天皇観が根本変化したか2

GHQ憲法草案(・・ここでは天皇制限定)が、そのまま憲法になりえたのは強制によるのではなく、日本人の抱く歴史的・実際的天皇観にもあっていたので国民支持を受けたことによると思われます。
美濃部達吉一人がGHQ案に反対したのは、もともと天皇機関説批判論は学問でない・・実態に合わない妄想でしかないから、君側の奸である軍部狂信主義者の妄想さえとり除けばいいというのが彼の信念だったからでしょう。
この点では、戦後の憲法改正作業に関して宮沢教授が当初述べていた部分改正で良いという意見にも繋がっています。
(この辺はどこかの学説を読んでの意見ではなく私個人の思いつき意見です)
憲法改正に対する美濃部説や宮沢説を理解するには、両者がどの部分をどのように改正すれば良いとする案であったかを見ないと正確には言えませんが、そこまで読み見込んでいませんし引用して比較しているとくどくなり過ぎます。
正確に知りたい方は、以下に引用している国会図書館の資料に入ってご自分で読みくらべてください。
以下に紹介する通り憲法改正の流れでは、結果的にGHQに押し切られて言いなりになるしかなかったのは事実ですから、この外形だけを見れば、外国の強制によって憲法が制定された上に、明治憲法では前文と第一条に

「朕祖宗ノ遺烈ヲ承ケ万世一系ノ帝位ヲ践ミ・・・国家統治ノ大権ハ朕カ之ヲ祖宗ニ承ケテ之ヲ子孫ニ伝フル所ナリ・・」
「第1条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」

とあったのが、日本国憲法では

「第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」

その他内閣の輔弼が助言承認となり、国会が天皇の協賛機関ではなくなるなど関連改正があった以上は、国体変更になったという解釈が確かに可能です。
宮沢教授その他当時憲法改正に関与したエリート学者の多くは、自己の主張が46年2月13日にGHQに真っ向から否定されて格好がつかなくなったことから、自己の理論は正しかったがGHQの強制要素・・8月革命説を主張したい心理もわかります。
しかし、昨日紹介した通り連合国が日本降伏前から、天皇制廃止を考えていなかったし、実際の占領政策でもマッカーサー自身が天皇制利用の占領政策を基本としていました。
その方が占領支配が円滑に行くからです・・・このような国民の天皇に対する尊崇精神利用は、現実政治としてはいつの世でもどこの世界(植民地支配でも土着権力を利用する方法)でもありうることです。
蘇我氏であれ摂関政治〜清盛であれ、尊氏〜信長であれ家康であれ、明治維新の薩長土肥政権であれ、武力背景に朝廷を圧迫しながらも天皇の権威利用価値があったので適当に妥協して利用していた点は同じです。
だからと言ってその都度天皇制の根本が変わったという歴史家はいないでしょう。
美濃部説とGHQ草案の違いは、形式上でも天皇大権が憲法上にあると、これを悪用する組織が台頭するのを防げない・錦旗を握った方が何でも出来てしまえるリスクをどう見るかにあったのではないでしょうか?
軍部がまた政権を握るリスクを連合国が非常に恐れていた実態があります。
実際にこれを防げずに美濃部氏は貴族院議員を辞めざるを得なくなりました・・を危惧していたこと・・権力(錦旗)を握れるのは民選議員の多数派=投票による確かな民意だけに限定するという方法の違いでしょう。
アメリカ型民主主義を「投票箱民主主義」と揶揄されますが、民意を知る方法を神威によるとすれば権力を握った者の恣意的操作(政敵・道鏡失脚の宇佐八幡のご神託など史上いくらでもその例があります。)に陥りやすい欠点があります。
今ではメデイアの世論調査次第・・自説に誘導すべくニュースの取捨選択で民意を操作しようとするリスクが問題になり始めました。
国内政敵どころか、仮想敵国が相手国の世論操作に絡むようになってきたのでその危険性が表面化してきたのです。
トランプ氏登場以来マスメデイア操作による民意創出が問題になっていますし、私自身も昨秋の総選挙直前ころに行われていた大手メデイア世論調査結果と、実際の選挙結果との乖離(ニコ動だけがほぼ一致)について疑問を呈してきました。
ロシア等のメデイア介入があったか、フェイクで操作されたかどうかは別として投票結果は、少なくともその時点での民意であることは間違いのない事実でしょう。
日本側政府案を作った学者は私など足元にも及ばない秀才揃いでしょうが、摂関政治の頃から変わらぬ天皇制の本質・象徴であり民の尊崇の対象であり続けてきた本質をみずに、天皇の名で(天皇大権や統帥権を利用して)統治する形式を重く見すぎていたようです。
・・だから、そこに手をつけないことが国体を守ることになる考え、姑息な改正案しか発案できなかったのに対して、連合国やGHQは第三者・岡目八目の優位性で古代から続く天皇制の実態・本質をよく見ていた違いではないでしょうか。
実は権力に気兼ねのない民間の憲法改正案では、45年12月には現憲法同様の民意による象徴天皇制に基づく改正案が発表されていたようですから、民間(といっても相応の学者ですから、要は政府に重く用いられていない・束縛のないフリー?学者)・国民の方が実態に即していたことになり・エリート学者の完敗です。
エリートもわかっていたが立場上そこまで言えなかったとすれば・・天皇を利用する「君側の奸」勢力に気を使う御用学者の方がおかしいのです。
宮澤教授の時の権力に合わせた変節ぶりを昨日紹介したばかりです。
次の芦部教授も結局は世界権力者であるアメリカの判例動向(二重の基準)をいち早く取り入れて、憲法学会の1人者になったように見えます。
http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/02/052shoshi.htmlの資料からです。

2-16 憲法研究会「憲法草案要綱」 1945年12月26日
憲法研究会は、1945(昭和20)年10月29日、日本文化人連盟創立準備会の折に、高野岩三郎の提案により、民間での憲法制定の準備・研究を目的として結成された。事務局を憲法史研究者の鈴木安蔵が担当し、他に杉森孝次郎、森戸辰男、岩淵辰雄等が参加した。
12月26日に「憲法草案要綱」として、同会から内閣へ届け、記者団に発表した。また、GHQには英語の話せる杉森が持参した。同要綱の冒頭の根本原則では、「統治権ハ国民ヨリ発ス」として天皇の統治権を否定、国民主権の原則を採用する一方、天皇は「国家的儀礼ヲ司ル」として天皇制の存続を認めた。また人権規定においては、留保が付されることはなく、具体的な社会権、生存権が規定されている。
なお、この要綱には、GHQが強い関心を示し、通訳・翻訳部(ATIS)がこれを翻訳するとともに、民政局のラウエル中佐から参謀長あてに、その内容につき詳細な検討を加えた文書が提出されている。また、政治顧問部のアチソンから国務長官へも報告されている。

憲法研究会のメンバーや憲法草案要綱を明日紹介します。

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