米中の親和性と日本文化の隔絶2

これに対して中韓は、慰安婦攻勢や南京虐殺に日本が反対するのは、アメリカの戦後レジームに対する挑戦・・「アメリカに対する反抗と同じ」と言う旧来型論法で慰安婦攻勢や南京虐殺宣伝で反撃を強めました。
日本としてはアメリカに対してある程度不満があっても、(日本が世界のナンバーワンを目指すことが出来ない以上は)中国支配よりはアメリカの方が良いので、パックスアメリカーナ自体に挑戦しているものではありません。
むしろパックスアメリカーナに対して正面からの挑戦姿勢を示し始めたのは、中国の方であり、これにすり寄った韓国の方でした。
中国が尖閣諸島一点突破を図ればまだ道があった・・日本も苦しかったのですが、中国の対日暴動その他は国内矛盾激化をそらす方策の1つでしかなかったから、日本の思わぬ反撃にたじろいでいると国内政治が持たないので、今度は抵抗力の弱い西沙南沙諸島に目を向けざるを得なかったと見られます。
この作戦変更は相手が弱くて無抵抗なので、簡単に既得権の確保をしつつありますが、中国の周辺国の警戒感を生み、膨張主義と言うレッテルが国際的常識になって来たことと、アメリカもまだ世界の警察官役を完全にやめたとは言えない以上、この膨張主義を放置出来なくなりました。
このねじれ現象が日本に幸いして、このまま尖閣諸島や南沙諸島を中国にとられてしまうのでは大変だと言うアメリカが(目先の)価値判断に傾きました。
尖閣諸島に中国の基地が出来ると太平洋に中国潜水艦が自由に出入り出来る・・アメリカの安全保障上も座視出来ませんので、「戦後秩序を見直したい」と言う基本姿勢の安倍政権を潰してしまう訳に行かず、占領政治の批判さえしないならば・・と言う範囲で、アメリカが「当面」日本の応援をするしかなくなったところです。
イラク侵攻以降、世界中でアメリカのやることなすこと評判が悪くて信用ガタ落ちで、反米感情が広がる一方になって来たこともあって、唯一アメリカ支持を続ける日本をむげに扱うことが出来なくなって来たこともあります。
世界的に見れば西洋や中東諸国での反米感情が凄まじいものがあって自信を失って世界の警察官ではないと言い出したのですが、東南アジア諸国では、まだ反米感情がそれほどではないので、東南アジアではまだ権益を守りたいし守れるだろうと言うのがアメリカの本音で、アジア回帰と言い、アメリカ中心経済圏TPP構築に乗り出したのです。
TPPを意味あるものにするには日本参加が必須でしたし、この辺は、補完勢力としての日本の重要性を、2014/02/22アメリカの指導力16(引き蘢りのリスク5)ころまでと〜May 4 2015「覇道と日本の補完性1」まで書きましたが、話がそれていますので「補完2」以降は来年始めころのコラムに先送りになっています。

米中の親和性と日本文化の隔絶1

23日の続きです。
日本民族は西欧近代で民族主義が始まるずっと前の古代から・・白村江の海戦敗北以降日本列島を上げての列島防衛意識の高まり・・列島人一丸として戦う前提で、国家体制の再構築(大化の改新)に邁進し、防人制度も創設しました。
卑弥呼の頃には、それぞれがバラバラに交易していて今のような民族意識はなかった筈ように習いますが、(交易用に代表団を結成しているうちに一体感が出来たのか?)長い交易期間を通じて列島人と半島人と気質の違いを実感して来て「自分たちとあいつら」の区別がしみ込んでいたからでしょうか?
