているのですから、長年かけて努力して来た平均賃金の引き下げ(生産性向上)努力など、あっという間にひっくり返されてしまいます。
為替相場の上下は、元々貿易黒字国の国際競争力低下を期待したシステムですから、グローバル化・低賃金国対応がうまく行って日本の貿易黒字が続けば、円上昇トレンドになるのは当然の結果です。
これに対して、為替相場が円安に振れれば国内人件費は対外的に安くカウントされるので国内で無理な賃下げ努力しなくとも済みます。
国民全員に対して目の前の賃金を一律1〜2割下げるのは大変なことですが、円相場が1〜2割下がれば対外的には人件費が自動的に1〜2割下がるので何の努力も要らず簡単・安直です。
更に円安が進めば輸入物価の上昇を通じてインフレになり易いので、なお実質賃金が下がります。
政府・産業界がデフレをキライ円安・インフレになるのを望む報道が多いのは、こうした期待があるからです。
円安にするのはどうしたら良いか・・この後で書きますが円キャリー取引による円の海外流出あるいは企業の海外進出による資金流出が考えられます。
貿易黒字を減らせば当然円安になりますが・・貿易黒字の縮小ないし赤字になったのは、輸出産業の縮小+輸入の増加によって国内空洞化が進んで失業増大化してしまった結果ですので、国際競争力維持強化のための円安政策としては意味がありません。
失業をなくすための円安期待なのに、円安になったときは貿易赤字の結果、先に失業が大量発生しているのでは何にもなりません。
円安期待とは言い換えれば結果的に日本が国際競争力を失い貿易赤字なるのを期待していることになります。
空洞化対策・製品等の鼓動技術かが成功すれば結果的に貿易黒字が減らない・・・この努力を続ける限り、一定周期で円高が来るのは必然です。
産業の高度化(生産性上昇)努力によって輸出競争力(巨額黒字)を維持し=外貨準備を積み上げ続ければ円高になるのは当然ですが、貿易黒字のままで円安にしたいと言う矛盾した目的を追いかけて無理をしているのが我が国ですから、いつも日本経済は大変な状況にあると政治家が言うのは(出来ないことを追いかけている以上は)当たり前です。

モラルハザード6(権利の2元性2)

2月16日に最高裁判所の判例を紹介しましたが、憲法25条の規定があるからと言って、国民が直接一定の給付を請求する権利があるのではなく、国会で具体的な法を制定して初めて具体的な権利になるに過ぎません。

憲法
第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

生活保護その他福祉関連の権利は、国会の法制定・・すなわちみんなの意思でどの程度まで援助すべきかのコンセンサスがあってこそ、具体化する権利です。
仮に働けない人でも、何らかの原因・事情でお金が入って巨額のお金を持っている場合に、(例えば子供の死亡で生命保険金が1000万円・損害金が数千万円以上入っても)働けないという理由だけで、別途生活保護費を請求出来るとすれば、そんなことは許されないと思うのが普通の考えでしょう・・・・・。
これが給与や物品を販売した代金などであれば、その権利者が数千万円以上お金・預金を持っていても働いた以上は給与を貰い、あるいは商品を売った以上は売り主がお金持ちでも販売代金を受領する権利があるし、貸したものは返してもらう権利があることに誰も違和感を持たないでしょう。
このように同じく権利とは言っても、持っている意味内容が違います。
しかし各種福祉受給者にとっては一旦支給されるようになったお金は、既得権のように思ってしまう人が多いようです。
その後に働けるようになったり、誰からか貰ったお金はその分上乗せ生活する権利がある・・減らされるなら働いたら損・・と誤解しそうな勢いです。
大震災・津波等の被害に対する寄付金を生活保護費から控除したら大きな批判になったのですが、「働いたら損」「臨時収入は別計算にすべき・」と言う意識が今では普通・・・常識になっているのでしょうか。
失業保険受給期間中や生活保護受給者では「働いたら損」という意識がかなり広まっているのは分りますが、それでも大っぴらに主張出来る性質のものではありませんでした。
今回のマスコミによる騒動は、大っぴらな主張を許す・・権利に昇格させる契機になるのでしょうか?
一旦生活保護に転落すると這い上がる意欲がなくなってしまうと言われていますが、誤った観念・・権利意識を過剰に植え付けるマスコミ報道・人権派のアッピールが盛んだからではないでしょうか?
(誤解のないように再度書きますと、前回・2月16日に書いたように一旦制定されたら違法な不支給に対しては裁判上主張出来る「権利」であることを、ここで否定しているのではなく、権利の性質が違うということです。)

モラルハザード5(権利の2元性1)

