テロ組織と近代法の原理停止2

グアンタナモ基地での違法?拷問等による取り調べが知られていますので、テロリストが検挙されても保釈で出て来れば良いなどと言う訳に行かなくなりました。
末端のテロ実行者が検挙されたときに訓練場所や連絡組織などを自白するリスクがあるので、これを防ぐためにIS関係のテロは中央の指示ではなく末端が勝手連的にやる仕組みにしたり、その場で自爆してしまう・・犯人が生き残ってしゃべらないようにする方法が発達してきました。
以前は自爆や焼身自殺は自己犠牲の大きさによる社会への衝撃力・・社会へのアッピール力を競う・・これによる自民族抑圧・弾圧を緩和するようになることの期待・・その社会のよりよい変化を期待するものでした。
佐倉宗吾郎など、すべて自己犠牲によって残された家族や同族の生活環境がよりよくなることを期待するものでした。
今のテロでは焼身自殺等に対する「そこまで酷い目に遭っているのか?」「可哀相」と言う社会の同情心→社会変革への起爆剤になるのを期待するのではなく、自分の家族らを含む社会がまとめて被害を受ける・・家族を含めた社会への報復・社会に対する憎悪表現になっているようにみえます。
最近のテロに限らず、テロ行為というものは、自分の捨て身の行為が社会の改善に役立つ・・自分の家族や民族のための捨て石になる行為ではなく、テロの対象となっている社会の安定を破壊する・・その社会・秩序破壊を目的とするものです。
社会とは何か?
「社会」とはその地に住む人々が、古代から営々と築いて来た信頼関係の総合表現である秩序であり文化の集積です。
テロが攻撃対象にしているのは蓄積された社会秩序・信頼の破壊です。
テロ行為が頻発すれば、最後は相互不信が極まり、人影を見れば相手より先に銃で射つしかないような・・お互いの殺しあいに発展すると、次世代への教育どころか、日本人の世界に冠たる相互信頼関係社会が破壊されて行きます。
人影を見れば銃の引き金に指をかけて相手の動きを凝視してから行動する・・自分の五感を働かせて自分を守るしかない社会になれば、公共交通機関など大勢の保安行為に頼り、自分で安全を守れないシステムは成り立ちません。
信頼関係とは、自分がこうすれば相手がこうすると言う信頼・・日本で言えば、自分がへりくだれば相手もへりくだってくれると言う相互謙譲の社会が究極の姿です。
今回嫌韓感情が高まったのは、日本の謙譲の価値観に悪乗りして韓国が虚偽・悪宣伝を尽くしたことにより、共通の価値観で行動出来ない国だと言う認識・・お前を今後信用しないよと言う認識の表明です。
みんなが交通ルールを守ってこそ高速道路を安心して走れますが、逆走する人に対しては、車利用を規制する・・利用仲間から除名しなくてはなりません。
社会とは条文がなくとも相手が「礼儀」を守るだろうと言う相互の行動様式の信頼がある関係ですから、テロとは「礼儀」違反どころか、あるときイキナリ「生命すら奪いに来る」程の過激なルール違反行為をすることです。
戦いに出掛ける場合には危険は当然予測範囲ですが、結婚式や葬儀、あるいはコンサートなどに出掛けている場合には、危険を予測しないで出掛けるのが普通です。
すなわち古代からの約束事でこう言う場合は危険がない・こう言う接遇を受けると言う暗黙の合意・・文化がある・・こうした蓄積がその民族の文化であり「社会」と言うものです。
大声で怒鳴ったり刑罰の威嚇や監視がなくとも、ルールを守る社会は高度な安全文化社会です。
一方で銃で威嚇したり刑罰による威嚇がない限りルールを守らない社会は、低レベル社会ですし、銃の威嚇があっても(自分の死を恐れない)ルールを守らない状態になれば、社会と言うに値しない原始時代に戻るしかありません。
テロは、信頼を極限まで破壊し尽くして「社会」をなくしてしまおうとする行為です。
安全な筈の場所で、銃乱射や地下鉄の爆破事件など・イキナリルール違反される・・これがタマにあるだけならば何十年に一回の天災みたいなものですが、しょっ中になって来ると何を信頼していいか分らなくなります。
信頼が崩れる=社会が成り立たなくなると言うことです。
軍事基地など襲っても、一般市民が近づかなければ良いだけで社会的インパクトはありません。
シリアその他でどんなテロが行なわれていても難民がいくらトルコに流れても遠くの西欧は安閑としていましたが、大量の難民が直截西欧に押し寄せて難民が身近になり、しかもパリで一般市民が恐怖に襲われたので、大騒ぎになったのです。
パリのコンサート会場等襲撃でマスコミがショックを受けていますが、社会の信頼破壊を目的とするテロは、もっとも平和であるべき箇所・・安全と目されるところを襲うことが最も効果的であることが分ります。
電車にも怖くて乗れない・・何をするにも命がけとなれば、高度に発達した社会の血流が止まってしまいます。
即ちテロ行為とは、相手がルールを守ると言う信頼で成り立っている社会に対する挑戦・・社会崩壊を目指していることになります。
テロとは、対象社会に根付いているルールを明からさまに裏切る行為・・相互信頼関係破壊・・秩序・・ルールを守らないことの最大表現ですから、究極的にはその社会の文化集積を破壊して荒廃地にしてしまう・・古代に栄えたメソポタミア地方が現在瓦礫や砂漠の地になっているようにしてしまおうとする営みです。
一時的に不安がらせて、喜ぶ愉快犯とは目的が違います。

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