IT化と生き甲斐3(伊勢物語)

ただし昨日書いたことは、観念的区分けができる前提の喩え話であって、生きることに直接関与する人は今も少ないでしょうが、間接関与の程度が限りなく複雑で遠くなって行くので、実は一方の分類では消費に入ることでも、生きるための営みとも言えることが多いと思われます。
大きく分ければレストランの調理は(農作物育てる過程とそれを自宅に持ちかえって食べる過程に分ければ)生産活動と言うより消費活動の一環ですが、レストランが飲食物を提供するのは自分が食べるためではなく、人のためになっています。
このように何が消費で何が生産的かの分類(分類の目的によって違うべきでしょう)が難しいですが、お金になる行為はそれなりに他人のためになっていることの証と言えるでしょう。
お金になるということは、それだけの価値を生み出しているから払うのですから、この分を国内総生産にカウントするのが現在の仕組みです。
300〜400〜500円と多くの人手を介して順次仕入れたものを最後に600円で売れば、商品の移動の都度100円の増値行為があった・それを消費するので各100円の増値税・・我が国では消費税を支払う仕組み・・最終消費者が600円に対する消費税を払いますが、500円で仕入れた商人が仕入れ時に500円に対する消費税を支払い済みですので自己負担は100円に対する負担だけになります。
このように家庭内の無償行為を全部外部行為に切り替えれば有償行為になる・・人のためになっていることが可視化されますが、人間の生きがいとしては同じです。
女性は直接的な生産活動に関与する時間と家庭内無償行為に分断されていた分、一見生産関与率が低いとされてきただけでその気になれば 殆どが有償行為 に分類されます。
女性が家庭内の無償行為の大部分をこなしていることから考えると、IT~AI化時代が進行して、生産直結行為が減る一方で外見的には大多数の人の行為が消費活動しかないような時代がきても、女性の方が自己実現力が高い・・適応力が強そうです。
家庭内の炊事洗濯掃除など目に見えるものは男性も分担可能ですが、感情を共有し愛情を注ぐ行為になると男性は(例外はありますが大方の場合)遠く及ばないように見えます。
愛情を注ぐのって、生産行為か消費行為か分かりませんが、風俗系でお金を取る場合だけが生産行為ではなくお母さんの愛情の価値(無税ですが・・)は千金に値するでしょう。
母親でなくとも保育園での保育士が幼児に対して愛情を注ぐ必要性も同じです。
病院での看護師さんも同じで、手際よく処置する器用さだけではなく患者の痛みに対する共感力も重要です。
「春宵一刻値千金」とも言いますが、「春宵を愛でる気持ち」があるか否かで春宵の価値が違ってきます。
今後愛情・感性の価値が(相場?)上がりそうですが、逆に終身独身者が増えて行くと、無償の愛を感じるチャンスが減りますが、このギャップをどうするかでしょう。
ロボット〜AI化がいくら進んでも本物に代え難いものとして最後まで残るのは愛情でしょうから、今後女性の得意とする分野の価値が上がる一方です。
男性は子供に対する母親の愛情のおこぼれをもらって家庭内に居場所をようやく確保している印象になって行きます。
愛情の需要が増えているのに供給が少ない現状〜将来不安があるからペット代用ロボットへの期待が高まっているのではないでしょうか。
生きるための仕事をしなくとも食える人が増える・・何もしなくとも行きていける社会になった場合の生きがい喪失に戻ります。
この点に関して古くから人口に膾炙しているところでは、伊勢物語のこのくだりでしょうか?
https://blog.goo.ne.jp/87108/e/d2d2676421899b4c5ad9f53d72d42004

伊勢物語(九)「身をえうなきものに思ひなして」

彼は皇族から臣籍にくだった2代目だったかな?、立身の限界を感じて東に下ったという筋書きです。
在原業平に関するウイキペデイアの記事です。

父は平城天皇の第一皇子・阿保親王、母は桓武天皇の皇女・伊都内親王で、業平は父方をたどれば平城天皇の孫・桓武天皇の曾孫であり、母方をたどれば桓武天皇の孫にあたる。血筋からすれば非常に高貴な身分だが、薬子の変により皇統が嵯峨天皇の子孫へ移っていたこともあり、天長3年(826年)に父・阿保親王の上表によって臣籍降下し、兄・行平らと共に在原朝臣姓を名乗る。

現在では財閥の御曹司は使いきれない巨額資産を受け継ぐので、生活費を稼ぐ喜びがない・創業者の真似をしても多くの場合かなわないし、後継者役割限定では何をして良いのかわからない・うっかり余計なことも言えない一生飼い殺しされる状態です。
そこで生きがいを見つけるには別世界・・F1レーサーとか、テニス・スポーツ界に出るとか、芸術に没頭するかヤケになるしかない大変な人生です。
ホンダ創業者の息子やソニー盛田氏の息子など多くは気の毒な結果になっているのが知られていますが、失敗で有名にならない人でも多くは苦労な人生を送っている筈です。
幕府大老の家柄から飛び出した酒井抱一は、別世界での大成功者というべきでしょうが、こんな恵まれた才能のある人は万に一つもないことです。
社会の急激な変化にうまく適応して成功を謳歌しているグループと置き去りされたグループとの二極分化は弁護士会にも及んできました。
創業に成功したものの絶えざる競争に晒されて息つく暇もない経営者や、リストラや定年後の喪失感に苦しむホワイトカラーにとって、三十年ほど前には自分の子供らの進路としておすすめ職業のように見えたことでしょう。
ところが、弁護士業界が夢のように恵まれた時期があったのは、資格審査の厳格性による厳しい参入障壁があった歴史的偶然性によっていたに過ぎませんでした。
参入障壁が大幅に緩和されると社会全般に生じている格差が弁護士業界に遅れて押し寄せてきたようです。
皇族の係累に属し恵まれた立場の在原業平でさえ政争の渦に巻き込まれるなど安定したものでなかったように競争・淘汰のない安定業種は昔からありません。

