天皇象徴性の定着と無答責1

秋篠宮様の記者会見内容です
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO38317800Z21C18A1000000/

秋篠宮さま、大嘗祭の国費支出に疑問 2018/11/30 0:13
大嘗祭の国費負担に異例の疑義「長官は聞く耳持たず」
新天皇となる皇太子さまが即位後初めて国民の安寧や五穀豊穣(ほうじょう)を祈る大嘗祭に公費が充てられることについて、秋篠宮さまは「宗教色が強いものを国費で賄うことが適当かどうか」と異例の言及。大嘗祭を前回と同規模で行った場合、30億円近い支出が見込まれることが背景にあるとみられる。宮内庁の山本信一郎長官に意見を述べても「聞く耳を持たなかった」と批判された。

秋篠宮様は国事行為の内容切り分けについて、自分の意見が通らなかった不満のようです。
たまたま国民負担を減らす方向?の意見なので国民支持を得られると思って公表したのかも知れませんが、都合によって国民世論に訴えるような政治活動をしていると象徴性を覆してしまい、皇室のありよう自体が問題になってきます。
宗教儀式だから内廷費で賄うべきと言っても内廷費自体国民が負担する国税によるので・次年度は退位関連行事が多いことを理由に内廷費を増額するか宮廷費を増額するかの次年度予算項目の仕分けの不満でしかなさそうです。
・・結果的にどの規模の大嘗祭を国民が納得(予算案が通過)するかの経済・お金の問題です。
信長が出費した時代でも、どの程度まで天皇家のため支出するかの具体的出費が信長の判断にとって重要な要素だったはずです。
今では、この出費規模をどの程度まで許容すべきかは、国民の代表たる国会が承認するかどうかの問題でしょう。
皇室の一員として皇室行事のために「こんなにお金がかかるのは国民に申し訳ない」という謙虚な姿勢を示すのは合理的ですが、国会で決めるべきこと・内閣提出予算案の閣議決定まで進んだ政治判断を「聞く耳を持たなかった」と公式批判するのは行きすぎではないでしょうか?
宮様の発言はお金のかかりすぎに対する謙虚な姿勢を示したものであったと引き取って日経新聞は「30億円近い支出が見込まれることが背景にあるとみられる。」と解釈したのでしょうか。
ところが、この後で退位関連予算案を紹介するように天皇退位関連出費予算案をみると先例通りだと人件費や資材物価上昇あるいは消費税アップ(当時3%が今8%)等で30億前後になるようですが、政府予算案の説明によると、規模縮小や利用資材のレベルダウン(低級品に変える)によって18億円程度に縮小する予算になっているようです。
30億円を超えるのは、生前退位の結果仙洞御所新設が必要になりその造営や玉突き的転居費用や即位の礼関連費用があるのであって、大嘗祭だけの予算だけではありません。
国事行為の範囲についての高度な判断が、のちに違憲であったと最終確定した時に内閣が国民に対して責任を負うことになっているのですから、その範囲を決める判断は政治責任を負う内閣に委ねるべきでしょう。
まして予算は国会で審議されて決まるべき性質のものですから予算を通した国会全体の責任です。

憲法
第七条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。

国事行為についてのウイキペデイアの解説です。

儀式を行うこと(第7条第10号)
本条の「儀式」は天皇が主宰して行う国家的性格を持つ儀式をいう[16]。これに対しては他人が主宰する儀式への参列もこれに含むとする反対説もある。
本条の儀式としては即位の礼(皇室典範第24条)、大喪の礼(皇室典範第25条)、新年祝賀の儀などの国家的儀式等が挙げられ、日本国憲法第20条第3項に基づき宗教的色彩は排除されるとともに[16]、費用は公金である宮廷費から支出されている[16]。
一方、元始祭や皇霊祭など皇室の私事で行われるものは純然たる私的行為であり、皇室の信仰方法に基づいて行われても憲法上の疑義は生じず[4]、費用も御手元金である内廷費で賄われている[4]。
天皇の退位等に関する皇室典範特例法に基づく退位の儀式や立皇嗣の礼も国事行為として位置づけられる[17]。

