市民と人民〜地球市民?1(NGO)

中国も中東由来の商業都市国家から始まったことをこのコラムで書いてきましたが、その後の農業社会化の進展で城壁外の土民も支配・市場取引の相手方として始まり、支配下に入ると搾取対象になってきたので、共通項的には政治の対象として視野入っただけのことで、もともと日本のように同胞から始まっていないので国民と違った「人民」という言語にこだわっています。
ただし、ここでの人民論は旧共産圏のみで使われるようになっている現状・実態を前提にした語感を書いているものであって、歴史的には色々変遷してきた結果いまの利用例に絞られているようですからその程度の意味で書いているとご理解ください。
この辺は市民概念も同様でしょう。
共産圏以外では、「人民が〜人民がぁ」と繰り返すのがなんでも反対運動のようなイメージなって疎まれるようになったので、ソ連崩壊後は進んだ文化人?を意識するグループでは、国家の枠を超えた「市民活動」をする人?を強調する意味で自己の立ち位置を「市民活動家」行動を「市民運動」等表現するのが流行になったようです。
地球市民というキザな(進歩的?)表現もこの一種です。
地球市民とは、都市国家の上に民族国家が出来上がった現状を否定したい現存の主権国家を無用な中二階化したい・・「グローバリズム」意識が含まれているイメージです。
本来都市とは、その上の組織である民族国家が出来上がる前の小単位でしかないのですから、日本で言えば、何々の国や郡という制度ができる前の何々ムラ人と言うのと同じです。
村人と言わず「市民」といえば、なんとなく国家対立を超越した進んだ人になるようなイメージになってきたようです。
日本では、市と町村とでは、元は人口集中している程度の違いであり、今では市町村合併により山奥の方まで何々「市」になっています。
伊豆諸島や奥多摩地域住民も東京都民と言うのと同じで、みやこの人というイメージとはだいぶ違っています。
日本では行政上の区画を意味するだけなので「市民」にこだわる意図がピンときませんが、日本や東南アジア等の海洋系民族を除けば、世界的に城壁内の住民=「市民」と城壁外の土民とはまるで違うエイリアンそのもの意識があるようです。
内外での異質感が連綿とつながっている都市国家由来の社会では、人種差別や階級差別が身についているでしょうし、欧米系差別意識の好きな進んだ系の人たちには自分は「市民」だ!という特殊表現が気に入っているのでしょう。
中国では今でも法的に農民戸籍と都市戸籍で厳重に区分され、上海など都市部への出稼ぎ農民は、各種保障の埒外・・一種の外国人扱いです。
https://toyokeizai.net/articles/-/70555?page=3

中国人が逃げられない、「戸籍格差」の現実
これが「努力しても報われない」の実態だ  2015/05/26 6:00
すべての中国人の戸籍は、農村戸籍(農業戸籍)と都市戸籍(非農業戸籍)に分けられている。農村戸籍が約6割、都市戸籍が約4割で、1950年代後半に、都市住民の食糧供給を安定させ、社会保障を充実させるために導入された。
以来、中国では農村から都市への移動は厳しく制限されていて、日本人のように自分の意思で勝手に引っ越ししたりはできない(ちなみに都市で働く農民工、いわゆる出稼ぎ労働者がいるではないか、と思われるだろうが、彼らは農村戸籍のまま都市で働くので、都市では都市住民と同じ社会保障は受けられない)。

