自創法と農協法2(農業停滞の原因)

農業再生の必要性が言われるようになって久しいですが、農業分野では、自発的な発展・工夫力を失い、再生に向けた動きが業界内から生まれない・政治力に頼って保護政策の強化要求ばかりが報道される現状では国民はイヤになっています。
その遠因は、占領後すぐに始まった農地細分化政策と同時に始まった農協制度にあったと言うべきではないでしょうか。
日本人は戦後廃墟の中から立ち上がり、商工業全般で世界に冠たる成功を納めてきました。
同じ能力のある日本人でありながら、農民に限って創意工夫能力が発揮出来ず、世界の農業に比べて見劣りしているのはおかしい・・制度設計に発展阻害する仕組みが内蔵されていたからではないか?と言う疑問によります。
農地解放(農地の細分化)を法制度化したのが、以下のとおり昭和21年です。

  自作農創設特別措置法(昭和21年法律第43号)

第一条 この法律は、耕作者の地位を安定し、その労働の成果を公正に享受させるため自作農を急速且つ広汎に創設し、又、土地の農業上の利用を増進し、以て農業生産力の発展と農村における民主的傾向の促進を図ることを目的とする。

制作者注この法律は、昭和21年10月21日に公布され、同12月29日より施行された。
農地法施行法(昭和27年法律第230号)により、本法は昭和27年10月21日をもって廃止された。

以上は中野文庫からの引用です。
占領軍が求めていた民主化変更の目玉である新憲法でさえ、昭和21年11月の公布で施行が翌22年5月3日です。
民主化の基礎として占領軍の重視していた、家の制度廃止を法的に実現した民法親族相続編の改正でさえも昭和22年12月→施行23年1月です。
こうした時間軸を見ると、農地解放・細分化実施は、占領と同時に条文記載のとおり最優先事項として「急速」に進めていたことが分ります。
そして、農協法は戦後直ぐ(昭和22年11月)に制定されているのが不思議です。
と言うのは、民法改正・・男女同権の定めや相続分の変更などは、施行の日付を期して相続割合の計算すれば良いので簡単ですが、農地買収の法律が出来ても、実際に買収するには単価の決め方範囲その他容易ではありません。
(場所によって価値が違うので、全国画一的に買収金額を決める訳に行きませんし、現地調査など複雑です)
買収する範囲もいろいろで、地主ごとに残すべき農地との区別作業、それも全国的な認定作業です。
このように法律が出来たからと言ってすぐに自作農が出来たのではなく、法律制定後長期間を要していたのです。
私の実務経験による記憶・・登記簿等を見て来た経験・・では昭和27〜8年ころの売り渡しを原因とする移転登記が大多数です。
先ず、買収から始めて、次に売り渡しと言う順序・・当然不服申し立てもあります・・を践むので、実際にはかなりの年月がかかります。
上記中野文庫の注のとおり、自作農創設措置法が廃止されてこれを引き継ぐ施行法が制定されたのが昭和27年ですから、私の記憶どおりそのころまで買収売り渡し作業に年月がかかっていたことが分ります。
上記のとおり、法律が出来てもたった1年では、小規模自作農がまだ殆ど生まれてもいないのに、細分化した農地を所有する零細農民向けに昭和22年には農協法が成立しています。
占領軍は農地改革と言うより、農協による、農民支配制度確立を余程(前のめりに)急いでいたことが分ります。
農協法を見ると中央からの指導・監督を柱にして一方的に末端農民を指導するコンセプトです。
ロシアの無知蒙昧な農奴や西洋のやる気のない小作人あるいはアメリカの黒人奴隷らにイキナリ農地を与えたようなコンセプトです。
我が国は、庶民末端まで民度が高く、自発的行動を基本とする国民性を全く無視している仕組み制度設計には驚きます。
人をバカにしたこの制度設計のために、折角有能な農民がやる気をなくしてしまった結果、農業の衰退が始まったと見るべきではないでしょうか?
以下農協法を見て行きましょう。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC