上皇の生活費を内廷費に加える疑問2

皇太子になると東宮御所として住む場所も違うし行楽等のお出かけ単位も別々、お付きの職員も違うのが古来からのしきたりですから、これを天皇家と同一世帯とは昔から言わなかったでしょう。
古代からそれぞれ生活費拠出者の妻の実家が違う以上は、別世帯感覚だったのではないでしょうか?
内廷費に天皇家と成人した皇太子一家あるいは天皇家と上皇家の家計を一緒にした内廷費を決めて「後は自分たちで決めて下さい」というやり方は、生活保護で言えば、親世代夫婦と子供世代夫婦が別に生活しているのに「一括支給するのであとは自分たちで分配して下さい」と言うのと似ています。
内廷費がここ20年ほど変化ないようですが、民間人同様高齢化で3世代世帯時代になっている・・このため長期にわたる高齢化世帯の生活費問題・・年金持続性が社会問題になっている・・天皇家でも高齢化による負担増は同じです。
約20年で急速に変化した高齢社会問題化が進む中で、過去20年間以上も同額据え置き・・しかも上皇一家も内廷費に組み込まれるのであれば、実質減額ではないでしょうか?
http://news.livedoor.com/article/detail/12666674/

天皇陛下の「譲位」で浮上 「皇室の予算と財産」の問題
2017年2月13日 12時0分
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山下氏は、皇室をめぐる一連のカネの問題について「戦後70 年間、状況が変わっても、法律の見直しをおこなわなかったことが一因」と語る。
皇室の未来を見据えた法の大改正が、今こそ必要なのだ。<皇室費の内訳をザックリ解説!>
【内廷費】3億2400万円
天皇・皇后両陛下、皇太子ご一家の日常費用。年間額が定められている。「’96年度より同額で、8100万円ずつ年4回支払われます。用途の3分の1は、内廷職員の人件費

一例を挙げれば、天皇家の場合、お出かけになると入場料(美術館1800円の場合)は無償でも入場料以上の身分相応のお下賜金を(相手にとっては接遇のための人件費、警備・入場規制その他莫大なコストがかかります)支出する必要があり、一般人の交際費と比較になりません。
一般人が結婚式に招待されて会費徴収がなくとも会費相当額以上のお祝い金を包むのと同じです。
上記記事は天皇家・皇室経費に対して批判的論調でこの機会に見直すべきという論旨です。しかし、この20年間・物価は上がらなかったにしても高齢化・/人生と100年時代に入りつつある現在、違った角度からの見直しが必要と思います。
一般家庭を例にイメージ的に表現すると、残されたお婆ちゃま、お爺様が息子や娘夫婦と同居して8畳間程度の隠居部屋で日向ぼっこしているイメージの生活・・ちょっとした手元小遣いがあれば足りる想定・これが国民年金支給が月額6〜7万円の制度設計でした。
ところが長寿化の進展で定年後の寿命が延びたことで、80歳前後まで夫婦揃っているのが普通になってくると定年後次世代と同居する人が少数になり親世代と次世代の生活費一体化が崩壊して、大多数では世帯が別になってきました。
そうなると一軒の家の中で隠居部屋だけ維持するのと違い、生活費が二重に必要となり収入源が国民年金しかない高齢者の貧困を引き起こすようになっています。
もともと電気ガス水道や、家の維持あるいは家賃等生活費全部を年金で賄うようになっていなかったからです。
長寿化→年金支給期間の長期化による掛け金と支給額のバランスが悪くなっています。
例えば年金支給期間を10年間平均で想定していて掛け金を設定していた場合に、長寿化により受給期間が20年間に増えると論理的には支給額を半額にしないと収支があわず大幅赤字になります・・金利動向その他の修正要素がありますが以上は単純化意見です。
長寿化や想定外低金利等により年金収支が赤字化し、国庫負担が増える一方になっている状態では毎月支給額を増やすどころではないことから、受給開始年齢の引き上げや元気な人には働いていただき生活費の補充(自助努力)をしてもらうしかない状態に陥っているのが高齢化問題でしょう。
ここで内廷費が高齢化に対応していないのではないかの疑問に戻ります。
従来の内廷費制度は高齢社会が始まりつつあってもまだ少数派時代・・壮年期の天皇夫妻と成人前の宮様の核家族と、残された皇太后お一人がひっそり過ごされる標準パターンを前提としていたように見える点です。
昭和天皇が崩御されて初めて次世代天皇が即位したことが象徴するように、天皇即位後は、皇太后の細々とした生活費だけを前提にしていました。
これがれっきとした上皇御所となると公務員だけも昨日紹介したとおり65人も必要になる規模です。
これに比例して天皇家とは別の活発な行幸啓などの私的費用負担が増えるはずです。
皇室も高齢化の波は同じで、核家族プラス数年の余命を生きながらえる皇太后の細々とした生活費負担程度(旧来の大宮御所と上皇御所の違いです)とは違い、今や、天皇一家と上皇一家という民間で一般化している2世帯住宅・2世帯の生活様式になっています。
上記引用記事によれば内廷費の
「用途の3分の1は、内廷職員の人件費」
というのですからなおさら上皇御所となると大変です。
内廷費によって生活する消費単位(上皇になってもその生活費が内廷費に含まれるとなれば)が、(昔のように核家族プラスおばあさんが日向ぼっこしているだけの時代と違い)2倍近くなっている点を考慮すると20年以上前のまま、内廷費が同額据え置きのままでは実質大幅減額になっているのではないか?という視点での感想で書いてきました。
そのような視点での議論をした上で、もともと内廷費が高額すぎたという結論があるならば別ですが、そういう議論がないまま同額据え置きはおかしくないか?という疑問です。

