弱者救済とその方策1

3月13日に書いたように百人〜千人挑戦して99%失敗するのが、いろんな分野の新規挑戦です。
各種実験は何万回も繰り返して漸く成果が出れば良い方ですし、野球であれ相撲であれサッカーであれスケートや芸能であれ、何事も挑戦さえすればみんなプロとして食べて行けることはあり得ません。
人生には常に勝敗があることを隠して子供も教育しても仕方がない・・罪なことです。
日教組が、学校内だけで競争のない社会を作ろうとすれば、社会との乖離が起き、実社会に出たときに不適合者を増やしてしまいます。
家庭内は安息のための空間ですから、競争社会化を徹底するのはよくないですが、学校は現実社会へ出て行くための準備過程ですから、出て行くべき社会の現実を無視した教育思想は間違っています。
失敗を恐れて・あるいは折角挑戦して成果を得ると極悪人のように批判されるのでは、誰も挑戦したくなくなる・・社会は停滞してしまいます。
成功者との格差が非難されるのは、敗者・弱者が可哀相だと言うことが基本であるならば、成功者を非難するよりは、失敗者には受け皿を作ってやれば良いことです。
弱者保護・敗者救済と言えば、生活保護や失業保険等の拡大強化を連想する人・・最近生活保護需給拡大をめざすかのような、日弁連の活動が最近目立ちますが、真に困っている人の救済は必要ですが、他の前向き政策と併用しないで保護費支給の充実に力点を置くのはモラルハザードを起こす危険があります。
大学受験に失敗してもその次の滑り止めがあって、更にその次〜その次と他段階の滑り止めがあって、そこでまた頑張れるのが普通です。
超一流企業に就職出来なくとも、能力に応じて1〜2〜3〜4流企業へ順次就職先を変えて行けば良いことです。
このような受け皿準備をしないで、受験失敗者の逃げ道を用意しないで、自殺防止のためのカウンセラーを大量に準備しても解決出来ません。
司法試験に合格しなくとも法科大学院を出た人が、そのままにならないように弁護士以外の職業に就いて生きて行くべき次の受け皿があればすくわれます。
理系大学院卒業者の就職先がない点が社会問題になっていますが、要は研究所に限らない多段階受け皿の問題です。
社会生活の多様化を計ることによって、多段階の生き方を受入れ出来るので、果敢な挑戦者を多く輩出するには、失敗しても再挑戦出来るように多段階の生き方が用意されていることが必要です。
一流企業に就職しても社内競争に付いて行けない人材が途中で吐き出されても、次順位以下のレベル企業で(一流企業にいた人材は、なお利用価値がある筈ですから、)受入れてくれれば失業しません。
しかも社会構造はピラミッド型になっていて下位レベル職種の方が労働者受入れ能力が大きいので、論理的には需要の方が大きい筈です。
例えば超一流企業が1社あれば第二グループの企業が数社以上あるし、更にまた下の下請け企業群はそのまた数倍以上ある関係です。
ですから、1〜2段階飛び越して下位の企業群に就職する気になれば、その企業群の中で1社くらいは優秀な人材が欲しいので喜んで受入れる下地はあります。
身障者になった場合等の受け皿も同様です。
身障者用に車椅子で働ける職場その他いろんな障害・・能力に応じて働ける職場があれば助かります。
目の不自由な人や難聴者等いろいろな不具合に応じて、働けるような社会構造にすれば、ちょっとした事故被害や高齢化による一部能力減があっても、仕事を続けられます。
疾病による失業の場合、一直線に生活保護になりガチですが、疾病に応じて働ける職場が多段階にあれば多くの人が助かりますし、ちょっとした障碍者になったり病気した程度では、生活保護に直結しないメリットがあります。

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