憲法学の有用性1

憲法学は独立の学問と言えるかどうかすら、(政治学の一分野?あるいは各法律の一分野?)怪しいと思う人が増えているでしょう。
戦後アメリカがアメリカ製の憲法を強制する必要から「憲法学者」と言うアメリカ思想の伝道師を養成してこれが戦後ハバを利かしていたに過ぎないように思えます。
アメリカとしては日本占領時にアメリカが意図するように日本の法制度を完成するのは無理があるので、社会価値の基本である民法改正や農地解放あるいは教育勅語など、大急ぎで旧価値観解体を急ぎましたが、これを国民一般に浸透させるためにてっぺんの憲法学者の養成・・非武装論者や教育界の改造に取り組んで来たように見えます。
この尖兵・伝道者・・宣教師としての憲法学者や教員が養成されたのです。
・・如何に日本民族が劣っているかの教育に精出していましたし、(日本人は中学生レベルと言う有名な宣伝がでたのもこのころです)体型まで日本人の醜さはホッテントット人並みと言うマスコミ報道が・・昭和30年代後半私の高校生だったか大学生だったかの頃にはやっていました。
兎も角てっぺんの憲法からアメリカ式価値観を植え付けて行く方法として先ずは、憲法学者と言う宣教師を養成したように見えます。
朝鮮戦争が始まり、米ソ冷戦が激化して日本を自分の軍事力に組み込む必要が出て来ると、アメリカの意向で?日本の再軍備が始まり、憲法9条との矛盾を解決するために「統治行為論」が必要になって来ると、純粋培養した憲法学者や日教組が非武装論・・憲法9条をたてに中国ソ連寄りの行動をするようになって来て(左派の砦になってしまった)アメリカにとっても邪魔になってきました。
この辺はソ連抵抗勢力としてアフガンで養成したテロ組織・アルカイダグループが、ソ連崩壊後アメリカでテロをするようになったのと同じで、アメリカが力を入れて養成していた日教組と憲法学者が反米組織として最後の砦になって、残ってしまった印象です。
民法その他実務に根ざした法学系は、殆ど英米法の影響を受けませんでした。
実際日本社会の方がアメリカよりも進んだ社会ですから、数千年単位で遅れているアメリカモデルが日本社会に浸透出来る筈がありません・・・次第に日本の実態に根ざした学問になって行ったのと比較すると観念論に終始出来る憲法論や社会から遊離した観念に固まっていても子供の教育と関係がない・・小中学生はモンク言えない・・強制ですから、私立に行かない限り父兄に教師の選択権がないことから、日教組に根強く残ったのは偶然ではありません。
この後で書くように最近相次いでいる家事関係の憲法違反の最高裁判決の内容を見ると・・社会実態の変動に基づく実質的な憲法改正ですが・・これを主導して来たのは、憲法学者ではなく実務家の社会実態変動を基礎にした粘り強い運動が実を結んでいるものです。
以下(長くなり過ぎるので引用は20日のコラムになります)で非嫡出子相続分差別に対する違憲判決の詳細を紹介します。
これによると戦後の長い間の社会実態の変化やこれに合わせた戸籍規定の変更・・政府による改正案作成の経過などによる緩慢な?周辺整備の進捗具合、あるいは、過去の合憲判決の中身の変遷等を丹念に跡づけた結果、遅くとも平成◯◯年ころには、(それまでは合憲であったが)非嫡出子差別が許容されない社会意識になったと言う認定・・これによるとその時期を期して憲法が変更されたことになる・・判決ですので、煩を厭わずにお読み下さい。
要は我が国は何事も丁寧に・・観念論だけ決めるようなイキナリ乱暴なことをしない・・社会実態変化に即して修正して行く社会であることを知るべきです。
韓国では、先進国で良いとなれば、国情を無視して大幅改正していく乱暴な社会ですが・・後進国は製造設備なども一足飛びに最新技術の向上を誘致出来ますが、・・法と言うものが国民意識の上に成立していると言う意識がまだ成立していない・・エリートと庶民の意識格差が激しい・・庶民は黙って従えば良いという意識社会だから出来ることです。
憲法は国民のための憲法であり、異民族が押し付けるべきものではないと言う原理論から言えば、社会実態が数十年単位で変わって行くのに合わせて憲法解釈も徐々に変わって行くべきです。
そうなると憲法はドラスチックな憲法改正によるのではなく、判例変更に委ねるのが、合理的で国民投票による憲法改正と言う荒療治をやるのは革命的動乱時に限る(・・アラブ諸国のように数十年単位で社会が大混乱しますので・・結果的に数十年かけて徐々に運用を変えて行く方が合理的)べきでしょう。