上皇の生活費を内廷費で賄う疑問1

当時藤原氏も天皇家の権力利用のメリットがあったので中宮を送り込む代わりに経済支援する蜜月関係が続いたのです。
藤原氏が衰微しても、いつの時代にも次の権力者・・経済力のある勢力が勃興するのですが、平安末期以降天皇家の外戚になるメリットが次第に薄れていき、次々と現れる実力者たちは、
外戚にならない→女御〜中宮実家による財政支援がなくなっていた完成期が、戦国時代末期の姿であったことになります。
秀忠が外戚になることを一時考えたのですが、後水尾天皇との確執でこれがご破算になり、家光の時に完全に天皇家無視の政策が確立してしまうのです。
今の大手企業オーナーにとっては外戚になるメリットが何もないのに、政治攻撃の対象になるデメリットの方が大きいので、現在の財界成功者で莫大な資金を垂れ流してまで外戚になりたい人は皆無になっていると言えるでしょう。
政財界実力者が外戚になりたく思わなくなった時代=天皇に政治権力がなくなったこと・象徴機能しかなくなる方向へ進み始め、完全消滅したのが戦国末期と言えるでしょうか?
禁中並公家諸法度で・・天皇の政治権力を公式に否定され、行事主催・象徴機能だけ認められて以降、外戚になりたい新興勢力が公式にもいなくなったことになります。
この完成期になっている現在・皇太子妃や皇后実家の経済力に頼るのは無理になっています。
それにもかかわらず、こういう時代遅れの習慣・結局は権力のないところに資金が寄り付くはずがないという冷厳な事実を無視しても意味がない・天皇家の井蛙kyかウヒ亜hかいのはてんそがしるdけすs、妻の実家による非合理な支えによるのではなく、堂々たる国家予算で賄うべき時代が来ています。
現在の皇室予算は、天皇とその子供世代の一体設計になっているようですが、生前退位すれば上皇一家と天皇一家とは別の経済体になるとすれば、戦後民間で一般化している2世代型家族関係・核家族化の外形がついに皇室に及んだ?という点で合理的変化です。
そこで生前退位によって皇室予算の仕組みが(まだ予算案ですが・・)どうなったかを見ると
「天皇の退位等に関する特例法」を見てもその辺の変化を書いていません。
昨日紹介した皇室関係次年度予算に関する宮内庁のネットで見ても、皇族費や内廷費がほぼ従前通りで上皇になったときの内廷費や皇族費が(ほぼ前年度予算通りで変化なく)どう変わるかが見当たりません。
内廷費の中で天皇一家と上皇の生活費は別に予算計上すべき・・核家族ではない上皇の生活は、内廷とは思えませんし、一般宮家よりも格式が高いので特別項目化するのが合理的ではないでしょうか?
簡単化すれば、現行内廷費と皇族費の2分類から上皇費を加えた3分類にすべきではないかの私見です。
5〜60台で死亡していく時代から人生100年時代になってくると、親子といっても幼児期の親子のようにいつまでも一体化した未分化集団ではなくなって行きます。
5〜60台の夫婦子供の家庭と8〜90台の老夫婦家庭とは、経済の一体性(価値観も変化している)がなくなっているのが普通・原則でしょう。
皇室も高齢化している点は変わりがない以上、2世代分の独立の皇室予算が必要だったのにその改革を長年怠っていた・今回改革のチャンスだったことがはっきりしたと思われますが、せっかくの機会を活かさずに今回は手付かずで終わったようです。
今国会提出の次年度予算案で、皇室費の分類が変わったかの検討です。
http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/kunaicho/pdf/yosangaiyo-h31.pdf
平成30年12月  宮 内 庁
平成31年度歳出予算 政府案の概要について