文字を残した中国の史書だけを基準に考えて来た従来の歴史学から見れば、日本列島は卑弥呼のこの頃にはまだ未開の地域ですが、考古学が発達して来ていろんなことが分って来ると・・1万年前後遡ると、列島の縄文文化の方が進んでいた可能性すら分ってきました。
何もかも大陸から伝来したのではなく、逆に日本の工芸品?が大陸にわたっていた様子・・遠慮して言えば可能性が出て来たのです。
このように歴史は魅力一杯ですから興味が尽きませんが、縄文時代から植林するなど循環型社会が根付いていたことが既に知られているように・・これが佛教の輪廻思想が根付いた所以です・・循環型になると環境重視→同じ環境を利用する共同体意識が強力になります。
日本の場合、外敵と戦うための民族意識強調と言う政治目的による根の浅い概念ではなく、環境重視=共同体意識が縄文時代から自然発生していた・・その後水田・・灌漑社会になって、より共同体意識が強固になって行ったことが今の西洋流の民族意識の母体になっているものですから、西欧で言い出した民族意識よりも歴史が古く基礎がしっかりしています。
ゴーストタウンにして街を棄てて行く・・居住地域を結果的に砂漠化させて移動して来た世界中の有名文明の跡地とは心構えが違っています。
・・アメリカや中国(公害を除去しないで、北京を棄てようとしています・・)の生活意識では、先祖代々繋がるような共同体意識が育ちません・・そこで、権力維持のためにアメリカでは国旗を振りかざして国歌を歌う程度の皮相な愛国心の強調の場合、いつも外敵が必要です。
平和のためと称して、アメリカは戦争ばかりして来たことを見れば分ります。
西欧の民族意識強調は、ナポレオン戦争遂行の必要のために生まれたもので、日本のように共同体・・環境や動物愛護意識から、自然発生的に生まれたものではありません。
運命共同体意識の強さに比例して、よそ者の参加にはハードルが高くなるの当然です・・インフラ整備に参加していない人がイキナリやって来て無償利用出来るのでは、代々の積み重ねで築き上げた環境を他所から来た人にただで利用されることになります。
何かの行事をみんなで苦労して盛り上げて来たときに、全く手伝わなかった人がハイライトのときだけ参加して大きな顔をされたらしらけるのと同じです。
環境に関心の低い・・格差社会の国が、「よそ者を低賃金労働に使えれば良い」と言う計算で受入れるのとは訳が違います・・日本人は一緒に住む限り平等前提で、格差や奴隷制度を前提に低賃金労働者を受入れることが出来ません。
防人は・・東国人中心に編成されていた・遠くの九州の防衛に協力させていて破綻しないで、機能していたことが驚きです。
一般に東北地方の服属は、征夷大将軍坂上田村麻呂の遠征によると言われていますが、大化の改新のころには既に東国(と言っても岐阜県以東?)からの防人派遣がさしたる抵抗なく?(万葉集等に出て来るだけで歴史書に出て来ないだけかも?)行なわれていたことになります。
危機が治まれば民族意識は鎮静して平和主義に徹して柔弱そうに見えますが、中世での蒙古襲来時の団結力・・幕末ペリー来航時の庶民に至るまでの国防意識の高まりなどなど、民族防衛意識は世界一高い民族性です。
民族を守るために命を投げ出す覚悟のある日本民族の強固な意識は、民族の一体感より一族の利益を守る意識中心の中韓等民族意識がまだ1つハッキリしない国では、理解を超えた状態ですから、マスコミ中心に流布している非武装論を日本人の脆弱性と誤解してしまったように見えます。
日本人は腰抜けばかりになってしまったから、一撃を加えればすぐに折れてしまうと甘く見て攻撃強化を始めたのが中韓両国の失敗です。
(ロシアは日本が怒り出すとすぐに引いてしまい対日友好外交に切り替えたのは日露戦争の教訓があったからでしょうか?)