上記によれば、同じ国家予算の中で内廷費で実施するか宮廷費で実施するかの予算項目の問題です。
国民にとっては実額が重要ではないでしょうか?
象徴天皇制と天皇制存続可能性について見ておくと、優秀な政治家でも一定年数経過すると社会の意識変化についていけなくなり、(長期安定政権で知られるドイツのメメルケルもロシアのプーチンも流石に支持率が下がってきて政治生命が終わりに近づいた印象です)政権交代があるのですが、最終決定権を天皇家が持つようになると決定に対する政治責任が発生します。
毎回うまく行く訳ではないので一定期間経過による政権交代の宿命が天皇制の寿命を縮めます。
発言力・最終決定権がない前提でこそ「天皇の無答責」で一貫してきたのです。
天皇家が主導権を発揮した承久の変の後鳥羽上皇その他の上皇や、正中の変〜元弘の乱では後醍醐天皇が廃位されて島流しになっています・・。
このように具体的政治決定に参加している以上は、政治責任を取らないではすみません。
昨日紹介した通り、天皇家は応仁の乱以降経済力を失い即位の礼でさえ、有力大名の寄進がないとできない状態→儀式諸費用決定権さえがない状態になっていたのですから、儀式が華美すぎるかどうかの批判を受けない仕組みになっていたのです。
天皇家は儀式担当化して以来、政治能力がないからこそ天皇家の無答責が一般化したのです。
敗戦時の東京裁判では実質決定権がなかったと言う理由で天皇が被告にならなかったのもその事例です。
実質決定権がない状態を・・新憲法では明記したので戦後初めて象徴天皇になったかのように誤解するムードが流布していますが、儀式専門になったのは、およそ500年の歴史があるのです。
秋篠宮様の自分の意見が通らない不満=自分の意見を重視すべきという論建ては、皇室が政治責任を負う体制への変革を主張することにつながり、天皇制維持には極めて危険な主張です。
個人が政治責任を負ってでも政治活動したいならば、皇籍離脱してから私人として行うべきでしょう。
秋篠宮様が批判する皇位継承関連予算案(最終的には国会議決・政治家総体の判断を経て実現するものです)を見ておきましょう。
http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/kunaicho/pdf/yosangaiyo-h31.pdf

平成31年度歳出予算
政府案の概要について
皇位継承における皇室費での儀式関係経費の概要について
を見ると(引用すると長すぎるので要約です・正確には上記に入って確認お願いします)
① 大嘗祭関連 前回規模(平成天皇即位)で行うと(・消費税率変更(3%→8%→10%(来年10月)・物価の上昇・人件費の著しい増加や材料費の高騰)で約25億円の出費になるので、参列者を1千人から700人へ減らしたり(招待すると宿泊費・パーテイ等の関連コストが巨大)して規模を縮小し、茅葺きから板葺きにする・参殿の屋根材を茅葺きにするなど資材のレベルダウンを図り、18億6000万に絞った
②大饗の儀 ・前回1000人→700人、回数3回→2回、等々で平成31年度231百万円→前回347百万円)
③ その他経費

等々が出ています。
上記の通り大嘗祭の経費は日経報道のように30億円もかかる予定ではありません。
このあとで紹介する退位関連経費が増えた分が平成になったときとは違う・・増えたのです。

応仁の乱以降の天皇家の窮迫1

八条院領がしぶとく生き残り、後醍醐天皇の経済基盤になっていたことを昨日書いたついでに、応仁の乱以降、古代からの荘園システムが壊滅状態になり荘園からの収入が皆無に近づいた戦国末期には天皇みづからがご宸筆等を売って生計を支える極貧状態となっていました。
命脈の尽きかけた朝廷を和睦交渉に利用できる限度で援助していた信長が、利用価値がなくなったと見て?明からさまに侮るようになった信長は、旧勢力(旧価値観)支持による(黒幕は誰かをいまだに歴史学者が説を唱えルコとすら出来ない?不思議な状態ですが・・)光秀に弑逆されました。
天皇家が売文で糊口をしのいでいた状態をどの本に書いてあったか忘れましたので、ネット検索すると以下の通り出ています。
ちょうど私の直感的意見通り応仁の乱以降収入源がなくなったことによるとも書いています。
https://bushoojapan.com/tomorrow/2013/10/26/8278