日本でも千葉県人が東京で働いても千葉の住民税を払うし、国民健康保険や生活保護、子供の学校区域など居住自治体の責任ですが、それは行政区域の関係でそうなっているだけで、都民となるのには誰の同意もなんお条件もありません。
中国の場合行政区割の関係を表すのではなく、「農民」戸籍と「都市」戸籍に画然と別れるところがすごい発想です。
古代都市国家時代から制度が続いているわけではないとしても、城壁の内外では霧別れる古代からの精神そのまま体現している社会です。
市民標榜問題に戻ります。
香港の人は日本で中国人と言われるのを嫌う・・「香港からきました」と自己紹介するのが普通・・イタリア人もイタリア人と言わず、出身地域を名乗るのが普通と言われていますが、ここまでいけば本物です。
日本人の世界市民論は「いいとこ取り」自分らは日本人であることによる国際的恩恵を受けながら、都合よく世界市民を使い分けているように見えます。
慰安婦問題に連動してNGOなどが国際機関などで日本の児童売買春を誇大宣伝していたか?の騒ぎがありましたが、いかに日本の性道徳がひどいかを世界でアッピールしてかのように(事実不明ですが)注目を浴びたことがありましたが、意図はどうであれ、こういう運動をしてれば中国や韓国等から日本の良心と持ち上げられて気持ち良かったかも知れません。
国際舞台で華やかに活動できるのは、母体になる日本の信用があってこそ出会って、母体を貶すのがかっこ良いと喝采を受けているに過ぎず、彼、彼女らがアフリカ等の小国のNGOであれば同じこと言っても注目を得られないはずです。
NGOを担っている人物像(イメージだけで根拠ありません)を見ると、もともと国際的に活躍してきた経歴で信用を得たり活動資金が国際的に幅広く集まっているのではなく、日本国内の支援による資金で国連等へ出っ張って行き日本道徳の否定的主張や日本企業の海外進出企業の環境破壊や劣悪労働条件を告発するパターンが中心のようです。
日本の経済力は巨大ですので、国民の0、0何%未満の支持でも国連に出張する程度の経費を集められるということでしょう。
このような活動は国民から信任も受けていないので自らを世界市民(ここでは逐一の文言チェックしている暇がないので、正式にそのような発言をしているというのではなくそういう表現に親和性・傾向があるように私には感じられるという程度です)と称するのが合理的なのかもしれません。

表現の自由と国外での自国批判(NGO2)

政治意見があれば憲法・人権学者が金科玉条にしている国内「思想の自由市場」に発表し、国内世論形成に努力しないで、(こっそり?・英語にとっつきにくい日本人多くが、アクセスしないだけのことですが・・)国外で日本の道義退廃を流布する必要性が私にはわかりません。
上記2件だけ(過去の活動までは見る暇がなかったので・・)見ても賠償金、あるいは教科書のテーマと内容を変えていながら、毎回「日本軍のセックス奴隷」と言う表現を多用して「セックス スレイブ」の印象づけを狙っているようなイメージを受けます。
ただし、巧妙に?「歴史事実を否定している日本政府」という修飾語をかましていますが、これを繰り返すことによってイメージ戦略としては国際的には「Japan’s Military Sexual Slavery・日本軍性奴隷」と言う印象づけに精出している印象を受けます。
以下NGOヒューマンライツナウが15年11月当時削除しないで残していた原文(・・この数日間で同NGOに入って見た限りではもはや見つかりません)を紹介しましょう。

(以下日本語訳は私の誤訳?です)
「Human Rights Now is gravely concerned about the government’s sustained denials of historical facts with regards to Japan’s military sexual slavery during World War II, as well as the continuing violations of survivors’ human rights.
(日本軍性奴隷Japan’s military sexual slavery・・の歴史事実を否定する日本政府denials of historical factsHuman

  Rights Nowは、・・に重大な関心を持っていると言うのですから、文書作成者は韓国の主張している歴史認識が正しいと言う立場でしょうか?)
この前提事実によれば、以下のように日本の教科書検定が正しい歴史認識を否定し人権侵害という主張になってるようです。
英文に弱いので読み違いがあれば、ご容赦ください。
(ご自分で翻訳し直してください)

・・・・Minister Abe said “Now unjust slander is being circulated in the world portraying Japan as a nation that forced them into sex slaves,” which he complained jeopardizedJapan’s reputation.・・・・・。

日本は 「sex slaves」を強いた国として今や不正な中傷が流布され ・・、日本の評判を貶めていると安倍は不満を言った。
Moreover, (しかしながら)Japan has failed to follow the UNrecommendations to educate the・・・・Instead, increasing censorship of the issue has been observed in schoolbooks.・・・・。(国連の勧告にも関わらず教科書検閲を強化している)
・・・・We urge the Japanese government to stop abusing survivors’ human rights and dignity through its attempts to rewrite history (歴史書き換えの試みによって人権と尊厳を脅かす行為をストップするよう日本政府に要求 ・urgeする)and to immediately take action to ensure their rights to justice and reparation. In addition, we strongly recommend (強くstrongly要請する)all relevant mandate holders to conduct a joint fact finding mission to Japan (適切な権限のある事実調査団の派遣を?)and to make joint recommendations in this regard.
15年11月3日に紹介した池田氏の以下の記事は、ここに想像の根拠を有していたようです。