変わり身が早いと言うべきですが、・・日本人からみれば、日本の弱みに付け込んだ先の不可侵条約違反→シベリヤ抑留と二重写し・・ロシアは日本が弱ったと見れば何をして来るか分らない国と言う記憶を呼び起こしてしまうマイナスに気が付かないから、露骨なことをするのでしょう・・。
(ロシアは国の歴史が浅くて目先の損得しかない・・最近のプーチン氏のやることは一見うまく行っているようですが、(ウクライナ侵攻・クリミヤ併合、やシリア介入・トルコ威嚇等々・・)相手の弱みに付け込むだけで、あまりにも見え透いていて子供みたいです)

クリスマス・イヴ(日々是好日)

今日は、年末の楽しみの1つになった・・クリスマスイヴです。
子供が育ち上がってからは大分楽しみ方が変わりましたが、この数年では高齢化して来たからか、日々ささやかなことを楽しく、有り難く感じるようになり、私が弁護士になるかならないかの頃に人気を博していた武者小路実篤の絵画+書?「日日是好日」等のイメージが身に付いてきました。
武者小路と言えば青春時期に「友情」などいろんな著書を読んだことをすっかり忘れていました・・もはや青春時代は茫茫たる過去になりました。
70歳を過ぎたころから、腰を屈める作業がきつくなったからか、庭いじりがおっくうになって来たように感じられ休日は周辺散歩・・美術館・博物館へ出掛けたり食事に出る回数が増えました。
その気になれば、東京には各種美術館、博物館があって、あちこちお勉強を兼ねた娯楽に出かける場所は、いくらでもありそうな感じです。
ここ1〜2年は京都などの遠隔地旅行よりも、都内と千葉県内・・近場の日帰り行楽中心になってきました。
昨年あたりまでは、東京地裁の裁判に行ったついでに、その日はその他の仕事は休み?にして、妻とともに国立劇場や歌舞伎座、日生劇場果ては、宝塚歌劇まで見て歩くことが多かったのですが、今年に入ってからは、日程の合う裁判がなかったことから、日弁連等に出掛けるついでに都内に住む娘と待ち合わせて近くのレストランで食事するくらいでした。
この数年体力が衰えたのか、美術鑑賞・・行動よりもレストランで食事を楽しむ時間の方が多くなった感じです。
東京地裁の場合、松本楼3階で食事したり、佐倉市の川村美術館の場合、ここ数年は美術鑑賞は二の次で、食事目的に出掛けてついでにお庭の散策などを楽しむようになっています。
成田山も年に一回行きますが、これも行きつけの店で天然ウナギを食べるのが主目的です。
食事中心・・そのついでに演劇や展覧会を楽しむようになって来ると、国立劇場(の場合には2階廊下にかかっている名画鑑賞する楽しみがありますが・・)や歌舞伎座の食事レベルが低いのが難点です。
元々の歌舞伎座は食堂形式で酷いものでしたので、建て替え後に期待していましたが新館になっても、新建材になった程度の違いしかなく、窓から見える景色はどこかのビルの裏側と言う感じでまるで戴けません。
日生劇場でも国立劇場でもどこでも、多くの人が長椅子でおにぎりをパクついているのを見ていつまでも戦後じゃあるまいし・・といつも思っていましたが、歌舞伎座はバブル経験後に折角建て替えながら戦後の延長の発想しかないのにがっかりしています。
日生劇場が出来たころの報道を記憶していますが、全面石張りの豪華な劇場が出来て日本にも、西洋的本格劇場が出来たと言うニュースでした。
ドチラが早かったかはっきり記憶していませんが、同じ頃に帝国劇場を取り壊していた・・丸い大きな鉄球をドーンドーンとぶっつけるやり方でしたので非常に印象強く残っています。
そのころは箱物を作るのがやっとで、国民も貧しく食事を楽しむことまで想定出来なかったでしょうが、国立劇場が出来たのは昭和40年代に入ってからですので、立派な食事場所が設定されていますが、役所内食堂の印象を拭えないのが難点です。
この点では上野の東京都美術館には最近奥まったところにちゃんとしたレストランが出来ているのが有り難いです。
高齢化すると量を食べられないからか、良い雰囲気で、良いものを食べたくなります。(おにぎりやサンドイッチを食べてくれと言うのでは困ります)
夏ころにブリヂストン美術館が閉館になると言うので家族で出掛けましたが、このときは東京駅を出たところにあるシックなレストランに入って楽しみました。
数週間前に三井本館内美術館の開館何周年?記念展に出掛けたときには、同三井本館と一体化した高層ビルのホテル内レストランの予約が取れなかったので、美術館内のレトロな軽食店で軽く食べて帰って来たので食事内容に物足りない思いをしたものの、レトロな雰囲気自体は気に入りました。
三井本館は立派な木材を使っているので、10年ほど前に奈良ホテルに連泊して食事をしたときの雰囲気を思い出しました。
奈良ホテルは良い木を使っているのが特徴ですし、レストランは庭園に面していて、雰囲気があって楽しいものです。
自宅が千葉駅に近いので、千葉→上野間が京成電車で40分前後、千葉→新日本橋間がJRで30数分で行ける・・新日本橋駅から三井本館・三越本店まで徒歩5〜6分で行けるので、時間的には自宅近くの散歩と大差ないのですが、やはり自宅周辺の散策の方が気楽です。
知らず知らずの間に日々体力の衰えが忍び寄り、これがいつの間にか行動価値観を変えて行くようです。
事務所は自宅から歩いて行ける距離にあるので、天気のよい休みの日には、家族でぶらぶらと歩いて出掛けます。
私の事務所の入っているビルにマニア向けの小さな映画館があって、イタリアやフランス、スペインなどを舞台にした映画が、しょっ中かかっているのでこれを見に行くのを楽しみにしています。
アメリカ映画と違って、ヨーロッパ映画は人間観察が深い・・味のある・コクのある映画が多いので、我が家の人気です。
映画館から数十メートルの場所に千葉市美術館があって、同じビルの11階のレストランがお気に入りで、映画の前後に昼食を取ってひとしきり楽しんでから余った時間で美術展を楽しんで帰るコースです。
千葉市美術館には東京のような国宝級の展示はありませんが、相応のレベルの作品展示があり、企画力があってわたし的に気に入っています。
家族で年会費を払っているので、ぶらっと何回入っても無料ですからその日の時間余裕次第で30分程度でも良いので、気楽です。
帰り道に、妻の気分次第デパートによったりして賑やかな駅前付近を通り抜ける頃には、日が暮れて、東京ほどではないにしても地元の経済力に応じた質素なイルミネーションで十分満足しています。
こんな具合に・・徒歩圏内で休みの一日が終わるのは、高齢化組に入った今の私にとっては、正に「日々是好日」です。
数日前に来春隠退すると言う先輩弁護士と食事をしましたが、海外や遠くには行きたくなくなったと話していました。
若いときには若いときの楽しみがあり、高齢者に高齢者の楽しみがあると言うことで、どちらが良いとも言えません。
春夏秋冬、朝〜昼〜宵〜晩、それぞれの楽しみ方がある・・宵のころ〜夕暮れは(秋に限らず春でも)格別の味わいがあって、日本では古来から歌に詠まれてきました。
23日天皇誕生日の休みを利用してデパ地下のにぎわいの中での買い物を楽しみ、我が家ではクリスマスイヴを済ませてしまう慣例にしています。
天皇誕生日がこの日になってから、既に27回目ですから、こちらも年をとる訳です。
そろそろ目一杯仕事をしなくとも良い年齢でここ数年余裕の人生になっていますが、今年も今日24日夕方4時から役所関係の会議が入ってしまいました。
私の方は、どうせ23日にクリスマスイヴを済ませる予定でしたので、24日は関係ないよと言うつもりで「良いか!」と言うことで受けたものです。
(日程調整した役所の人もそう言う気持ちかも知れません)
日本中でクリスマスイブを23日に行なう習慣が定着してしまうと数百年後には、「日本の天長節を西洋では一日遅れで祝っているのじゃないか?」「日本は一日早く日の出があるじゃないか?」「皇紀2000何百年とか言うから、キリストよりも古いし・・」とこんがらがって来るのでしょうか?