直筆の文書を売って生活するほどのド貧乏
このころの皇室は一言でいってド貧乏。後奈良天皇に至っては、直筆の文書を売って生活の足しにしていたほどの貧しさでした。
なぜそこまで生活費がなくなってしまったのかというと、応仁の乱以降に皇室や貴族の直轄領地が戦国大名などに奪われてしまっていたからです。
この頃の税は米がメインですから、米や作物を作っている領地が奪われれば当然収入がなくなってしまいます。
それでもたまに律義な大名もいたので、細々と食いつないでいくことはできました。
最も大切な即位の儀式や、崩御された天皇の葬儀を行うための資金がなかったのです。
どのくらい資金難かというと、亡くなって何十日もご遺体が御所に置かれたままだった方もいるほど。 この状態を何とか改善させようと、正親町天皇は勤皇家な大名や本願寺など、有力者との結びつきを強めていきます。
例えば即位の礼の資金を出してくれた毛利元就には正式な官位と菊・桐の紋を与え、同じく多額の献金を行った本願寺には門跡(皇族や貴族がトップになれる寺院)という特権を与えました。

正親町天皇に関するウイキペデイアにも同様の解説があります。

永正14年(1517年)5月29日、後奈良天皇の第一皇子として生まれる。
弘治3年(1557年)、後奈良天皇の崩御に伴って践祚した。
当時、天皇や公家達は貧窮しており、正親町天皇も即位後約2年もの間即位の礼を挙げられなかったが、永禄2年(1559年)春に安芸国の戦国大名・毛利元就から即位料・御服費用の献納を受けたことにより、永禄3年(1560年)1月27日に即位の礼を挙げることが出来た[1

現在平成天皇退位に関する諸儀式費用について、平成天皇即位時よりも簡素化して費用節減したらしいですが・・・秋篠宮様が大嘗祭は宗教儀式であるから公費支出はおかしいと発言して政治問題?になっています。
国事行為には即位、退位の礼が入っていますが、大嘗祭は宗教儀礼・内廷費から出すべきではないかという疑義です。
疑義は尤もとも言えますが、どの程度の儀式が宗教儀式に当たるかの高度政治判断に皇室が介入することの方に違和感を覚えた人が多いでしょう。
この決定は内閣の議を経て政府予算案となり、最終的には国会の議決により決せられる高度な政治行為です。
意見を言わないと国会で宮廷費から支出する予算案が議決されるのを阻止するための発言とすれば、国会議決に影響を及ぼそうとする政治行為そのものです。
政治の最高テーマである予算案の是非について皇室・・特に天皇退位後の次期皇嗣に事実上決まっている人が口出しすれば文字通り憲法上大問題です。
いまや経済大国なので正親町天皇の時代と違い実際にお金がない訳ではなく、その費用が国家経済にどの程の悪影響を与えるか?疑問の時代ですから、実利の問題ではなく政治的プロパガンダの類と言えるでしょう。
政教分離に関しては神社への玉串料等の奉納やちょっとした便宜供与は国家や市町村財政から見れば金額的には微々たるものですが、繰り返し憲法違反の訴訟が提起されてきたのも自分の利害に絡むからではなくオオカミ少年的?あるいは国民啓蒙目的でしょう。
国民啓蒙をいう人と自己顕示欲の発露との見極めが難しいものです。
予算案反対論が、そのお金支出によって特定産業や階層が圧迫されるなどの政治利害を背景にしているなら別です・・・民主主義政治とは、政治利害調整のためにあるのですから、特定政治利害に基づいて政治発言するのは(一般国民としては)合理的です。
利害がない場合、顕名欲?「皆の知らない正義を教えてやりたい」・・あるいは国の政治方向が間違った方向に行かないようにする公憤に駆られて行うのが普通ですが、天皇家の皇嗣になる予定のお方が特定利害代表して政治活動をしているとは思えないし、そうとすれば公憤発露?自己の政治的立場を宣伝したり、自己の見識を世間に知らしめる必要があるのでしょうか?
いずれにせよ今回の発言は政治影響力目的としか考えられません。
政治に影響力を行使したいならば、皇族の身分を離れて一私人として政治活動すべきように思われます。
秋篠宮が個人能力としてどれだけの政治見識があって、ちょっとした発言が大規模ニュースになったのか不明ですが、宮様の個人能力によって伝播力があるのではなく「皇嗣予定者がこういう公式発言をした」ということだけでニュースになっているとすれば、「皇嗣予定者・・皇室の地位利用の政治発言」と評価すべきではないでしょうか?
まして宮内庁長官が自分の意見を取り入れなかったことを名指しで批判していること自体、私人としての発言でないことが明らかです。
ところで、国事行為・特に儀式をどの程度やるかは幅の広い概念でその境界は微妙ですから、高度な政治決断・折々の国民がどの程度まで皇室儀式の盛大さを期待するかを読み込んで切り分けるしかない分野と思われます。
だからこそ憲法では、国民意識を敏感に感じ取るのに長けている内閣の助言行為になっているのでしょう。
戦国末期・信長台頭前の上杉や毛利が天皇家の儀式にどの程度出費援助するかは上杉や毛利など有力諸大名トップが高度な政治判断できめていたし、信長上洛後は信長の高度な政治判断によっていたのであり天皇家が自分で決めて割当ていたのではありません。
だからこそ国事行為の中に儀式を憲法で明記し、内閣の助言承認を憲法上の要件としているのです。
高度政治判断・・閣議決定まで経ている段階で、この決定に疑義を唱えて記者会見で発言する神経?が異常です。
一見皇室内の宗教儀式費用をを国民に負担させることに苦言を呈するようでいて、皇室が国事行為に口出ししたが、無視された不満を記者会見で公言したような印象です。
そもそも皇室の重要な人物が、高度な政治判断事項に口出していたことを自ら公開したことが驚きです。

