言論政治活動の自由 2(テロ計画も自由か?1)

内乱罪などを処罰する規程を我が国の刑法で明記していても、これを憲法違反という主張を聞いたことがありません。
このことは、国家権力を民主的手続き外で転覆することが許されないという思想の現れです。
民主的とは民意・国民意思によるという意味ですから、国民外の意思によって内乱に限らず、個々の法律であれ、国家のあり方や国家形態を変えようとするのは実質的違法です。
国民の自由意思を尊重するとは、国外の意思によって国民を一定方向へ誘導する自由ではあり得ません。
騙されたり強迫されて表示した意思表示は、真意と違うことを理由に取り消せることが民法に書いてありますが、医師と亜gkせんsく自由な表現や自由な行動とは、古代ローマ法の時代から自分が自由に考えた結果による意思です。
民法

(錯誤)
第九五条
意思表示は、法律行為の要素に錯誤があったときは、無効とする。ただし、表意者に重大な過失があったときは、表意者は、自らその無効を主張することができない。
(詐欺又は強迫)
第九六条 詐欺又は強迫による意思表示は、取り消すことができる。

外国のための意見であるのに、国民のための意見であるかのように国民を騙す行為は、実質的意味の国民主権主義違反です。
このために国外意思の影響力を遮断するために、政治資金規制法では外国人等からの寄付を禁止しています。
1月23日現在のウイキペデイアからです。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BF%E6%B2%BB%E8%B3%87%E9%87%91%E8%A6%8F%E6%AD%A3%E6%B3%95

外国人からの寄付の禁止
「政治資金規正法第二十二条の五により、外国人、外国法人、主たる構成員が外国人若しくは外国法人その他の組織からの政治活動に関する寄付を禁止されている。しかし、2006年の改正で規制緩和された。会社法124条1項に規定する基準日が1年以内にあった株式会社は、その基準日に外国人または外国法人が過半数の株式を保有する会社だけが規制される。このときにも規制を受けない例外が設けられている。2011年には、韓国人から献金を受けたことについて国会で追及された前原誠司外務大臣が辞職する事件が起きている。」

政治資金規正法は、形式的に見ればお金さえ貰わなければ外国政府の手先になっても良いかのようですが、資金規制法の本質は、お金さえもらわなければ外国の手先になって政治活動しても良いという意味ではなく規制対象にしないというだけです。
日本国が損をしても良い・外国のために意見を言い政治行動するのは困るが、その規制方法がないので、さしあたりお金をもらっていると怪しまれても仕方ない・・しかし怪しいだけですから処罰が緩くするという国民合意のもとで、規制できる限度で規制したに過ぎない・・という法精神の表れと見るべきでしょう。
証明方法が未発達なのに思想を処罰すると自白強要になりかねない・ひいては人権侵害の害が大きい・・証拠方法未発達を前提に近代法では思想を直接処罰しないことにした背景原理です。
これが防犯カメラ電磁記録その他客観性のある証明方法が出てくると元は完全犯罪であったものが、そうでは無くなります。
パク大統領の国政秘密を友人に送信していた事件では、友人が海外転居のために受送信記録をパソコンから消去した上で、パソコンのハードを廃棄しようとしたので、それを入手した政敵関係者?が復元を試みて成功したところから始まったものです。
この頃は意思表示の多くはデータ通信で行われるので内容が記録に残るようになっていますから、共謀段階で多くの記録が残るので自白に頼る時代ではなくなっています。
内心の思想にとどまらず(秘密結社内で)外部表出した記録が残る時代です。
たまたま事務所で大分県教員選考試験で、基準に達しない受験生に対する加点が行われた結果の合格処分取り消し事件の高裁判例を読んでいると、受験記録は廃棄されてしまっていても不正加点するためにパソコン処理した記録が残っていたので、これが信用できるので、選考基準に達していなかったことが認定できるという事実認定が行われていました。
「共謀だけで犯罪にして処罰するのは近代法の法理に反する」といって満足している人は、近代法で「思想が処罰されない」のは証拠上無理があったので除外していたに過ぎない点を無視して、「どんな思想を語らっても構わない」テロ計画支援ソフトを流布させも実行に関係なければいいという原理主義に飛躍させているのです。
殺人の醍醐味やその他社会破壊計画を宣伝して、これを広めても具体的事件の実行に参画していなければ良いという意味ではなく、社会破壊計画はそれ自体社会に対する背信行為です。
特に最近のテロは瞬時に大量殺傷が可能ですから、実行に着手するまで取り締まれないのでは社会防衛には限界があります。
近代では証拠の種類がほとんどなかった・仲間の密告や自白しかなかったので冤罪等を防ぐために不処罰が人権擁護上で重要だったのです。
しかもいろんな思想の間で何が良い思想かどうかの判定が恣意的になるリスクもありました。
今や上記の通り、証拠方法が飛躍的に拡大している上に政府の気に入らなない思想だけ処罰するリスクがないように、一定の既存犯罪行為の中で一定の法定刑以上の重大犯罪の共謀だけ処罰すると言うのですから、元々の近代法思想の射程範囲内というべきです。
反対論者の頭の中が近代科学技術段階で止まっている人の集まりかというとそうではないでしょう。
証拠収集が容易になるシステム発達にいつも反対(・・例えば九州弁連の防犯カメラ設置反対論者を招いた集会を開催していることを紹介しました・・最近の著名事件ではCPS機能を利用した窃盗集団に対する捜査が違法であるという最高裁判例が出ましたが・・)してきたことを見ると、(科学技術発達によって、従来基準では証拠不十分ですれすれ無罪になりそうな事案が「証拠あり」になってしまうのが困るのを「プライバシー侵害」等を理由に反対している(私の人権意識不足の批判があるでしょうが)イメージです。
昭和30年代から共謀共同正犯論の発達があっても、命じられた部下が兄貴分の指示を暴露しない限り証拠がないという考えでした・鉄砲玉として末端配下を使うやり方が有効)が、それでもたまに裏切る部下がいるので、共犯者の自白の証拠能力というテーマで長い間法曹界では争われてきました。
この隘路を打開するために暴力団組織の命令ステムを前提にした(配下組員が親分から命じられたと言う自白がなくとも)共謀認定する実務運用がこの20年くらい前から進んでいました。
選挙法関連では、政治家本人が知らなかったでは許されない連座性が早くから採用されています。
連座制は、共犯認定が困難・・「一定の関係があれば、責任を持つ」のは(知らぬわけがないが)「知らぬ」と口裏を合わされるとどうにもならない・実質不正がまかり通るので、こういう場合には「証拠がなくとも共犯認定します」と言得ないので、連座責任と言い換えているだけですから、本質的には証拠認定の困難性に由来するものです。
この延長での共謀罪法案提出ですから、実はこの法律では証拠認定の必要性が変わらないので、捜査機関の証拠収集能力(科学技術の発達)のアップがない限り実際には法ができても運用実績が挙がらないはず。
連座制のように事実認定なしに実質的に共犯とみなしてしまうのとは異なり、証拠が必要とされる点では近代法理・犯罪の認定は証拠によるという近代法の法理に反していません。
法律が出来ても証拠がない限り検挙もできませんから意味がないのですが、今は多様な証拠が生まれつつあることに応じた法律になった・・それだけに「免れて恥なき徒」にとっては一歩進んだ脅威になるのでしょう。

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