IT化と生甲斐2

失業率の変化は短期の景気変動や政策の巧拙による面があるとしても、長期的トレンド・産業構造高度化についていけない人が不景気時に真っ先に失業者になっていくとすれば、金銭給付で終始せずに不適合解消のための職業訓練が必要となります。
現在では多様な職種で機械化が進む・・・日常的に目にする道路関連工事では重機利用が一般的です。
水道工事あるいはケーブル敷設関連ではパソコン画面を見ながらの作業が増えています。
各種機械やパソコン等の操作能力がない人夫は重機などの周辺での破片類のかき集め程度の下働きしか無くなるので不景気になると真っ先に整理されます。
大学校という映画を見た例を書いたことがありますが、ボイラー関連の管理技術を学ぶ場面が出てきましたが、その当時でも大規模ビル地下の(スチーム暖房用の)ボイラー室はレトロ的で新築ビルではなくなりつつあったものです。
数十年前までは職業訓練校といっても重機操作などすでに普及している資格取得訓練・・溶接工や玉掛け資格あるいは自動車修理工資格など人並みの仕事をできるようにする・底上げ訓練による再就職支援が普通に行われていました。
そのような訓練してもその種の有資格者が街に溢れているので、現場では誰でも持っている程度の資格中心ですから、採用面接の最低資格をクリアーできる(車の運転免許がある)程度でした。
「人並みの資格くらい持ってくださいよ!」と訓練しても、その種の有資格者が街に溢れているので、採用面接の最低資格をクリアーできる(車の運転免許がある)程度でした。
この辺の意見はホームレス対策でアメリカでやっているボランテイアによる英語すら話せない人に対する英語教育やサービス業に就くための最低マナーなどの教育に関して、2019-2-28「ホームレス排出の基礎2」に少し書いたことがあります。
英語をたどたどしく話せれば就職できるか?と言うとそういうものではないでしょう。
働いていたところで肩叩きの対象になる率を減らせる程度の効果しかありません。
ある交通事故による休業損害の例ですが、一級建築士でさえも失業期間中CAD利用設計作業の職業訓練を受けていました。
ただし彼はCADを使えないのではなく、私が見よう見まねでパソコンをいじっているのと同様に一級建築士になってからCADが出てきたので、新技術を自己流で使いこなしていたのをこの機会にしっかり勉強しようとしたらしいのです。
このように専門職でも絶えざる発展を続ける新技術を習得する必要・先を行くためでなく、人並みの能力維持・振り落とされないために迫られてきたのが、過去数十年の実態です。
職安制度・個々の努力または、個人に対する再教育で時代遅れにならないように追いかければいいという発想では今後うまくいかないように思われます。
これまでの技術革新による省力化投資は、コスト低下→サービス等末端価格低下によってその分需要が増える(生活水準向上)結果、生産拡大して労働需要が増えたのでみんな幸福でした。
IT化の場合、便利になり需要が増える分労働者の需要が増える関係にならないように見える点が本質的相違ではないでしょうか?
IT化時代には新技術によりコストが下がる→消費拡大以上に生産効率が上がるので、生産やサービス供給に関与できる数は激減して行く・・多くの人が消費する役割しかない点が大きな問題です。
自動運転化の進行によって将来的にはタクシーやトラック運転手不要時代が来る?無人コンビニが増える・・キャッシュレス化などでレジ担当者の大幅削減など各分野で末端労働が激減して行きそうです。
IT化進行は、現場労働者を再教育しても労働需要が増えないとすれば、底上げ的職業教育訓練では解決できません。
重機その他各種オペレータ・車運転技術取得〜パソコンの習熟は、生産に関与するものでしたが、最近では消費能力が上がる程度・・極端な例がゲームやパチンコ、ドライブを楽しめる程度でスマホを操れても仕事に役立つ場面がほとんどありません。
重機操作でさえ、重機を作る方から見ればユーザーであって消費の1場面です。
職安の訓練は出来上がった機械の操作習熟が基本ですから、賢い消費者になる程度(ゲームを楽しむのとの違いは?)の訓練でしかありません。
重機やロボット製造現場のオートメ化、ロボット化が進むと、関与する労働者の数は減る一方です。
そこで働くわずかな人もオートメ化された機械やロボット操作要員でしかない・・製造された機械やロボットの消費プロセスの1員です。
IT〜AI革命で本来の製造に関与できる人材はソフト作成能力者だけになると、端末操作能力アップ程度の再教育では(コンビニやスーパーのキャッシュレス化に伴いワンフロアーに1名程度必要な操作説明要員になる程度の再教育をしても)レジ要員は激減を防げないし、説明要員は末端労働から抜け出せません。
スマホ等の利用技術に習熟すれば、手軽に音楽等を楽しむ操作に戸惑うようなことがなくなる・・提供サービスの顧客・賢い消費者になれても端末機製造に必要な雇用対象になる労働者数が限られています。
IT化による雇用減の問題は、病気あるいは景気変動による失業した例外的弱者を対象にするのではなく、仕事がなくなっても消費だけできる社会・・大多数にとって仕事に関与できなくとも幸福感を持てる生き方に転換していくことが可能かの研究が必要です。
自己実現とは何かです。
大雑把に言えば、労働従事時間と生きるための食事や睡眠をとる時間がほぼ全てだった時代から生産効率化によって徐々に食事を楽しみ(寒さを防ぐだけの衣類から)色柄等を楽しむゆとり〜文化を楽しむまで広がってきたのが人類進歩?の過程・・生きるために取られる時間短縮の過程と言えます。
生命誕生以来、生きるための活動に従事できることが、安心感をもたらしていたように思われます。
直接間接を問わず生きるための活動に従事できることが生命保持の本能に合致していたのに、生きるための労働従事時間短縮が極度に進み99%消費だけの時間になるとすればどうなるでしょうか?
・・しかも1%の労働を平均的に分担するのではなく、5〜6%の人が独占してしまうとすれば、何万年以上の生活習慣が断ち切られるので、不安に襲われるようになるのでしょう。
働く必要がないので働く能力が衰えることを心配する必要がないと言えばそうですが、心がついていけません。
今では仕事しないで生きていく贅沢な悩みは庶民にとって新しいテーマですが、古くは王侯貴族の子弟・・今の財閥の御曹司などはどうやって生きて良いか、身の振り方に迷ってきた歴史です。

不満社会7(IT化と生き甲斐)

