NGOとは?3(国民理解不要→独善性可能1)

訴訟の弁護団ではなく、人権提言→法規制等の実現=政治目的で日々活動していたNGOである以上は、これに対して政治論で応答しないで、裁判で決着つけようというのでは、まともな論争になりません。
反論するどころか、論争になった途端に過去のブログ・ツイッターなど一斉に削除してしまい(私が探せなくなっただけかな?)・・ここから先は相手にしません・・問答無用・「裁判で決着つけましょう」と言うのでは、一方的に自分のルールに引き込もうとする狡いやり方と言う印象を受ける人が多いのではないでしょうか?
タマタマ同弁護士の過去のツイッター等を見直してみようとすると、10月末に見た援助交際や慰安婦関連の過去の膨大な記事は何故かすっかり削除されたのか(分り難くしたのか?)うまく探せません。
私のようなネットになれない者でも、すぐに同弁護士の主張が一杯見られたのに今になるとどこへ行ったのかさっぱり分らない・・最後の11月1日の説明だけになりました(今後ツイッターをやめますと言う意味を書いていましたが、過去の分まで消してしまうとは思いませんでした)・・これでは、自分の過去の主張やして来たことが正しくなかったことを前提にしているかのようです。
政治的テーマに関しては、民主国家においては、裁判で決めるのではなく最終的には民主的な選挙や市場の審判で決めるべき事柄です。
NGOの資金源が特定何か国からの資金によって成り立っている場合、市場による淘汰はありませんから、開き直っても、国民の資金がホンの少し・・飾りでしかない場合には、国民がボイコットしても何の効果もありません。
フジテレビが国民をバカにして「韓流ばかりで何が悪い」開き直ったと言われていましたが、その結果か?ついに今年上半期決算で赤字に転落しましたが、外国の寄付が大部分を占めるNGOの場合、国民批判など馬耳東風となります。
こう言う場合は、市場原理が働かないので政治資金規制法のような公的規制が必要な分野ですが、その規制と政府や社会から独立している・・国際NGOの場合、特定社会批判を主目的?にしていることになるので、特定国の世論など気にする余地がない?NGO精神との兼ね合いが難しいところです。
NGOは性質上国から独立している制度設計であれば、「国民理解などいらないのだ」と言うのが、建前上正しいのでしょう。
国内NGOとは違いその社会を良くする目的ではなく、国際社会全体を良くしたいと言う目的で良いのですから、国際社会全体から見れば日本の不利益になることも堂々と提言して行くことこそが存在意義である・・日本の不利益を主張し続けて何が悪い?となります。
世界の歴史を見れば、噓でも良い結果になることがあります。植民地支配をして現地人を奴隷的状態においていた欧米に対して、国際連盟でこれを批判し続けた日本を逆に人権抑圧国とレッテル張りして第二次大戦に突入しました。
勝てば官軍とは言いますが、アメリカは虚偽の自己主張に縛られて結果的に日本が国際連盟で主張していた世界中の植民地解放や人種差別解消が進みました。
中韓の立場によれば、慰安婦や南京虐殺を主張し続けることが世界の人権に良いと言うのでしょうから、噓も方便と言う論理で、ありもしない大ショッキング事件をでっち上げることが、それが切っ掛けで岩盤規制を破壊する原動力になり、社会の発展に資することもありますから、結果的に良いことがあります。
中韓の主張が噓でも本当でもどちらでも良いのだ・・結果的に女性の人権擁護が進めば良いと言うのも1つの立場でしょう。
マイナーな場面で言えばテレビなどでしょっ中行なっているねつ造・・でっち上げあるいは誇張報道もその1種です。
彼らは「正義感」でやっているから噓でも良いとなり易いのです。
でっち上げ過大報道をすれば社会へのインパクトが大きくて警鐘になる・・苛め、労災や自然保護に対する社会の意識が高まります・・公害でも同じです・・最近では地球温暖化がうそっぽいと批判されていますが、やっている人が自分勝手に?「正しい」目的ならばねつ造も許されると言う意識が世界中に蔓延しています。
ちょうど昨日あたりからNHKのクローズアップ現代のやらせ報道問題に関する倫理委の決定(6日付)があって、ニュース報道されていますが、マスコミ界ではやらせ・ねつ造は日常茶飯事の印象です。
この報道もおかしな論理です・・誇張があったことは認めるが、政府の厳重注意は介入になるので許せないと言うのですから、本末顛倒・・倫理観が狂っていませんか?
やらせやねつ造・誇張が日常的になっていて、しかも逆に政府批判するのが目的のような決定をする・・開き直る倫理委員会が存在するのは、自分・グループが主観的に信じる正義を実現するためには、噓で何でもありもしないことをあるかのようにあるいは誇張して宣伝しても良い・・世間にインパクトを与えて自分たちの主観的正義感に従って世論誘導することが許されると言う選良的価値観が業界の基礎にあるからです。
倫理委の構成自体を世間が問題視する必要があるでしょう・・選良意識の強い文化人がのさばっているかも知れません・・。

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