上記によれば、従来通りの区分け・内廷費と皇族費のほか宮廷費の3分類があるだけです。
しかもお手元金に関する内廷費は前年同様で皇族費が何故か減っています。
これでは天皇が退位して上皇になるとお金の面から何が変わるのかサッパリ不明です。
https://mainichi.jp/articles/20180307/k00/00m/010/054000c

毎日新聞2018年3月6日 18時58分
政府は6日、天皇陛下が退位される際に「退位の礼」を行うとする政令を閣議決定した。天皇、皇后両陛下が退位後に上皇と上皇后に就いた後の関連規定も整理した。
法的には皇室は、「天皇」とそれ以外の「皇族」に区分されてきたが、明治以降で初めてとなる上皇は、基本的に天皇と同等と位置付けた。
・・・上皇、上皇后は、天皇家と生計を同じくする「内廷皇族」とし、生活費は内廷費(年3億2400万円)から…

上記解説によると、上皇になっても内廷費総額を変えない.・・結局従来どおり内廷費にごっちゃにしたままにするようです。
従前の東宮御所の生活費を上皇御所生活費に入れ替えれば簡単という考えのようです。
次年度予算案が昨年と全く変わっていない所以です。
ただ旧式の家督(古くは「氏の長者」)観念で言えば、現天皇が隠居した以降は、家督権者による内廷費分配権は、(家督を継いだ)次期天皇に移ると見るべきでしょうか?
内廷費の分配は家庭内のことだから法が関与しないという政府の考えとすれば、それはそれでいいのですが、それは同一世帯・核家族を前提にした考え方であって、親世代と子世代が別居していれば一つの世帯と言わない・世帯が違えば家計主体も別というのが現在普通の考えではないでしょうか?

生活保護受給者増と窓口強化(感謝の心4)

