憲法学とは?1(国民意識との乖離)

昨日紹介したのは、平成26年の内閣府調査なので左翼系にとってが色眼鏡でみる余地があるとしても、自衛隊縮小論が国民の2、6%しかいない状態は実感にもあっているように見えます。
まして平成26年から約3年以上経過の間に北朝鮮による日本上空通過のミサイル実験や中国の挑発・つい先日も中国の攻撃型原子力潜水艦が尖閣諸島の接続水域を潜行のまま航行した事件がありました・・が厳しくなる一方ですから、迎撃ミサイルや、レーダー装置やスクランブル対応が増えるので人員増などの増強必要論がもっと増えているでしょう。
今でも憲法学者の7〜8割も自衛隊違憲論(縮小どころか廃止論でしょう)になっている・・国民・民族意識と全く逆方向の基本思想(実質的憲法観)を持っている憲法学者とは何者か?何を研究する学問か?となります。
数学や物理の場合には、100対1の少数意見でも正しい答えは正しいのですが、憲法・民族のあり方(年末から書いてきた「実質的意味の憲法」)がどうあるべきかのテーマについて、専門学者の7〜8割の意見が国民97%の意見と真逆の結果を示すとはどういうことでしょうか?
憲法学とは何を研究する学問でしょうか?
憲法条文の形式的意味の「国語?」研究者であって、あるべき民族精神・「実質的の憲法」の研究者ではないのでしょうか?
学問は「民意と関係がない・民意におもねないのが学問だ」この憲法が実態・民奥意識に合わないかどうかは民意で決めればいいことで、学者は現憲法の形式文言を理解し、その限界を言うだけだ」実態に合わないから「変更の必要があるかどうかは政治家の問題」という逃げの論理でしょうか?
法律や規則を最先端実態に合わせて作ってもすぐに時代遅れになる結果、現場で不都合だとしても、法がある限り「悪法も法なり」として公務員や産業界では仕方なしに従っていることがいっぱいあって、その不都合が実務官庁や関連業界が政治を動かし次の改革の原動力になります。
あるいはある規則などを制定運用して見て、数年後その結果を見て修正していくことを予定されている法令がいっぱいあります。
憲法学者も「国民には自分の生命や財産を守る権利があり、自衛権が必要と思っているが、今の憲法に書いている以上不都合としても学者としては正しいことを言うしかない・節を曲げるわけにいかないから違憲と言っている」だけという人もいるのでしょうか。
1月17日に書いたように解釈合憲という考え方がある・ABCDの解釈のなかで合憲になる説が一つでもあるならば、合憲になる説を取り、合憲になるような運用を求めていけば良い・他の説では違憲になるからと言って厳しく自説での運用を求めれば足りるのではないでしょうか?
法令でも担当者に裁量兼があるのが普通ですが、裁量範囲を逸脱すれば違法になるから、担当者は気を使って裁量権を謙抑的に行使しているのですが、違法な裁量権の行使自体を法は想定していません。
仮に裁量行為の違法(ミス)があれば、行政服審査請求→行政訴訟によって是正される仕組みです。
「違憲行為をできる恐れがある」という意見が正しければ、裁量権を逸脱した(違憲)行為の差し止め請求ができる理屈です。
物事は具体的状況によりますから「自衛のために必要か否か」その時の事案に応じて対処方法を判断する必要があるでしょう。
現在でも警官の発砲が妥当であったかが具体的事案に即して判断されるのと同じです。
上記の通り、裁量行為であっても行為によっては違法な裁量もありますが、そもそも法の解釈については、17日に見たとおり、ABCなどいろんな考え方・説があります。
合憲説根拠のあらましは、「国家存続のためにある憲法が国家存続の基礎である自衛行動できないとは考えられない」という一般論の外に、憲法自体に国民の生命維持・幸福追求権が明記されていることなどが挙げられていて、憲法全体を見た解釈として合理性があり、箸にも棒にもかからないような荒唐無稽な意見ではありません。

憲法
第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

戦後70年、警察予備隊〜自衛隊発足後で約60年間で見たら、自衛隊が違憲になるような危ない運用をしていませんし国民の97%もそれを認めています。
警官が職務質問できるとむやみに検束され、拳銃を持つと国民がむやみに殺される心配が日本の国では実際的でないのと同じです。
憲法学者にとっては「公務員は権限を乱用するもの」という思い込みがあるのでしょうか?
そういえば最近激しくなってきた立憲主義運動では、権力監視が近代立憲思想のキモであるという主張が目立つようになりました。
専制支配の中国などでは必要な議論でしょうが、肝心の中国で主張しないで(私が弁護士になった昭和40年代でからずっと、中ソの原爆実験やひどい公害発生には何も言わず、日本産業発展の阻害になることには熱心でした)これを日本に持ってきてありがたそうに高説を垂れても、古来からお上を信用してきてひどい目にあったことのない日本国民にはしっくり来ないでしょう。
酷い政治をしてきた中国や朝鮮とでは歴史が違います。
上記の通り、合憲解釈が可能で・その枠内の運用が実際に長期間行われてきた実績があるのに、いまだに自衛隊の存在だけで違憲になる説を採用して、国民の生命財産を守ることも出来ない説を取る憲法学者が7割以上もいること自体が不思議です。
憲法学者の大方は、自衛隊の存在意義を97〜98%もの国民が認めている国民意識に反する価値観を持っているのでしょうか?
意識は国民と同じだが「不都合かどうかは、憲法改正するかどうかの政治問題だ」とするならば、不都合な実態に精通しているはずの専門家として、上記関連業界同様に不都合な憲法に対する改正運動に精出すはずですが、逆に憲法学者と護憲運動が大きく結びついているイメージがメデイアで流布しています。
ただし自衛隊違憲論者の中で改憲論必要と改憲反対がどういう比率になっているかの統計をみたことがない(弁護士会のチラシ等では改憲反対傾向の講演会ばかりなので、改憲賛成派学者がどのくらいいるのかすら分かりません)ので、実はメデイアのイメージ報道がフェイクの可能性があり、実態を知りません。
憲法学者多数か少数意見か不明ですが、一方で「憲法には人類普遍の原理」(・・多分「平和主義」を言いたいのでしょう)があるので、この原理は変えてはいけない」という主張も合わせています。
自衛隊合憲論が多数そうなので今度は、「平和憲法の思想」だけはは守ろうとする二段構えの主張のようです。
最近活発化してきた「近代立憲主義」の啓蒙活動?は、学問的主張のように見えて(高尚な理論の理解能力の低い私の場合)憲法改正反対意識をじわじわと浸透させる運動のような印象を受けます。
しかしか彼らが守ろうとする「平和の思想」自体がはっきりしない・彼ら独特の非武装思想のように見えます。
中国等日本隣国の重武装・核実験に反対運動どころか戦後ずっとノーコメントで、日本だけの非武装平和論ですから、公平な思想とは言えないでしょう。
思想ならば日本だけに適用があるのではなく、世界中に普遍的であるべきです。

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