「池田信夫 @ikedanob 2015-10-30 16:34:22
国連に「性奴隷」を売り込んだ弁護士が、今度は「日本の女子学生の30%が援助交際」などのネタを売り込んでいる。 twitter.com/KazukoIto_Law/」

裁判となれば、「日本政府が否定している性奴隷」と毎回書いているので、日本の立場を紹介しているので日本を貶める運動ではないと言う論理になるのでしょうか。
そういうことが通用するならば、同弁護士を「国連に性奴隷を売り込んだことはないと否定している◯◯ベンゴシが・・」と毎回書けば名誉毀損にならないのでしょうか?
何となく、中国古代の「白馬非馬論」のような詭弁を弄しているように見えますが、如何でしょうか?
こんなことを言って自己満足していると法律家がみんな(司法権全体)「詭弁家」か?と思われる・社会の信用をなくして行く心配があります。
私は、法律家が屁理屈に走りすぎて世間の信用を失わないかを心配しています。
名誉毀損訴訟の結果伊藤弁護士の勝訴で終わったようですが、伊藤弁護士が国連調査者に述べた証拠を出して、公正に争った結果、同弁護士がこれといった誇張表現をしていなかったという認定になったのであれば同じ弁護士として同慶の至りです。
あるいは性奴隷を流布していた事実はあるが、児童売買春を誇張して流布していたという点だけ真実性証明が足りないとして名誉毀損になったのかもしれません。
あるいは性奴隷を流布していた事実はあるが、児童売買春を誇張して流布していたという点だけ真実性証明が足りないとして名誉毀損になったのかもしれません。
僅か57万円の損害賠償(1審→2審では倍増になったようです)になったのは、児童売買春の点もかなり自己吹聴していたので、同弁護士がガンバった点について証拠こそ出せないものの信じた点は過失に過ぎないという減点?があったかもしれません。
訴訟自体を知らないので部外者は憶測ばかりで合理的批判しようがないのですが、政治問題が訴訟になった事件では、それで良いのかの疑問で書いています。
BPOのように判決概要くらい公開すべきではないでしょうか?
私の実務経験では、裁判所はどんな事件でも事案をよく見ていて、公平な運用をしているのが普通です。
だからと言って、「知らないもの(・・部外者)は黙っているべし」というだけでは、個人的(工事代金や売掛金請求など一般民事、離婚事件)民事訴訟と違って、もともと政治的論争への政治効果を狙った事件・・政治色のある事件では、司法界は(左右両翼から)偏っていると言う思いこみ批判が起きるばかりで国民の司法への信任が進まないでしょう。
左翼系が負ければほとんどの場合「不当判決」の横断幕が掲示されますが、こういう不毛な批判を止めるには、プライバシー部分を除いた判決概要・争点と判断過程をネット公開した方が、国民の司法への理解・信頼が進むのではないでしょうか?
(公開によって裁判所は概ね公平な運用をしていることが良く分かって、国民の信頼が高まるはずです)
裁判は公開の法廷で行うことが憲法上の要請になっているのは、国民の理解・納得によって司法が維持できることをあらわしています。
この意を体すれば、ネット公開には費用がかからないのであるから、判決があった時にはすべからく(性犯罪その他特殊事件や固有名詞等判断の合理性理解に関係ない部分を除いて)、判決書をネット公開し国民批判=納得を得る方法でもあります・に晒すべきと思われます。
我々弁護士会でも平成の初め頃から懲戒処分があったときには決定要旨だけですが、公開する仕組みになっています。
その点、BPOは概要の他に決定内容をネット公開しているようですから合理的です。
ただし、私の方は個人的事情(暇がないだけ)で概要しか読んでいない・・全文を読む暇がないと言うだけですから、BPOの責任ではありません・・見たい場合には、誰でも全部見られるようにすべきでしょう。
各種公文書公開制度は、公開していても滅多に見る人がいないとしても、いざとなれば誰でも見られる点に公開制度の意味があります。
わざわざ役所等へ出向いて申請して費用を払ってまでみるには、よほどの具体的利害関係や事前情報をあらかじめ得ていないとできませんが、ネット公開してくれれば、自宅にいながら気になった時点で念のためちょっとみることが可能です。