生活保護受給者増加論に戻ります。
これまで書いて来たように日本経済が悪化している結果、庶民が困っている→生活保護受給者が増えていると言う主張(があるとすれば)に根拠がないことが明らかです。
戦後の混乱期よりも,生活保護受給者が仮に増えているとした場合、日本の生活水準が当時よりも落ちていると考える人は、一人もいないでしょう。
医療機関受診者が多い・・病院での診察待ちが多いからと言って、戦後直後よりも今の方が、大勢病気に苦しんでいる大変な時代だと言う人もいないでしょう。
若い女性が男性よりも健康不安をアンケーとで答える人が多いとしても男性よりも実際には長生きしているし・・、相対的な意識変化の問題です。
洋服が多く売れるから着るものなくて、衣類不足に困っている人が多いとは言えませんし、人気飲食店で列をなしていると飢えに苦しんでいる人が多いことにはなりません。
クルマが昔、年間10万台しか売れず、今、年間400万台売れている場合、昔の方がクルマが行き渡っていたので10万台しか売れなかった・今はクルマを持っている人が少ないから多く売れると言う人がはいません。
生活保護請求者が増えたのは生活が以前より苦しくなったのではなく、遠慮する人が減って権利意識が高まった結果と言うべきでしょう。
生活保護受給が恥ずかしい意識より、権利意識の方が強くなって来て、生活保護請求する人が増えて来るとこれに便乗申請する人も増えて来ます。
大阪では、入国した直後の中国人が大挙生活保護申請した件では、ネットで大騒ぎになった結果、大方が取り下げたと報道されています。
便乗行為・・これを専門に申請援助する商売が増えて来ると、申請があれば自動的に認めるようなやり方を改めて、働く気があるのか援助者がいないのかなど濫用にわたらないかの状況審査を厳しくする窓口規制強化自体を批判するのはおかしいことです。
いろんな取締法規制定の場合、制定後10年程度社会認知を受け定着するまでは、法執行を緩やかにして処罰規定があっても取締をせず処罰しない運用が普通です。
そう言うことを法に書いていないのですが、殆どの法規制はそう言う暗黙の決まり事として運用しています。
極端なことを言えば、法律施行の翌日に違反があるとイキナリ逮捕するようなことはしません。
せいぜい、基準が変わったので今後気を付けて下さいと言う注意程度で終わりでしょう。
消費税導入時も何年間か柔軟対応すると言う申し合わせか国会の付帯決議ががあったように思いますし、帳簿処理能力の低い年間売上高何千万以下の小規模事業者に対しては、別枠の基準を作っていました。
生活保護基準・運用に関してもトキの政治動向に・・世論の動きに応じて法の基準はリアルタイムに変更出来ませんので・・大災害があると緩めに運用したり法改正までの間、運用基準に差が出るのは当然です。
リアルタイムでの法改正は不可能ですから、日々〜半年単位で世論動向に従って柔軟対応するのは、民意に従う民主主義国家として却って健全な行為です。
窓口対応が国民意思動向に反している場合は民主主義精神違反ですが、国民動向そのままの場合には、国会決議がないと言う形式違反であって真の意味の国民主権・意思に反していることにはなりません。
緊急事態で上司の決裁を得る暇がなくて部下が専決した場合、あとで上司から、「良くやってくれた」とほめられるか、間違っていると叱られるかの違いに似ています。
刑事件の場合、処罰の必要性が分って国会上程中でも、まだ処罰法が出来ないうちに先取りして処罰するのは罪刑法定主義に反して違反ですが、民事ではそうとは限りません。
この窓口運用基準のサジ加減が濫用事例の増加により、従来基準より厳しくなったことが法(または内規)の範囲内の修正変化か、法基準を逸脱しているかどうかは、最終的に裁判で決着することになります。
権利と恩恵のテーマに戻ると、国会通過・法(個人企業であれば経営者が許可した場合)になれば、その受給は権利であることは法形式的にはそのとおりですが、権利の始まりが、みんなの好意・善意で決めた技術的な概念に過ぎないと言うことを無視出来ません。
あまり権利、権利と言い募り、周辺事例の請求が増えると税負担する方がイヤになって、世論動向がもう少し制限すべきと言う方向になります。
保険のばあい、相互扶助の精神で成り立っていますから、怪我や病気で働けずしかも医療費がかかる可哀相な場合、健康な人の持ち寄った保険金で低廉な価格で医療サービスを受けられるに過ぎません。
言わば・・保険や社会保障制度は助け合い精神で維持出来ているのですから、不当に制度利用するようなこと(乱診乱療)が続いた場合、保険制度の信頼が崩れます。
そう言う意味では本来の権利とは違った脆弱なものですから、感謝の気持ちがなく一方的権利主張が増えて来ると、「そうだ!難民しよう」と言うような批判的意見も増えて行きます。
ドイツ等で難民が過大な「権利」主張を始めると、元々の国民の反発が広がり始めたのは当然です。
日本では、自分を弱者と言う範疇に入れると無茶な主張しても良いかのような風潮・・言葉狩りに始まって・最近強まってきました。
行き過ぎた要求に対する批判をすると、人道に反すると言って報道界で袋だたきに遭う・・非人間扱いされて抹殺されてしまう・・言論封殺が続いてきました。
日本だけではないのかな?マスコミ・文化人?の行き過ぎたキャンペイン→言論封殺に対する反動が世界中で始まっています。
在日朝鮮人に対する行き過ぎた優遇批判が活発になったのも、(行き過ぎた優遇かどうかは知りませんが・・聖域にせずに議論の対象にすることは、民主国家においては良いことです)その流れの一環と言えます。
西欧で発達した難民に対する対応も、人道主義かどうかと言う観念よりは現実に即した冷静な議論が出来るようになるでしょう。

