民度と政体と4(新興国3)

民意の円満な統合をする技術のない社会では、内部抗争激化による政権危機が来るたびに、対外冒険主義行為に走るしかないのが政権の宿命です。
経済力に比例して軍事力が大きくなればなるほど、その誘惑・・障壁が低くなるので、今後中国の経済発展が進むのに比例して世界にとって危険性が増す一方の存在になります。
原油価格下落による経済危機乗り切りのためにロシアが始めたウクライナ危機、あるいは習近平政権の政権危機に発した対外冒険主義の動きを見れば、民度の低い社会の場合内政危機があると安易に対外行動に結びつける傾向が明らかです。
韓国の場合、自殺率の悪化、外国移民熱の上昇・海外売春婦輸出の激増・・何をとっても内政が極限まで悪くなっている・・国民不満の蓄積が見て取れる状況で、李明博大統領の反日活動が始まりました。
次期朴大統領は内政でやるべきこと分らないので、前大統領以上に反日教育を強めるしかなくなったのですが、軍事力が及ばないから、日本の悪口、宣伝活動に精を出すしかないのですが、その根っこは同じです。
中ロや韓国あるいは新興国の場合、経済力がついても、これに比例して急激に民度が上がることはありません。
生活水準が上がって、その力・エネルギーが内政に向かうと社会運営能力が低いので、言いたいことを言いっぱなしになるしかなくて混乱が待っているだけです。
言わば幼稚園の運営について、民主的だからと言って「幼稚園児の合議で決めたとおりにしましょう」と言っても何もまとまらない状態になります。
小学生も同様ですし、中学、高校、大学もそれぞれ能力、発展に応じて決めて行くべき分野を広げるのは良いですが、何でも無制限に口出しすれば良い・・民主的人権尊重と言うものではありません。
成人した会社員でも就職したばかりの人も、会社運営に言いたい放題の意見を言えば民主的と賞讃するような意見があれば笑い物です。
1万人に一人程度の率で若手や新入社員から良い意見が出ることもあるかも?と言う程度であって、大多数は入社したばかりで一人1票と言われても戸惑うばかりでしょう。
やはり、小中高校、大学と、成長に合わせて順次に(学校の自治会でも家庭内でも・・)発言する場面が増えて行くのが妥当なように、就職した社会人でも、新入社員→数年経過した若手→10年前後→中堅→部課長クラスと順次職務内容が分って行くに連れて、いろんな分野に発言して行くのが合理的です。
社会組織・政策論全般についても平等だからと言う形式論で、持論を言い張るだけの人が多くなると社会がまとまらなくなって行きます。
この「分際」を弁えない人が多いと社会が混乱します・・未成熟社会とは「分際」を弁えて自制する能力の未発達な社会の謂いです。
日本では明治憲法制定時の森有礼の「分際論」が有名でこのコラムでも10年ほど前に紹介したことがあります。
日本では長年合議制の歴史があって、各自の分際に応じた発言をするような慣習が成立しています。
上から「分を弁えずとも良いから申してみよと」促されても「では・・と遠慮しいしい、「恐れながら・・・」と持論を遠慮勝ちに述べるのが礼儀でした。
伊藤博文が欧州の憲法制度調査で歴訪したときに、ビスマルクから、庶民の意見を聞くとキリがない・・難しい・安易に西欧の議会制の真似をすると大失敗するからやめた方が良いと反対されたことが知られています。
伊藤博文は、「日本では民度が高いので大丈夫」と言う内心の信念だったと思いますが・・ビスマルクの忠告に耳を貸さずに、憲法制定を急いだと言われています。
日本では古代から朝廷の合議だけではなく、(大和朝廷が出来る前から)身近な集落の決めごとなど全て合議で行なう歴史時代以前から何千年単位の経験がありました。
フランス革命の結果、漸く民の意見を聞くようになったに過ぎない西洋よりも何千年も前から実践している日本の歴史を知らないビスマルクの意見は間違っていたのです。
実際に明治憲法を制定してみると森有礼が心配し、ビスマルクも心配したように「分を弁えず」・・実際政治を知らずに権利ばかり要求したのは、自由民権運動・・板垣ら頭でっかちの一部だけでした。
マスコミは自由民権堂を持ち上げ、いつも野党の空理空論が正しいかのような報道をし、学校でも教えますが、社会実態を無視した理念は要求している間がハナで、実際政治にこれを持ち込むとうまく行きません。

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