表現の自由と国外での自国批判(NGO1)

そこで15年10月末頃にコピペしておいた英文PDFを読むと題名が日本語の活動記録では「慰安婦」となっていたのに英文では

「Japan’s Military Sexual Slavery・日本軍性奴隷」

となっているのにはまず驚きます。
性奴隷だったか否かの事実については、朝日新聞の検証以来「解決済み」と考えている人が多いと思われますが、(一ヶ月に2回も発言している頻度に驚きます)国外・国連では、なお執拗に日本政府批判活動が日本のNGOによって続けられていたことがわかりました。
日本国内の人権改善のための運動としても、国内で主張しないで何故国連で主張しなければならないのか疑問です。
・・1ヶ月に2回も「性奴隷」問題を取り上げているのを見ると慰安婦問題に異常なエネルギーを傾注している印象を受けます。
日本では例えば「児童売買春を抑圧しよう」「教科書検定に反対」のキャンペインをしても、投獄される心配は皆無でしょう。
日本は人権運動すると投獄されるな国ではない・・表現自由が保障されているのですから、日本の人権状況をよりよくしたいならば、まず国内で堂々と意見を発表し自由論争の結果、政治を変えていくようにすればいいのではないでしょうか?
特に児童売買春、フェイクニュース根絶や貧困撲滅やギャンブル依存症対策、売春を公認するか?等の仕組み作りは、理念さえ唱えれば解決するものではなく、総合的施策があってのことですから、優れて国内政治向きのテーマです。
国内自由市場で支持されれば、政策に採用されるので国外宣伝する必要がない→支持されないから場外闘争・・国内運動を諦めて海外運動に精出しているのかと多く人が思うのでないでしょうか?
日本人の目の届かないところ・・・国連・公開の場で日本の道義頽廃を主張しても、多くの日本人は国連の特別委員会の発言をいちいちチェックする暇はないし、もともと英語理解は苦手ですからいきなり国連勧告などもらっても日本人の多くには寝耳の水です。
国連の人権委員を説得して回り、成功するとそんな人権侵害がひどいならと、現地調査派遣が決まるのでしょうが、訪日調査と言っても児童売買春で言えばまともな統計すらないので、「意識の高い?」関係者から聞いて回って報告書作成となったのが、国内騒動の顛末ではないでしょうか?
たまたま補導された児童に聞く機会があっても自己正当化もあって、彼女らの言い分は「皆やってる」というのがほとんどです。
事件相談でも数十年前には依頼者の主張根拠を聞くと「みんな言ってる」「皆がやってる」というたぐいの説明が多かったのですが、自己の(相手の言い分を言わずに自分の都合の良い)言い分を強調すれば、大抵の人は論争に参加する必要がないので、強調する人の言い分に同調するふりをするか、「大変だったね」と慰めたり「そりゃひどいよ、すぐに弁護士さんに相談しな!」となるのが普通で「あんたの方が悪いよ!」という人は稀です。
ですから補導した児童に「友達でどのくらいやっているか」を聞いてもそのまま鵜呑みには出来ません。
15年10月末の大騒ぎがなければ報告→委員会決議→国連勧告を得てしまえば、国内議論不要・・「これが国際標準だ」として国内で内容議論抜きの国際標準である「国連勧告を受け入れろ」という政治運動になっていくような印象を受けた人が多かったでしょう。
革新系の「近代法の法理を守れ」とか「憲法を守れ」と同様、政治内容の具体的議論抜きに、思考停止させる戦略の一種です。
国内議論でほとんど相手にされないグループが、国民不知の間に国連特別報告者派遣に成功する・これが成功すると上記の通り結論が前もって決まっている儀式のために調査者が来日するみたいなものですから、(満州のリットン調査団や最近のロヒンギャ同様に)現地調査団が現地調査に行ったが、「人権侵害がなかった」という結果になった事例があるでしょうか?
日経土曜版で連載中の歴史学者本郷和人氏の「日本史ひと模様」に籤引き将軍の決定には事前に結果が決まっていた」という推測論が最近紹介されていましたが、(そこに書いてあったか私の思い込みか不明ですが)弓削道鏡失脚になっ宇佐八幡のご神託も湯起請も皆、筋書きが決まってからの儀式だったことが多いのです。
人権侵害調査の特異性は、双方から聞き取り形式ですが、政府等の言い分を形式的に聞くだけで信用しない・被害者の言い分を聞いてそちらを信用するという結果になるのが普通です。
しかも、事件の性質上匿名秘密聴取で「誰が何を言ったか」も秘密・ベールに包まれたままです。
そしてその人の言い分すら公開されないまま、「一方のその聴取結果を信用した」ということで、そのまま特別報告の内容になる仕組みです。
1〜2年前に表現の自由が侵害されているという国連調査報告が問題になりましたが、匿名の事情聴取を採用して政府主張を採用しないということでした。
このような偏頗な調査の結果、「香港の民主主義を守れ」という運動をすると簡単に中国に拉致されしまう香港よりも、日本の表現自由度の方が低いという結果だったようにおぼろげですが記憶しています。
児童売買春の場合、たまたま離日前に記者会見で数字発表したことから、客観性が必要になって撤回に追い込まれましたが、「表現の自由が不自由になっている・憂慮すべき状態」という抽象論の場合、(「誰がそんなこと言ってるのだ」というと「ニュースソースは秘密です」となり)客観性がいらないので、日本に対して問答無用で、「是正勧告」を言い切れば終わりです。
いわば特別報告者の腹づもり次第と言う仕組みです。
訪日調査者の多くは招請運動していたグループの推薦する各地地域団体代表者等から、実情聴取して帰る・・国連報告→国連委員会承認→国連で認定された既成事実・・慰安婦騒動同様に「すでに決まったことだ」という論で押し切る方式を感じ取った評論家等が非難したのが15年10月末の児童売買春騒動だったと思われます。
伊藤弁護士がその運動をし、過大報告したかどうかは別ですが、評論家が同弁護士の行為のように断定したからでしょうか?表現に行き過ぎがあったとしても、批判者の言いたいことを国民多くが理解したのではないでしょうか?
例えばヒューマンライツナウのホームページをこの時点で見ると以下のような運動が掲げられています。