憲法とは?4(統治行為理論1)

特に尖閣諸島問題は、机上の空理空論のための議論ではなく、目の前に発生している現実に対応すべき必要性から見れば、数十年以上かかる憲法改正→アメリカの占領政治における憲法制定過程・ひいては東京裁判や日米戦争の根本否定に連なる議論に火をつける・・今でも右翼系は問題にしています・・ことになりかねないことですから、そうしたリスクを踏まえて決着をつけるには、アメリカの国際影響力の消長を見極めながら慎重に対応して行くしかないことが明らかです。
要は薄皮を剥ぐように徐々にやって行くしかない分野です。
この政治的決着を図ったのが有名な砂川事件最高裁判決で、既に、このコラムで紹介しましたが・・いわゆる「統治行為」理論でした。
高度な政治判断を要することについては、「司法権は介入しない」と言う原理を宣言したものです。
今このコラムの大改造中のため、過去の検索が出来ないので、判決文自体を紹介しておきましょう。
以下は同事件判決の一部抜粋です。

日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第3条に基く行政協定に伴う刑事特別法違反被告事件
昭和34年(あ)七710号
同12月16日大法廷判決
「・・・・ところで、本件安全保障条約は、前述のごとく、主権国としてのわが国の存立の基礎に極めて重大な関係をもつ高度の政治性を有するものというべきであって、その内容が違憲なりや否やの法的判断は、その条約を締結した内閣およびこれを承認した国会の高度の政治的ないし自由裁量的判断と表裏をなす点がすくなくない。それ故、右違憲なりや否やの法的判断は、純司法的機能をその使命とする司法裁判所の審査には、原則としてなじまない性質のものであり、従って、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のものであって、それは第1次的には、右条約の締結権を有する内閣およびこれに対して承認権を有する国会の判断に従うべく、終局的には、主権を有する国民の政治的批判に委ねられるべきものであると解するを相当とする。そして、このことは、本件安全保障条約またはこれに基く政府の行為の違憲なりや否やが、本件のように前提問題となっている場合であると否とにかかわらないのである。」

上記のように高度な国際情勢判断を基礎にした政治判断の是非について、高度な政治判断をする訓練を受けていない司法権・・ひいては法律学者が最終決定するのは国益に反すると言う価値判断です。
集団自衛権に関する今夏の安保法制について、政府が既に憲法論は決着済みとして砂川事件判例を持ち出しているのは、この意味で正確であり正しい引用ですし、逆にこれを正確に報道しないで、憲法学者が狭い視野で言い募る視野狭窄的意見ばかり紹介しているマスコミの方が実態をねじ曲げています。
既に社会党でさえも認めているように政治的且つ憲法論としては、統治行為論によって、法律家が意見を言う権利がないことで決着されているのですから、この分野・・集団自衛権の可否に関する専門家の意見が必要とすれば、法律家ではなく、国際政治学者の専門分野ですが、何故かマスコミは国際政治専門家の意見をまるで報道しようとしませんでした。
政策ごとにその道の専門家の意見を参考にするのは合理的ですが、それでも経済学者等の意見そのもので決める必要はありません・・政治は参酌するだけでいいのです。
まして、その都度、憲法違反かどうかを先ず議論してその決着がつくまで金融政策や税制を決められないと言うのでは、何事も進みません。
例えば、金融政策に関しては、経済学者の意見を参考にするのが普通ですが、金利下げが庶民の財産権侵害になるかどうか・・消費税が弱者に影響が大きいから法の下の平等に反するかなど、憲法違反かどうかを憲法学者が議論して憲法学者の意見で決めていい訳がありません。
憲法学者は具体的政策の専門家ではありません。
政治の基本姿勢のあり方を哲学者や高層の意見を拝聴するのは有用かも知れませんが、具体的な政治の最高決定権を哲学者や高僧の判断に委ねるのは合理的ではありません。
テロ犯に銃で応戦したり、上陸して来る侵略軍を撃退するのは、殺生禁止に反するかと?高僧に聞いているようなものです。
まして憲法学者は、高僧等の知恵者の集まりではありません。
憲法学者は「もはや用済み」として国内で決着されている(空中論争をしていると現実の必要に間に合わないのが狙いです・・憲法論の決着まで何も出来ないのでは・・政策論争で負けている方が、結果的に何でも反対して時間引き延ばしに利用出来ますので「何でも反対」の社会党や左翼系文化人が憲法論が好きでしたが、社会党ですら自衛隊違憲論を変更していることを22日のコラムで紹介します)にも拘らず、今頃亡霊のように出て来て、「先ずは、憲法改正してからにしろ」と言う意見では目先に迫っている現実をどうするかの議論にはなりません。
憲法論争を先にすべきであると言う論争方式自体も、上記砂川事件の田中耕太郎長官の補足意見で批判されています。
集団自衛権に関する憲法論は、砂川事件で勝負がついていることの蒸し返しですし、こんなバカなことばかり今でも言っているので、憲法学者をどこでも相手にしなくなっているのです。
ソモソモ憲法学者って何でしょうか?

