言論政治活動の自由 3(テロ計画も自由か?3)

平和主義とか表現の自由というナイーブな原理論だけでその具体化の議論がほとんどない風土になっているのがふしぎです。
我が国では「羹に懲りて膾を吹く」というか、自由を守るためには許される限界論が必要なのに、自由といえば何でも自由、平和と言えばどんな不当な要求・侵略にも抵抗しない平和・「軍備を持たない平和」という短絡的発想のイメージ報道が多すぎるように思えます。
現実の必要から各種人権思想が生まれたのではなく輸入思想であるから原理原則の強調に関心が行き、実際に運用すると起きてくる不都合にどうやって対処するかに目が届きにくいのかも知れません。
車の普及.金融取引であれ貿易の自由化であれ表現の自由であれ、活発化を図るには逆に管理しながらより一層の普及を図るのが一般的ですが、日本では平和論や思想表現の自由を守るための具体論をタブー視している結果、却って健全な議論を妨げているように見えます。
敗戦ショックの直後には、具体論よりも平和を守ろうという理念に感激しているだけで良かったし、実際的に世界大戦が終わり国際連合発足など世界平和に向けた世界新秩序構築が動き出したばかり・・しかも当時世界ダントツの米軍が守ってくれている安心感もありましたので心情だけではない合理性にも裏うちされていました。
私も数十年前までは世界平和を守るには民族別戦力強化ではなく、国連の(国連軍?)強化を期待する方向で何となく考えてきたのは、敗戦ショック+国連への期待感と合わせた戦後教育にどっぷり浸かった育ったせいです。
ところが、世界連邦のようなものは実現性が乏しく、しかも1国1票の平等性の場合民度レベル差が厳然として存在する結果、(我が国で思っているような公正な公務員や公正な政府など滅多にない・・西欧でも革命などの命がけの反抗をしないとまともな政治が期待できなかった社会であることを証明しています)公正な議論よりも買収工作等に長けたずるい国が多数支持を握る現実の醜悪さが出てくる実態が明らかになってきました。
日本人の考える政府の公正さの基準からすると米国も自分勝手なところがありますが、イキナリ北朝鮮が南の韓国侵略を始めた朝鮮戦争が起き、米ソの角逐が始まると世界はまだ無防備での平和は存在しないと知るようになりました。
以後の平和論は抽象的平和論ではなく、源平時代の武士のように米ソどちらについた方が自国の安全を守れるかの平和論に変わっていった事になります。
どちらについても応分の軍事協力を求められる点は源平時代の武士団同じでした。
その頃から西側の核実験や公害等だけ非難する革新勢力の偏頗性が際立ってきたので、(両方非難していれば私もそのママついていったように思います)私のようなノンポリは彼らの主張はおかしいと疑問を持つようになって支持離れを起こしてきたのです。
ソ連崩壊後世界一強になったはずの米軍の国際的警察力の陰りが(対テロ戦の脆弱性と中国の台頭により)却って明らかに見えてきたので、米軍に頼っていれば安心と言えなくなり一定の自衛力の必要が生じてかなり経つのに、具体論に行くのをいまだに拒否する人がメデイア界で幅を利かしているのは不思議です。
日本で抽象論が隆盛と言っても、それは憲法学者やいわゆる文化人等の一部職種でこだわっている人が多いにすぎないのにこれをメデイアが国民の代表のように大宣伝しているだけで、実は人口の2〜3%しかいないのです。
日本では共謀罪法案でも秘密保護法案でも、反対論者は「近代法の法理を守れ」と言いっ放しでその先の具体的な議論をまったく報道しません。
(私は先進国に存在する共謀罪やスパイ防止法と比べて我が国の規定がどう言う点で問題があるのかの具体的議論を知りたいのに、法律専門家であるはずの弁護士会主催のビラでさえもこれが全くないと批判してきましたが・・)
思想表園の自由といっても、強盗や殺人等が犯罪であるということは窃盗や強盗や殺人傷害等が正しいからどんどんやりましょうと煽動する思想や表現も本来道義的に許されないものですが、思想そのものの事実認定証拠収集が難しいので、そういう法律がないだけ・どんな思想を持とうと勝手ではなく、処罰する方法がないだけです。
近隣国の反日感情を煽り対日侵略意図を高める程度であれば、内乱予備罪や外患誘致罪にならないとはいえ、道義的に許される行動ではありません。
およそ、刑法で処罰されない限りスレスレ行為をしても良いという生き方・・犯罪すれすれ行為・・証拠さえ残さなければ良いという生き方を日常的に行うのは、人のあり方として褒められた行為ではありません。

刑法
第三章 外患に関する罪
(外患誘致)
第八一条 外国と通謀して日本国に対し武力を行使させた者は、死刑に処する。
(外患援助)
第八二条 日本国に対して外国から武力の行使があったときに、これに加担して、その軍務に服し、その他これに軍事上の利益を与えた者は、死刑又は無期若しくは二年以上の懲役に処する。
(わいせつ物頒布等)
第一七五条 わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は、二年以下の懲役若しくは二百五十万円以下の罰金若しくは科料に処し、又は懲役及び罰金を併科する。電気通信の送信によりわいせつな電磁的記録その他の記録を頒布した者も、同様とする。
《改正》平23法074
2 有償で頒布する目的で、前項の物を所持し、又は同項の電磁的記録を保管した者も、同項と同様とする。
(名誉毀損)
第二三〇条 公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、三年以下の懲役若しくは禁錮又は五十万円以下の罰金に処する。

道義違反と法的規制可能かとは別問題です。
刑事処罰されなければ正しいわけではありません。
外国の介入を招く目的の政治意見が民族国家的には重大利敵行為ですが、これを直接刑事処罰するには冤罪を防ぐための構成要件明確化に無理があるので、現在たまたま不問にされているにすぎません。
「人の生命を奪え」というような意見流布宣伝が政治意見だとしても道義的に許されることはありません。
しかし上記のようなはっきりした主張は少なく「戦う前に相手に屈服したほうが良い」と言うのも、あるいは戦争途中で早めに降伏した方がいいかの判断も国を守るための一つの意見ですし、利敵行為とは言い切れません。
ポツダム宣言受諾をもっと早くすべきだったかの問題と同じです。
無抵抗で相手の軍門に下るかの判断は圧倒的に相手が強い場合無駄な抵抗をしないほうが良いのは、暗闇で暴漢数人に襲われた時の身の処し方と同じですが、ほぼ国力均衡あるいは自国より圧倒駅に弱小国相手でも、「無防備でされるままにしたほうが良い」と言い出すと、その思想の不自然さ・明白性が出てきます。
北朝鮮の場合には相応の反撃力があるので米国が安易に総攻撃をかけられないジレンマに悩んでいることからも、(100対1でも)相応の防衛力があれば相手が安易に攻撃を仕掛けられないことが証明されています。
このように自衛戦力は攻撃相手国の何分の1でもよい・・侵略目的でなければ、自衛力保持は安上がりでしかも安全です。

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