明治維新では産業構造の変化で三菱等新興財閥勃興等の成功者が知られていますが、これを支える中間層の需要が広がったので、社会全体では幸福感を感じた人の方が多かったでしょう。
学校教育では劣悪な労働環境(女工哀史など)が教えられ、その結果工場労働法ができたと教えられますが、(その通りでしょうが)元々の貧民層・小作関係や下男下女等最末端では朝目が覚めたときから働いていた人たちにとっては決まった時間だけ働けばいいし、主人の顔色を窺う必要もない工場労働は天国だったかもしれません。
私は池袋で底辺的職種に揉まれて青少年時代を過ごしたのですが、当時の雰囲気では大手工場等に勤める人たちは高嶺の花的存在でした。
個人商店は夜遅くまで開き、朝9時始まりの勤め人などは羨ましいばかり、週休などもありませんでした。
この点は中国の農民工が低賃金など問題にしないで続々と深セン特区の大規模工場に吸い込まれて行ったのと同じです。
明治維新の近代化では中間層の拡大を伴ったので社会全体では幸せを感じる人の方が多かった・元士族でも一定の能力のある人は新政府や、各県政府の役人にそのまま横滑りしていましたので、役立たずの不平士族の方が少なかったので不平氏族の反乱は(薩摩を除けば?)それぞれの地元でもそれほどの支持を受けませんでした。
(明治初期司法制度の歴史のコラムで、いまのように司法試験制度もなかったので、廃藩置県当時各藩の家老や奉行等の経験者が地方判事の給源になっていたことを紹介しました)
今回のIT革命では人口の多くを占める中間層不要化トレンド・・近代産業革命以降増加した職場の縮小・・揺り戻しですから、安定していた生活基盤を切り崩される中間層は膨大で不平層の方が多くなっているのが特徴です。
今後IT時代だと分かっていても消費場面ではスマホの操作能力などで適応できても、生産参加に適応できるほどの人材は少ないのが明らかです。
そもそもIT化が進めば進むほど中間管理職や労働者が不要になるシステムですから、IT開発に関与できる人の数は極小数になる・・それ以外はいらない社会になればほとんどの人は不幸になっていくしかないように見えます。
この流れを防げないとすれば、何に対して幸福感を持てるか不幸とは何かの問題になります。
仕事はさせられるのではなく「仕事すること自体が幸せ」というのが我が国の国民性でしたので、高齢化しても元気である限り何か「仕事」をする・周りに役立ちたい気風が今も続いています。
メデイアは高齢化→現役の負担増ばかり強調して世代間対立を煽っていますが、国民多くの関心は社会に貢献できていない・幸福感喪失をどうやって穴埋めしていくかに関心を持ってきました。
高齢になっても健康な人は何か仕事を見つけて(朝の小学生登校時見守り活動や草刈り等のボランテイアなど)働けば(町内会活動でもいい・・お金の問題でない人が多い)社会が豊かになりその人も幸せではないかという気風です。
「働く」という言葉自体が、お金目的の「労働」ではなくお祭りの準備でも家の周りの掃除でも、何かの役に立てれば幸せという意識を示しています。
西欧的価値観・労働=搾取という発想では、GDPがどうなるか?保険料を如何に負担させるかという方向の論議しか生まれないでしょうが、西欧的教養のない?庶民はもっと高次元で「お金よりは生きがい」を基準に考えていることがわかります。
私の場合で言えば、だいぶ前から収入面での期待感はゼロまたはマイナスですが、高齢化が進むのに比例して・・趣味のためにお金を使うのと同じような感覚で・・事務所経費負担マイナスに耐えられる限度で生き甲斐のために現役弁護士をやっている面が強くなっています。
このコラムは約20年続いていますが、はじめっから収入に100%関係しない意見ばかり書いていますので、コスト的には100%マイナスでしたが、何か自己表現したいからかな?書いているだけです。
これまでのメデイアの議論・関心は、年金赤字解消策・GDP低下に対する処方箋・70歳まで働かせることができないか?という関心が中心議論であったように見えます。
高齢化問題は、高齢化しただけで「めでたい」と終わりにせずに健康寿命の必要性が言われるようになったのは少しでも金銭負担させたい面もあるでしょうが、これと並行して精神面でも健康な状態・・「生きがいを持った高齢者になるようにすべきことがわかります。
高齢世代が増えてすることがなくて幸福感喪失をさせないようにどうするかの視点に立てば、若年無職者(各種障害者)も(失業保険や親の援助などで)お金さえあればいいのではなく、「満たされない自己実現意欲」をどうすべきかの点で共通課題であることがわかります。
最近始まった「こと消費」の流れは、受け身鑑賞、受け身の消費だけではなく自分の体を動かして何かしたい欲求に応える流れが表面化してきたと理解すべきでしょう。
人のために「役立つ喜び」を伴わない自己実現?例えばそば打ちの体験?程度で、(自己満足で持ち帰っても家族が喜ばない?)満足するしかないのでは多分続かない・虚しくなるでしょう。
精神病者に対する作業療法を一般人に広げる試みのような印象ですが・・。
とはいうものの、役立たない自己実現でいえば、各種スポーツ自体がすでに実用性のなくなった格闘や乗馬、射撃、剣道、レスリング等の格闘技〜走る早さを競い、泳いだり過酷レースなどすべて現実世界でほとんど何の役にも立たない不要な競争ばかりです。
パラリンピックはその最たるものでしょう。
日本でのお祭りや少年の部活等のスポーツへの誘導による不満発散による成功を書いてきましたが、お祭り準備等での役割を果たし大勢の観客に喝采を浴びる達成感がありますが、そば打ち家庭菜園程度で(むすめの家に持って行っても嫌がられることが多い)はそういう達成感がありません。
従来は精神病者や障害者あるいは社会不適合者・・その最たるものは失業者群ですので、政策失費の指標や競争落伍者としてこれの増減が重視されてきました。
病気になって仕事ができなくなると収入保障だけで終わりにせずに、病気を治して社会復帰を助ける医療行為が必要なように、失業者に対しても失業保険で生活保証するだけでなく職業訓練による能力底上げが重視されるようになっています。
健康体でないから失業したのではなく健康体で、しかも労働能力があっても失業したのは景気対策や景気変動によると思われている時代には、好景気をもたらすべき政治責任という社会認識でした。