社会変化=価値観・ルール変化1

社会の仕組みが変われば文化も変わります。
旧文化=価値観に染まったあるいは旧支配層から籠絡された清盛の息子重盛が清盛の新機軸に反発したものの夭逝した結果、旧支配層は内部浸透を諦めてカウンター勢力の源氏を盛り立てて再興させ平家打倒に成功しました。
源氏が勝って見ると旧勢力の期待した旧体制への復帰にならず却って武士の時代への流れが強まり、鎌倉幕府というはっきりした別組織まで出来上がってしまいました。
当時朝廷直属国軍皆無の時代でしたから、平家打倒には武士や僧兵の力が必須であったのですから、武士団や僧兵を朝廷の味方につける必要がありました。
後からかんがえると各地武士団の平家に対する不満は、武士代表であるべき平家一族が、貴族化・公達化してしまった・地下人の期待にそう行動をしなくなったことが反平家勢力盛り返しの基本であったと言われ、旧支配層から見れば平家一族の振る舞いが旧支配層のしきたり・文化を破り新秩序への移行をはらんでいることに対する危機感を基礎にして反平家機運を盛りたてていたのですから反平家の理由が相反していたことになります。
実力組織の一翼を担う僧兵は寺社権益代表ですから旧体制・公卿権益もさらに古層に位置する・・叡山の僧兵撃退に清盛の父忠盛が活躍して後白河院の覚えめでたくなっていく経緯があるように・・ものです。
宗教組織は、世俗の争いから一歩引いている・・直接当事者にならない関係で・・南都焼討や信長の叡山焼き討ちなどもあり、戦国末期には実力組織は完全消滅しましたが・・源平の争乱〜明治維新〜対米敗戦を経た今でも一定の教団を維持しています。
旧政治打倒に成功した場合の政権運営の特徴ですが、一般的には急進的改革を進めるの無理があるので一般的に新旧妥協政策が政権樹立後の運営方法になりますがせっかく革命的動乱に参加したものにとっては、これでは裏切り行為と思い不満です。
平家も「薩摩守忠度都落ち」で知られるように、旧支配層の文化秩序にも参加して和歌を詠み、旧文化に迎合しながらも、一歩一歩武士の地位向上に努力していたと見るべきでしょう。
政治というものは「言い分が100%通るものでないのが原則です」から、武士と貴族層は荘園支配の実利でずっと対立していたのですが、(この対立は実力でとったもの勝ち・中央の裁定ができなくなった戦国時代に入るまで続きます)対貴族の紛争裁定に不満な人はいつもいます。
不満な方・負けた方は貴族寄りだと不満を持つし、貴族の方も負けた時には武士に有利な裁定が多くなったという不満を持ちます。
これが武士層から見れば貴族におもねて貴族化した生活態度は鼻持ちならないとなるし、貴族からすれば「地下人の分際でけしからん」となるのでしょう。
特に八条院領が急速に広がった平安末期では、清盛でさえも後白河法皇の権勢には正面から歯向いにくかったので八条院関連では、武士層の主張が通り難くなっていた不満が蓄積していた可能性があります。
八条院に関するウイキペデイアの本日現在の記述です。