日本の経済状態が悪いのか?(生活保護増加)

社会保障と言うものは、本質的にみんなの助け合い精神・・国民合意によって成立しているものであって、何でも「憲法に書いてある」「法律に家族の資力要件を書いていない」今の制度がこうだと濫用するようになると国民は納得出来ません。
遡っての議論・・子供や兄妹はどの程度まで親・兄妹の面倒を見るべきか・・逆から言えば年収に応じて月何万まで出せばそれ以上は他人のお金(税金)で面倒見るベキと言うような議論こそ(不正受給や在日けしからん論では、解決にならないでしょう)が必要です。
受給支援運動が激しくなると、これに比例して国民不信を前提の制度に変更するしかない・・申し込んで来る以上は余程苦しいのだろうと言う性善説・・国民の自主判断に任せられなくなります。
「法が要求していない質問するな、調査するな」子供に資力あっても「拒否するな」と言う運動が進むと・・性悪説による厳しい検査制度を法で整備する必要が出て来ます。
国民世論が子供の資力に関係ない「一旦支払っても求償する必要がない」と言うならば必要がありませんが・・そのためにも国民世論に従った国会審議・・法改正手続が必要です。
生活保護受給権擁護運動がイキナリ高まって来た政治背景・・特定政治勢力の意図とどう言う関係があるのかを含めて私には全く分っていません。
門外漢の私にとっては生活保護援助運動がイキナリ出て来たかのように見えますが、・・それなりの背景・準備があって出て来たのでしょう。
日弁連や単位会で生活保護援助・・援助システムがいつの間にか動き出しているのですが、これの仕掛人がどこの誰か分りませんが、かなり前から準備して来た結果でしょう。
関係者は生活に困っている人が増えて来たから、人権擁護を職責とする弁護士会が救済しているだけだと言うのかも知れません。
マスコミが宣伝・誘導するように、本当に日本の国民生活の窮乏化・・生活水準下落が起きているのか疑問です。
安倍政権前の過去20年間を「失われた20年」とマスコミによって宣伝されていますが、この間の技術革新等によって実質生活水準が感覚的に約2倍に上がっていることをこのコラムで繰り返し書いてきました。
私の感覚でしかないので本当のところは分りませんが、従来経済危機が起きると「有事のドル買い」と言ってドルが上がって日本円が下がったのですが、この20年ほどの間にこの基準が変わっています。
リーマンショック直後の円高や今年の年初来の新興国や中国危機による経済大変動に際しても、「危機時の対ドル円高」と言う国際的認知・市場の動きです。
特に今回はアメリカの利上げによってドル高になったことが、人民元暴落含み=経済破綻が現実化して来たことが世界経済波乱原因になっているのですが、対ドルでは、アメリカの金利上げに対しても日本円だけが下がらずに上がっています。
アメリカはリーマンショックの傷が癒えたとして、金利引き上げ時期を狙っていましたが、引き上げると弱小国(とりわけ中国)の経済が持たない・・・判断から、1回延期しました。
言わば経済強国の金利政策が、世界経済をストレートに支配出来る構図を前提にしています。
金利は、お金を貸したり預ける相手の信用力で微妙に上下するものですから、信用のないモノ(組織)はより信用力のある人よりも高い金利でないと貸して貰えませんし投資もしてくれません。
国の信用力によって格付けと言うか必要な金利があるので、金利の高い順に信用のない国と言うピラミッド型の順位が出来上がっています。
これを人為的にある国の中央銀行が金利を上げ下げすると、実際の順位と合わなくなるのでこの実態に合わせるために国際的資金移動が始まります。
100カ国中の80番の順位の国が金利を上げ下げしてもその前後の順位国しか影響がありませんが、世界トップ(実は2位)のアメリカが上げると3位以下の国にとっては大変です。
それまでのアメリカとの金利差が1〜2%高で均衡を維持していた国にとって0、98%差になると資金流出が始ります。
これがイヤなら自分も金利を上げれば良いのですが、そうすると国内景気が持たなくなるリスクです。
ブラジルは大分前から不景気のために金利を上げるに上げられずに、ずるずると通貨が下がって(最近まで3割も下がったと言われています)参っていますし、弱小国とは(国土面積や人口のことではなく)こう言うジレンマのある国のことです。
運転資金に窮した企業が高利貸しに手を出すと余計苦しくなってつぶれるしかないのですが、弱小国はこうして高金利に追い込まれることになります。