近代産業革命とIT革命の違い1

近代産業革命前に100人必要だった生産や輸送が産業革命による効率化で10人で生産し輸送できるようになれば、90人の職場が失われるはずが、余剰生産分を国外輸出によって失業しないで済めば、生産その他すべてが10倍になれば、国力10倍となり民生も10倍豊かになります。
その輸出を受け入れる国は受けれた分元々の生産従事人口が失業します。
いわゆる「失業の輸出」ですから、一旦受け入れ国になると失業が増える一方・・貧しくなる一方で先進国と後進国の格差が開く一方になっていた・・この市場構造固定化・・相手に生産力をつけさせない半永久的市場支配の権力構造が植民地支配体制です。
英国の紡績業発達がインドの綿産業を壊滅的に滅ぼし「白骨街道」になったことを以前紹介しました。
ラッダイト運動で主張していた矛盾を海外に押しつけることで自国内矛盾を回避し、先進国の優位性の固定化装置だったことになります。
それまでの植民地とは文字通り「植民する」ことだったのですが、産業革命以降は市場支配の枠組み固定化装置に変わったのです。
この枠組み変更に異議を唱えたのがアメリカ独立でした。
西欧諸国は植民地現地人台頭(・・・人種差別して威張るのが目的ではなく現地生産が始まると市場を失うの)を阻止するために人種の違いを強調し「アジア人は劣っているので何をしてもかなわない」という諦め精神を植え付ける人種差別政策に邁進することになります。
オリンピックも欧米人が身体能力がいかにすぐれているかの宣伝目的で始めたというのが私の偏見です。
フランスなどの西欧文化芸術宣伝もアメリカの好きなミスワールドなども同じです。
日本人はミスワールドなどハナから相手にしていませんし、文化芸術分野でも日本画に始まり独自文化を主張できたので自立できてきました。
販路である植民地で自前の産業育成・挑戦意欲を持たせないよう自信喪失政治をしていたのですが、同族出身者で構成されている北米では人種の優越論理が通じなかったから単なる市場扱い・搾取されるままでは納得しなくなり独立革命が起きたのです。
この支配構造に唯一の穴を開けたのが日本で、その日本が逆に工場生産品の輸出国になってアジアの市場を荒らされるどころかアメリカ市場に逆輸出が始まり、坐視できなくなった始まりが米国の排日差別法の成立であり市場争奪(欧米植民地に輸出させないブロック経済化→決定戦が第二次世界大戦です。
日本軍のシンガポール占領時に目の前で英軍が追い散らされ捕虜になっていくの見たシンガポールのリークアンユー氏が「絶対叶わないと思っていたアジア人が勝てる」と自信を持ったという原体験につながったのです。
戦争でこそ欧米は勝ちましたが、その後現地人の自信回復によって次々と独立運動が始まり戦後秩序が始まります。
日植民地民族もやればできるという自信がうまれた下地の上で、プラザ合意以降の日本叩き→日本企業の韓国台湾〜アジア諸国への工場移転による迂回輸出の成功→中国参入以降の低賃金国の攻勢です。
賃金格差が市品競争力低下になり、市場経済的に修正されていく・賃金の低い方に生産地が動いていくべきですが、市場経済的反映を上記の通り植民地支配により力づくでダムのように堰き止めてきた分、巨大な賃金格差・欧米とアジア・アフリカ諸国との途方もない生活水準・教育格差が生じていたのです。