暲子内親王(しょうし/あきこないしんのう、保延3年4月8日(1137年4月29日) – 建暦元年6月26日(1211年8月6日))は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての皇族。初めて后位を経ずに女院となり、八条院(はちじょういん)と号した[1]
・・・彼女自身には特別な政治力は無かったとする説もある[4]。その後も異母兄である後白河法皇の院政を影から支えており、平清盛でさえも彼女の動向を無視することは出来なかった。
八条院の政治閨閥?関係は以下の通りです。

後白河院の異腹の妹・八条院翮子(あきこ)内親王は、美福門院を母として鳥羽天皇の第五皇女として生まれた。彼女は夭折した近衛天皇の後継女帝にとも考えられたほど鳥羽法皇から寵愛され、両親亡き後は二人が残した広大な荘園と近臣の大半を相続し、時の政権から一定の距離を置きながらも、摂関家・源氏・平氏の何れもが無視できない独自の存在感を発揮した。

八条院の経済力は「八条院」に関するウイキペデイアによると以下の通りで、平安時代どころか、後醍醐天皇〜南北朝時代までの政治活動の屋台骨となっていたことがわかります。
政治といっても経済基盤がないと何も出来ません。
上記引用の続きです

・・所領は八条院→春華門院昇子内親王→順徳天皇→後高倉院→安嘉門院→亀山院→後宇多院→昭慶門院憙子内親王→後醍醐天皇に伝わり大覚寺統の主要な経済基盤となった。

源平合戦は革命直後で言えば、革命精神そのままの実現を求めて不満を持つ勢力と反革命・王党派の合体した革命政権打倒運動であり、今で言えば、左右両極支持による現政権打倒運動であったことになります。
新政権打倒に成功して具体的政治に踏み出すと元々の方向性が違うので、文字通り血を血で洗う抗争となる(クロムウエル独裁やジャコバン恐怖政治〜ロシア革命後の抗争など)のが普通です。
日本では新政権発足後の血なまぐさい抗争は起きませんが、それでも民主党政権は方向性の違う集団であったことが(野合と言われ)政権の寿命を縮めました。
朝廷は平家打倒を画策したものの鎌倉府成立により、朝廷権威は逆に低下しましたが、文化による影響力行使・・内部籠絡・・貴族社会価値観浸透を試みたのが、(平家を公達化して骨抜きにしたように)三代実朝の文化的籠絡・取り込みであり、これを拒絶したのが尼将軍政子の(我が子を殺してでもせっかく獲得した武家政権を守ろうとした)英断でしょう。
実朝暗殺は1219年ですから、鎌倉幕府成立後わずか20年あまりのことです。
内部浸透戦略に失敗した朝廷側は、そのわずか2年後の1221年外部から反鎌倉不平武士団を組織して「承久の変」を起こしますが、これは清盛政権を内部から切り崩す重盛籠絡作戦失敗後のカウンター勢力を煽る焼き直しだったことになります。
承久の変(1221年)では、カウンター勢力の棟梁(スター)がいないので二度目の反革命が失敗し、蒙古襲来後の三度目の正直では、(蒙古襲来で活躍した武士の広範な不満を背景にしていた結果騒乱が大きくなり)再び源氏の貴種足利氏担ぎ出しに成功したので、建武の新政となりましたが、政権が始まってみると不満武士に応えることができず、時代錯誤性・貴族有利裁定(広大な八条院領はなお存続していて後醍醐天皇の財政基盤になっていたなど)が命とりで、結局短期間で崩壊しました。
ちなみに「観応の擾乱」の主役・直義の政治も、どちらかというと武士に不利な裁定が多かった(教養が邪魔して?思想が古かったようです)ので短命に終わりました。
応仁の乱以降足利将軍家自体衰微すると、公卿経営荘園の管理料納付争いなど裁く機関すらなくなり、足腰になる公卿の収入源が途絶えると天皇家の収入もなくなります。