「日日是好日」に戻りますと、老年期を人生の「たそがれ」にするか、「黄金の夕暮れ」にするかは、本人次第です。
ちなみに「たそがれ」とは夕闇迫る頃合い・・薄暮に、視界がはっきりしないので「たそ?(誰か?)「彼は?」と言うだけのことであって、「枯れる」意味ではありませんが、高齢化=枯れるようなイメージを持たれる方が多いので、一般イメージに合わせて書いています。

非武装平和論の利益帰属主体は?1

社会党が方針転換するには党内に異論があったでしょうが、この時点で社会党内ですら自主防衛権否定論は少数説になっていたことになり、社会党内でさえ異端の少数説が憲法学者の世界では多数説として生き残っていることが分ります。
このように憲法学者は社会党でさえ支持しない国内で浮き上がった主張を維持する存在になっていたにも拘らず、集団自衛権に憲法学者の多数が反対していることを以て、「国民多数の反対を無視して強行した」とすり替えてマスコミが宣伝しているのですから不思議な論理です。
元々彼ら憲法学者の多くは、(憲法を字義どおり・・制定者の真意をそのまま守るために?・・解釈合憲の便法を認めず)社会党が認めた自主防衛権さえ反対しているのですから、集団自衛権にも反対するに決まっていますので、彼らが反対声明を出しても本来何ら新しいことではありません。
こう言う勢力が国内でマスコミの応援を受けて実態以上に声が大きかったことが、日本に対しては何をしても構わないと言う周辺国の侮りを受け、竹島に対して毅然とした態度を取らないことが尖閣諸島に対する領土要求を誘発し、反撃の心配がないことから気楽な反日批判を誘発して来たのです。
中ソをバックにして日米安保条約を根底から否定して来た反米左翼・文化人が、アメリカの非人道的占領政治を一切糾弾しないばかりか、アメリカ軍による制定憲法に対する護憲勢力化しているのは一見矛盾です。
彼らはアメリカ支配を拒否しているだけであって、中ソによる日本支配を期待していたとすれば、日本が異民族支配に不満を持たず無防備無抵抗主義・・弱体なままのが方が便利です。
このためにインド独立に関しては、ガンジーの無抵抗運動の結果独立出来たかのようなマスコミ宣伝や教育されて来ましたが、実態は違います。
独立の戦いが続いていてその終盤に無抵抗の運動も参加したに過ぎません・・欧米系マスコミは独立運動に負けたと言いたくないのでガンジーを大げさに報道しているだけでインドではそんな意識はありません。
黙っているだけでどん欲な欧米諸国が植民地を手放す訳がないことは、(ベトナム戦争で有名ですが・・ビルマ、インドネシア、アルジェリアその他全て独立戦争または内乱的動乱状態を経て独立出来たのが)歴史事実です。
ソ連が東欧諸国を人道的配慮だけで独立させたとでも言うのでしょうか?
ハンガリー動乱やチェコやポーランドの事件など戦車で蹂躙して来たことを歴史から抹殺してしまい、なかったことにするのでしょうか?
話を戻しますと、「無抵抗主義・弱い者は何をされても仕方がない」と言う教育が戦後70年もやられて来たので、世代が入れ替わって民族の誇りを失ってしまった筈と周辺国は安心したのでしょうか?
まだ無理があると思っても、彼らに協力的な民主党政権時の内にやるしかないと言う判断もあったでしょう。
骨抜き教育の必要性は、ソ連が崩壊してロシアになり主役が中国に変わっても、根本方針は変わりません。
民主党政権には社会党政治家であったときの反米・非武装論者が、民主党員に衣替えして多く流れ込んでいることから、イキナリ対米冷却化路線に進んだことから、周辺国が(日本内部の呼応勢力?の有力化に)俄然勢いついたのです。
ロシアが北方海域での軍事活動を活発化させると同時に列島を周回する軍用機の威嚇行為が繰り返されるようになり、韓国では大統領自ら竹島上陸・・天皇に対する国家元首の発言としてはあるまじき暴言を吐いた上で、ひいては壱岐対馬侵攻作戦すら取りざたされるようになりましたし、これに呼応して中国は、尖閣諸島への侵犯行為を激化させて行きました。
領海侵犯して来た不法中国人を検挙した海保の果敢な行為に対して民主党政権は、侵犯行為のビデオを公開しないで、根拠なく釈放を命じてしまいました。
さすがにノーテンキな日本国民も日本列島を取り巻く三方からの一斉侵略・威嚇行為が露骨になったことで、日本世論が騒然として来ました。