憲法とは?3

尖閣諸島問題は、自主防衛権があると言う時代になってからの領土要求ですから、強大な武力を持つ中国でも日本軍の抵抗を前提すると、安易に占領出来ないで現在に至っています。
李承晩ライン設定や竹島占領時に自主防衛出来ると言う国論・準備があれば、竹島占領はなかったことになります。
早くから、きちんと反論出来る状態であれば韓国の慰安婦問題も違った展開になっていたでしょうし、却って日韓関係がこんなに悪化しなかったでしょう。
韓国もロシアも占領してしまったものの、大して価値のない島の占領を自分の政権では解除出来ないために・・負の遺産のために今更日本と仲良く出来ずに、困っている状態です。
今となっては、ロシアも中韓も日本の高度技術による協力が欲しくてすりよって来ていますが、日本としては、北朝鮮やロシアに対しては、不法占領した島を返さない限り、拉致事件解決しないかぎり・・主犯の処罰・引き渡しのない限り仲良く出来ないと言う立場を堅持していれば良いことです。
韓国に対しては、竹島を返し、慰安婦像を撤去し、反日教育をやめない限り韓国を応援しないと言う嫌韓論・国論が一般化しています。
憲法のあり方に戻りますと、あらゆる人間にとって自分が殺されるような危害を受けても、自己防衛すら許されないと言う法制度があるとすれば、そんな法制度は人権侵害の極みであって、人権を重視する現在社会の法として合理的に認められる余地がありません。
命すら守る権利がないならば、どんな無理・非人道的要求でも聞かなければ簡単に殺されてしまうので、結局どんな要求でも聞くしかないと言う制度ですから、正に奴隷を法制度化したようなものになります。
アメリカは正に黒人に対して動物同様の扱いをして来たのですが、それの非人道性を国際社会に訴えていた日本民族を、「白人支配に楯突くけしからん民族だ・・懲らしめのために黒人同様の地位に貶めしよう」としていた可能性が濃厚です。
大分前に占領政策を紹介しましたが、アメリカはポツダム宣言に反して日本の産業を根こそぎ奪い、工業力としては鍋釜程度の身の回り品の生産以外は認めない・・当時存在していた各種工業機械を奪ってアジア諸国へ搬出を命じていました。
マスコミはアメリカの悪逆非道ぶりを抹殺するために戦後日本の飛行機生産禁止程度しか報道しませんが、全ての工業生産を禁止してしまい、純粋農業国・・江戸時代程度へ逆もどりすることを命じていたのです。
この政策と憲法条項を見れば、黒人奴隷の抵抗権を奪ってしまい動物のような扱いをして来た恐るべき政治と、植民地民族に近代産業を持たせない隷属化政策と、同じであることを知るべきです。
タマタマ朝鮮戦争が起こっていなければ日本は戦前の東南アジアの植民地同様の貧困農業国に陥れられていたでしょうし、今の技術力の芽が摘まれていたに違いありません。
朝鮮戦争の結果、米軍需品の修理設備等必要になった・・・・と言うことで工業設備の廃棄が途中で止まりましたが、それでも飛行機だけは禁止されたままでした。
アメリカの意を受けた東大法学部では、日本を隷属化させるための憲法を金科玉条にして教育をしてきましたが、次第にこの矛盾があらわになってきました。
すなわち、侵略を受けても国民が次々と拿捕されたり殺されても、自衛権の行使すら許されない憲法では、国民の総意による「合理的」憲法とは言えなくなってしまう・・異民族に押し付けられた違法な?憲法だと言う批判に耐えられなくなって来たし、これを認めないとアメリカ占領政治の極悪非道ぶりが白日の下に曝される議論が始まるのを恐れたので、アメリカも黙認せざるを得なくなったことになります。
遂に憲法を合理化するためにもともと「自衛のための軍は保有出来る意味だった」と言う解釈が一般化してきました。
(常識にとらわれないのが専門家の価値だと言う意識の強い・・憲法学者の世界では、なお自衛隊違憲論・・非武装論が強いようですが・・。)
解釈合憲と言う法技術がありますが、憲法自体が、「国民ための憲法」と言う意義に反していると言う非難を免れるために、憲法9条の明文に反して「自衛のための軍備は持てる」「交戦権はある」と言う「合理的」解釈が行なわれてきました。