私たちの活動

日本国内の人権状況
ヒューマンライツ・ナウは、日本に住む人々の人権が充分に保障されるように求める活動も展開、国連人権機関からの勧告を実施するよう政府に働きかけ、国際スタンダードの人権保障を実現するために活動しています。

成人の売春禁止制度がどうあるべきかを含めいろんな制度のありようは、民族の歴史を踏まえ海外の圧力で強制するのではなく主権国家→国内論争による民意によって決めていくべき問題です。
ちょうど今朝の日経新聞6p(フィナンシャルタイムズの引用)には、米中対決の本質・米企業の対中投資も安全保障上の観点から禁止されるようになっていく・・従来米国では大企業の海外進出は「企業が儲ければ国民も潤う」という観点しかなかったが、結果は、国民に還元されず国民は貧困化して来たので、グローバル展開が国民に良いことかどうかが問題視される時代に入ったという論文が掲載されています。
日本ではトヨタが海外展開しながらも、民族精神重視できたことがよくしられているとおりで、元々民族無視のグローバル化を国民多くが支持してきませんでした。
炭素繊維成功で新時代対応成功・・希望の星であったトーレが(経団連会長企業になったので、一定の政治的立場もあったでしょうが・・)慰安婦騒動の最中に韓国への新規投資発表など肩入れ鮮明化以降、問題になっているなど結果的に日本の方がトランプ氏より進んでいたのです。
最近の報道では以下の通りです。
https://ameblo.jp/ishinsya/entry-12321465394.html

許されるのか?東レが韓国に技術移転!
2017年10月21日(土)

NGO12(民主主義と事実の重要性2)

