パターン認識と偏見 の関係2

普通の生き方では全ての分野で対象をパターン化して把握する・・パターンをどこまで細分化するかもその技術ですが・・分類して対象を認識して行動様式等を識別しているのですから、これが正しいに決まっています。
いろんな科学分野でも、図書館の分類でも、植物の分類でも、共通性を元に分類整理して研究しているのです。
政治実践は人の生き方の総合的表現ですから、政治に限ってパターン認識・分類することを「偏見」が良くないと言っているとまともな政治が出来ません。
今盛んに行なわれている消費税増税に関する軽減税率の議論も、どの程度の生活水準の人が何%増税にどう言う消費行動をとるかの類型的理解が前提になっています。
「貧乏人はこう言う行動をとる」と言えば偏見だと言って、マスコミは批判するのでしょうが、「貧しい人は人は可哀相」と言うときには許されると言うご都合主義です。
政治こそ時代の最先端の認識方法で社会を認識する必要・・認識方法をいい加減にしてアヤフヤな情報に基づいて政治をされたのでは困ります。
何回も書いていますが、政治や個々人や法人でもみな同じで、行動判断は全て前提たる対象に関する情報が正確であることが重要です。
マスコミは情報を正確に広報することに存在意義があるのであって、マスコミの勝手な基準でこの情報は差別になるとかならないとかの理由で、区別して情報を歪めることは大間違いです。
情報をどのように解釈するかは、正に主権者たる国民が判断すべきことであってマスコミだけが偉そうに情報を予め選別する権利はありません。
現実政治は、きれいごとではなく実際の人間行動を前提に政治をして行く必要があります。
今回のフランスのテロに関していろんな角度からの理解が可能ですが、その一つにフランスのきれいごと・人権理念がテロを呼び込んだ・・きれいごとで済まない現実が露呈したと言う見方があります。
犯人検挙刑事手続の側面だけを切り取っても、以下のような非現実的な実態があるようです。
再発防止縮小のためには犯人を出来れば生け捕りにして再発防止のために組織解明したいのが治安に責任を負う立場ですが、実際には原則皆殺し作戦が普通です。
今年始めころに起きたパリの出版社襲撃事件、今回の11月13日の約130人死亡のテロ事件や大分前のオリンピックのユダヤ人襲撃事件でのイスラエル兵の行動・・1昨年ころに日揮社員が犠牲になったアフリカのテロ事件でも皆同じですが、原則犯人皆殺し作戦になっているのを不思議に思う人が多いでしょうが、これが必要な法制度・・社会になっているからです。
アメリカで頻発する銃乱射事件も原則として、その場で射殺しています。
ソモソモ通常の検挙のようにしこしこと証拠を集めてから逮捕状を請求して・やっていると、とても間に合わないことが多いのが第一です。
今度のアジト急襲作戦を見ても分るでしょうが、ことは緊急性を要します。
証拠を集めて複製その他準備して逮捕状を請求していたのではとても間に合わない・・犯人グループが危険を感じて移動・・逃げ出しても、まだ令状が出ていない以上は、阻止すら出来ません。
テロ犯を漸く検挙しても、保釈制度の完備その他の刑事手続の発達?ですぐに釈放する仕組みです。
実際には犯人グループの1人〜2人検挙しても何の尋問も出来ない・・黙秘すればそれまでですから確信犯にはどうにも出来ません。
共犯者を割り出せないまま、漸く検挙した犯人だけ公判請求に持ち込んでも、公開の裁判でテロ宣伝をされるだけ・・言いたい放題言われてしまうのが落ちです。
・・判決になっても(フランスやイスラエルの場合)死刑廃止制度になっているから、このまま刑務所送りと言うだけでは、大勢殺された国民感情が収まらないと言うことが皆殺し作戦の背景にあるようです。
確かに隔離した状態での強制的自白に人権上問題がありますが、(数年前後前に発生した志布志事件など・)それと共犯者や、アジト・・武器入手ルートその他割り出し等によって、次のテロを防ぎたい社会の要請を否定する人はいないでしょう。
これが現行法体制では出来ないのですが、どこかに無理があることは確かでしょう。

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