この意味では日本の憲法学者は・国内世論や憲法の実効的解釈論とすれば、決着がついていて国内の誰も(後記のとおり既に「何でも反対の・・と言われていた社会党でさえ自衛隊合憲を認めているのです・・)支持しない解釈論に今なお依っていることになりますから、この偏った憲法学者グループが集団自衛権が憲法違反だと全員名を連ねても、もともと政治的に意味のない・社会で孤立したグループ全員の意見でしかないのです。
社会で孤立しているグループが仮に100人集まって反対の意見表明しても、社会的には何の意味もないのに、有り難がってマスコミが大報道しています。
もしも憲法を字義どおりに解釈するならば、ソモソモ民族自立を否定する憲法の有効性の議論に戻るしかないのですが、これをやるとアメリカを巻き込んだ大問題に発展します。
これを避けるための大人の智恵として、自主防衛出来ると言う解釈合憲にして来た歴史を未だに憲法学者はそろって・・異論が成立しないで否定しているのが不思議です。
後記のように社会党でさえ自主防衛・自衛隊合憲論に変わっているのに、学問である以上いろんな意見がある筈の憲法学会では、何故社会の要請に応える意見が発表する人が一人もないのか?何故異論がないのか不思議に思う人が多いでしょうが、・・大先生に異論を挟むと地方大学等への就職口の紹介がない・・仲間はずれにされるのが怖いので、学問の自由が学会内ではないのかも知れません。
われわれ弁護士や裁判官になるための司法試験も、確立している通説に違った論文を書かないと合格しませんが、なってしまえば受験勉強時のオーソリテイの意見に同調する必要性はありません。
憲法学者や自民党でも石破氏のように・・自衛のための軍備や集団自衛権を認めるには憲法改正で対応するべきだと言う意見は一見理が通っているようでいて、「ないものねだり」・・日本とアメリカを正面から激突させる目的であり、10年や15年の短期間に実現不可能な要求・・「その間日本は無防備で周辺国のやりたい放題にさせろ」と言うに等しいものです。
アメリカは、尖閣諸島等問題では中国領になると太平洋への出口を与えることになるので、アメリカの利害に直結することから日本応援するが、戦犯を祭る靖国参拝には露骨に不快感を示す・慰安婦問題や南京虐殺では、なお中立を装って、中韓の支持を続けたりと言う使い分けに徹しているのですが、これは朝鮮戦争に対して日本を利用出来る範囲で再工業化や、アメリカにとても抵抗出来るレベルではない程度の再軍備を認めたのと同じやり方です。
アメリカにとっては日本を失うほど苛める気はない(利用したい)が、あまり強くならないように適度に世界中を敵に回すようにあちこちの國を使って日本の地位を貶めるように仕向けるのが基本政策です。
アメリカの軸足を徐々にどの方向に動かせるかは、日米力関係の変化次第ですから、時間をかけてじっくりやって行くしかない・・アメリカが如何に酷いかと悲憤慷慨しても解決になりません。
この意味では今後なお数十年以上かけてじっくりやって行くしかないのですから、性急に「イヤなら憲法改正しろ」と言う意見は、国民が自主的に作ったものではない・・アメリカに赤恥をかかせることになるので、アメリカの意向を無視出来ないことが分っていてどうせ出来ないだろうと言う立場で要求しているのです。
憲法学者の論法は、1800〜1900年ころに黒人奴隷に対して「奴隷がイヤならば、反対すれば良いだろう」と言うのに似ています。
無茶な条約によって、住みなれた故地を追われたアメリカインディアンに対してモンクあるならば、その条約を破棄すれば良いじゃないかと言うのも同じ論法です。
政治は力関係で成り立っているので、イヤなら改正すればいいと言う訳に行きません。
日本は国際政治上アメリカの意向を無視して自由奔放に動けないのが政治の実態です。
日本は国際政治上アメリカの意向を無視して自由奔放に動けないのが政治の実態です。
零戦・・最高水準の飛行機を作る技術を持っていた我が国が、アメリカの意向を恐れて、戦後70年経ってようやくホンダジェットや三菱重工が旅客機を作れるようになった事実を見ても、如何に政治力学が重要かが分るしょう。