国内で言えば、マスコミ独自調査による報道は名誉毀損のリスクがありますが、警察発表をそのままするときには、裏付け調査しなくとも名誉毀損になり難いメリット・・手間が省けます。
このために国連報告があると、世界中のマスコミや公的機関がこれを事実であることを前提にした引用がはじまり議論が始まってしまいます。
一旦国連報告になって信用されてしまうと、「これは事実ではないと主張し証明する・・・・「ない」証明は「悪魔の証明」と言って、不可能であることは、我々法律家の世界では、公理のようになっています。
せいぜいアリバイ証明・・矛盾事実の反証しか出来ません。
例えば南京虐殺の30万人と言うのは、当時の人口と矛盾すると言う程度ですから、虐殺がなかったと言う根本否定にはなりません。
これが「国連で決着済み」と言われて困っている慰安婦騒動の基礎構造です。
今回の記者会見同様に情報源秘匿または直感で言われると反論するべき資料すらありません。
国連報告は、化学発明の場合に実験経過を公表しないようなものですから、南京虐殺や慰安婦の場合は、反論する材料すらないのです。
慰安婦の場合具体的な裁判になったので、却って証言の矛盾性・・年齢がおかしいとか、キーセン学校に行っていた、のせられたクルマがジープであったなどが指摘されるようになりました。
(慰安婦訴訟を提起した弁護士らが、日本の名誉回復に果たした役割は大きなものがあります・・愛国功労賞を贈るべきでしょう)
今回の援助交際騒動は、国連特別調査官が、何を調査したのか・・特定グループ中心に意見を聴取しただけで?「調査した」と言う安易な発表・記者会見をしたらしいことが発端です。
「調査」と言うのは事実調査をすることであって、特定主張をしているグル−プ中心に「日本は如何に援助交際が多いか」のアッピール・意見を聞いて、後はお飾り的にちょっと反対意見を聞いたただけの印象を報告にするのでは、意見調整でしかなく事実の調査とは言えないでしょう。
まして援助交際の実態などは、「大勢のお供を引き連れて街頭を数時間歩き回った程度で何が分るの?」と言うのが普通の感覚です。
調査に来る以上は、1〜2年程度日本に居着いて自分でフィールドワークすべきではないでしょうか?
僅か2週間滞在で予め決めたスケジュールに従って、日本国内を回って行った先で誘致関係者が用意した場所を数時間歩き回って?グループ・・・危機感を強調するに決まっているグループ?中心の聞き取りでは、結論が決まっています。
仮に現地調査する場合でも、調査対象を決める段階で公平でないと「調査」とは言えません。
どこの国にも一定犯罪がある・・ゼロの国はないので、A国では犯罪の多いところばかり歩いてB国では閑静な住宅街を歩いて、その比較でA国の治安が乱れていると言っても意味がないように、特定対象ばかり調査しても意味がないのは当たり前のことです。
疑惑をもたれているベンゴシが秋葉原を案内したかどうか分りませんが、周辺のメード喫茶等で働いている女子高生らしき比率が仮に
10%あっても、それが全国比率になる訳ではありません。
そもそも、メード喫茶等で働いている子が100%援助交際していると言う想定自体が非現実的です。
後に、同弁護士の秋葉には「氾濫している」と言う刺激的な表現を取り上げますが、街頭に援助交際が「氾濫している」と言う表現自体が実態に合わない過剰な表現ですが、同弁護士はもしかしたら街を歩いている女子高生みんなが売春していると言う目で女性を見ているのでしょうか?
スケートの浅田麻央の例を見ても分るように、日本人は外国人に比べて若く・幼く見えるので、調査官・・欧米人基準で見ると20代女性でも、高校生と言う目で見ればそう見えてしまう可能性があります。
マスコミを見ていると、マスコミの誘導したい結論に合うように・・ある国の景気が悪いと言う場合には、閉鎖した工場などを報道しますが、景気が良くても一定割合の倒産はありますから、部分報道では全体の比率が分りません。

NGO11(民主主義と事実の重要性1)

