格差拡大論2とROE重視論

私は日本企業を韓国のように欧米資本に買収して欲しいとは思っていないし、国内に資本があり余っている・・世界一の資金余剰国ですので、そこまでして外資導入をする必要がないと言う意見を何回も書いています。
国債や株式や債券保有者が日本人主体で何故悪いの?と安全で良いじゃない!と言うのが私の基本的意見です。
「配当を増やさないと外資が嫌う」と言い、(内部留保を悪玉視して)ROE・配当性向重視を煽る報道は一種の利敵行為だと思っています。
日本民族はみんなで一緒に豊かになりたい国・意識の社会ですから、配当収入を上げろと言う主張をはびこらせて、資本収益率を上げる・・儲けを独り占めにするような道徳観を宣伝しているとまじめに働く意欲を低下させて同胞意識を壊してしまわないか心配です。
青木昆陽や二宮尊徳その他何かの知恵を発揮した人が、自分がその結果大富豪になりたいのではなく、無償で全国普及に努力して回るのが日本人でした。
今でも医学技術その他で大儲けしようと言うのではなく、無償技術指導のために海外に飛び回っているのが日本人です。
世界の主要経済プレーヤーである日本の歴史経験、高度成長しても長期デフレでも資本収益率が上がらない・・資本による収奪が進まない・・過去から現在に至る日本実態を調査対象から除いたピケティ氏の経済論は良いとこ取りした歴史論同様で学問としての客観性がありません。
学問的価値があるとすれば、「欧米的強欲経済では・・」 と言う前提・限定が必要です。
いずれにせよ、日本経済を分析していない理論である以上は、日本がそうなっていると言う処方箋が手に入ったと人権派が大騒ぎするのは間違いであって、日本も他山の石として将来気を付けましょうと言う程度の意味です。
そうとすれば、ピケティ理論を持てはやしながら、マスコミがROEや配当性向の上昇を陰に陽に要求しているのは矛盾です。
成果報酬はある程度必要ですが、アメリカのように行き過ぎるのは良くありません。
自由競争社会にする以上は、結果修正・・敗者に対するケアーは必要ですが、成果報酬による格差は一定レベル必要です。
その結果が許容水準を超えているかの検証しないで、先ず格差(競争の結果勝者がよりよい果実を得ること)問題を宣伝するのでは、競争否定観が基礎にあると思えます。
彼らは批判論者は、努力して新技術が出る都度批判して来たもののそれが受けなくなったので、今度は格差反対の大合唱です。
競争による報奨金の獲得を認めれば、報奨金のない人との格差が生じるのは当然ですが、少しの格差も許容しない否定論は競争による地位の入れ替えを否定することになり兼ねません。
もしかしたら、身分や生まれつきの地位で収入が固定されている社会を理想としているのでしょうか?
日教組の支配する学校教育では、徒歩競争等競争結果が出るような運動会種目は大分前からやめるようになったと言われていますが・・・。
競争の差が出るのは可哀相だなどと言ってたら、何の競技も出来ません。
競争否定と言うことは逆から見れば、有能な子供の芽を出すのを否定的に見る・・抑圧する結果になる教育を奨励しているのでしょうか?
能力のある子の能力を引き出すことこそが教育であって、能力発揮を抑圧してもらうために子供を学校へやっているのではありません。
しかし競争社会と言うのは、彼らが大事にする近代化の結果であり、人権保障の結果です。
逆に生まれや身分で社会が固定され、競争出来ない社会に戻ることこそ、反近代化主張です。
ソ連時代の共産党幹部や現在でも中国共産党幹部子弟・・いわゆる太子党が、次世代幹部に昇進する道であり、国有関連企業で幹部登用され、天文学的蓄財を繰り返し良い思いをしていることは良く知られています。
朝日新聞や文化人は中国の生まれによる巨大格差社会を一切批判しませんし、報道すらマトモにしませんので、本来的競争のない社会を理想としているように思われますが、おかしな主張です。
競争は競争として奨励して、落ちこぼれた人は別に救済するシステムを構築すればいいことです。

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