憲法とは?2

もしかして個人は刑法上正当防衛出来るので、政府として侵略に対しては国民を守ることは出来なくとも、個人で頑張って!と言うだけでしょうか?
外国人の個人的犯罪は検挙出来るが、ここは中国領だと言って押し入って来た場合=侵略行為ならば、日本政府は手も足も出せないように読めます。
憲法を字義どおりに解釈すれば、尖閣諸島も密入国であれば検挙で出来ますが、これは中国領だと公言して→侵略して来れば、応戦出来ない仕組みです。
侵略軍が仮に沖縄本土に上陸して来ても、そのまま見ているしかなく、上陸者が国民を殺そうと奴隷にして使役しようとも、侵略・占領行為行為の一環であれば、政府は一切関知出来ません・・勿論政府自体解散させられて、占領軍が今後支配すると言えば、黙って応じるしかない・その後は日本国の領土ではなくなるですから、日本の警察権はあり得ないのが憲法の書き方です。
国際紛争解決のために武力を使えないし、そのための軍も持てないと言うのですから・・これは国際紛争だと相手が言えばそうなってしまいます。
日本が中国との間では領土紛争はないと言い張っているのは、こう言う原理によるのかも知れません。
国際紛争であると言えば、武力行使出来ないので、中国船舶の排除が出来ません。
国際紛争となれば、中国海軍の上陸を黙ってみていて、竹島のように国際司法裁判所に訴えるしか道がないのですが、相手が応訴しないと裁判が始まらない仕組みですから。韓国は絶対に応訴しません・・結局やられっぱなしになっています。
タマタマ竹島は無人でしたが、人が住んでいる場合、あるいは竹島近海で拿捕された漁民の場合、占領軍政で国民が殺されても略奪されても監禁・強姦されても「戦争行為の一環」ですから、犯罪ではなくなる理屈です。
「侵略と称して集団で襲いかかって来た場合」、政府が助けることが出来ないとすれば・・武器を持った集団相手に個人が素手で正当防衛出来ると言われても、戦える訳がないので、やられっぱなしになるしかありません。
侵略=相手が集団で襲って来れば、日本人を守るためにこちらも集団で対抗するしかないと思うのが普通です。
国内犯罪に対しては、警察が駆けつけてくれるし、間に合わないときには正当防衛が許されるのに、外国からの侵略による人命その他の侵害の場合には、(外国人の犯罪の場合?・・これが戦後朝鮮人による無法行為が跋扈した背景?)殺されても強姦されても何をされても集団による(国家としての)正当防衛が許されないと言う変チクリンな法体系をアメリカが強制したことになります。
李承晩ライン設定で大量の漁民が拘束されても何も出来ない・個人行為なら犯罪ですが、国家がやる場合には対抗することを禁止・竹島占領されても、北朝鮮による拉致事件があっても国家行為に対しては、救出さえ出来ない仕組みです。
これが国家の定めた法・・国民を守るための法制度・・日本の憲法と言えるのかと言う疑問で書いています。
憲法学者の大多数は憲法の字面だけ見て、自衛隊は違憲の存在だとか集団自衛権が違憲だとか言いますが、「憲法って何のためにあるか?」と言う根本を見ていないように見えます。
憲法学者と言う以上は、相応に深く考えた結果の意見と思いますので・・・私がこういうのはおこがましいですが、素人の疑問としてお読み下さい。