トランプ政治の正統性?3

米国の金利引き上げは小国と違い基軸通貨国ですから、影響は世界経済全体に及びますから米国内の好況だけ見て金利引き上げに耐えられるとしても、世界が大恐慌になるとアメリカ製品の輸出もできないし、中国インド等へ進出している米国企業の業績も悪化します。
国内政治で言えば、特定分野の関税撤廃すると影響を受ける業界の救済手段を講じたり、ある製品の禁輸をするのは影響を受ける業界に部品等の手当についての対応相談に応じたりする総合判断が必須ですし、(その前提としてどの分野を発展させるかの選択=政策決定があります)自国に原油があるからとイラン原油輸入禁止を同盟国に要請する以上は、同盟国へは別途禁輸商品・・自国原油や小麦を融通するなどの配慮が必要なのと同様です。
どの国が最も米金利上げ・・通貨下落の影響を受けるかによって、その影響を最大に受ける国を無視→敵国としてターゲットにして(自国進出企業が少ないかなど総合判断し)その他を救済するかは政治の問題ですが、そうなると最終決定を政府から独立した機関が行うのは無理がありそうです。
オバマ時代にも金利上げすると中国が持たないから・・という政治判断で異次元緩和の先送りが行われていた記憶です。
今回は米国を甘く見た亜中国による知財強制提供政策に堪忍袋の尾が切れた中国ターゲットの大転換になったので、その配慮がなくなりましたが、オバマ時代同様に中国への進出企業への配慮がいる点は同じです。
中国への輸出が多いGMが、対中高関税の双方応酬で競争力低下に耐えられず米国内工場大規模閉鎖に踏み切りトランプ氏を怒らせています。
このように覇権国の金利政策は国際政治に関する国益を総合した高度判断を要するものであって金融専門家が最終決定するには、荷が重すぎることは確かでしょう。
日本で言えば、日銀が東京だけを見て景気判断を決められないように、日本の金利の上下が為替相場にどの程度影響し、それがどの国内産業にプラスあるいはマイナスに作用するか、どの分野を切り捨てても仕方がないと誰が決めるのか?
黒田日銀が多くの経済学者の意見に反して異次元緩和をしましたが、(異次元緩和という名称自体が伝統的意見=多数派の枠外という世評の言い換えです)ハイパーインフレになっていないどころか、それでも日本の物価が上がらずに逆に困っている状態です。
財政赤字批判も同様の問題・・・「国内で誰がお金を持っているかの分配の問題に過ぎず国家破綻・デフォルトになるかは対外収支累積で決まる」とこのコラムで繰り替えし書いてきました。
社会構造の地殻変動があって、旧来の学問では対応出来ないことが起きているのに専門家(多くは過去の学問に縛られています)がこれに抵抗しても、正しいと信じる基準によって果敢に実行するのは政治家の役割です。
武士の時代が来たのを平安貴族や文化人が嘆いても仕方ない・・・実務を担当している人の意見が強くなるのは正しかったことが今になると分かってきます。
大恐慌時に日本が高橋是清が金輸出再禁止・・不換紙幣化で対応し恐慌対策としては大成功しています。
(恐慌対策に失敗していた植民地を持つ英仏等はブロック経済化で日独伊の輸入を阻止し、このブロックの壁を壊すために動いた独伊と英仏の欧州戦争が始まり、日本は非植民地国連合・日独伊三国同盟に参加して、アメリカに戦争を売られ・・アメリカは(ニューデイール政策が成功したと学校で教えられますが実際には)戦争経済で持ち直したことが今では知られています。
戦勝国として兌換紙幣に最後までこだわったアメリカもニクソンショックで金兌換終了し、今や不換紙幣が世界標準です。
紙幣は金兌換保証の信用で守られるというのが当時経済学者の金科玉条であったのですが、これが何故定着していたかというと古代から貨幣の金含有率を下げるのは、悪貨(悪政)として批判されてきた歴史への盲従によるというべきです。
日本では新井白石による前任奉行萩原に対する追及が有名・・彼は秀才の誉れ高かったとはいえ要は中国古来からの常識を墨守していただけのことでしょう。
必要に応じた貨幣改鋳・・・いまでいえば、異次元緩和を旧来学問に依拠して非常識・犯罪行為といって批判するのと同じでしょう。
財政赤字を囃し立てて消費税アップ論が正しいという現在の基本論調も同様です。
ケインズ理論が出るまでは、経済は市場に委ねるべきで政府介入は邪道というのが基本でした。
旧来理論では周期的に訪れる不景気の波をが大きくなるばかりでついに世界大恐慌になったのですが、不景気の波が大きくなる一方なのでこれを緩和するための財政出動が要請される時代です。
リーマンショックに際して中国が巨額財政出動して世界経済の底割れを防いだ功績を無視できません。
16年夏頃に起きた上海株暴落後のあれこれのテコ入れ策(大型株売買規制など)を伝統的理論をもとに無理筋だから中国破綻が近いと解説するのが普通ですが、それを言い出したら日本でも日銀による社債等の購入額も半端ではない五十歩百歩です。
通貨の信用に戻しますと、発行体の経済力による・社債が金に交換できるから信用されるのではなく、トヨタ等の企業信用によります・・通貨の価値は日々の為替相場(国力の市場評価)で決まっていくことが世界常識になってきました。
ビットコインなど仮想通貨はまだ生成発展中ですが、いつか成功すると国家権力の裏ウチがなくても流通するようになります。
もしかしたら米国の世界支配の実力・経済力はニクソンショック時点で終わったのに、世界最大経済力時代に築いた武力(遅行指数です)の力で世界に覇を唱えていただけだったと後世評価されるかも知れません。
現在アメリカあげて対中強硬論が渦巻いているのは、遅行指数の武力ではまだ中国に勝っているが、経済指標で追い付き追い抜かされつつある危機感・・・武力でも近未来で凌駕される時期近い・・が武力の優勢なうちに挑戦者の経済発展力を叩き潰そうとしているという解釈が可能です。
「ジャパンアズナンバーワン」と言われた日本を当時最先端技術であった半導体の輸出制限で叩き潰し・失われた20年に持ち込んだ自信がそうさせるのでしょう。
しかし、日本の半導体を潰したらその隙を縫って中韓両国で先端技術が花開いたので、アメリカがどこかの国に追い抜かれるようになる点は同じ結果でした。
武家の台頭で最大勢力だった源氏を潰す為に平家を重用し、平家がのさばると息を潜めていた源氏を再利用しているうちに公家の時代が終わったのと同様です。
トランプ氏の資質ですが、旧基準に合わない・粗野だ乱暴だというだけでは、無能とは言い切れません。