旧植民地諸国・・低賃金国が生産に参入するとダム決壊による怒涛のごとき低賃金国からの工場製品の流入が始まると先進国(国内生産縮小→低賃金サービス業への転換)労賃がつられて下がらざる得ません。
(賃金平準化作用が終わるまで恒常的デフレ発生です)
世界の工場の地位が中国から東南アジア諸国等へ順次伝播していき、最後は世界の人件費の平準化が始まる・本来人皆平等論でいえば、公平な世界になる動きであると「世界平準化」というテーマで10年ほど前に書いたとおりです。
アメリカは、戦前排日法で日本人を鉄条網の収容所に収容して対日開戦を急いだように、今次の挑戦者中国に牙をむいたところですが、戦前の日本はいじめられているのをアジア人が内心で応援していても力がなかったので孤立したのですが、いまの中国は戦前日本よりはもっと乱暴ですが、その代わり周辺アジア諸国の地位があがっている点が大きな違いです。
話題が逸れましたが、今回のホームレス化の動きは英国産業革命後の囲い込み運動で、小作人を農地から追い出した運動の焼き直しのように見えます。
第二次産業革命?の寵児IT覇者も、世界規模で市場を席巻できる点は19世紀の産業革命と同じとしても、覇権国で新たに生み出すIT関連者数は微々たるものです。
この結果・・富分配に参加できる人はごく少数=格差が広がる宿命です。
IT産業で覇権国になっても、アップルの生産が中国で行われているように世界の工場として大量の中間層を生み出せません。
近代産業革命の恩恵を受ける国と受けない国が国単位(一定の社会規模・結局は民族単位)で分かれていたのが、IT革命では国単位〜民族単位ではなくITに適した能力の有無によって、砂粒的に分化し始めたと言うことでしょう。
今後民族出身地域差→奥深い文化力能力差は問題にならない時代が来ると言えば、現実の目の前の若手弁護士層を見ていると民族精神の精華である文化に関心のない人が増えてきた印象です。
IT化・デジタル化で気がつくことは、・・実務世界ではデジタル的処理能力が目先重要な印象・・これが文化の比重低下=出身民族差が背景に退く時代の予兆を感じるのは私だけでしょうか。
シリコンバレーでの活躍者は噂によれば出身民族差にこだわらないような印象を受けます。
今回は領主様が地域からまとめて小作人を追い出すのではなく、家賃引き上げに対応できない個別の住人をアパートから追い出すので、(地震による液状化現象のように)水が地面から染み出すようにあちこちに滲み出てきた印象です。
これが先端産業で成功している都市に限って一流ホテルやマンション周辺にホームレスが大量発生し群がり住み着いて?いる状況になっている原因と思われます。

米国の高家賃5とホームレス(IT化)1

ここでいよいよホームレス問題に入ります。
https://www.chosyu-journal.jp/kokusai/6755によれば以下の通りです。

ホームレス大国アメリカ」の現実 世界覇権どころではない国内の疲弊
国際2018年1月20日
賃金は減り 住宅価格は暴騰

㊤路上で寝るホームレス(ニューヨーク)、㊦行政が設置したシェルターベッド。入居待ちが続いている(2017年、ロサンゼルス)