民主国家においては素人の素朴な疑問こそが重要ですから、専門家は「素人は黙っていろ」と威張っているのではなく、丁寧な説明が必要です。
しかるに「近代法の原理に反する」とか「憲法違反」と言う結論のみ学者連名で発表しているのでは、水戸黄門が印籠を示しているようなもので、国民の支持を受けられません。
国民多数の命の危険があっても自主防衛すら出来ないと言うことは、何を言われてもされても反論すら許されないと言う外延を持つようになります。
この基本方針を堅持して、アメリカによるマスコミ支配が最近まで続いて来たのが我が国言論界でした。
この延長上でアメリカによる・・中韓両国を使った言いたい放題、やりたい放題の反日宣伝が世界中で行なわれて来たのです。
日本が武力防衛権を発動する体制・正当防衛出来る体制であったならば、安易な李承晩ライン設定や竹島占領が行なわれなかった筈ですし、慰安婦問題も起きなかったし、南京虐殺問題も起きなかったでしょう。
日本が反論出来ない・反論の結果、紛争になれば、中国やソ連が武力行使すれば日本は自衛出来ない仕組みですから、怖くて反論することが出来ません・・結果的に相手は言いたい放題やりたい放題になります。
言わばいつもナイフを喉頸に突きつけられながら、「言うことを聞かないクビを切るぞ」と言われながら、表向き平和的?交渉をさせられて来たのが戦後日本でした。
北方領土も「あまりうるさく言うならば、北海道全部占領してもいいんだぞ!」と言われれば日本はソ連やロシアの上陸行為を防戦することも許されていません。
中韓やソ連が、実際にやりたい放題出来なかったのは、アメリカが認める限度と言う縛りがあったからです。
アメリカの力の衰えを見た中国がアメリカの意向に係わらず始めたのが尖閣諸島侵犯行為であり、南沙諸島の埋め立てですし、ロシアによるクリミヤ併合でしょう
裏から言えば北方領土占領や竹島占領は、当時のアメリカが黙認していたから出来たことです。
また日本が少しでもアメリカに楯突くと、「ソ連や中韓らに対する縛りを緩めるぞ!」と言う脅しも含まれていました。
アメリカにとっては、日本の非道徳性を宣伝させるのは自分の戦争の責任を覆い隠すために有効だったので、これを背後でドンドン奨励してきました。
日本はこれに少しでも抵抗・反論するとマスコミを使って「妄言」などと攻撃させて、大臣が罷免される例が相次ぎました。
ネット世論が発達して来て、マスコミによる抑えが利かなくなると、「日韓は仲良くやってくれ」とか、「不快感を示した」と言うマスコミ報道で、事実上脅して来ていたのです。
この延長線上に、慰安婦問題や南京虐殺等のでっち上げがあります。
全てアメリカの認める範囲と言う縛りがあるので、今回はアメリカが途中からこれ以上日本を怒らせるのが得策ではないと言う気になって来たらしく、「喧嘩やめ」となったので韓国は二階に上がってはしごを外された状態です。
アメリカの御先棒担ぎで、安易に日本批判・・イジメを戦後70年もやって来たことによって、中韓両国に対する日本国民の不満が極限に達してきました。
当然これに比例して後ろで糸を引いて来たアメリカに対する根底からの不満がじわじわと国民意識にのぼりつつあります。
ネットの発達が大きな原因で、日本の国民感情悪化を見て、アメリカ自身まずいと思い始めたのか?方向性を変え始めたように見えます。

