政体と民度6(新興国5・中国1)

日本では、公正無私な人が多い・党派性によって、相手が正しいことを言っても受け付けないと言う不公正な現象は滅多にありません。
コネでこう言うこう言う不正なことをしている・・政権が変われば、自分たちのグループに有利な政策になると言う決まり文句のような単純な主張が成り立たない社会です。
これが日本の野党やマスコミ意見の存在意義を小さくしている・・政権交代が出来ない原因です。
マスコミは事実報道に徹して、国民の公正な判断の材料提供者になるならば存在意義がありますが、政策実現可能性も分らないのに各種の審議会等で、誰も相手にしないような少数意見を取り上げて、さもこれが正しいかのように煽るのは国民を惑わすものです。
言論の自由の必要性・・野党の必要性は、本当に日本のためになる主張してもらうためにあるのです。
日本の文化人・・マスコミ、野党は、衆知を尽くした政府施策に対する批判が合理的に出来ないためか?現実の日本のためになるかどうかよりは存在意義をひけらかすために空理空論・・あるいは、ありもしない慰安婦報道などを過激化することによって、日本政府・ひいては日本国を窮地に追い込み困らせる目的しかないように見えます。
現実離れをした主張を合理化するために、国民はレベルが低くて理解出来ないので、自分たちが「世界水準を教えてやる「前衛」と言うエリートの位置づけです。
ジッサイ政治をどうするかの議論に関して「憲法学者がこういっている」と大宣伝するのも同じ流れです。
NGoに関するシリーズの途中で話題がそれていますが、NGO・国連報告問題も、NGOが自分がエリートのつもりで、(現実的に日本のためになるかどうかよりは、政権批判することのみを目的で)「国連報告」と言うお墨付きを得て自分の主張の正しさを箔付けするつもりだったのでしょう・・が、野党の空理空論を国際化して権威付けしているに過ぎないと言う視点でここでは書いています。
国民は利口ですから「頭のいい人の言うことは難しくって分らない」と言って逃げますが・・本当は実態理解能力のない人がエリ−トぶっているだけで頭が悪いのは、一流大学を出たエリート?集団の方です。
この発想の延長上に、連合赤軍その他革マル派中核派等の自己中心的思い込み・・過激派の活動があります。
書いてあることの理解・・数字や他人の論文や歴史年表を理解する程度の能力と、文字化出来ない無数の経験値や情報=実態把握能力と比べれば、文字以前の情報総合力のある方がレベルが上です。
その結果一流学者の拮抗している合理的意見の中から、政府がどれを選択して行くかに任せているのです。
今風のエリートである学者らから見れば、東大を出ていない安倍総理をバカ扱いしているように見えますが、エリートの集まる財務省が消費税増税を求めていたのに対して、安倍総理は延期を決めましたが、どちらの選択が正しかったかは、結果が証明しています。中国がやることなすこと全て裏目に出てるのは、アメリカ留学返りのエリート集団が思いつきで安直に一石二鳥の政策をやるからです。
国外からよその国の社会実態を無視して「人権」と言う基準を錦の御旗にして後進国の内政に介入して混乱させようとする彼らの運動批判の視点でこのシリーズを書いていますが、同様に国連の名で日本社会を混乱させようとする彼らの運動批判でもあります。
新興国の運営に戻りますと、民度レベルを越えた意見を聞く政治体制になると、意見がまとまらず内政運営が難しくなります。
中学生や高校生が学校運営能力もないのに、自主的な学校運営をすると無理が出るのは当然です。
民度を越えた政治発言を許容する社会になると、内政矛盾・利害調整がうまく行かないことが頻発しますので、これを誤摩化すためには、外敵があるとさしあたり内政の利害対立・矛盾を棚上げして「先ずは、外敵にあたりましょう」となるので、国民の目をそらすのには好都合です。
赤ちゃんが泣いてると、がらがらと音を立てて一時的にびっくりさせて泣き止むのを待つようなものです。
赤ちゃんが泣いている理由が空腹であったりどこか痛いのであれば、その原因を解決しない限り、びっくりさせても一時しのぎであって抜本的解決にはなりません。

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