・・・西海岸を代表する都市ロサンゼルスは・・・前年比で20%増加した(支援機関「LAHSA」調査)。18歳から24歳までの若年層ホームレスは64%も上昇しており、「ロサンゼルス短大地区の学生の5人に1人はホームレス」という調査結果(ウィスコンシン大学)もある。
・・・昨年11月、シカゴ大学が発表した報告書では、ホームレス状態にある学生が全米で少なくとも420万人にのぼり、そのうち13~17歳は70万人、18~25歳が350万人という衝撃的な数値が物議を醸した。
また、約46万人の学生を擁するカリフォルニア州立大学(全米最大)が委託した調査によると、同大学では10人に1人にあたる約5万人の学生が特定の住所を持たないホームレス状態にあり、さらに5~4人に1人にあたる10万人が食べ物の確保ができていない。

1大学だけで学生5万人もホームレスとは、日本では想像もつかない現状です。
ハングリー精神から新規イノベーションが生まれるとは言われますが・・・???。

・・・ホームレス増加の主な理由は、工業の機械化による解雇や病気による失業の増加、実質賃金は増えず家計収入は減っているのに進む物価上昇、とくにリーマン・ショック以来続く住宅価格と賃貸料の異常な高騰である。
・・・(金融大規模緩和・・稲垣注)それによって住宅金利は下がり、住宅への投資を促進したが、余剰マネーがふたたび不動産市場に投機する流れをつくり、不動産価格はリーマン・ショック以前をしのぐ天井知らずの高騰を見せている。
・・・矛盾が集中したのがIT産業で急成長を遂げたシリコンバレーを抱える西海岸で、全米で進む不動産市場のバブル化に、企業進出や労働人口増加による需要増大という条件が加わり、住宅価格は高いところで年平均20%も上昇。高級住宅に暮らす人人がいる一方で、低価格帯でもワンルームの家賃が3000㌦(約33万円)にもはね上がったため、多くの人人が住居での生活を諦め、路上生活をしながら働いている。
「更新手続きでいきなり家賃が500㌦(5万5000円)も上がった」「年収700万円稼いでも家族を養うのが難しい」というほど異常な高騰が家計を襲い、空き地や川縁にはテント村ができ、道路に連なる宿泊用の車両が急増した。時給15㌦(1650円)程度の所得ではフルタイムで働いても、とても2000~3000㌦もの家賃は支払うことはできない。いまや「ホームレス=失業者」という概念は過去のものとなり、工員やショップ店員、技師、教員までが路上や車上生活をしながら職場に働きに出て、シャワーを浴びるためだけにスポーツジムの会員になっている(AP通信)。

19日にアマゾン第二本社誘致運動を取り上げましたが、以下に続く文章によれば、アマゾンの本拠地では全米最高のホームレス発生という実態が背景にあることが分かり分かります。

グーグルやアップルなどハイテク企業の本社が集中し、国内でもっとも平均収入の高いシリコンバレーの大都市が、米国最大のホームレス地帯となっている。
・・・アマゾンやマイクロソフトが本拠地を置くワシントン州シアトル(人口70万人)では、ホームレスが1万人をこえて過去最大を更新し、ホームレス人口が全米ワースト2位になった2015年には緊急事態宣言を発令した。人口が増えた反面、住宅価格が年平均10%上昇し、賃貸価格も六年間で57%も上昇しており、多くの一般家庭が家を失った。「好景気」によって富が集まり、経済活動が盛んになったのは数%の上流層だけであり、多くの人人は低賃金労働のもとで住む家すら失って社会の枠組みからはじき出されている。

以上によれば、ピッツバーグ等製造工場の盛んであった地域衰退・・ラストベルト地帯ばかりメデイアが取り上げていますが、もっと問題なのは高度成長している成功地域でホームレスがどんどん生み出されている状況です。
昔のラッダイト運動の場合、製造業の発展で農奴に近い小作人が中間層に脱皮できて収束できたのは、先進国がこの技術を囲い込み世界の工場として世界中から富を収奪できていたからです。
先進国がマルクスの御託宣のとおり矛盾激化しないで後発国ロシアや中国で矛盾劇化して共産革命や動乱が起きたのは輸出受け入れ国の地位になっていたからであって偶然ではありません。
先進工業国は、先進技術独占による高賃金・中間層の厚み構築・社会の安定・未来への希望社会を作り上げていたのですが、これが後進国を市場とのみ位置付けてきた収奪の仕組みによっていたにすぎません。

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