生活保護受給者増2(感謝する心3)

本来受給出来る人・権利要求を控えていた人の権利主張(これは正しいことですが・・)が急増すると、これにつられて境界付近の人まで要求するようになります。
どんな分野でも裾野になれば、該当人口が何倍にもなりますから、受給者が急増して、財源が足りなくなります。
企業の有給休暇・育児休暇制度も創設当初はみんなが要求しない前提で法制度が成り立っている・・もしも100%取得する前提ならば、有給休暇・育児休暇制度も期間を半分クライから始めないと企業がやって行けなかったでしょう。
もしも全員に強制的に休ませる・100%取得前提ならば、企業の抵抗が強くて国会を通過しなかったでしょうが、どうせみんな要求しない・・よほど必要な人だけしか遠慮して請求しない・・当面2〜3割程度しか消化しないだろうと言う(その代わり翌年持ち越し制度が整備されています)擦り合わせで国会を通過したと思われます。
育児休暇その他新たに権利を認める新制度は、そう言う見込みで徐々に取得率を上げて行く・・企業も適応力をつける仕組みで成り立っています。
法律には小さく生んで大きく育てる方針を書いていませんので,条文に書いている「権利」だからと言うことでイキナリ利用拡大運動に火がつくと、殆どの企業で人員やりくりが出来なくなって大変なことになるでしょう。
保育園の待機児童が問題になっているのも、女性の労働力化政策=保育園利用誘導政策が予想外に進んだ結果です。
いろんな法制度の内、処罰を含む規制法は処罰があるのでこのようなファジーな制度には出来ませんので、施行後2〜3年まではこの規制、何年からこの規制と段階的規制値を書きますが、権利要求制度は、権利要求しないのは各人の勝手で処罰がない・・・該当国民がいきなり100%要求しないことを前提にしている制度があります。
予想外に要求者が急増すると企業経営が成り立たないし、社会保障制度は予算が追いつきません。
そこで昨日書いたように、予算増額が間に合わない・・国民理解が得らないときには、保障率を下げるしかなくなります。
給与を一旦引き上げると経営が苦しくなっても簡単に引き下げることが出来ない・・下方硬直性があるのと同様で、保護基準を引き下げるのは抵抗があって困難なので認定調査を厳しくする方向になって来たように見えますが、これが窓際作戦と言うものでこれがまた人権団体から批判されています。
国会(もしかして授権されている政省令がある場合それを含めて)で基準引き下げの改正がされるまでは、その間は権利ですから、・・窓口規制強化はおかしいと言うことで、この何年か前から生活保護受給権の権利主張をさせる弁護士活動が活発になっています。
窓口規制強化とは、不正受給防止策強化のことですが、これが行き過ぎて本来受給資格のある人まで受けられないようになるのでは確かに問題です。
兄妹子供の収入が調査されるかの質問があって、そんなことには調査権がないので応じる義務がないなどのアドバイスがネット上で多いようです。
形式論理で行けばそうかも知れませんが、こういう質問回答ばかりがネットで盛んになっている現状・・はびこって来ると税負担する国民が納得出来ないでしょう。
いくら息子が金持ちでも実際に食べさせてくれない以上は、その親の面倒を政府が見るしかありませんが、その代わり政府が一定収入を条件に息子に対して法定支給分の求償をする制度設計にすべきです。

