欧米離れとトルコ危機?2

国際ルール違反が起きた時に懲罰を与える絶対的覇権国がない状態下では、(ロシアが短期間にウクライナからクリミヤ半島を奪取してしまったように)国際仲裁等が始まる前に既成事実を作られてしまうとどうにもならないことから、それまでの時間稼ぎ的自衛のための相互防衛条約でお互いを守り合う約束が必要になっています。
中国古代に覇権国がなくなって(一般的には、韓・魏・趙に分裂した時を起点にするようですが)戦国時代に突入し、(合従連衡策は集団自衛論の始まりです)日本で言えば応仁の乱後、将軍家(中央)権威失墜後各地領主が自衛のために動き出したのと同じです。
平安貴族が源平騒乱前の平和を懐古し念仏を唱えて和歌(今で言えば平和憲法の精神)を読めば平和が回復するものではなく、各地守護大名が自衛のために戦国大名化していったのは現実的知恵でした。
戦国大名化に特化成功した順に各地の群雄となり、群雄同士の決戦を制して(集団自衛権の重要性・戦国時代では織田松平の攻守同盟に成功した織田信長が最初に名乗りをあげたのは偶然ではありません)最後に天下人となった豊臣の惣無事令となるのです。
18年12月22日のテーマ/トルコ危機に戻ります。
西欧が文句なしに世界の中心であったときには、中央アジアのトルコ領域を侵食してくる目先の敵のためにトルコは西欧に屈辱的でもすり寄るしかなかった(これが対露クリミヤ戦争です)でしょうが、そのもっと遠くの中国が存在感を持ってくると、ロシア・トルコ共に欧米が相手にしてくれないならば、東に中国があるという東向きになってきたのは偶然ではありません。
このような動きは、今の韓国にも共通した心情と理解すべきでしょう。
いずれにせよ、自分自身が文化の中心になるのは無理・・どちらかに媚びるしかない点は同じです。
中国は第一次世界大戦後対日戦略で欧米に擦りより、戦後はソ連にすり寄り、中ソ対立後は米国にすり寄っていましたが、リーマンショック以降自信を持ったので今や「自分が世界の中心になる」という野心を公式宣言してしまったので米国の逆鱗に触れていることになります。
従来の周辺国・・地域大国は長年の欧米文化への服従疲れ・不満から、警戒しながらも新たな求心力となりつつある中国へすり寄り始めたということでしょうか?
トルコはリーマンショック後経済的に弱った上に難民大量流入で困るEUと米国威信の低下を見て欧米をコケにしてみたものの、米国の金融緩和から緩和縮小への動きが強まると、まだまだ欧米の世界支配力の強さに直面します。
いわば一進一退でじりじりと欧米離れを進めていく過程にあるというべきでしょうが、地力アップによるのではなく風見鶏政治でしかないので次の求心力となるべき中国の消長次第になります。
いわば地力アップによる強がりではなく、頼りにするべき中国ロシアもあるぞ!という程度の風見鶏政治である点は同じです。
当面はトルコリラの急激下落によって、国内経済が大苦境に陥るようになっていますが、一方でサウジ皇太子の記者殺害事件で、一時的にトランプ氏に貸しを作って対クルド族関連で盛り返したところですが、この種の「貸し」は基礎体力に基づかない一時的なものに過ぎず、長期的効果はありません。
まずはトルコの基礎体力低下からみていきましょう。
https://diamond.jp/articles/-/184302

2018.11.6
「トルコ・ショック」克服でもトルコ経済の前途が不透明な理由
西濵 徹:第一生命経済研究所 経済調査部 主席エコノミス
トルコでは、過去数年にわたって慢性的なインフレ状態が続いてきた。
にもかかわらず、夏場以降のエルドアン大統領の利上げ牽制発言などによる「圧力」に屈する形で、トルコ中央銀行が正常な金融政策運営が出来ない状況が続いてきたことに加え、米国人牧師の身柄解放を巡る米国との関係悪化懸念をきっかけに、通貨リラが急落した

ドル・リラ相場

国際金融市場には「トルコショック」とも呼べる動揺が広がり、トルコと同様に経済のファンダメンタルズ(基礎的条件)が脆弱な新興国では、資金流出の動きが強まった。
国際金融市場には「トルコショック」とも呼べる動揺が広がり、トルコと同様に経済のファンダメンタルズ(基礎的条件)が脆弱な新興国では、資金流出の動きが強まった。

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