こんな風潮がまかり通っていると、その内せっかく働いたお金を差し引かれるのは納得出来ない・ひどい役人だなどと言い出したらきりがない・・ことになりそうです。
今でも「せっかく働いても引かれてしまうのでは損だから・・」と考えている人が多いのですが、(失業保険受給期間中に働いたら損だと言う発想の人も根が同じ発想です)どこか狂っていないかと思うのは私だけでしょうか?
こうした風潮の結果、失業保険受給期間中に就職すれば奨励金のような一時金が支給されるようになっていますし、生活保護からの脱出を応援するために働いたお金全部を差し引かない運用になっているようにも思いますが、妥協策と言うべきでしょうか?
生活保護費支給は、現在では憲法25条によって認められた生存権という権利の具体化ですが、元はと言えば「可哀想そうだから人並みの生活が出来るよう・・」にと言うことから始まっているものです。
いろんな善意による恩恵・・事柄が権利に昇格する傾向の社会ですが、元々の権利・・不可譲の権利と言うと大げさですが、「貸したら返して貰う権利」、「売れば代金を貰う権利」、「働けば賃金をもらう権利」など、古代から当然存在する権利と、社会が豊かになって障害者保護や生活保護、教育を受ける権利など、元は恩恵だったものが今では権利と称されています。
検査の結果障害者が生まれて来ると分っていても、「私には子供産む権利がある・・」「子供は育つ権利がある」という意見であえて出産を強行する人が出て来ています。
特定の難病と分っていながら出産し、その子のために月何百万という治療費がかかっても母親は当然の権利だという顔で、障害者のために頑張って行きたいとテレビに出て如何にも正義実現のために戦っている闘士のような意気込みです。
権利にも太古からの権利と社会の了解・思いやりで成り立っている擬制的権利の2種類があると思いますが如何でしょうか?
擬制的権利は障害を持って生まれてしまえば仕方がない・みんなで見るしかないという思いやりから始まって、肩身の狭い思いや遠慮することのないように権利にしているだけであって、障害をもって生まれるのを知りながら権利だから・・と出産をあえて強行されると「誰が税の負担をするんだよ・・・」という気になるのではないでしょうか?
生活保護も同じで、勝敗は時の運・・長い人生一敗地にまみれることもあるし、運悪く病気して働けないこともある・・こういうときには助け合うしかないというのが、事の起こりであって、元祖・権利ではありません。
権利とは言っても、給付を受ける基準は窓口の役人のさじ加減やその役人の御陰で給付される訳ではなく、社会みんなの温情で給付を受けるようになっている・・国会で定めた法の基準で決まるのだから、役人の基準の解釈誤り・意地悪の結果、法で定めた基準以下の給付しか受けられなかったら法(あるいは憲法の精神に反しているかどうかを)に違反しているかどうかを裁判所に訴えることが出来るという意味で「権利」になっているのです。
リーデイングケースとなった有名な朝日訴訟の最高裁の判決を紹介しておきましょう。
(最大判昭和42.5.24 民集21.5.1043)
「憲法25条1項はすべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営み得るように国政を運営すべきことを国の責務として宣言したにとどまり、直接個々の国民に具体的権利を賦与したものではない」とし、国民の権利は法律(生活保護法)によって守られれば良く「何が健康で文化的な最低限度の生活であるかの認定判断は、厚生大臣の合目的的な裁量に委されて」いる。

構造変化と格差20(結果拡大社会2)

大分話題が飛んでいましたが,産業の構造変化と格差問題に戻ります。
今年の1月23日に「格差19」でしたので,今回は20になります。
国内で企業が生き残る・・従業員を守るには大量生産品の量で勝負するのではなく、品質競争で勝つしか生き残れなくなっています。
1月26日に書いたように味・うまみ等と違い部品競争力としての品質は、コストパフォーマンス上の品質が優る面が中心ですので(歩留まり率の向上・電池で言えば耐久時間の向上など)これも結局は価格競争局面で捉えるべきでしょう。
技術・品質優位性があると言っても、大量生産品よりは円高対応力が高いだけであって、一定以上の価格差になって来ると購入先は品質が多少劣っても安い方を利用することになるので、品質競争も一定以上の円高・・競争相手国との賃金格差には耐えられません。
何回も紹介していますが、2007年には1ドル120円平均でしたが最近の1ヶ月間では76〜77円です。
自動車業界が今回の円高で遂に持ちこたえられないということは、汎用品・大量生産品でちょっと水準以上という程度・・今のトヨタはその程度かな?・・では、高々度業種が稼ぎ出す貿易黒字・円高について行けなくなったということではないでしょうか?
これまで円相場と企業の盛衰を書いてきましたが、国に関しては産業革命以降の近代工業化に成功した国と成功しなかった国・・国内的には近代化に適応出来た地域と適応出来なかった地域(実際にはなだらかな分布でしょうが・・・)があったように、国民の中でもグロ−バル化に乗れた人材・・勝ち組とグローバル化について行けない負け組・・国際的格差・国内格差が大きく出て来たのが昨今の経済・社会です。
従来は40点〜50点〜60点〜70点〜80点と、能力に応じて多様な職種が用意され、会社内でも多様な職階が用意されていたので、格差が余り気にならなかったと言えます。
グローバル化までは、50〜60〜70点までの人はホワイトカラーになれて、世界企業・国内大手かあるいは中企業かは別として、そこそこ部長クラスまで出世出来る社会でした。
今では、既に就職出来た人でも世界シェアー何割を握る超優良部品企業に就職出来た人以外は、何時リストラに遭うか心配している状態でこの結果中高年男子の自殺が増えました。
中高年男性の弱さは、右肩上がりの高度成長期〜安定成長期に育ち就職時から7〜8〜10年まではバブル期でしたので、若いときに良い思いをして来た世代で、心の訓練が出来ていません。
就職後約10年間前後多くの企業は業容拡大期で、直ぐに部下が入社・配属されるなど良い思いできた後で、30代後半から40代になったころから勤務先ではリストラの連続ですから、何時自分がその対象になるかヒヤヒヤしながらの人生になってしまいました。
この境界線上にいる人材にとっては、ストレスの負荷が半端なものではありません。
日本の自殺率の高さが問題になっていますが、時代特性・・特殊技能を持たない半端な企業や人にとっては生き残りが苦しい時代・・格差社会が始まっていることを無視して政治批判ばかりしていても解決にはなりません。
この点40才代未満は、元々バブル崩壊後の就職氷河期から始まっているので、大企業に入社しても途中で追い出されることも覚悟の上・・心構えの訓練が違います。