生活保護法
(昭和二十五年五月四日法律第百四十四号)

(保護の補足性)
第四条  保護は、生活に困窮する者が、その利用し得る資産、能力その他あらゆるものを、その最低限度の生活の維持のために活用することを要件として行われる。
2  民法 (明治二十九年法律第八十九号)に定める扶養義務者の扶養及び他の法律に定める扶助は、すべてこの法律による保護に優先して行われるものとする。
3  前二項の規定は、急迫した事由がある場合に、必要な保護を行うことを妨げるものではない。

設計当初は、息子がいるのに生活保護請求するのは、恥ずかしいと言う人を前提に設計されていた・・恥を忍んで申し込んで来る以上、余程困っているのだろうと言う前提で息子の所得調査する必要がなかったので、自主申告で良かったでしょうし、役所から子供に連絡が行けば余程困っていない限り親の生活保護を「お願いします」とは言わなかったでしょう。
今になると息子の所在調査すること自体に、「どう言う権利で調査したのだ」プライバシー侵害主張から始まり、「私に払えと強制出来るのですか?」と逆質問して来る始末から、福祉事務所も困っています。

大手企業役員の息子がいても生活保護請求する時代か来れば、子供らの所得証明を提出させるか調査権を付与(法律改正)すべきだと言う世論になって来るでしょう。
今の制度では息子らの所得証明を要求しないのは国民意思が息子の生活水準を問題にしないと言う意味ではなく、資力のある子供いる人が請求することを予定していなかっただけです。
実際に高市早苗氏が問題にしたお笑い芸人(年収5000万だったか?)に対して批判が殺到したのを見ても、国民意思がどこにあるか・・法が家族の無資力を明記していないとしても、こう言う場合の請求は濫用だと国民が思っていることが明らかです。
今の生活保護権利要求援助運動は、真に困っている人が、自粛すべきではない」と言う域に限定している限度で正しい運動ですが、これを超えて来ると、国民意思に反した、単なる法網をくぐる運動の評価を受けるようになります。
権利要求応援活動が激しくなるに連れて、在日の生活保護受給率の高さなどを批判する上記高市早苗氏の批判のようなカウンター勢力が成長して行きます。
不満のはけ口としてどうして良いか分らないためか、在日特権批判や滅多にない不正受給を探し出して批判するカウンター勢力の方式は、実は有効ではありません・・。
制度矛盾に目を向ける起爆剤の役割にはなりましたが・・。
不満の根源は自分が平均以上の生活しながら親兄弟の面倒を他人(税金)費用を出させようとする図々しい点にあるのですから、これまで自制(子供らが親を見る気がありませんと言えば、それで良いのか)に委ねていた周辺関係者の資力要件を乗せるかどうか国民的議論の俎上に載せて正面から議論すべきです。
この本質を論じないで、弱い者イジメのように一握りの在日の不正をあげつらっても解決になりません。

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