旧社会党の非武装平和論・・何をされても抵抗しない?政策を踏襲するかのような民主党政権・・何をされても検挙すらしないと言う基本的政策にノーを突きつけた国民意識が、当時自民党総裁選挙でマスコミから、泡沫候補扱いされていた安倍政権誕生の原動力になったと言うべきでしょう。
日本国民は無抵抗主義を放棄して断固違法行為に対抗する意思表示をしたことになります。
日本民族は西欧の民族主義が始まるずっと前の古代から・・白村江の海戦敗北以降日本列島を上げての列島防衛意識の高まり・・戦う前提として国家体制の再構築(大化の改新)に邁進し、防人制度・・東国人中心に編成されていた・その地域まで協力していて破綻しないで、機能していたこと・中世での蒙古襲来時の団結力・秀吉の切支丹禁令もカソリックの侵略体質に危険を感じたことが原因があった・・・幕末ペリー来航時の庶民に至るまでの国防意識の高まり・などなど、民族防衛意識は世界一高い民族性です。
平和なときが続けば、幕府ご家人が朝湯を楽しんだりして骨抜き状態に見えましたが、幕末に「太平の眠りを覚ます上喜撰(蒸気船のシャレ)たった四はいで夜も寝られず」(上喜撰・・当時の高級茶の名称・・カフェインの作用で眠れないのに引っ掛けた傑作です)と歌われたことから知られるように、イザとなれば、すぐに民族防衛DNAが覚醒し復活する体質です。
戦後70年にわたって占領軍によって強制されて来た民族の骨抜き政策・教育効果が、表面のメッキ程度に留まっていた・・日本民族のDNAは損なわれていなかったのです。

憲法改正・変遷3(社会党の憲法解釈変更)

政策論争に負けた方は今後負けないように政策内容をレベルアップする方に努力するのが本来のあり方です。
スポーツ選手が試合に負けた場合、更なる精進努力をしないで、相手の悪口を吹聴していても却って信用を落とすばかりです。
政策発動の妨害目的・・時間稼ぎ・・訴訟でいえば、遅延工作は弁護士倫理違反と言われるように、政治家も政策討論で決着がついたことについて、揚げ足取り目的で法廷闘争をするのは政策遂行を妨害するのは邪道で政治家倫理にもとることになります。
この手段を権力者が利用した場合を見れば明らかです。
韓国大統領の動静を報じた朝鮮日報の記事を引用報道した産経支局長を刑事立件したことが騒ぎになりましたが、自己の動静を誤って報じられたならば言論空間で争えば良いことであって、権力者が場外乱闘に持ち込むのは正当な政治活動の域を超えた民主主義の破壊行為です。
一旦被害者になり弱者の立場になれば、何を言ってもやっても良いと言う風潮が(特に韓国人には)顕著ですが、政治家のやっていることが本筋を外していると長期的には国民の支持を失います。
ところで、自主憲法を認めない立場ならば、社会実態調査不要・・欧米ではこうだと言う観念的議論も可能ですし、国連勧告が大切・・この立場からは国連調査団報告に重みをおく立場が導かれます。
何かあるたびにテレビに出て来て、「欧米では・・」と言う意見が、昭和40年代初頭ころまで、マスコミでハバを利かしていました。
司法権が日本の国益を総合勘案して判断するべきとした場合、国内実態の判断では足りずに国際情勢全般に目配りして判断する必要のある外交のあり方を判断するのは無理があるので、日米安保条約の合憲性に関して統治行為論が出て来たのです。
どこの国と組むかを含めて司法が介入出来ないと明白な判断が示されている砂川事件大法廷判決を前提にすれば、条約内容の決め方・・どう言う段階で相互協力するかの細目協定まで司法が介入すること・・すなわち憲法違反かどうかの判断することは不可能です。
まして司法権でもなく実態把握能力に何の保障もない机上の議論しか経験のない、(国際情勢・国家機密情報を総合判断必要があります・・判断能力の担保もない)学者が、集団自衛権関連法案を憲法違反だと合唱すれば、特別な意味があるかのようにマスコミが大きく取り上げるのって、上滑りの感じを否めません。
仮に元裁判官で事実認定経験のある人でも、国家機密等を入手出来ない在野人になっていれば、国際情勢に関する情報を総合判断して条約の必要性を判断するのは無理があります。
我々実務経験のある弁護士でも、他人のやっている事件を軽々に判断出来ないと言うのが常識です・・弁護士仲間をかばう意味ではなく、訴訟でどう言う証拠が出ているか・これに対する裁判所の反応どうであったかなど総合しないと判断出来ないからです。
