テロと戒厳令制度(組織犯罪向け手続法の必要性1)

折角共犯者や煽動者を供述しても、共謀しただけでは検挙出来ない・・犯罪実行しないと検挙出来ないのでは社会の安全が保てません。
このために世界的に共謀段階で発覚すれば、テロを現実に実行しないでも処罰する制度設計になって来たのです。
我が国では、左翼系の反対で法案が国会通過しないままになっていますが・・・。
近代法の個人責任人原理を貫徹すると、個人の人権保障の必要性と社会全体の損害防止との兼ね合いがうまく行かないのです。
個人の窃盗程度ならば、人権保障に重きを置いても良い・実行するまで泳がせておくのが良いでしょうが、大規模テロになると計画だけでは駄目・・・実行するまでは検挙出来ないと言う悠長なことを言ってられないと言うのが世界の大勢です。
アルジェリアだったかで数年前に日揮が被害を受けたテロ事件を見ても分るように、気違いがイキナリ刃物を振り回すのとは、桁違いで、一旦起こるとテロ被害は甚大ですので実行されるまで何も出来ないような法制度は無理があります。
この隙をついて集団テロが横行する仕組みです。
難民も個々の難民に何の罪もないが、そこにテロリストが混じり込む社会のリスクとの兼ね合いですし、特定グループに犯罪者が多いとそのグループ全体との付き合いが敬遠されるのは仕方のないことです。
会社で言えば個別社員が詐欺行為や狡いことをしても、その会社全体の信用に関わるし、同業者で不祥事が相次ぐとその業界の信用がなくなるので、各種業界ごとに自主基準を作って信用維持に努めているのです。
個人の悪行が一家・一族の信用に関わる・・逆に名誉な行為が子孫の誉れになる・このように組織の信用が重視されることで、内部締め付けが自然に生じこれによって、世界の秩序が保たれて来たのです。
一家から罪人が一人出ても、犯行に関係していない親兄弟まで白い目で見られたりすることでみんなが自重するし、その効果に比例して周囲の締め付けもあります。
これが一族に広がっても同じです。
マイナス面だけではなく、ノーベル賞受賞者やスター選手が出ても、みんなが同じ性質能力ではありませんが誇らしいと思うし応援もある社会でした。
これの大型判が高校野球で同じ◯◯県選出と言うだけで、自分の能力と関係ないのに応援したりします。
更に大型になったものが愛国心と言うものです。
一族から1人犯罪者が出たことによって、関係していない若者が就職試験で不採用になれば納得出来ないことは分るし、罪九族に及ぶと言うことで一緒に刑務所に入れるのはおかしいことも確かです。
とは言え、個人の信用と自分たちグループの信用に関係がない・・差別だ「偏見」といって、完全に断ち切ると社会の安全が保てません。
ここでは、個人の人権保護と社会の秩序維持とは、基準が違うべきではないかと言う関心で書いています。
だからと言ってどうすれば良いと言う決まった意見持っている訳ではありません・・その調整が必要な時代が来ていると言う疑問を書いているだけです。
近代法の「個人主義思想」をあまりにも貫徹し過ぎた結果、逆に破綻が始まったように見えます.
表現の自由を悪用して名誉毀損行為をしたり猥褻に走る人がいるのと同様で、テロ等組織犯罪になると個人の人権擁護の基準を当てはめていると悪用する人が出て来ます。
実態法では早くからこれに対して凶器準備集合罪に始まって、オーム真理教関係で有名な解散命令などの仕組みがある程度整って来ています。
また所得面からの規制として組織犯罪の不法利益を蓄積させないための、マネーロンダリング規制等も発達してきました。
以上のとおり、実体法の組織対応が始まったばかりですが、左翼系は何故か必死になってこれに抵抗していることは、衆知のとおりです。
世界中でスパイ処罰等のない国がない状態なのに、彼らの好きな国連や世界標準をこの場合には全く言いません。
そこで犯罪組織集団から資金援助を受けているのではないか?と言う疑いをもたれるようになっています。

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