中銀の独立性?3(トランプ政治の正統性?2)

12月20日のパウエル議長記者会見で株価が急落し、年が明けてもさらに下がる展開でした。
トランプ氏によるあまりの恫喝(彼は直接言いませんでしたが更迭論がメデイアを賑わしていました)
これに怯えたのか?年初1月9日に公開した12月の利上げ時のFOMC議事録要旨は、今後の利上げ予定の取りやめに含みを持たせるような内容であったことが議論を呼び、1月10日以来市場安定化・・株価回復に資しているようです。
これを見ると米国新年度予算が成立しないことよりも(予算成立が年を越したどころか、今日現在まだが成立しないままですが、議事録要旨公開だけで持ち直したということは、)金利動向の方が世界経済への影響が大きかったことがわかります。
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2019-01-10/PL3ULX6KLVRA01
Christopher Condon

2019年1月10日 17:02 JST
FOMC議事要旨と12月のパウエル議長会見、際立つトーンの違い
9日公表の米連邦公開市場委員会(FOMC)議事要旨が市場に安心感をもたらす内容だったことで、投資家の間に新たな疑問が浮上した。それは、昨年12月19日の会合後の声明やパウエル連邦準備制度理事会(FRB)議長の記者会見とはトーンの違いが大きかったためだ。
・・・・
ラインハート氏は、12月19日の声明や議長会見に対する市場の否定的な反応に対応するような形で金融当局者が議事要旨を取りまとめた可能性があると推理。「パウエル議長は会見の冒頭発言と質疑応答でFOMCの認識を正確に伝えたが、あまり歓迎されなかった。その後、議長がもっと強調しておくべきだったと残念に思った部分をもっと気配りして強調することにしたのではないか」と論じた。

米連邦公開市場委員会(FOMC)決定が政治圧力によるかの神学論争は別としても、政治=国民福利を最大にする必要がある点は金融当局も同じであるべきですから、金融当局も国内景気実態を無視できませんし、基軸通貨国としては国際経済への目配りも欠かせません。
日銀が地方を無視して東京の景況感だけを前提に判断するのが許されないのと同じです。
トルコ・エルドアン大統領のような強権支配者は中央銀行の決定に強力な支配力を持つので、国内景気対策の配慮が優先して金利引き上げが先送りになっていた結果、リラが大幅下落し物価大暴走になってきた例を昨日まで紹介しました。
ただし「政権が政策の最終責任者であるべき」という私の意見によれば、独裁の弊害の問題ではなく、エルドアンの判断が間違っていたことになるのか?というだけのことです。
中銀の独立性を強調するのがメデイアの原則ですが、私は独裁権力者が「自己保身のために経済原理に反した」ことをしても国民が苦しむだけということであって、中銀の独立性自体を絶対的なものとは考えていません。
経済「政策」は総合視点でやるべきですから、金融理論ばかりではなくその時の経済体力その他状況に応じた総合判断が必要です。
これを政治判断の利かない金融のプロが最終決断をして良いとは思いません。
10年以上前に専門家の発生→分業の発達について書いたときに、最古の専門職として俗に言われる売春婦次に古い軍人の例を書きました。
軍人の専門性・軍戦術そのものには国王といえども口出しできない専門性がよく言われますが、それでもある国と戦争をすべきかどうかは、政治が決めることです。
保元の乱の左大臣頼長のように夜襲すべきか否かの戦術に口出ししたのは間違いですが、一戦を交えるか交渉で解決するかは政治家が決める分野でしょう。
米国大統領が軍の最高指揮者になっていることを見てもわかります。
日米開戦でも開戦したら展開がどうなるかを聞かれて「1年は持ちこたえましょう」と山本五十六が答えた経緯が有名ですが、軍人があくまで戦術論で素人を寄せつけないというだけのこと・・逆から見れば戦さの専門家から見ればやれば最後は負けると分かっていても出撃を命じられれば出撃し最善をつくしかない・・開戦そのものに反対する権限がないということです。
日露戦争のように国を挙げての資金源の手当・国際金融筋からの借款成功や国際政治工作・・適当な戦果を挙げたところで講和会議を仲介してくれる大国への政治工作の成否などの総合判断はすべて政治家の仕事です。
日米戦争ではそういう国がなかったのに対米抗戦に踏み切ったのは軍部の責任ではなく政治家の無能力というべきでしょう。
山本五十六の開戦時の逸話としては出典が明らかではありませんが、以下の通り一般化されています。https://blog.goo.ne.jp/gb3616125/e/f7f3793a458bb28a87616df241383148

・・・多くの海軍上層部の人々は、開戦前から軍が有利な戦いが出来るのは、せいぜい一箇年か一箇年半位であるとの信念を述べておりました。山本元帥でさえ
『最初の一年かそこらはやって行けるが、その後のことは受け合えぬ。』

海軍は開戦阻止できなかったのか?という議論ですが、軍は政治に口出しできない、しないという原理論の発露です。
戦前は軍国主義だったという米占領軍の政治工作・・この教育を受けて育ちましたが、米国より日本の方が好戦的ではありませんでした。
また軍人は軍人として節度を守っていたのです。
アメリカの挑戦に対して政治工作の拙劣さのために「万やむを得ず打って出るしかない」状態に追い詰められただけのことでした。
軍人に限らず金融や会計基準、防災その他〜IT関連に至るまで専門家は増える一方ですしそれぞれ重要ですが、総合判断で何を採用するかは政治家が決めるべきことです。
経済政策であれ、なんであれ評論家と実務担当者とは違うのであって、経済評論家が企業経営したり政治評論家が政治をやれないのと同じです。
もちろん美術評論家が名画を描けるわけもありません。
ラジオ深夜便を聞いていた10数年〜20年ほど前ですが、俳句の先生(今年歌会始の召人になった方です)が添削するのを聞いているとちょっとした字句の入れ替えで目がさめるような決まった俳句になるのに驚いたものですが、その先生が毎回最後に紹介する自作(模範作?)を聞いているとまるでスピリッツのない駄作ばかりなのに感心していたものです。
創作能力と教える能力とはまるで違うんだな!として聞いていました。

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