繰り返しますが、憲法は日本のためにあるのですから、日本にとって必要かどうかが合憲、違憲判断の分かれ目であって、日本の国益を離れた憲法解釈(・・例えば中国の利益になるための判断)は許されません。
日本の社会実態を見極めて憲法内容を判断して行く方式の場合、憲法違反かどうかを見極めるのに時間がかかるように、改正する必要があるかの判断も時間がかかります。
社会実態の変遷をじっくり見定めることを省略した憲法改正など直ぐに出来る訳がないことを前提に、「改正が先だ」と「百年河清を待つ」ような議論をしていると、必要とされている現実の政策対応が全て間に合わなくなります。
15日に砂川事件判決の田中長官の補足意見を紹介しましたが、憲法論を言い出したら何でもそうなりますから(非正規雇用も平等原則違反だから憲法違反だとか、消費税問題も弱者にきついから憲法違反と言う主張が可能です)全て憲法違反と言っていれば、約10年かけてその裁判の決着がつかない限り何らの政治決定も出来ないと言う論法は無理があります。
要するに憲法論・・護憲勢力の主張は、なんでも反対の社会党が政策論争で負けたことについて、憲法違反のレッテル貼りすればいいと利用していた便利な論理でしたが、これで国民の信用をなくしてしまいました。
政治家は政策の優劣で競争すべきですが、旧社会党は筋違いのことをやり続けたので信用をなくして行ったと思われます。
私は革新系と言うのは、社会の進歩に反対する超保守の集まりであると書いて来た所以です。
社会党は世上「何でも反対・・」と言われていたものの実は賛成する分野もあったのですから、政治と言うものには、利害集団がバックにあるものと言う前提で考えると、政策対応が停止することによって利益を受ける集団があることが分ります。
これを前提に分類すると、日米安保反対、自主防衛反対、グリーンカード反対、指紋押捺制度反対、防犯カメラ反対、通信傍受反対・・秘密保護法反対・・等々、産業的には空港建設反対、原子力発電反対、公害反対・それぞれ名目があり、結果的に日本のために良かった分野もありますが、概ね目先の目的を見れば、日本の安全保障に反対であり、経済が発展する疑いのあるものには全て何でも反対していたように見えます。
憲法論に持ち込んで思考停止を要求する勢力の目的とする方向性も共通です。
集団自衛権の可否について内容の議論を拒否して、・・「憲法改正するまではそんな法律は許されない」と言うばかりでは、現実政治向きではありません。
これまで書いて来たように憲法は、イキナリ改正すべきものではないし簡単に出来ないのが分りきっているし、しかもその主張者の多くが護憲勢力を標榜しています。
既に社会党が放棄した「何でも反対」路線の蒸し返しを民主党が憲法違反と言い換えているだけですから、思考方式としては、砂川事件判決で六十年まえから「自主防衛が許される」「防衛のために安保条約を結ぶのは合憲である・どこと組むべきかその内容について、司法権が介入出来ない・・立法府の専権行為である」と言う歴史的解決をすませている現実を無視して、蒸し返している点では、韓国が条約で決着がついたことを、もう一度蒸し返しているのと同じ思考方式になります。
但し社会党がこれ・・自主防衛権・自衛隊合憲・安保条約合憲を認めたのは、村山内閣になってからですから、国内的に大筋の決着がついたのは、まだ最近のことです。
2015年12月9日のウイキペデイアによれば、以下のとおりです。
村山内閣
総理大臣在任中[編集]
1994年7月、第130回通常国会にて所信表明演説に臨み、「自衛隊合憲、日米安保堅持」と発言し、日本社会党のそれまでの政策を転換した(後述)。

社会党の年来の主張は、自衛する権利もない・・強盗に襲われても抵抗する権利がないと言うにひとしい、砂川事件判決後約40年間も最高裁判決を無視して非武装論をずっと主張していたことが分ります。
実務に関係しない学者ではなく、現実政治を担うことを目的とする政治家の集団が非現実的主張を続けていて一定数の支持があったこと自体、マスコミによる実力以上の援護報道が利いていたことを推測させます。

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