憲法とは?1

憲法って何のためにあるものでしょうか?
古くから、有名な大名家・商人の家訓や家憲などが知られています。
言わば一族や一家の永続繁栄を願って基本精神を制定するものでしょう。
法規はそのときそのときの社会の決まりごとを文章化したものですが、家訓や家憲は、細かな変化に影響を受けずに、永続的に守るべき基本を定めることによって、一族の永続・繁栄に繋がると言う意味で定めるものです。
商業のあり方は、日々変化して行きますが、「浮き利を追わず」などの家訓はいつの世にも通用して行ける価値観です。
法はその社会をよりよくするように決めたものであり、憲法は、国家の民族の基本精神を決めるべきものですが、いずれもその社会や民族をよりよく存続させるためのものです。
その民族を滅ぼすために制定するものではありません。
この意味で言えば、現行憲法は日本民族を半永久的に異民族の隷属下においてしまおうとする意図で決めたような骨格を持っています。

憲法
第九条  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
○2  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

上記条文を見れば、「国権の発動たる戦争」が出来ない・・相手が侵略して来ても国としての戦争は出来ない・・義勇軍程度で抵抗するしか許されない書き方です。
戦争が許されないからどんな戦力も持てない・・禁止すると言うのですから一貫しています。
「国際紛争の解決に戦力を使うな」と禁止しているだけで、自衛権を禁止していないと言っても、領土紛争こそが国際紛争の最たるものです・・。
例えば沖縄は中国のものだと主張して来ても、日本は認めない状態・・国際紛争状態ですが、中国がそれなら占領すると言って、上陸侵攻して来た場合、これを阻止するために戦力行使すると憲法違反になるかのような書き方です?
竹島を占領されてもソ連に北方領土を占領されても何も言えないし、取り返しに行ったり、島のの防衛に出動出来ない状態でやってきました。
しかしこれでは、どんな不当な要求が外国からあっても全て相手国の言うとおりにしないで紛争になれば、日本は相手の選んだ好きな島や領土を簡単に占領されるばかりになってしまいます。
近隣国・・主として中韓とソ連のどんな無茶な要求に対しても、日本は屈服するかない・・言うとおりにしないと占領するぞ!と言われれば引っ込むしかない状態が、現行憲法の仕組みです。
民主国家とは国民主権・・憲法は当然国民が制定する権利があることになりますが、自分を守る権利もない・・「何をされても黙って殺されろ・家族が強姦されてもモンク言うな」と言う内容の憲法を国民が自主的に制定するなどはあり得ないことです。
奴隷支配しているモノが、奴隷に対して「お前は何をされてもモンク言えないんだぞ!と言うルールを作って奴隷に強制サインさせてその子孫に対して「お前の親が決めたのだから守れ」と強制しているような構図です。
このように憲法が解釈出来るとした場合、これをもって自分の民族の繁栄・幸福を願って作った憲法・・自主憲法と言う人は、皆無ではないでしょうか?
異民族支配を受けている場合でも、その国の法律は平等に適用されます。
例えばアメリカで言えば、今では、黒人も同じように正当防衛する権利があるし、裁判を受ける権利があります。
運用上の差別があるかどうかは別として法律上は現在は平等です。
ところが日本国憲法の場合、異民族の侵略が始まると政府として抵抗する権利がない・・殺されても監禁されても誘拐されても強姦されても犯罪にすらならない・・犯罪ではないから正当防衛する権利もないと言う制度になっています。
個人の行為は犯罪になるが、軍の行為・お墨付きがあれば犯罪にならない・・強姦略奪殺人などがあっても軍の規律違反で、軍自体が処罰するかどうかは別として、犯罪にはならない・・その代わり自国軍で対抗する・・負ければ仕方ないと言うのが古代からのルールです。
実際アメリカ占領軍は強姦等をやりまくりましたが、日本の警察は事件には出来ませんでしたし、マスコミも報道禁止されていました。
この重要な国軍を持つことを永久に許さないと言うのが日本国憲法の書き方です。

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