日本の人権状況を良くすることは、結果的に日本のためになるのは間違いないですが、援助交際している女子高校生比率が3割でも13%でも、事実に基づかない過大主張すると人権擁護になるのか?
仮に女子高校生の援助交際が国連勧告によって少し減ったとしても、実態以上に不名誉な評価を受ける日本国民の総損害はどうなるのか?
人にはいろんな意見があっても良いのですが、今回の騒動の結果、外務省が抗議し、特別調査官が、13%の数字に根拠がないことを認めて今後この数字を使わないと文書で回答して来たようですから、多分ネット世論だけではなく、国際世論でも、事実に基づかない悪宣伝が総合的に日本のためにならない・・マイナスの方が大きいと言う考え方が常識なのではないでしょうか?
人の信用も組織の信用も同様で、事実を曲げて表現する人や集団は信用がなくなります。
意見を言うときには、事実は事実として正確に紹介し、この事実からこういうことが導かれると言う意見であれば、聞いた人がその推論が正しいか、自分は別の推論をするとか合理的判断が出来ます。
その推論方法のうち、たとえば、特定事実から導かれるABCD4種類の考え方の内、どれを選択するかを多数決で決めるのが民主決定ルールです。
今回の国連特別調査官記者会見は、前提事実を断定する根拠を明らかにしないまま、結論・・自分の主観を事実であるかのように公表したところに問題があります。
パンでもすき焼きでも前提になる量や単価や品質等を正しく表示していて、どちらが良いかを決めるのであって、業者が品質を偽装していると・・和牛でないのに和牛(絹でないのに絹・国産でないのに国産品とか)と表示していると本物の和牛や絹、国産品で作っている業者に比べて割安なので客が間違って選んでしまいます。
消費者だけではなく、政治政策選択についても同様で、多くの人は政治選択の前提になる事実そのものを知るチャンスがないので、大多数の人はマスコミ等の報道が「事実とすれば・・」と言う仮定で考える習慣になっています。
目の前に出て来る食品でさえ、添加物の有無や国産か中国製かを確認出来ない・・業者の表示を信用するしかない状態ですし、ましてや政治問題・・町内と違って県や、国単位になると、遠くの事実・・あるいは近隣に出来る工場でも外から見ているだけでは、何をしているか、どう言う危険物を扱っているかについて詳しくは知りません・・。
ですからマスコミ報道や当事者の事実説明以外に、国民は判断すべき前提事実を直接知ることが出来ません。
直接説明を聞ける人は周辺住民のホンの数%もないですから、結局はマスコミ報道によるしかないのです。
大事故・大災害にあった人でも当事者はそのときは目の前の現象対応に夢中で、後でマスコミ報道を見て何があったのか分るのが普通です。
消費者が業者の品質表示を信用するしかないのと同様に、政治決断・・民主的決定もマスコミ報道を前提に・・事実として多くの人が判断しています。
報道以外に国民が直截知ることが不可能ですから、報道されていたことが虚偽やデッチ上げ、ヤラセでもよいとなると、国民が自由な判断が出来ません。
真実を知る権利がない状態においても、投票権さえあれば、民主国家と言えるでしょうか?
思想信条の自由や、民主主義が機能するためには事実報道が正確であることが必須であり生命線です。
今回の援助交際の報道も私自身立ち会っていないので、そう言う記者会見があったとしたら・・と言う仮定でこのコラムを書いています。
「援助交際をしたことがある女子高生が何%いる」と言う客観データがないと言う報道を前提で書いています・・このように、前提事実が報道に頼っていることが多いのです。
国連特別調査官が、何を調査したのか・・特定グループ中心に意見を聴取しただけで「調査した」と言う安易な発表・記者会見をしたらしいことが発端です。
国連特別調査官と言う権威をまとった人物がマトモな調査もしないで一方的に特定グループの主張する結論を事実であるかのように記者会見し、しかも統計に基づくかのような具体的数字を発表したことが日本人に対する衝撃を広げたのです。
それが国連報告になって行くと世界中の研究者やマスコミはそれ以上の調査不要の「事実」として引用して行くことになります。
一旦国連報告になってしまうと、これは事実ではない・・・・「ない」証明は「悪魔の証明」と言って、不可能であることは、我々法律家の世界では、公理のようになっています。
これが「国連で決着済み」と言われて困っている慰安婦騒動の基礎構造です。

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