憲法改正・変遷1

先進国のありようを後進国留学者が学んで来て、立派な概念を輸入・→「一般国民に教えてやる!」場合に、(遅れた?)国民から見れば急激な・・想定外の大変化になります。
分り易くするために文字・・成文法で書く・・本などを書くからには・・何回も見直すことになる結果、前後整合性のあるように自然に体系的な形式になります。
これを国民に教える・・普及させる人が必要ですから新しく考えるよりは過去の事例を学ぶのが得意な学者が指導性を発揮します。
先進国の場合、他所からの完成品の輸入ではなく必要に迫られて実行してみた結果、生じた不都合に合わせて修正して行くことになる・・徐々に社会意識や実態が変化していくのにあわせて憲法解釈を変えて行くのが合理的です。
この辺の違いは、先進社会であったイギリスの経験論と大陸の観念論と言うテーマで12月17日に書きました。
左翼・文化人は未だに自分たちだけが知っている自慢をするためか?国連情報などを振りかざして「前衛」と言う立場で、国民を指導しようとしているから、おかしなことになっているのです。
この辺はNGOが頻りに「国連報告」と言う箔付けを得て、国内政治に利用している動きの批判を書いているところで、「国連報告のいかがわしさ2(御神託)」2015/11/18以来話題が横にそれていますが、共通の問題ですから、近い内にそのテーマに戻ります。
先進国では、イキナリ他所から有り難い考えを学んで来て改正運動するのではなく、社会実態の変遷に応じて憲法が徐々に変わって行くべきです。
タマタマ今朝の日経新聞朝刊の「私の履歴書」を読んでいると、米国で最先端流通を学んで来て国内で張り切って実践しようとして現場と合わないで失敗した元大丸社長の経験談がのっています。
流通現場に限らず社会と言うものを相手にする場合、相手にする社会意識を無視出来ない点はみな同じです。
例えば非嫡出子の相続分差別が合理的か否か、夫婦別姓を認めないのが憲法違反かに関する意見は、夫婦のあり方に関する憲法意識・・社会実態の変化・・女性の社会進出の流れその他を経て議論が熟して行くものですし、(数学の計算のように頭さえ良ければすぐに答えが出るものではないばかりか、他国の意識を基準にするべきものでもありません。)社会の基本に関する意識の変化は10年や20年で決着がつかないのが普通です。
タマタマ12月16日夫婦別姓に関する最高裁判決が出ましたが、この判決文はまだ入手出来ないもののマスコミ報道によると、観念論によって決めるのではなく、社会実態の変遷を詳細に認定したうえで、夫婦別姓を認める方向へ意識が変わりつつあることを認めながらも、姓の選択権を認めないのが違憲といえるほど社会意識が今なお熟していないと言うもののようです。
裁判所が神様のように御神託を述べるのではなく、社会がどう思うようになっているかの事実認定をする機関と言う立場の宣言です。
選択制を望む国民が多いのに憲法が邪魔しているから改正出来ないのではなく、法律改正すれば足りる・・立法府の自由裁量であるのに反対論が多くて立法に至っていない状況それ自体が、国民意思がなお充分に一致していない状況を表していると判断した大きな理由であると推定出来ます。
国民主権が事実上無視されている状況があれば別ですが、今のところ選挙の公正が保たれているし、政党の勢力分布は、国民意思を大方反映していると見ることに国民が違和感を持っていないでしょう。
別姓支持者も内心意思を分析すれば、別姓がいいかどうか少しは迷っている人がいるでしょうし、自民党支持者もみんなが反対とは思われません・・一人の人間の中で見てもいろんな意向が入り組んでいる状態で法案を通そうとする強い力になり切れていない曖昧な状態が正に国民総意であると思われます。
このような判断過程を経た結果、夫婦別姓を認めるかどうかは、政治・国民意思で決めるべき分野であって国民が決めかねている状態を(上から目線で?)違憲とまで決め付ける・・即ち選択権を認めよと国会に強制するのは、越権?時期尚早と言う判断のようです。
文化人は国民が迷っていることについて(自分が進んでいると思う方向へ)一方的に裁判所が神様のように(一歩先に)決めてくれるのを期待して、訴え提起することが多く、今回の合憲判決に落胆している・・裁判所の後進性?に不満があるようですが、司法機関は過去の事実を公平に認定するための証拠法則などに精通していて訓練をうけていますが、先見性の能力が保障されている訳ではありませんから、社会が進むべき指導力発揮を期待すること自体が誤りです。
近代に確立した法体系・近代法の原理がテロの挑戦を受けていると言うテーマに関して、司法権・・刑事手続が、過去の事実認定手続に特化している・・テロ予防に対応出来ない点がある・・・近代社会で確立した憲法自体部分的に変容して行くべき時期が来ていないか?と言う観点でこの後で書く予定です。
司法権が権限・能力外の、社会が今後どうなるべきかの意見表明をしない・・減殺の社会意識の事実認定に限定する謙抑性があって当然です。
違憲か合憲かの憲法判断は、抽象論ではなく具体的社会実態に即して行なうべき・・憲法学者の空理空論によるべきはなく、日本社会意識・・実態(別姓による実際の不都合の程度を含めて)に即して行なうべきと言う立場でこのコラムを書いています。
国民意識の大半が決まっているのに立法府が怠慢している場合、違憲とすべきでしょうが、まだ曖昧な状態の場合、裁判所が率先して方向性を決めるべきではありません。

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