天皇観は根本変化したか?5(GHQ草案)

以下新憲法制定に至るGHQとのやりとりとその前の基本方針に関する国会図書館の記録からです。
http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/064shoshi.html

資料と解説・第3章 GHQ草案と日本政府の対応
3-3 マッカーサー、アイゼンハワー陸軍参謀総長宛書簡(天皇の戦犯除外に関して) 1946年1月25日
1945(昭和20)年11月29日、米統合参謀本部はマッカーサーに対し、天皇の戦争犯罪行為の有無につき情報収集するよう命じた。これを受けマッカーサーは、1946年1月25日付けのこの電報で、天皇の犯罪行為の証拠なしと報告した。さらに、マッカーサーは、仮に天皇を起訴すれば日本の情勢に混乱をきたし、占領軍の増員や民間人スタッフの大量派遣が長期間必要となるだろうと述べ、アメリカの負担の面からも天皇の起訴は避けるべきだとの立場を表明している。」

民間憲法改正案要綱に関するhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%86%B2%E6%B3%95%E8%8D%89%E6%A1%88%E8%A6%81%E7%B6%B11946年2月3日、によれば、

46年2月3日のマッカーサー3原則(「マッカーサー・ノート」)には、「天皇は国家の元首の地位にある」”Emperor is at the head of the state.” と書かれる。

とあります。
上記の通り、GHQは天皇の戦争責任を一切出さなかったし、GHQの憲法草案も天皇制を基礎にしたものでした。
天皇の権威・国民の尊崇を利用する戦略は、とりもなおさず天皇を尊崇する国民意思尊重ということでしょう。
以下交渉経過は国会図書館資料からです。
http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/076shoshi.html

2 日本側の検討
憲法問題調査委員会(松本委員会)は、松本烝治の「憲法改正四原則」に示されるように、当初から、天皇が統治権を総覧するという明治憲法の基本原則を変更する意思はなかった。ただし、松本委員会の中にも天皇制を廃止し、米国型の大統領制を採用すべきだとする大胆な意見もあった(野村淳治「憲法改正に関する意見書」)。しかし、それは、委員会審議には影響を与えず、委員会が作成した大幅改正と小改正の2案は、いずれも天皇の地位に根本的な変更を加える内容とはならなかった(「憲法改正要綱(甲案)」、「憲法改正案」(乙案))。

乙案とは1月6日に紹介した宮沢案でしょう。
日本政府は国務大臣が提出した政府案に対する回答をもらえると思って、2月13日にホイットニーと会談したところ全く違うGHQ案をもらってタマゲタところから始まります。
原文は2ページ目しかコピペしませんが、3ページ目には、重大すぎて即答できないと回答して会談を終えたとあります。
以下は松本国務大臣がホイットニーとの会談時のメモの一部です。
このコラムではコピーではっきり読めませんが、国会図書館の上記にアクセスすればはっきり読めますし1ページ目も3ページ目も読めます。
http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/076shoshi.html

3-16 GHQ草案手交時の記録
これらの資料は、1946(昭和21)年2月13日、GHQ草案が日本政府側に示された際の会談に関するGHQ側と日本側(松本)の記録である。会談の内容について、双方の記録に大きな違いはないが、GHQ側の記録からは、「松本案」に対する返答を期待していた日本政府側が、「松本案」の拒否、GHQ草案の提示という予想外の事態に直面し、衝撃を受けている様子をうかがい知ることができる。

料名 二月十三日會見記略
年月日 [1946年2月13日]
資料番号
所蔵 東京大学法学部法制史資料室松本文書

私の読み違いかもしれませんが、前ページ末の文章は「マッカーサー元帥はかねてより、天皇の保持について深甚の考慮を巡らしつつあり」としてこの1行目の「たるが、日本政府がこの提案のごとき」につながるので、「この提案」とは日本政府案に対して司令部が当日手交した(1ページ目に「先方提案数部交付し・・」と書いています)司令部草案をいうものと解すれば、文意が通ります。
5行目の「吾人はこの提案のごとき改正案の提示を命ずるものに非ず」も6行目の「この提案」も同じGHQ草案のことでで「原則さえ守ってくれれば・・そのとおりでなくともよい」という「押し付け批判」を意識した主張も全部理解可能です。
この「根本形態に基づいた改正案を速やかに提示」されたいと要求をされたのです。
2行目終わりの「これなくして」(GHQ案によらずして政府提出案のごとき改正案では)「天皇の身体(パーソンオブジエンペラー)の保障をなすこと能わず」とまで言われたとメモに残っています。
GHQは「民意による」制度という点で背後の連合国に対する天皇の生命保障・天皇制存続の保障説得を成功させようとしていたように演出していたのです・・この一点がないと「天皇の身体を保障できない」意味を私はこのように解釈しています・・。
本当に極東委員会が天皇制廃止を要求していたと言うのではなく脅しに使ったのでしょうか?
のちに極東委員会との関連で紹介しますが、GHQに対する連合国お目付役の極東委員会が設置され実動開始前にまとめてしまおうとGHQは極東委員会を蚊帳の外にしてこの交渉を進め、外部に出た時にはすでにこの案を歓迎する日本国内世論の盛り上がりを利用して、極東委員会の介入を阻止してしまいました  ・・善意悪意を別として鮮やかな手際です。
以下紹介しますが、これが徹夜交渉までして急がせた理由だと私は想像しています。

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