ソフト化社会5と紛争当事者2

我々熟年層以上の弁護士にとっては従来獲得した中小企業経営者の顧客層や会社顧問等がありますが、若手がこれに参入し損ねているから苦しいとは言い切れません。
熟年弁護士層にとっても、従来の主要顧客であった中小企業経営者の依頼・・あるいは紹介事件が激減しています。
中小企業の世界も大手企業の下請け等に組み込まれていて、独立事業者とは言い切れない状態になっている結果かも知れませんが、今や創業者も言葉遣いや身のこなしや判断を含めて紳士的です。
70代以上の創業者は次世代に実権を譲りつつある世代で,その結果彼らがいろんなところに手を出して失敗しては,弁護士に相談に来る件数が今では激減しています。
次世代の後継者(40代)はの特徴は創業者と違って,継承した事業の維持発展にやっとの人が多いので,いろんなところに欲を出す傾向が少なく,ひいては紛争に巻き込まれることが少なくなっています。
50歳代弱以降の性格がソフトになったことから若年層の刑事事件は激減していますし、被疑者段階からの国選の始まりで私選弁護を頼む人は激減しました。
私撰弁護依頼件数が仮に2割であったとすれば 、100%国選になったので事件が増えたろうと言えばはそのとおりですが、国選事件が何倍に増えようともコスト的に赤字受注が前提ですから、弁護士は窮乏化するしかありません。
赤字受注が前提であることから,支援センター直属のスタッフ弁護士が配属されるようになって来たことを以前紹介したことがありますが、(彼らは国の建物や事務所経費等丸抱えで事件処理する仕組みです)全部が私撰になると弁護士は黒字受注分がないのに赤字の扶助的仕事・・経費持ち出しばかりやって行くのでは経済的に無理が出てきます。
以前は採算の取れる私撰事件で稼いだ分で赤字の国選を引き受けて来たのですが,今では刑事事件は,ほぼすべて社会奉仕として担当しているだけになりました。
(民主党元党首の小沢さんの事件やホリエモンのような事例は、滅多にありません)
統計上刑事事件総数が激減しているだけではなく、年齢別では中高年齢層の刑事事件が減っていないのが我が国の特異性ですが、これは生活水準の向上・・若者のソフト化によるものとすれば、理解可能です。
若者の犯罪が減って高齢者の犯罪が増えているのではなく、粗野に育った世代が若かった頃に一杯事件を起こしていたのですが、彼らがその性向のまま持ち上がって高齢者になったから、今度は高齢者の犯罪率が上がり、彼ら世代の犯罪比率が減らない状態です。
今の高齢者が高齢者になってから粗野になったからではありません。
その10〜20年以上年長の(大正から昭和初期生まれ)世代では、60〜70代になれば犯罪者・加害者になるほどの元気がなかったので、高齢者は被害者になる率が高く加害者になる率が低かったのです。
今の60〜70代はまだまだ元気なので70代以降になっても加害者になる・・高齢の加害者・犯罪が増えるようになりました。
昨年1年間に私が国選で担当した刑事事件では,全員70代以降(80代もいました)の被告人でした。
4〜5年前に60歳代半ばの被告人の10数件に及ぶ連続強姦事件を担当しましたが,昔(数十年前)なら考えられない年齢の事件です。
(60代になってイキナリ性犯罪を犯したのではなく,前科も同じ種類の事件で,出所後直ぐに犯したものでした)
一般刑事事件が激減中であることは大分前に統計を紹介しましたが,交通事故死に関しても激減中で,以前は年間1万人以上でしたが今では,5000人を割るところまで下がっています。
これはインフラ整備によるところも大きいでしょうが、人格的にソフトになって乱暴な運転が減ったことも大きい筈です。
この分野でも高齢者の引き起こす事故・・加害者になることが目立っていますが、上記のとおり高齢者になっても運転をやめないことと、70〜80代の人は戦中、戦後育ちで元々粗野系が多いことにもよります。

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